« 2015年10 月 | メイン | 2015年12 月 »
後ほど、見やすくします。
昨日は、ごめんなにさい。
-会に参加出来なくて-
平成27年11月29日(日) 午後8時39分
千里竹の会たより
( 平 成 2 7 年 12 月 1 日 号 N O . 1 3 9 )
「12月度の活動予定」
日(曜) 開始時間場所 備 考
3(木) 13:30千里東町公園①竹林整備
4(金) 13:00東丘CR夢志クラブ
5(土) 13:30①千里第7緑地竹林整備
8:00北千里高校竹炭焼き
7(月) 13:30②桃山公園 竹林整備
10(木) 13:30千里東町公園②竹林整備
11(金) 17:30一鮮 / LABI・4F 忘年会 (詳細は下記参照)
12(土) 13:30③千里第8緑地竹林整備13:30千里東町公園③竹林整備 (第2土曜日) ごみ収集
14(月) 13:30④桃山公園 竹林整備
16(水) 13:00北千里高校竹酢液ボトル詰め
17(木) 13:30千里東町公園④竹林整備 終了後、「ちょいと一杯」
13:30こぼれび通り特別竹細工教室
18(金) 13:00東丘CR夢志クラブ
19(土) 10:00北千里高校竹炭窯出し、竹材窯入れ14:00佐竹台サロン12月度幹事会
21(月) 13:30⑤桃山公園 竹林整備
「幹事会報告」
1)年末及び年始の活動
定例の活動は、桃山公園の竹林整備:12/21(月)が仕事納めとなります。
年始は、1/11(月)~桃山公園、1/4(木)~千里東町公園、1/10(土)が、仕事始めとなります。
2)忘年会のご案内
日 時 ・・・ 12月11日(金) 17:30 ~ 19:30
場 所 ・・・ うどん だいにんぐ “一鮮”(ISSEN) / ヤマダ電機 LABI 4F
会 費 ・・・ 4,000円(料理 : うどんすき、飲み放題)
参 加 ・・・ 参加ご希望の方は、下記幹事までお申し出下さい。(期限:12/7(月)まで)
(担当幹事 ⇒ 木村凡之 06-6387-7037 溝口美枝子 06-6834-1243)
3)吹田市役所玄関の門松作り
① 12月19日(土) ・・・ 午前9時から、吹田市・南千里庁舎で、門松作りの準備作業をします。
今に見てみい 日本一の門松を !! /きょうちゃんへの渇 この腹でて、頃たるんでいる
平成27年11月29日(日) はや、泉殿宮(吹田くわい祭り)で 見ましたが
札場の社長 訓示 薫陶 聴かないと正月は迎えられない 敬礼>>>(~o~)(-_-;)(@_@)(=_=)(*^_^*)
② 12月20日(日) ・・・ 午後1時30分から、吹田市役所玄関前で門松の組み立てを行います。
* 参加協力いただける方は、各現地集合でお願いします。
発行元 : 千里竹の会
代表幹事 : 木村凡之 (06-6387-7037) [email protected]
いささかの緊張 415点/何年ぶりかな。
300点越(羽生/きょうちゃんは羽に魅せられて天空に舞わせたが・・・)。
一週間のご無沙汰です。
旧い奴だとお思いでしょうが
今日の行動です。
11月29日(日曜) 14時00分~15時30分
「中・近世の神崎川流域の中洲絵図」
講師/池田直子(当館学芸員)
いずれも
会場/当館講座室
定員/先着120名
(事前申込不要。当日直接会場にお越しください。)
*聴講無料
4.あら 影も 形も 知っていたいた人も今、訪れると ココ何処の感覚になるのでは
・5.の化け猫一座 ↓ に行く際 ↓の写真 北の道を西に直線300m 山田川越えて右折れ 「岸辺東 農 業会館/ 消防ホース・車のシィートベルトメーカー 芦森工業さんは北にあります。
吹田市と摂津市の「境」 下水処理場があったところ 全て撤去されて
千里NTの下水はいったい何処に / 吹田市東部開発の場 けんと(健康都市?健街?・・忘れた)
この公園は摂津市
4.西山田地区公民館 公開講座
劇団 化け猫一座 Vol.11
O-GOE倶楽部
作・演出 大谷羊子
岸辺東農業会館 無料 16:00~
〒564-0002 大阪府吹田市岸部中5-19-10
みんな個性的でいいじゃない! /only oneチヤ有かな?
