この度は、第42回「地方の時代」映像祭2022へ
お申し込みいただき誠にありがとうございました。
厳正に抽選させていただきました結果、
【第二部】にご当選されましたのでお知らせいたします。
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◎日時:11月12日(土)15時30分~18時30分頃
<会場:関西大学千里山キャンパス>
【第二部】グランプリ受賞作品上映
シンポジウム「地域からは日本と世界の今が見えてくる」
※第二部の開始直前は受付が混み合う事が想定されます。
また、グランプリ受賞作品上映がスタートしますと会場内が暗転し
移動がしづらくなりますので、少しお早めにご来場いただき
受付を済ませてお待ちいただきますよう、ご協力をお願い致します。












インターネット ガーファー 民主主義 時代若者のテレビ離れが言われ>>> なんやかんや<ことばと頭・カラダが、ガタガタ 。。。それでも、それでも・・・・
◆◆
「Z世代(ゼットせだい)、ジェネレーションZ(英: the generation Z)とは、アメリカ合衆国をはじめ世界各国において概ね1990年代中盤から2000年代終盤、または2010年代序盤までに生まれた世代のことである[1][2]。生まれながらにしてデジタルネイティブである初の世代である。Y世代(ミレニアル世代とも)に続く世代であることから「Z」の名が付いている。「Z世代」という言葉は日本において、2021年のユーキャン「新語・流行語大賞」のトップ10に選出された[注 1]。概要1990年代中間から2010年代前半に生まれた世代ではあるが、カナダ統計局の場合には1993年生まれ以降を[3]、アメリカ心理学会の場合には1997年生まれ以降を指すなど[4]、定義は厳密に決められているわけではない(何年生まれまでを指すかについても、2010年頃とされる場合や2010年代序盤から中盤とされる場合もあり流動的である)[5]。日本においては概ね1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災後から2011年(平成23年)の東日本大震災までに生まれた世代に相当する。主に2010年代から2020年代に掛けて社会に進出する世代となる。大半がX世代(日本ではバブル世代・団塊ジュニアに相当)の子供世代に当たる。生まれた時点でインターネットが利用可能であったという意味でのデジタルネイティブ世代としては最初の世代となる[6][7]。デジタル機器やインターネットが生まれた時から当たり前のように存在し[6][7]、ウェブを日常風景の一部として感じ取り、利用している世代である。また、パソコンよりもスマートフォンを日常的に使いこなし、生活の一部となっている「スマホ世代 (iGen)」でもある[8]。さらに、ビデオ通話サービスのZoomを多用することから「Zoomers(ズーマーズ)」とも呼ばれる[9]。成長期にWeb 2.0を当たり前のように享受し、情報発信力に長けているため、当該世代からは数多くのインフルエンサーが登場している。この他、Z世代と同時期に生まれた若者は、C世代(シーせだい)、ジェネレーションC(英: Generation C)[10][11][12][注 2]、あるいはニュー・サイレント・ジェネレーション(英: the new silent generation)[注 3]と呼ばれることもある。特徴ミレニアル世代(Y世代)よりもさらに周囲のIT環境が進展しており、幼少期から“デジタルデバイス(機器)やインターネット、SNS含むソーシャルメディアの存在を前提とした生活”をしているデジタルネイティブ(ネットネイティブ、あるいはソーシャルネイティブ)世代である[13]。生まれた時からインターネットに接続するための基本的な端末であるパソコンや携帯電話が既に存在しており、インターネットを利用し始めた頃にはADSLやCATVなどブロードバンドによる常時接続環境、SNS含むWeb 2.0、さらにスマートフォンが普及し、個人の情報発信が身近となっていた[6][7]。