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おはようパーソナリティ道上洋三です - ABCラジオ 1008kHz ..
で・・・
いろんな言葉で表現出来そう
日本の大和言葉を美しく話す―こころが通じる和の表現
タイトル:日本の大和言葉を美しく話す ―こころが通じる和の表現著 者:高橋 こうじ出版社 :東邦出版価 格:1,512円(税込み)<…
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2014年9月) |
大和言葉(やまとことば)とは、古くは和歌や雅語、女房言葉のことを意味したが、現在ではもっぱら日本語の語種(単語の出自)の一つであり漢語や外来語に対する日本の固有語を指す。
現在「大和言葉」といえば一般には、漢語と外来語を除いた日本語の固有語を指すようになっている。また「和語」もこの意味で扱われることが多いが、学術上では区別されることもある。すなわち、「大和言葉」といった場合には日本(やまと)に大陸文化が伝来する以前の、日本列島で話されていた言語そのものを指すというニュアンスがあるのに対し、「和語」とは、漢語・外来語とともに、語彙の種別を表す用語としての側面が強調される。
ただし後述するように、「やまとことば」という語は古くは「和歌」の意味で用いられ、また「女房言葉」の意味で用いられることもあった。
漢語や外来語と動詞「する」からなる複合語を除くほとんどの動詞や形容詞、および、全ての助詞が大和言葉である。みる(見る)、はなす(話す)、よい(良い)、が(主格の助詞)、うみ(海)、やま(山)、さくら(桜)などがあげられる。
大和言葉の音韻には以下の特徴がある。
また合成語が作られる際、前の語の母音が変化することがある。き + たつ(木 + 立つ) → こだち(木立)、さけ + たる(酒 + 樽) → さかだる(酒樽)など。ただし、必ずしも「き」や「さけ」などが古い形とは言えない。
大和言葉は隣国の中国から漢字を借り入れたことによって微妙な意味の差を漢字で表現できるようになった。例えば、「なく」を漢字で書くと、「泣く」、「啼く」、「鳴く」のどれかを使うことによって微妙な意味の差を表現できる[1][2]。一方で、中国文学者の高島俊男は、大和言葉に漢字を当てるのはおかしく、例えば、「とる」の意味は大和言葉では1つなのであり、「取る」、「採る」、「捕る」、「執る」、「摂る」、「撮る」と書き分けるのはナンセンスであると主張している[3]。
民俗学者の柳田國男は、大和言葉にどのような漢字を書くのか尋ねることを「どんな字病」と名付け、警告した[4]。最近はパソコンですぐに難しい漢字が出てくるためになおさら安易に漢字を多用する傾向があるといわれている[5] 。
国文学者の中西進は、漢字依存が大和言葉のもつ本来の意味を失わせてしまい、例えば、「かく」に「書く」、「描く」などと漢字を変えて区別するようになったことにより、縄文式土器を製作する際、柔らかい粘土を先の尖った物で引っ掻いて模様を描くことからわかるように、掻いて表面の土や石を欠くという「かく」の本来の意味がわかりにくくなったと指摘している[6]。
『源氏物語』の「桐壺」の巻には、「やまとことのは」(大和言の葉)について次のような例が見られる。「やまとことば」とする用例も「東屋」の巻にあるが意味は同じである。
桐壺の更衣に先立たれた帝が、白居易作の『長恨歌』の内容をあらわした絵を明け暮れ眺めていたということであるが、ここではその絵に添えられた和歌を「大和言の葉」と称している。これはこの文脈であれば「言の葉」だけでも和歌の意味で通じるが、「唐土の歌」すなわち漢詩と対照させるための表現である。つまり、日本のものであろうと唐土のものであろうと、ということである。このように平安時代までの「やまとことば」という語には「日本語で使われてきた固有語」という意味の用例はない[8]。なお、現在「やまとことば」と同意義とされる「和語」についても、やはり「和歌」の意味で使われた例が見られる。
しかし時代が下ると、「やまとことば」は「和歌」という意味から転じて「雅語」の意味で使われるようになり、さらに宮中や幕府などの上流階級の婦女子が使う言葉を指すようになる。これを「御所言葉」(女房言葉)ともまた「女中詞」とも称した。この雅語や女房言葉を意味する「やまとことば」に関わるものとして、室町時代末期か近世のごくはじめには成立していたといわれる『大和言葉』という辞書がある。これは本来和歌や連歌を詠む際の雅語を集めたものであったが、次第に女性が使う言葉の用例、すなわち女房言葉を集めた教養書として女性に読まれるようになった。後にこの『大和言葉』の内容を増補した『増補大和言葉』というものも出版されており、江戸時代末期に至るまで版を重ねている。