バチ バチを動画にする予定です。
音(ボリューム)を下げください 。
22分から4分にするため「音」を入れています(訳は、YouTubeと編集に使用しているソフトの絡み から)
あっち、こっちに 見えだしたが
これはやはり、別格や
京都は南丹市 瑠璃渓温泉
1年もかけて
イモ電力 湖南市 既に数ヶ月前に いやもっと前に 薩摩酒造 焼酎
ポリ袋からサツマイモを取り出して収穫する子供たち。バイオマス発電などサツマイモには可能性がいっぱい=10月3日、滋賀県湖南市
地面に植え付けず棚の上で栽培する「空中栽培法」で作ったサツマイモの収穫祭が3日、滋賀県湖南市石部東の「こなんイモ・夢づくり農園」で開かれ た。市内の福祉作業所などでつくる市民グループ「こなんイモ・夢づくり協議会」の主催。参加した市民らは、収穫したイモを焼き芋などにして食べたほか、サ ツマイモから作ったバイオガス発電の実証実験も行い、サツマイモの秘める可能性に期待を寄せた。
同協議会は、環境に優しいバイオ燃料として、サツマイモに注目。発酵させるとバイオガスを発生するため、今後実証実験を重ねてバイオガスを利用した発電装置を実用化し、福祉作業所で働く障害者らの自立につなげたい考えだ。
その取り組みの一環で、同協議会は今年5月、近畿大生物理工学部の鈴木高広教授らが独自に開発した空中栽培法で約200株のサツマイモの苗を植え、成長を見守ってきた。
空中栽培法はポリ袋の中に土と一緒に入れたサツマイモの苗を棚の上に置いて育てる方法で、通常の畑に比べて必要なスペースは小さく、土地の少ない場所でも手軽に栽培を始めることができる。
2004年10月1日に、甲賀郡石部町と甲西町が合併して新たに誕生した。旧甲賀郡の北西部を占める。
国土地理院地理情報によると湖南市の東西南北それぞれの端は以下の位置となっている。 市役所付近を北緯35度線が通っており、東庁舎(旧甲西町役場)にモニュメントが設置されている。 また、他に市役所付近を北緯35度線が通過する自治体としては、江津市・新見市・西脇市・京都市・大津市・大府市・静岡市・館山市などが存在する。
北端 北緯35度03分25秒 東経136度03分24秒 ↑ |
||
西端 北緯35度00分50秒 東経136度02分06秒← |
市役所 北緯35度00分15秒 東経136度05分06秒 |
東端 →北緯35度01分30秒 東経136度08分32秒 |
↓ 南端 北緯34度56分48秒 東経136度06分36秒 |
吹田市中央図書館
血の池
少女郎稲荷 紅梅狐 /なんで吹田には狐かついたのか ふしきで ふしぎで ・・・
竹が多かった の おはなしもあり 益々 狐に ぃつたいぜんたい ??