2020年に始まった新型コロナウイルス (COVID-19) のパンデミックの影響で、義務教育と高等教育の両方で、全社会的に実施された遠隔教育(オンライン授業)を受ける最初の世代となった[14]。2020年時点で世界人口の約3分の1を占めており[15]、割合はミレニアル世代を上回る。少子高齢化が世界で最も進んだ日本においては、Z世代を2020年6月時点での10歳?24歳(概ね1995年(平成7年)4月2日?2011年(平成23年)4月1日生まれの世代に相当)と定義した場合、それに当たる人口は1752万人であり、総人口の7分の1弱と少なく、約13.9%となる[16]。Z世代論には俗論が多い。こうした俗論が当事者を、大人が作ったあるべきZ世代の枠に押し込める危惧もある[17][18]。ジェネレーション・レフト欧米ではミレニアル世代と合わせてジェネレーション・レフト(左派世代)と呼ばれる経済格差や気候変動、ジェンダー問題、ポリティカル・コレクトネス、ブラック・ライヴズ・マター、ヴィーガンなど左派的活動を行う者が目立つ [19]。 学校等で左派的教育を受け続け旧ソ連型の体制を知らないミレニアムやZの若い世代は社会主義に負のイメージがなく、資本主義体制に失望するほど左派に傾倒。世論調査会社ユーガブの19年の調査によると「社会主義の候補者に投票するか」との問いにZ世代の64%、ミレニアム世代の70%が「投票の可能性が高い」と答えた。16年の大統領選の民主党候補者選びでは民主社会主義者バーニー・サンダース旋風に一役買った。2022年現在の日本では同世代(ミレニアル世代・Z世代)が左派的活動をしていることは少ないが、左派系知識人やマスメディアを中心に欧米のジェネレーションレフトを賞賛し、同じように日本の同世代が「目覚める」ことを期待して日本でのジェネレーションレフトを増やそうとする意図が存在する[20][21][22][23]。「Z世代」という表現に対する否定的意見お笑いタレントのカズレーザーは「Z世代」という言葉は年配者が作った言葉であり、Z世代という表現そのものが今時の価値観ではないと提唱している[24]。自分自身をZ世代と称する2000年代生まれの人物より相談があり「老害が多すぎて嫌になる」という相談に対し「Z世代とかY世代って上の(世代の)人(たち)が勝手に作った枠組みなんですよ……今の価値観にアップデートしたいんだったらこういう言葉は使わないほうがいいですよ、古臭く見られます……絶対“Z世代”なんてダサい言葉使わないでください。昭和だと思われます」と発言し、多くの称賛の声が挙がった[24]。」((https://ja.wikipedia.org/wiki/Z世代 参照 2022年11月13日))
◆R./E 吹田◆
2019年12 月 9日 (月曜日) 12/7 土 関西大学千里山キャンパスツアー :令和元年12月7日 (土) 村野藤悟さんと関大の関わりは 聞き忘れ いつ 誰が なぜ 確認しました 年史編集室 今 調査中ということでした -令和元年12月9日 (月)-. なにせ 混乱の時であったとか 村野藤吾 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ナビゲーションに移動 検索に移動 この記事は 検証可能 な 参考文献や出典 が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加 して記事の信頼性向上にご協力ください。 (2017年1月) 村野 藤吾 (むらの とうご、 1891年 (明治25年) 5月15日 - 1984年 (昭和59年) 11月26日 )は、日本の 建築家 。
村野藤悟さんと関大の関わりは 聞き忘れ
いつ 誰が なぜ
確認しました 年史編集室 今 調査中ということでした -令和元年12月9日(月)-.