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語種(ごしゅ)は、日本語の単語を出自によって分けた種類。和語(大和言葉)・漢語・外来語(洋語)、および、それらの混ざった混種語に分けられる。
和語は、「やま」「かわ」「さくら」「あさひ」「のりもの」「おもちゃ」「さかな」など、日本古来の固有語、または、固有語の組み合わせや変化形を指す。
漢語は、「山脈」「庭園」「桜楓」「旭日」など、中国古来の漢字音を用いた語を指す。多くは中国語からの借用語であるが、日本で漢字音を用いて作った「三味線」「演説」「哲学」「経済」などの語も含まれる。
外来語は、「ペン」「ギター」「コーヒー」「エチケット」「エネルギー」など、一般には漢語以外で他言語に由来する借用語を指す。その多くは西洋語であり、なかでも英語に由来するものが多い。日本で作られた和製洋語・和製英語もある。
混種語は、語種の異なる単語からなる複合語である。「歯ブラシ」(和+外)、「運動靴」(漢+和)、「プロ野球」(外+漢)、「半そでシャツ」(漢+和+外)など、その組み合わせは多様である。
戦後の日本語では和語と漢語、和語と漢語による混種語が同義の外来語に置き換えられるか外来語が優勢になる傾向があり、「ちち(乳)」(和)→「ミルク」、「衣紋掛け」(漢+和)→「ハンガー」、「施錠(する)・錠」(漢)→「ロック(lock)」などの例がある。
和語・漢語・外来語の詳細については、それぞれの記事に譲る。
語種の構成比率は、対象とする資料の性格によって異なる。たとえば、新聞の文章と話し言葉とを比較した場合、新聞の文章では漢語の割合(延べ)が7割を超え[1]、話し言葉では和語の割合(延べ)が7割を超える[2]という調査もある。
また、時代によっても大きく変動する。以下、まず第二次世界大戦後(現代)の状況から述べ、次に近代以前について述べる。
国立国語研究所は、1956年の雑誌の語彙について大規模調査を行っている[3]。そのうち、語種ごとの異なり語数(同じ語が複数回出現しても1と数える)を見ると、和語が36.7%、漢語が47.5%、外来語が9.8%、混種語が6.0%で、語の多彩さの点では、漢語が和語を圧倒している。一方、延べ語数を見ると、和語が53.9%、漢語が41.3%、外来語が2.9%、混種語が1.9%で、繰り返し使われる語には和語が多い。
ところが、それから約40年後の1994年の雑誌語彙を調べた同研究所の報告[4](ウェブ公開版)では、和語の使用は退潮している。異なり語数では和語が25.7%、漢語が34.2%、外来語が33.8%、混種語が6.4%で、外来語が著しく増加している。一方、延べ語数では和語が35.7%、漢語が49.9%、外来語が12.3%、混種語が2.1%で、繰り返し使われるという点では、なお漢語・和語が外来語に勝っている。
『新選国語辞典』は収録語についての統計を裏見返しに公表している。2002年発行の第8版[5]によれば、一般語73,181語のうち和語は24,708語(33.8%)、漢語は35,928語(49.1%)、外来語は6,415語(8.8%)、混種語は6,130語(8.4%)となっている。
和語:漢語の比率は、2回の現代雑誌調査がほぼ 8:10 であるのに対し、『新選国語辞典』では 7:10 であって、辞書の方が漢語の比率が高い。また、近年雑誌にあふれる外来語は、必ずしも辞書に登録されていないことが分かる。
古代から中世にかけては、今日の定義における外来語は、資料に出現することは非常にまれである。というのも、日本語に流入した他言語由来の語としては、漢語以外には梵語などが若干あるのみだが梵語も漢字表記で受け入れたものは漢語として扱われるからである。主要な語種は和語と漢語、および両者の混種語ということになる。
古代から中世までの主要な和文系の古典作品の語種をみると、和語の割合がすこぶる多い[6]。とりわけ、『万葉集』・『古今和歌集』・『後撰和歌集』などの歌集では、和語が99%以上を占める(延べ比率。以下同じ)。数少ない漢語のうち「菊(キク)」は『古今集』に10回、『後撰集』に11回登場しており、なかば和語のように用いられていたとみられる。
歌集以外では、『竹取物語』・『伊勢物語』・『源氏物語』・『枕草子』など、いわゆる平安女流文学においては軒並み和語が90%以上に達し、これらの文学ジャンルの特徴を物語っている。これは、必ずしも当時の日本語文章全般に漢語が稀少であったことを意味しないが、ほぼ漢語なしで文章が成り立ち得たことは事実である。ただし、詳細に見れば、年代とともに、使用される漢語の種類が少しずつ増えている。