それは、そうとして 郷土の民話 http://blog.goo.ne.jp/nityshr/e/a2d54af5ff5e6a354b9ab74ad20770b4
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/5153/kamisibai/sakamoto.htm
江戸荒物とは
江戸荒物(えどあらもの)は、上方落語の演目の一つ。
東京産の瀬戸物が良く売れるというので、隠居に江戸弁を教えてもらった男が、「東京荒物」の看板を掛けて商売を始める。もっとも教えてもらった江戸弁は「おいでなされませ。」とか「おう、阿魔、しばち(火鉢)にし(火)がねえじゃねえか。し(火)をもってきな。」ぐらいですこぶる怪しい。
店に帰って、嫁はんに江戸弁を言っても皆目通じない。あまつさえ、本当の江戸っ子が来て「ベランメー」の口調をまくし立てられ、頭が真っ白になってタダで売ってしまう。
「ホンマの江戸っ子が来るとは思わなかったで、もう江戸弁やめたろかしらん。」と弱気になっているところに田舎出の娘が何かを買いに来る。これまたひどい田舎訛りで訳がわからない。ようよう聞きただしていると縄を買いに来た事がわかる。「何じゃ。縄かいな。あ。縄売りきれてんねやがな。『縄がおまへん』いうのを江戸弁で断ったろ。」と思ったがとっさに浮かんでこない。「大阪でおまへんいうの江戸ではない言うとったな。せやからありますの反対やさかいに、ああ。縄はないます。ないます。」「あれ、今から縄綯うてたら間に合わんがのう。」
上方落語では珍しく江戸弁が出て来る噺である。時間もかからず、笑いも多い軽いネタなので、上方では2代目露の五郎兵衛、2代目桂枝雀など演じ手が多い。
吹田市立中央図書館
【図書館職員よりご案内】
昭 和46年に開館した、片山公園内の緑に囲まれた静かな環境の図書館です。開館当時からの資料を書庫に保存しています。毎年数回催される書庫見学ツアー 「ちょっと書庫まで」では、懐かしい本に再会できます。吹田市の中央図書館として、特に郷土・行政資料の収集と保存に努めています。 |
|
施設概要
|
|
住所
|
〒564‐0072 吹田市出口町18‐9 |
アクセス
|
JR「吹田」駅から徒歩15分 阪急「吹田」駅、「豊津」駅から徒歩10分 |
電話
|
06‐6387‐0071 |
FAX
|
06‐6339‐7144 |
休館日
|
毎月最終の木曜日(祝日と重なるときは翌日を休館) 年間約9日間の長期整理期間 年末年始(12月28日~1月4日) |
開館時間
|
月・火・水・土・日曜日・祝日 午前10時~午後6時 木・金曜日(祝日を除く) 午前10時~午後8時 図書館カレンダーはこちら |
閲覧席
|
87席(1階・2階の合計) |
駐車場
|
6台(内、障がい者用1台)(無料) |
駐輪場
|
50台(無料) |
フロア案内
|
||
1階(児童)
|
||
資料・施設
|
設備
|
|
児童書、絵本・紙芝居、YA図書、児童雑誌、外国語資料(絵本) 蔵書検索機(2台)、インターネット用端末(1台) 第1集会室、食堂 |
男女トイレ 給水機 ベビーシート 授乳室(他の部屋と兼用) |
|
2階(一般)
|
||
一般書・参考資料、郷土資料、一般雑誌、新聞、地図、電話帳(近畿地方)、マンガ、大活字本 蔵書検索機(3台)、インターネット用端末(2台)、コピー機(1台) 事務室、対面朗読室 |
男女トイレ 給水機 |
|
3階
|
||
自習室、第2集会室、研究室 | 男女トイレ | |
4階
|
||
事務室、書庫、録音室(*関係者以外立ち入り禁止) | 男女トイレ |
バリアフリー情報
|
|
エレベーター、誘導用電子チャイム、床点字ブロック、点字手すりつき階段、手すりつき洋式トイレ、緊急呼び出し装置(トイレ個室内)、対面朗読室、筆談、AED(自動体外式除細動器)、授乳室(他の部屋と兼用)、ベビーシート |
*図書館の利用に障がいのある方へのサービスはこちら
*中央図書館は吹田市の「赤ちゃんの駅実施施設」です。詳細は吹田市ホームぺージへ。(外部リンク・別ウィンドウで開きます)
館内貸出情報
|
|
車椅子(1台)、ベビーカー(1台)、ルーペ・老眼鏡(2個)、ヘッドホン(3個)、紙芝居枠(3台:内2台は館外貸出可)(*イベント利用限定:プロジェクター(1台)、マイク(3本))