なにせ 混乱の時であったとか






村野藤吾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。 (2017年1月)
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村野 藤吾(むらの とうご、1891年(明治25年)5月15日 - 1984年(昭和59年)11月26日)は、日本の建築家。日本建築家協会会長、イギリス王立建築学会名誉会員、アメリカ建築家協会名誉会員。
佐賀県東松浦郡満島村(現唐津市)で代々船問屋を営む家の一男第三子として生まれた。生後すぐから12歳頃まで乳母の元に預けられ、その後両親の住む福岡県遠賀郡八幡村(北九州市八幡東区 )で育った。
1910年、福岡県小倉工業学校(現小倉工業高校)機械科を卒業後、八幡製鐵所に入社。1911年から2年間にわたる従軍中、学問に興味を持ち、1913年、早稲田大学理工学部電気工学科に入学。しかし、自分には向かないと考え、1915年、同大建築学科へ転学。27歳で卒業した。
1918年、渡辺節建築事務所に入所。日本興業銀行本店、ダイビル本館、綿業会館等の設計に携わった。渡辺からは、建築に費用を惜しまないことが客を呼び、ひいては施主の利益になることを叩き込まれる。1929年、渡辺節建築事務所を退所し、村野建築事務所開設。日中戦争・第二次世界大戦中は実作の機会は少なく、不遇の時期を過ごした。1949年、村野・森建築事務所に改称。1955年、日本芸術院会員。1967年、文化勲章受章。日本芸術院賞、日本建築学会賞など受賞多数。
代表作の一つ、日生劇場(1963年築)は花崗岩で仕上げた古典主義的な外観やアコヤ貝を使った幻想的な内部空間などが、当時の主流であったモダニズム建築の立場から「反動的」といった批判も受けた。1968年からは迎賓館本館(旧赤坂離宮)の改修も手がけた。また、村野は和風建築の設計にも手腕を発揮し、戦後の数寄屋建築の傑作として知られる佳水園なども設計した。
大阪を拠点に創作活動を行い、建築批評界では丹下健三とよく比較された。90歳を超えても創作意欲は落ちず、死の前日まで仕事をしていた。
2005年に宇部市渡辺翁記念会館(1937年築)が村野の作品として初めて国の重要文化財に指定された。翌2006年、世界平和記念聖堂(1953年築)が、丹下健三の広島平和記念資料館(1955年築)とともに、戦後建築としては初めて重要文化財(建造物)に指定された。
受賞等[編集]
日本基督教団南大阪教会塔屋 |
1928年 |
大阪市阿倍野区 |
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あやめ池温泉場 |
1929年 |
奈良県奈良市 |
現存せず |
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森五商店東京支店 |
1931年 |
東京都中央区 |
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現 近三ビルヂング |
大丸神戸店員寄宿舎・同舎監の家 |
1931年 |
兵庫県神戸市 |
現存せず |
|
|
近江帆布三瓶工場 |
1931年 |
愛媛県西予市 |
現存せず |
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|
大阪パンション |
1932年 |
大阪市西成区 |
現存せず |
|
|
加能合同銀行本店 |
1932年 |
石川県金沢市 |
|
|
現 北國銀行武蔵ヶ辻支店 |
中島商店 |
1932年 |
石川県金沢市 |
|
|
|
キャバレー赤玉 |
1933年 |
大阪市中央区 |
現存せず |
|
|
中山悦郎邸 |
1934年 |
兵庫県芦屋市 |
|
|
|
ドイツ文化研究所 |
1934年 |
京都市左京区 |
現存せず |
|
|
中山製鋼所事務所 |
1935年 |
大阪市大正区 |
一部現存 |
|
現 中山製鋼所総合管理センター |
そごう大阪店 |
1935年 |
大阪市中央区 |
現存せず |
|
|
中村健太朗法律経済事務所 |
1936年 |
大阪市中央区 |
|
|
現 中村健法律事務所 |
大丸神戸店 |
1936年 |
兵庫県神戸市 |
現存せず |
|
|
谷口病院 |
1936年 |
大阪府 |
現存せず |
|
|
近鉄本社旧社屋 |
1936年 |
大阪市天王寺区 |
現存せず |
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|
宇部市渡辺翁記念会館 |
1937年 |
山口県宇部市 |
|
重要文化財 |
|
叡山ホテル |
1937年 |
京都市左京区 |
現存せず |
|
志摩観光ホテル東館に一部を移築 |
大阪商船高砂丸 |
1937年 |
|
現存せず |
|
|
大阪商船浮島丸 |
1937年 |
|
現存せず |
|
|
大庄村役場 |
1938年 |
兵庫県尼崎市 |
|
登録有形文化財 |
現 尼崎市立大庄公民館 |
宇部銀行本店 |
1939年 |
山口県宇部市 |
|
|
現 旧宇部銀行館 |
大阪商船あるぜんちな丸 |
1939年 |
|
現存せず |
|
|
大阪商船ぶら志゛る丸 |
1939年 |
|
現存せず |
|
|
橿原神宮駅舎 |
1940年 |
奈良県橿原市 |
|
|
現 橿原神宮前駅 |
中山半邸 |
1940年 |
兵庫県神戸市 |
現存せず |
|
|
中橋武一邸 |
1940年 |
大阪市天王寺区 |
現存せず |
|
|
大阪商船報国丸 |
1940年 |
|
現存せず |
|
|
中林仁一郎邸 |
1941年 |
京都市東山区 |
現存せず |
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八幡製鉄所ロール加工工場[1] |
1941年 |
福岡県北九州市戸畑区 |
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宇部窒素工業事務所 |
1942年 |
山口県宇部市 |
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現 宇部興産宇部ケミカル工場事務所 |
村野自邸 |
1942年 |