院政期ごろに成立の『大鏡』や、中世の『方丈記』・『徒然草』では、漢語の割合が10%を超えている。平安女流文学とは作者の属性などが異なるため単純な比較はできないが、日常的な文章で漢語が勢力を伸張する動きの一端が表れているとみることもできる。
中世最末期の日本語‐ポルトガル語の辞書である『日葡辞書』に収載された語のうちでは、和語が78.7%に対し漢語が20.5%となっている(外来語はなし)。また、幕末の和英辞書『和英語林集成』では和語が73.9%、漢語が25.0%、外来語(「Botan ボタン」のみ)0.1%となっている[7]。このように、幕末までは、和語が絶対的に優位な地位にあった[要検証 – ノート]。明治以降に急増した漢語、第二次世界大戦後に急増した外来語により、現在のような語種構成比率に至ったものと考えられる。
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おはようパーソナリティ道上洋三です | |
---|---|
ジャンル | ワイド・バラエティ |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1977年3月28日 - |
放送時間 | 月曜日-金曜日 6:30-9:00 |
放送局 | ABCラジオ |
パーソナリティ | 道上洋三 |
出演 | 吉田詩織 |
テーマ曲 | クラリネット・ポルカ |
公式サイト | 公式サイト |
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おはようパーソナリティ道上洋三です(おはようパーソナリティどうじょうようぞうです)はABCラジオ(朝日放送)で月曜日 - 金曜日の6:30 - 9:00に放送している生ワイド番組、通称は「おはパソ」。1977年(昭和52年)3月28日放送開始。
本稿では、2014年(平成26年)10月からJRN10局ネットで週に1回放送中の派生番組・道上洋三の健康道場(どうじょうようぞうのけんこうどうじょう)についても述べる。
ABCラジオを代表する高聴取率番組。阪神タイガースが勝利した翌日(土・日曜日に勝利した場合には翌週月曜日)の放送中に、道上が「六甲おろし」を熱唱することで全国にも知られている。朝日放送が現在の社屋(大阪市福島区)へ本社機能を移転した2008年(平成20年)6月以降は、同社屋13階のラジオ第2スタジオから放送することが多い。年に数回、公開生放送やスタジオの外からの全編生中継を実施している。1990年代には一時、居住地の歴史・文化・最新事情に詳しいリスナーを「タウンリポーター」として採用。道上との電話を通じて、定期的にリポートを送らせていた。
在阪ラジオ局で全時間帯に放送される番組を対象にした聴取率調査では、長年にわたって、裏番組と首位を争っている。公表されている限りでは、ビデオリサーチによる2008年(平成20年)12月の関西圏聴取率調査で、FM局を含む全局全番組中の聴取率1位を獲得した(2009年(平成21年)1月17日にMBSラジオで放送された『それゆけ!メッセンジャー』より)。以降の調査でも、聴取率で首位に立ったことがあるという。
当番組の前身は、1971年(昭和46年)4月 - 1977年(昭和52年)3月に放送された『おはようパーソナリティ中村鋭一です』。全国のAMラジオ局で聴取率1位を記録したほどの人気番組だったが、パーソナリティの中村鋭一が1977年(昭和52年)に参議院議員選挙の出馬を表明。中村が退社した1977年(昭和52年)3月28日に、当時34歳の中堅アナウンサーだった道上がパーソナリティを引き継ぐ格好で、当番組の放送を開始した。中村から「六甲おろし」の熱唱などのスタイルを継承する一方で、阪神ファンなどのリスナーを巻き込んだ企画を続々と打ち出したこともあって、現在まで人気番組の座を維持している。かつて後枠番組『全力投球!!妹尾和夫です』でパーソナリティを務めた妹尾和夫のように、当番組のことを「おはパ」と称する者も少なからずいる。
放送時間については、開始当初は7:15からの放送だったが、1989年に6:30からの開始へ変更。また、1999年(平成11年)4月 - 2003年(平成15年)9月の期間は朝6:30 - 8:30までの放送だった(8:30からは『東西南北 龍介がゆく』を放送)。
毎年1月2日及び3日には、ABCラジオで午前8時前から東京箱根間往復大学駅伝競走中継(文化放送制作)のネット受けを実施するため、録って出し形式の短縮版を放送するか番組自体を休止。毎年8月に開催される全国高等学校野球選手権大会期間中でも、第1試合の開始を8:30に予定している日には、ラジオでの実況中継を優先するため当番組の放送終了時間を繰り上げる。