|
その他(多目的室等詳細)
| |
---|---|
食堂(1階)
|
|
営業日・時間
|
図書館開館日と同じ 午前10時~午後4時 (*ただし木曜は定休日。また月曜のみ午前10時~午後2時の営業) |
メニュー
|
丼・麺(うどん・そば)・定食 (食券式) |
自習室(3階)
|
|
概要
|
収容人数:176席 (内、車椅子優先席2席) |
利用時間
|
図書館開館時間と同じ(*休室する場合は、事前に告知します) |
第1集会室(1階)
|
|
概要
|
収容人数:50人 音響設備:有り |
備品
|
椅子:28脚、長机:15台 |
その他:マイク、暗幕、ござ | |
利用時間
|
午前10時~午後6時(*図書館の行事がある日を除く) |
用途
|
こどもの行事 |
第2集会室(3階)
|
|
概要
|
収容人数:50人 音響設備:有り |
備品
|
椅子:46脚(+折りたたみ椅子50脚)、長机:10台 |
利用時間
|
午前10時~午後6時(*図書館の行事がある日を除く) |
用途
|
研修会・講演会・会議など |
研究室(3階)
|
|
概要
|
収容人数:20人 音響設備:無し |
備品
|
椅子:10脚、長机:3台 |
利用時間
|
午前10時~午後6時(*図書館の行事がある日を除く) |
用途
|
講師控え室・会議など |
*「集会室」「研究室」の利用については、中央図書館までお問い合わせください。
ご利用いただけるのは、吹田市立図書館に関する団体、ボランティアグループです。
五月女学芸員の説明を聞きつつ
頭の中は
竹久夢二と重なり始めていた /おそらく 大正という時代が・・・
カラーの写真がない時代 も そうさせたのかも知れない。
ちなみに、カラーの写真は 1970年前後だったのではないかな。
富士フィルムの歴史を見ると
1958年10月 フジカラーネガティブフィルム(35mm判,ロール),フジカラーペーパー発売
1960年04月 35mm判カラーネガティブフィルムに12枚撮を発売
1961年07月 フジカラーR100(35mm判,ロール)発売
1963年10月 フジカラーN64(35mm判・12枚撮および20枚撮))発売
1965年08月 フジカラーN100(35mm判)発売,カラーフィルムの販売価格から現像料を分離
http://www.fujifilm.co.jp/history/f1965.html
1965年頃になると、カラーフィルムを現像するフジカラー現像所(を略して「ラボ」という)も
順次増加し、全国的なカラーラボ網が整備されてきたので どこでもカラーネガフィルムの現像と
カラープリントの製作ができる体制が整って来ます。
・富士フィルムのあゆみ/ヒストリー(アマチュア写真市場の変化と販売体制の整備)より以下抜粋
http://www.fujifilm.co.jp/history/tokusyu01.html
1970年代に入ると、カラー写真は黒白写真に代わってアマチュア写真の主座を占めるようになり
写真といえばカラー写真を指すようになる。写真撮影の中でカラー写真の占める比率は、
1965年(昭和40年)には10%前後にすぎなかったものが 1970年(昭和45年)には40%を超え
1970年代の半ばには80%近くにまでに達する。
カメラの世帯普及率も 1965年(昭和40年)に約50%(すなわち2世帯に1台)であったのが
1968年(昭和43年)には60%に、1973年(昭和48年)には70%を超える。写真人口も増加し
1人で数台のカメラを保有するアマチュアカメラマンも多くなり、写真の撮影の機会も増加。
カラー写真の増加とカメラ普及率の上昇によって アマチュア写真市場は大きく拡大した。
ということで
1958年に産まれた お金持ちのボンボンやお嬢様は、今年50歳になる計算です。
もちろん海外のフィルムなど他の物を調達していた場合 更に上の年齢でも赤ちゃん時代を写した
当時のカラー写真を持っている可能性は充分にあります。
日本国内では「1965年には全国的にカラー現像所が整備された」という事ですから
ちょい裕福な家庭で育ったお子様だと、1965年生まれ→今年43歳。
1970年頃にはカラー写真の普及率が40%を超えているので ごくごく普通の一般家庭でしたら
