熊本地震では、新生児病棟で赤ちゃん用の集中治療室(NICU)や回復後に入る治療室(GCU)を備える熊本市民病院が機能を失った。本震時に38人いた赤ちゃんは、未明の発生にもかかわらず、約8時間でほぼ全員がほかの病院に向け出発した。ふだんからの九州の新生児科医の連携だけでなく、全国連絡網が役立った。
東日本大震災で病院の被災状況をすぐにつかめなかった反省から、新生児医らでつくる「新生児医療連絡会」が災害時に備えてつくった。新生児病棟を持つ病院や大学病院の直通電話、担当医2人のメールアドレス、携帯電話の連絡先などを把握している。現在、約280施設が参加する。
今回は、本震から1時間45分後に、熊本市民病院の近藤裕一(こんどうゆういち)副院長から「避難に向けて待機中。県内では行き先が足りず、県外の病院に連絡してほしい」と事務局長の大阪大の和田和子(わだかずこ)医師に一報。災害担当の聖隷(せいれい)浜松病院(静岡県)の大木茂(おおきしげる)医師と手分けし、福岡、佐賀、大分、鹿児島県の病院に状況を伝えた。大木さんは「赤ちゃん搬送のほか、物資支援、応援医師の派遣にもつながった」と振り返る。
ただ、生命が危ぶまれる最重症児がいなかった▽搬送に必要な道路網がある程度残っていた▽NICUを持つ熊本市内の2病院で受け入れが可能だった――などに救われた面もあった。久留米大病院(福岡県)の岩田欧介(いわたおうすけ)医師は「もっと早く搬送できるようにしなければならない」と話す。
地震からは3カ月半が経ったが、熊本県外の転院先で入院したままの赤ちゃんもいる。面会で遠距離移動する家族の負担は大きい。日本新生児成育医学会の田村正徳(たむらまさのり)理事は「赤ちゃんが熊本の病院や自宅に戻るまで、家族にきめ細かな支援が必要だ」と言う。
災害への備えは家庭でも大切だ。赤ちゃんがいる家庭向けに、同学会が「被災地の避難所等で生活をする赤ちゃんのためのQ&A」(http://plaza.umin.ac.jp/~jspn/shinsai/qafamily.html)を作成。「粉ミルクが足りないときは?」「清潔が保てないときは」など16の質問に答えており、スマートフォンなどでも見ることができる。
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