アシスタントが秋吉英美だった時代から、公式サイト内に「おはパソ日記」を設けている。当初は秋吉だけが記述。2007年(平成19年)3月30日までの一時期は、「朝日新聞」関西版の公式サイトにも転載された。同紙での連載終了後には、秋吉に加えて、道上も日記を記すようになった。公式サイトでは引き続きおはパソ日記が月曜日から金曜日に更新され、過去に掲載された分も閲覧可能である(ただし、2008年(平成20年)4月から2011年(平成23年)3月までは過去に掲載された分を閲覧する場合、無料メンバーサイトに加入する必要だった)。
2014年(平成26年)現在
時間は目安で、この限りではない。コーナー名は、実際に放送で使われている名称。
2012年4月からは一時、事前に応募したリスナーから毎回1人に向けて、道上・久野が時報の後に「○○さん(○○は番組側で選んだリスナーの苗字)、おはようございます」と呼び掛けていた(8:00の時報明けでも実施)。
「スポーツの話題」と「話のハイウエイ」(特集)については、放送日の正午前後から放送翌日(金曜日放送の場合には翌週月曜日)の午前中まで、ABCラジオの公式サイト(Webio)からインターネット向けに音源を配信。その関係で、(本来の放送エリアである)関西以外の地方や、海外のリスナーからも多くのメッセージが寄せられている。ただしWebioでは、放送で流れたすべての音楽や、阪神戦の実況・ヒーローインタビューに関する音源の一部を著作権の関係で割愛。このため、道上とアシスタントが生放送中に「六甲おろし」を歌ったシーンが、Webioでは伴奏抜きで歌っているように聞こえる。なお、道上やアシスタントの代役で出演するアナウンサーやタレントも、放送前日に阪神が勝利した場合には「六甲おろし」を披露する。
2014年4月2日(水曜日)からは、「radiko.jp」プレミアムに登録していれば、日本全国からインターネット経由で当番組の全編を放送とほぼ同時に聴取できるようになった。当番組では同月下旬から、(本来のサービスエリアである)関西地方以外で「radiko.jp」プレミアムを通じて聴取しているリスナーからのメッセージを募集。募集から2週間後までに、(地元のラジオ局が「radiko.jp」関連の配信サービスを実施していない)秋田県以外の都道府県から届いたメッセージを、放送中に紹介している。
☆:一般公募から起用
歴代 | アシスタント名 | 放送上の愛称 | 担当期間 |
---|---|---|---|
初代 | 池田生子 | アイアイ | 1977年3月 - 1978年9月 |
二代目 | 岩井恵子☆ | ベティ | 1978年10月 - 1979年9月 |
三代目 | 唐川満知子 | お花ちゃん | 1979年10月 - 1985年3月 |
四代目 | 安井牧子☆ | マキちゃん | 1985年4月 - 1986年9月 |
五代目 | 川田恵子 | お恵(けい)さん | 1986年10月 - 1989年3月 |
六代目 | 秀平真由美 | マユミちゃん | 1989年4月 - 1992年3月 |
七代目 | 竹島麻里子☆ | マリちゃん | 1992年4月 - 1993年3月 |
八代目 | 高野あさお | あさおちゃん | 1993年4月 - 1998年10月2日 |
九代目 | 秋吉英美 | エミちゃん | 1998年10月5日 - 2011年4月1日 |
十代目 | 久野愛☆ | キューちゃん | 2011年4月4日 - 2014年3月28日 |
十一代目 | 吉田詩織 | しおり姫 | 2014年3月31日 - |
初代の池田生子は、前番組の『おはようパーソナリティ中村鋭一です』から引き続き出演(ABCとのアシスタントとしての出演契約が残っていたため)。放送時期によっては、リスナーからアシスタントや愛称を公募することがある。道上の著書『ふたつめの誕生日 おはようパーソナリティ道上洋三の「なんで?」』(2014年、ワニブックス)によれば、オーディションの最終選考では、「こどもの詩」を想定した原稿の朗読が大きな決め手になるという。
当番組の前にも複数のラジオ番組に出演していた川田は、歴代のアシスタントで唯一、筆記試験で100点満点を記録[1]。歴代最長の12年半にわたってアシスタントを務めた九代目の秋吉は、歴代のアシスタントで唯一、出演期間中に結婚した。さらに2011年1月4日の当番組で、第1子の懐妊と同年5月の出産予定を自ら発表。出産への準備を機に、同年4月1日の放送で番組を卒業した(後に2児を出産)。
一般公募から「リスナーの代表」として秋吉の後任に採用された久野は、道上より47歳年下。出演開始時点では、歴代最年少(20歳)・史上初の平成生まれアシスタントであった。