兵庫県宝塚市 |
現存せず |
|
|
大阪商船護国丸 |
1942年 |
|
現存せず |
|
|
海軍将校倶楽部 |
1943年 |
三重県鈴鹿市 |
現存せず |
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|
そごう難波店 |
1946年 |
大阪市中央区 |
現存せず |
|
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牧野山の家 |
1946年 |
滋賀県高島市 |
現存せず |
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食品市場そごう阿倍野店 |
1947年 |
大阪市阿倍野区 |
現存せず |
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|
観光ホテル丸栄・丸栄ピカデリー劇場 |
1949年 |
愛知県名古屋市 |
現存せず |
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|
公楽会館 |
1949年 |
京都市下京区 |
現存せず |
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近畿映画アポロ劇場 |
1950年 |
大阪市阿倍野区 |
現存せず |
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跡地にアポロビルを建設 |
やまとやしき百貨店 |
1951年 |
兵庫県姫路市 |
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現 ヤマトヤシキ姫路店、1951年―1975年 |
志摩観光ホテル |
1951年- |
三重県志摩市 |
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東館1951年、西館1960年、本館1969年、 宴会棟1983年 |
高島屋東京店増築 |
1952年 |
東京都中央区 |
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重要文化財 |
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宇部興産中央研究所 |
1952年 |
山口県宇部市 |
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丸栄本館増築 |
1953年 |
愛知県名古屋市 |
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フジカワ画廊 |
1953年 |
大阪市中央区 |
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現 フジカワビル |
南都銀行本店増築 |
1953年 |
奈良県奈良市 |
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世界平和記念聖堂 |
1954年 |
広島市中区 |
|
重要文化財 |
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関西大学 第一学舎・簡文館 |
1955年 |
大阪府吹田市 |
|
登録有形文化財 |
現 関西大学博物館 |
八幡市立図書館 |
1955年 |
福岡県北九州市 |
現存せず |
|
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ドウトン |
1955年 |
大阪市中央区 |
|
|
現コムラードドウトンビル |
心斎橋プランタン |
1956年 |
大阪市中央区 |
現存せず |
|
|
神戸新聞会館 |
1956年 |
兵庫県神戸市 |
現存せず |
|
阪神淡路大震災で倒壊 |
富田屋 |
1957年 |
京都市右京区 |
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|
現 湯豆腐 嵯峨野 |
読売会館 |
1957年 |
東京都千代田区 |
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|
現 ビックカメラ有楽町店本館 |
東京丸物 |
1957年 |
東京都豊島区 |
|
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現 池袋パルコ |
新歌舞伎座 |
1958年 |
大阪市中央区 |
現存せず |
|
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八幡市民会館 |
1958年 |
福岡県北九州市 |
|
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米子市公会堂 |
1958年 |
鳥取県米子市 |
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横浜市庁舎 |
1959年 |
神奈川県横浜市 |
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佳水園 |
1959年 |
京都市東山区 |
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|
現 ウェスティン都ホテル京都 和風別館 |
小倉市民会館 |
1959年 |
福岡県北九州市 |
現存せず |
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|
泉州銀行本店 |
1959年 |
大阪府岸和田市 |
|
|
現 池田泉州銀行泉州営業部 |
高木産業ビル |
1959年 |
大阪市中央区 |
|
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|
繊維輸出会館 |
1960年 |
大阪市中央区 |
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|
