一番のりをめざして、行きましたが、二神さんはもう来ている
ノーベル賞/ 吹田市 出身 吉野 さんも向かって右下 -写真-
展示主旨/
1960年代半ば、1970年に開催されることになる日本万国博覧会(大阪万博)を経済論理だけでなく、文明の祭典として意味あるものにしようと話し合い、その具体案を“勝手”に調べ、議論した男たちがいました。自主研究会「万国博を考える会」のメンバー、民族学者・文明学者の梅棹忠夫、SF作家の小松左京、社会学者の加藤秀俊らです。実はこの「考える会」は、かの有名な「人類の進歩と調和」という大阪万博のテーマを生み出す元となった基本理念の草案を考えた黒衣でした。この基本理念のなかで「考える会」は、それまでの「人類の不調和を伴う進歩」から脱却し、「人類の多様な知恵を使った調和的進歩」へ転回することが必要であると主張しました。つまり、地球上の人類のあらゆる「知恵の存在」を、調和的進歩を果たすために重要なものだと位置付けたのです。
本特別展では、万博においてテーマというものが重視されるようになった過程を主に時系列で辿ります。大阪万博前史として、第2回ロンドン万博(1862年)やウィーン万博(1873年)などのほか、人類が直面する核の脅威や公害などの課題解決をめざす一方で、ベルギー領コンゴの人々を見世物的に「展示」して批判を浴びたブリュッセル万博(1958年)などを紹介することを通して、万博がテーマを重視するに至った歴史を振り返ります。
※万博展のバーチャル特別展示室を当館HPに開設します。
http://www2.suita.ed.jp/hak/ten/virtual_tokubetsu_tenjisitu.html
バーチャル・ミュージアムで、秋季特別展の展示品の紹介と講演会等の動画をみることができます。 10月3日 |
2025年の大阪・関西万博を心待ちにする男性がいる。国内外から“博覧会マニア”と称される神戸市北区の会社員二神(ふたかみ)敦さん(46)。これまでに訪れた博覧会は万博を含め150近くに上り、会場一番乗りを果たしたこともある。25年はボランティアとして参加するつもりで、「子どもたちが『万博がきっかけで夢を持てた』と誇れるようサポートしたい」と早くも意気込み十分だ。(竹本拓也)
二神さんの博覧会デビューは、神戸市立有野東小3年だった1981年。親戚と一緒に訪れた神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア’81)だった。
コーヒーカップの形をしたUCC館、ソーラーピラミッドの松下館、映像システム「オムニマックス」が大きな話題となったダイエー館…。「ちょっと先の未来を見せてくれるわくわく感がたまらなかった」と懐かしむ。ポートピアに行くため学校を休む児童も出るほどのフィーバーだった。
88年に兵庫県三田市などで開かれた「北摂・丹波の祭典ホロンピア」では開幕初日、神戸電鉄の始発で会場に向かい、念願の一番乗りを達成。神戸新聞の紙面を飾った。90年の大阪花博からは会場でのボランティアとしても活動し始めた。
万博を訪れると「世界の趨勢(すうせい)が見える」という。10回足を運んだ2010年の上海万博では「大阪への並々ならぬライバル心を感じた」。15年のイタリア・ミラノ万博では、各パビリオンで韓国の電機大手の影響力を目の当たりにしたという。さらに開催地のその後の姿やまちづくりにも興味を持つようになった。
万博の最大の魅力は「本物を見られること」と二神さん。今やインターネットで簡単に情報が集まるが、最先端の技術や芸術作品、食文化などは「直接、体験してこそ価値がある」と強調する。自国を好きになってもらおうと懸命にPRするスタッフと交流してきたことも財産となっている。
72年生まれの二神さんは70年大阪万博の熱狂を知らない。万博マニアの仲間から思い出話を聞くたび、ちょっぴり悔しい思いを抱いてきただけに、昨年11月に大阪開催が決まった瞬間、パブリックビューイングの会場で歓喜の声を上げた。6年後は必ずボランティアとして参加するつもりだ。
「いのち輝く未来社会のデザイン」という開催テーマには「広がりを感じる」といい、「各国のパビリオンが今から楽しみ」。自分がそうだったように、未来を担う子どもたちが夢を抱ける機会になってほしいと願い、「神戸が果たせる役割も大きい。関西全体で盛り上がれたら」と期待を込める。
■10/3 ですねで 二神さまが、思い起こしてくださった / 一緒に 見ているとき
▲東西ドイツ統一(1990)
1990年10月3日、東西ドイツの統一条約が発効し、第二次世界大戦後の国家分断が41年で終わり、統一が実現した。
統一条約の発効
1990年10月3日、統一条約が発効した。「午前零時、ベルリンの国会議事堂まえは、この日を祝うために集まってきた人たちでごった返していた。分裂国家が生まれてから41年、統一がこのような形で実現しようとは誰が想像できただろうか。議事堂に集まった政治家も、前の広場で花火を打ち上げ、シャンパンのグラスをあげる市民も、多くの人々が涙をうかぺていた。コール首相は世界の国々へメッセージを送り、将来ドイツの土地から平和のみが生まれることを誓った。」
かつての東ドイツは再びメクレンブルク=フォアポンメルン、ブランデンブルク、ザクセン=アンハルト、ザクセン、チューリンゲンの五州に編成し直され、新しい連邦共和国の一部となった。<マーザー『現代ドイツ史入門』1995 講談社現代新書 p.193>
→ 現在のドイツ連邦共和
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