十一代目の吉田は、当番組のディレクターを4年間担当した後に結婚・出産。スタッフ時代から、「眠り姫」という愛称でリスナーに知られていた。元々アナウンサーを志望していたことに加えて、ディレクター時代に「おはパソ天体専門官」として放送でリポートを担当したことなどから、道上がアシスタントに指名した。スタッフ経験者からのアシスタント起用や、子育て中の女性の起用は、いずれも当番組史上初めて。なおアシスタントに起用されてからは、「『眠り姫』では朝の(番組の)イメージに合わない」という理由で「しおり姫」と呼ばれている。
2006年7月7日の放送中に、道上が、右目奥に見つかった良性の髄膜腫摘出手術のため、同年7月17日から番組を約3ヶ月間(当初の見通し)休むことを明らかにした。彼が夏休みなど以外で長期間番組を休むのは番組開始以来初で、休養中はABCアナウンサー2人(三代澤康司・浦川泰幸)が道上のピンチヒッターを務めた。
手術は無事成功し、同年8月28日にあいさつもかねて『おはようパーソナリティ道上洋三です』に道上本人が電話出演して経過報告した。
朝日放送は2006年9月14日、道上が同年9月25日の放送から番組に復帰すると発表。翌日(9月15日)、道上本人が電話出演し、そのことをリスナーに報告した。本人は電話出演の翌週(9月18日)から復帰できると言っていたが、医者および周りからのすすめもあり、9月25日からの復帰となった。
休演期間中、道上には激励やお見舞いのお便りが1,000通以上、千羽鶴13,000羽、お花・お守り・おはぎ・水ようかん・ゼリーなどのお見舞い・激励の品々が届いたそうである。
その時の流れもあり、ABCラジオまつりの時には「おはパソ」チームに三代澤、浦川の両人が含まれることもある。
道上が取り上げる阪神関連の話題の大半は、当日や直近の新聞記事による。しかし放送上は、新聞をめくる音がたびたびマイクに乗る一方で、引用元をほとんど紹介しない。道上自身も、『日刊スポーツ』の大阪本社発行版に掲載される内匠宏幸(同社出身のスポーツジャーナリスト)のコラム・寺尾博和(同社編集委員)の特集記事や、西村欣也(「朝日新聞」編集委員)による同紙朝刊スポーツ面の連載コラム「EYE 西村欣也」の内容を、自分流に話すことが多い。また、取り上げる話題によっては、内匠・寺尾・西村などの新聞記者が電話が出演することもある。
ちなみに西村は、大阪で過ごしていた幼少期に当番組を愛聴していたことを、当番組の生放送やトークイベントで披露。近親者からのメッセージ投稿などをきっかけに、当番組へゲストで出演したり、当コーナーで注目したりするようになったスポーツ選手も少なくない(阪神関係者以外では大畑大介・金刃憲人・辻内崇伸など)。
(選手を含む)阪神の好調時や、阪神に優勝の可能性が出てきた場合には、期間・ハガキ限定のリスナー予想企画(優勝決定日やチームの月間本塁打数など)を実施。予想の的中者から、抽選でプレゼントを進呈する。
当コーナーでは、「六甲おろし」以外にも、道上が阪神以外のプロ野球球団の応援歌を披露することがある。
道上は2008年まで、折に触れて大相撲本場所(主に春場所)を秋吉やスタッフと観戦。秋吉も安馬(大関昇進以前の日馬富士のしこ名)のファンであることを当コーナーで公言するなど、大相撲に関心を示してきた。しかし、大麻問題や八百長問題などの不祥事が立て続けに発覚した時期に、日本相撲協会の姿勢に業を煮やした道上が「今後は大相撲を一切取り上げない」と当コーナーで宣言。ところが、大相撲が再び盛り上がりを見せ始めた同年末頃から、本場所中には幕内の主な取り組み結果を再び取り上げている。
2010年6月30日放送の当コーナーでは、前日に阪神甲子園球場であったナイトゲーム(阪神タイガース対中日ドラゴンズ戦)において、道上・秋吉が実況したシーンの収録音源を流した。このシーンは、道上をゲストに招いた『ABCフレッシュアップベースボール』枠の中継(実況担当:伊藤史隆)に入らなかったものの、道上が当コーナーで「予言者」と称する有田修三(放送時点ではABC野球解説者)が解説役として同席。試合の途中からは、有田も実況に挑戦した。ちなみに道上は、朝日放送へ入社してから数年間、スポーツアナウンサーとしてラジオでの野球実況も経験している。
当番組では、道上とアシスタントによる挑戦企画を随時実施。学生時代に陸上競技の選手だった道上は、実際にホノルルマラソンやマスターズ陸上の予選会へ出場した。現在でも、ホノルルマラソンへの挑戦を後押しした高石が、年に数回「話のダイジェスト」へ出演。放送中に自身の楽曲を披露したり、特別企画に向けて楽曲を提供したりしている。
2009年6月8日の放送から一時、7時台のフリースペースを中心に、道上が近畿地方周辺の地図に向かって吹き矢を吹く「吹き矢でどこや?」という企画を実施。矢が当たった場所に該当する地域を「当日のラッキーポイント」として、その場所にまつわる情報・エピソードを放送中に募集・紹介していた。ちなみに道上は、オープニングに吹き矢を吹いたこともあった。