都ホテル新館 |
1960年 |
京都市東山区 |
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現 ウェスティン都ホテル京都・本館 |
尼崎市庁舎 |
1962年 |
兵庫県尼崎市 |
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関西大学 特別講堂 |
1962年 |
大阪府吹田市 |
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現 関西大学KUシンフォニーホール |
早稲田大学文学部校舎 |
1962年 |
東京都新宿区 |
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33号館は現存せず、31・32号館は現存 |
森田ビルディング |
1962年 |
大阪市中央区 |
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新梅ヶ枝ビル |
1962年 |
大阪市北区 |
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現 第一住建梅ヶ枝ビル |
日本生命日比谷ビル |
1963年 |
東京都千代田区 |
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日生劇場 |
熊本市水道局 |
1963年 |
熊本県熊本市 |
現存せず |
|
|
高知県知事公邸 |
1963年 |
高知県高知市 |
|
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|
梅田換気塔 |
1963年 |
大阪市北区 |
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横浜市立大学 |
1963年 |
神奈川県横浜市 |
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名古屋都ホテル |
1963年 |
愛知県名古屋市 |
現存せず |
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|
関西大学円神館 |
1964年 |
大阪府吹田市 |
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|
|
甲南女子大学 |
1964年 |
兵庫県神戸市 |
|
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|
千里南センタービル |
1964年 |
大阪府吹田市 |
現存せず |
|
|
佐伯勇邸 |
1964年 |
奈良県奈良市 |
|
|
現 松伯美術館の一部[2] |
カトリック宝塚教会 |
1965年 |
兵庫県宝塚市 |
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|
千代田生命保険本社ビル |
1966年 |
東京都目黒区 |
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|
現 目黒区総合庁舎 |
清原東京支店 |
1967年 |
東京都千代田区 |
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|
大阪ビルヂング(八重洲口) |
1967年 |
東京都中央区 |
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現 八重洲ダイビル |
桜井寺 |
1968年 |
奈良県五條市 |
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シトー会西宮の聖母修道院 (西宮トラピスチヌ修道院) |
1969年 |
兵庫県西宮市 |
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近畿日本鉄道新本社ビル |
1969年 |
大阪市天王寺区 |
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日本ルーテル神学大学 |
1970年 |
東京都三鷹市 |
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現 ルーテル学院大学 |
兵庫県立近代美術館 |
1970年 |
兵庫県神戸市 |
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現 兵庫県立美術館 原田の森ギャラリー |
帝国ホテル茶室 - 東光庵 |
1970年 |
東京都千代田区 |
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箱根樹木園休息所 |
1971年 |
神奈川県箱根町 |
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北九州八幡信用金庫本店 |
1971年 |
福岡県北九州市 |
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アポロビル |
1972年 |
大阪市阿倍野区 |
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旧・アポロ劇場の建て替え |
高輪プリンスホテル貴賓館 改修 |
1972年 |
東京都港区 |
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旧 竹田宮邸 |
迎賓館本館 改修 |
1974年 |
東京都港区 |
|
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旧 赤坂離宮 |
日本興業銀行本店 |
1974年 |
東京都千代田区 |
現存せず |
|
みずほ銀行前本店ビル |
西山記念会館 |
1975年 |
兵庫県神戸市 |
現存せず |
|
|
小諸市立小山敬三美術館 |
1975年 |
長野県小諸市 |
|