この時期が白黒とカラー写真の境界線かも知れません。(1970年生まれ→今年38歳。)
後半で「吹田鳥瞰図」
図録もありで
パチリしたものを動画にしてみました。
・・・・・・・・・・・
影響を受け 以前に借りようと手配した本
平成27年11月23日(月) 朝日新聞
http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/yoshida-t.htmlデジタル展覧会「京の鳥瞰図絵師 吉田初三郎」鳥瞰図
吉田 初三郎(よしだ はつさぶろう、1884年3月4日 - 1955年8月16日)は大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師。元の姓は泉。生涯において3000点以上の鳥瞰図を作成し、「大正広重」と呼ばれた。
京都生まれ。元の姓は泉で、1歳の時に父親が亡くなったため母方の姓を名乗る。10歳で友禅図案師に丁稚奉公する。25歳のとき鹿子木孟郎に師事して洋画を学ぶが、鹿子木のすすめで商業美術に転向する。
1914年、最初の鳥瞰図である『京阪電車御案内』が、修学旅行で京阪電車に乗られた皇太子時代の昭和天皇の賞賛を受ける[1]。
大正から昭和にかけて日本の観光ブームによって初三郎の鳥瞰図の人気は高まり、大正名所図絵社(のち観光社と改称)を設立する。その顧客は国内の交通行政を所轄し、観光事業にも強い影響力を持っていた鉄道省を筆頭に、鉄道会社やバス会社、船会社といった各地の交通事業者、旅館やホテル、地方自治体、それに新聞社などであった。鉄道開業50周年を記念して『鉄道旅行案内』の刊行を決定した鉄道省は1921年に初三郎にその挿絵として全国各地の鳥瞰図の執筆を依頼、その後も国際観光局の国外向け「Beautiful Japan」キャンペーンポスター(1930年作成。鳥瞰図ではないが、その画題から「フジヤマ」、「サクラ」、「ゲイシャガール」という欧米でのその後の日本のパブリックイメージ形成に重要な役割を果たした)など、その関係は長く続いた。
この時代、全国(満州や台湾を含む)から鳥瞰図製作の依頼が殺到し、初三郎は犬山市や八戸市(種差海岸)など、拠点を移しながら、多くの弟子とともに製作に当たっている。珍しいものとしては、幻に終わった東京万博の会場図を描いている。
高松宮宣仁親王など皇族や松井石根など軍人との交友も広く、驚異的なペースで依頼を受け、鳥瞰図を製作し続けた。しかし、第二次世界大戦が進む中、初三郎式鳥瞰図は港湾等の軍事機密が見て取れ、地政学上好ましくないという軍部の判断の下、不遇の時代を送る。
戦後、初三郎が最初の大きな仕事として引き受けたのは、広島原爆の被害を鳥瞰図にする仕事だった。知遇を得た昭和天皇を敬愛し、日本を愛した初三郎は、渾身の図をまとめ、世を去ることとなる。
死後は忘れられていたが、1999年、堺市博物館で大規模な回顧展が開かれたのを契機として各地の博物館で展覧会が開かれ、再評価されるようになった。
現在の鳥瞰図の手法は平行透視図法が主流であるが、初三郎は「初三郎式絵図」と呼ばれる独自の作風を確立していた。その特徴は、見えないはずの富士山やハワイが描かれているなど、大胆なデフォルメや遊び心にある。
初三郎と同時代には彼の作品を模した鳥瞰図作家が多数いたが、初三郎作品との決定的な違いがあった。それは鳥瞰図製作の際に、該当地の風土や歴史を 事前に調査し、さらに現地に入って踏査写生および取材を行ったことである。全国各地で現在有名になっている観光名所、景勝地には彼が踏査取材中に見いだし 作品中で発表した所も少なくない。九州でいえば、菊池渓谷(1931年・作品発表時は菊池水源地、初三郎は「絵に添えて一筆」の中でこの渓谷美を観光地化することを提唱)、久住高原(1924年、飯田高原の朝日長者伝説にちなみ飯田高原を「長者が原」と命名)など枚挙にいとまがない。
また戦後の代表作「HIROSHIMA」では、原爆投下後まもない広島市へ入り、5ヶ月におよぶ取材で被爆者300余名からの証言を得て、原爆八連図とよばれる作品に仕上げた。原爆投下の瞬間を描いた作品は、被爆者の証言のリアルさが全面に出たものである。関東大震災の鳥瞰図と合わせて、初三郎と彼の鳥瞰図のジャーナリズム性がわかる。