2010年11月からは、毎週金曜日のみ、7時台のフリースペース(途中までは「スポーツの話題」の直前、以降は同コーナーの後半)で「今週のABC」という多者択一形式の行動心理テストを実施している。以前「話のダイジェスト」にゲストで出演した正高信男(京都大学霊長類研究所教授)が、認知神経科学の見地から毎回3者択一形式のテストを作成・提供。道上・秋吉がそれぞれの主観に沿って回答したうえで、テストに出された全ての選択肢の意味を解説する。しかし実際には、「放送翌週の行動を占う」という本来の趣旨とは裏腹に、道上が勝手に4番目の選択肢(D)を作成・回答・解説することが決まり事のようになっていた。
当番組では主に番組がスタートした日である3月28日の前後など、随時公開生放送が実施されている。3月28日前後の公開生放送は、その前に葉書で募集がある。場所はABCホールやその周辺のホールであることが多い。公開生放送に来るリスナーは近畿2府4県に限らず、三重や岡山などからもきたり、前日大阪市内に宿泊するリスナーなども。また、前日の午後11時から場所取りのために徹夜したりするリスナーもいる。
阪神タイガースが当時21年ぶりにセ・リーグ制覇を決めた翌朝の1985年10月17日、阪神甲子園球場の1塁側アルプススタンドから公開生放送を行った。なお当初は、未明から朝にかけて、当時大淀にあった朝日放送本社から阪神甲子園球場まで提灯行列形式でパレードを実施。そのまま公開生放送に臨む計画であった。しかし、警備面の不安からパレードの実行は見送られた。
1992年3月15日(日曜日)午前9時に開始されたAMステレオ放送(現在は終了)の記念すべき最初の番組として、当番組の特別公開生放送がABCホールから行われている。
2002年には番組開始25周年記念事業として「おはようパーソナリティーJapanツアー2002」と題した企画が行われた。まず3月25日 - 29日には滋賀県を除く近畿地方各地を巡回。奈良 → 和歌山 → 京都 → 兵庫(尼崎市) → 大阪の順番で公開放送を行い、3月30日にはTBSラジオ放送の番組「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」に道上と秋吉が生出演。その2日後の4月1日には朝日放送東京支社内の「ABC会館」(当時、芝公園にあった)に在京の阪神タイガースファンらを集めた公開放送を実施して25周年を祝った。
そして阪神タイガースが優勝した2003年と2005年には、優勝決定翌朝に公開生放送を実施した。マジックが点灯した時点で観覧者募集をかけて抽選で選ばれた阪神ファンが見ることができた。
2006年の道上休演中もABCポケットパークから三代澤、浦川が揃って公開生放送をした。道上復帰後は、大泉緑地(堺市)から道上が公開生放送を行った(早朝かつ大阪市内でないにもかかわらず、4,000人のリスナーが駆けつけた)。
2007年3月21日には、30周年記念公開生放送「1万人の六甲おろし」合唱が大阪城ホールで行われた。葉書であらかじめ応募する必要がなく、会場に行くだけで公開生放送を見ることができた。当日は、早朝から会場前には番組を見ようとするリスナーの長蛇の列が出来、早朝にもかかわらず大阪城ホール最寄り駅のJR大阪環状線・大阪城公園駅に向かうリスナーが殺到したために、JR大阪環状線などの電車が満員状態での運行となった。番組開始15分後の午前6時45分頃には会場は満員札止めとなり、収容限界ぎりぎりの約1万2,000人が公開生放送を見学した。また、会場近くまで来たものの入場できなかったリスナーも約3,000人いたが、放送上の合間を使って道上自ら大阪城ホールの外まで出向き、入場できなかったリスナーに直接詫びた。
放送開始33年目を迎えた2010年3月19日には、阪神OBの吉田義男(ABC野球解説者)・田淵幸一(当時のOB会会長)をゲストに迎えて「33周年記念公開生放送」を、当時リニューアル工事を終えたばかりの阪神甲子園球場の一塁側内野スタンドに設けた放送ブースから、同球場では25年ぶりに公開生放送を実施。内野席の一部を無料で開放したところ、早朝にもかかわらず3,000人を超えるリスナーが集まった。当日の放送では、「タイガース劇場」のファンファーレを合図に、同球場のウグイス嬢が道上の予想による阪神の2010年開幕戦スターティングメンバーを試合さながらに紹介。道上・吉田・田淵で阪神の展望を語り合ったほか、集まったリスナーが参加できる特別企画として、同年度の日本シリーズのチケットを賭けた○×クイズ「33周年記念おはパソクイズ!日本シリーズへ行きたくないか?!」を実施した。ちなみに道上は、「阪神と北海道日本ハムファイターズが日本シリーズで対戦する」との予想の下にチケットを用意したが、同年度には両チームとも日本シリーズに進出できなかった。