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|
麹町ダイビル |
1976年 |
東京都千代田区 |
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常陸宮邸 |
1976年 |
東京都渋谷区 |
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箱根プリンスホテル |
1978年 |
神奈川県箱根町 |
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現 ザ・プリンス箱根 |
千里市民センター |
1978年 |
大阪府吹田市 |
現存せず |
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都ホテル東京 |
1979年 |
東京都港区 |
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現 シェラトン都ホテル東京(内装のみ[3]) |
松寿荘 |
1979年 |
東京都港区 |
現存せず |
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出光興産ゲストハウス |
八ヶ岳美術館 |
1979年 |
長野県原村 |
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宝塚市庁舎 |
1980年 |
兵庫県宝塚市 |
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南部ビルディング |
1980年 |
東京都千代田区 |
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黒田電機名古屋支社 |
1981年 |
愛知県名古屋市 |
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新高輪プリンスホテル |
1982年 |
東京都港区 |
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現 グランドプリンスホテル新高輪 |
谷村美術館 |
1983年 |
新潟県糸魚川市 |
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宇部興産ビル |
1983年 |
山口県宇部市 |
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現ANAクラウンプラザホテル宇部 |
内幸町大阪ビルヂング |
1983年 |
東京都千代田区 |
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現 内幸町ダイビル |
都ホテル大阪 |
1985年 |
大阪市天王寺区 |
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現 シェラトン都ホテル大阪 |
京都宝ヶ池プリンスホテル |
1986年 |
京都市左京区 |
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現 グランドプリンスホテル京都 |
三養荘新館 |
1988年 |
静岡県伊豆の国市 |
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天寿園 瞑想館 |
1988年 |
新潟県新潟市 |
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阿部野橋ターミナルビル |
1988年 |
大阪市阿倍野区 |
現存せず[4] |
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横浜プリンスホテル |
1988年 |
神奈川県横浜市 |
現存せず |
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主な作品・外観画像
そごう大阪店 1935
橿原神宮駅舎 1940
丸栄本店 1953
広島世界平和記念聖堂 1953
読売会館 1957
新歌舞伎座 1958
横浜市庁舎 1959
ウェスティン都ホテル・本館 1960
日生劇場 1963
目黒区総合庁舎(旧千代田生命保険本社) 1966
旧兵庫県立近代美術館 1970
西山記念会館 1975
麹町ダイビル 1976
宝塚市庁舎 1980
シェラトン都ホテル大阪 1985
宇部興産ビル 1983
グランドプリンスホテル京都(旧京都宝ヶ池プリンスホテル) 1986
天寿園 瞑想館 1988
横浜プリンスホテル 1990
|
関連文献(近年刊)[編集]
- 『村野藤吾著作集』 全1巻、神子久忠編、鹿島出版会(新版)、2008年 - 元版は同朋舎、1991年
- 『様式の上にあれ 村野藤吾著作選』 鹿島出版会〈SD選書〉、2008年 - 上記より代表論文12編を抜粋した。
- 『村野藤吾建築案内』村野藤吾研究会編、TOTO出版、2009年 - 135作品を撮影掲載し、一部地図も付す。
- 『ある日の村野藤吾』村野敦子編、六耀社、2008年 - 編者は孫で写真家、作品を撮影、日記と手紙を収む。
- 『村野藤吾の建築 昭和・戦前』長谷川堯、鹿島出版会、2011年 - 戦前の代表作を、図面や写真を克明に読み解き、細部に至るまで検討した村野研究の集大成。
- 『匠たちの名旅館 平田雅哉・吉村順三・村野藤吾』 稲葉なおと(集英社インターナショナル、2013年) - 村野藤吾に設計を依頼した建築主たちを訪ね、人間像を浮き彫りにしたノンフィクション
- 『村野藤吾の建築 模型が語る豊饒な世界』(松隈洋監修、青幻舎、2015年)
- 『村野藤吾の住宅デザイン 図面資料に見るその世界』(国書刊行会、2013年)- 各・京都工芸繊維大学美術工芸資料館・村野藤吾の設計研究会編
- 『村野藤吾のファサードデザイン 図面資料に見るその世界』(国書刊行会、2015年)
- 『村野藤吾とクライアント 「近鉄」の建築と図面資料』(国書刊行会 2017年)- 村野の一大クライアントであった近畿日本鉄道・近鉄グループが関係する建築物と図面を紹介している