放送開始35年目に当たる2012年には、5月4日(金曜日)にホームズスタジアム神戸で、番組史上最大規模の公開生放送を実施。スタンドを無料で開放したことに加えて、スタジアム付近を通る神戸市営地下鉄海岸線が特別ダイヤで列車を増便させたこともあって、祝日(みどりの日)の早朝にもかかわらず1万2,000人以上のリスナーが集まった。ゲストは、バイマーヤンジン(チベット出身・日本在住の歌手)と丸谷明夫(大阪府立淀川工科高等学校吹奏楽部顧問)。8時台の後半には、丸谷の指揮で同部の学生がカーペンターズのメドレーを演奏したほか、吹奏楽をバックに道上・久野とリスナーが「六甲おろし」を大合唱。バイマーヤンジンによる童謡「故郷」の歌唱で、生放送を締めくくった。ちなみに、生放送の開始当初はスタジアムの可動屋根を閉めていたが、7時台の途中から屋根を開放。放送でも道上が、その模様を伝えている。
2008年3月20日に京セラドーム大阪で、掛布雅之、村上隆行、田淵幸一、有田修三らプロ野球OBと独自のトライアウトを行い結成したABCドジョーズVS茨城ゴールデンゴールズの試合が行われた。結果は8-0で茨城ゴールデンゴールズが勝利した。道上は先発投手として登板したが、2番バッターにストライクツーから死球を投げるなど、わずか8球でKOされてしまった。秋吉も6回に代打として出場しホームラン宣言をしたが、凡打に倒れた。
道上とアシスタントは例年、夏季に1週間(2011年以降は2週間)の夏休みをとる。2人同時にとる年もあれば、時期をずらす年もある。その間はピンチヒッターが番組を担当する。ピンチヒッターは例年、ABCアナウンサーが起用される。また年によっては、ABCラジオで他番組を担当するパーソナリティが起用されることもある(過去には妹尾和夫など)。
秋吉がアシスタントであった2007年度には、秋吉の夏休み(同年8月6日 - 10日)の際に、歴代アシスタント8人のうち5人が日替わりでピンチヒッターを務めた。
2009年度の夏休みは8月17日 - 21日に2人が同時にとり、道上のピンチヒッターとして17日・18日は上田剛彦、19日 - 21日は柴田博が、秋吉のピンチヒッターとして5日間とも加藤明子(いずれもABCアナウンサー)がそれぞれ担当した。
2010年度の放送では、8月2日 - 6日を夏休み期間に設定。普段は「スポーツの話題」(前述)で阪神戦実況の模様を再生されているスポーツアナウンサーが、日替わりで道上の代役を務めた(2日清水次郎、3日岩本計介、4日中邨雄二、5日枝松順一)。なお、2日 - 5日の放送では、フリーアナウンサーの渡辺景子が秋吉の代役でアシスタントを担当。最終日(6日)の放送では、スポーツアナウンサーで『ようこそ!伊藤史隆です』(土曜日の同時間帯に放送中の生ワイド番組)のパーソナリティー・伊藤史隆と、同番組アシスタントの林智美が揃って出演した。伊藤・林は、翌朝の同番組でも生放送に登場している。
アシスタントが秋吉から久野に代わった2011年度の放送では、道上・久野とも、8月1日から2週間にわたって夏期休暇を取得。この間には、以下のアナウンサー・パーソナリティが、持ち回りでピンチヒッターを務めた。
2012年には、道上が8月6日(月曜日)~17日(金曜日)、久野が同月20日(月曜日)~31日(金曜日)にそれぞれ2週間の夏休みを取得。上記の期間中は、道上・久野のいずれか1名と、週替わりのスペシャルパーソナリティ1名によるコンビで放送した。なお、全国高等学校野球選手権大会(8日開幕)で第1試合を8:00に開始する日には、前年と同じく当番組の放送時間を短縮していた。
2013年には、道上・久野とも、8月5日(月曜日)から16日(金曜日)まで休暇を取得。休暇期間中のうち、5日から9日(金曜日)までは上田剛彦・小塚舞子、12日(月曜日)から16日までは北村真平・八塚彩美(小塚以外はABCアナウンサー)のコンビが代役を務めた。
2014年には、道上・吉田とも、8月11日(月曜日)から22日(金曜日)まで休暇を取得。休暇期間中の放送では、以下のコンビが代役を務めた(橋詰・八塚はABCアナウンサー)。
この番組では、いわゆる「ラジオネーム」を放送で紹介していない。リスナーが匿名希望を目的にラジオネームでメッセージを送っても、放送上は、そのメッセージに記された情報を組み合わせながらラジオネームを読み替えている(「尼崎市43歳の主婦の方から」など)。ただし、道上の代理で出演するパーソナリティによっては、ラジオネームをそのまま紹介することがある(2011年に桑原が担当した時期など)。
ちなみにABCラジオでは、『武田和歌子のぴたっと。』『サクサク土曜日 中邨雄二です』など、道上の後輩アナウンサーがメインパーソナリティを務める生ワイド番組にも同様の傾向が見られる。また当番組では、道上も歴代のアシスタントも、FAXの表現を「ファクシミリ」に統一。メッセージを紹介したリスナーに前述のプレゼントを進呈する旨を伝える際には、道上が「記念品をお送りします」と表現している。
ABCラジオで初めて個人名の入った“dojoyozo.com”のドメインを取得。2008年4月1日から番組ホームページのURLが http://dojoyozo.com/ に変更になった。洋三の今朝の一句、英美のおはパソ日記、おはパソ写真館、会員限定で秘蔵の映像などを閲覧することができる。
2011年4月1日にサイトをリニューアル。これに伴い番組公式サイトはABCラジオサイト内の http://abc1008.com/ohapaso/ へと移転した。
放送35周年に当たる2012年には、「(『リスナーへの恩返し』という意味での)音返し」と称して、以下の記念企画を月替わりで発表。随時実施している。
コーナー紹介・35周年記念企画で記述したプレゼントを除いて、この節で記載する。
(一部のコーナーを除いて)メッセージを紹介したリスナーには、基本として「六甲おろしボールペン」、「キュキュラジオ」、「番組特製ポストカード」、「やぶから1万円」、「おはパソあめちゃん(飴)」、番組のイメージソング『あなたへの朝』のCD(後述)のいずれかを進呈している。
当番組では、放送時期や企画によって、プレゼントの内容を変えている。過去には、「おはパソバッグ」、「おはパソタオル」(当番組のタイトルをローマ字で表記)、「タイガース貯金箱」、「時計内蔵型ラジオ」、「おはパソセット」(携帯用の歯磨きセット)、「目出タップ」を進呈。また、不正解の場合にキャリーオーバー形式で賞金を積み立てるクイズを出題していた時期もあった。
2007年には、放送30周年記念企画の一環として、「オハッカーえみぞう」(当時のアシスタント・秋吉のデザインによる30周年記念ロゴマークが描かれたステッカー)を記念品ということで、2007年末をもって終了。2008年初頭からは、同じく秋吉のデザインによる「エミバッグ」を経て、「らららふきん」を進呈していた。2009年9月以降には一時、「どじょにゃん」(道上の顔をかたどったマグネット)や、「トラップ」(虎の顔をしたモップ)がプレゼントのラインアップに加わっていた。
道上の退院後には一時、「オハッテー」という切手がリスナープレゼントに入っていた。また、QUOカードを進呈していた時期もあったが、2008年初頭に廃止された。2010年秋頃からは、電子レンジ用調理器具・食器・保存容器の三役をこなす「スチームケース」を、期間限定のプレゼントとして用意していた。
2011年8月末から同年末までプレゼントに含まれていた「おはっピー」は、当番組で独自に開発・製作した阪神タイガースへの応援グッズ。ジェット風船専用のホルダーで、風船に空気を入れやすくしつつ、いったん風船に入った空気が抜けないように工夫を施している。なお、リスナーには、ジェット風船とセットで進呈していた。
長らく7時の時報でスポンサーを務めた時計メーカー製の電波時計。文字盤には道上のサインが記され、裏には30周年ロゴマークが彫られている。
30周年にちなみ、30人(男性用、女性用各15本)にプレゼントすると告知したところ、3万通近くの葉書が来た。そのため、1,008人限定でシリアルナンバー付きの30周年記念腕時計を販売したところ、電話が殺到し、わずか20分で完売となってしまった。そのため、人数無制限での30周年記念腕時計の特注販売を進めることが決定された。本格的な販売には男女それぞれ500個以上の注文が必要で、特注販売での腕時計にはシリアルナンバーはつかないという条件付きだったが、多数の注文があったため期間限定ながら販売が決まった。その後、2007年7月中旬から順次発送を進め、同年8月初めには全配送が終わった。
1999年7月に秋吉英美が歌った九九の歌「英美ちゃんのレッツゴー九九」を発売。オリコンのウィークリーチャートで全国総合初登場29位(プラネット39位)、大阪地区では安室奈美恵を抑え初登場7位(プラネット8位)を記録した。2001年1月までに18万枚を売り上げている。
道上洋三30番勝負の一環として、30周年記念CD「新しい朝」を2007年9月26日にキングレコードから全国で発売。同年7月24日から予約を開始したところ、初日から多数の予約が入ったほか、当番組にもCDの買い方に関するメッセージが殺到。その反響もあって、同年のオリコン年間チャートでは500位以内に入った(放送内でリスナーが発見した)。
番組35周年記念企画の一環として、2012年7月4日に日本クラウンから全国で発売。同年12月28日放送分での発表によれば、発売から半年間でおよそ1万枚の売り上げを記録したという。
2010年2月10日から期間限定で、近畿地方2府4県のセブンイレブンで発売されている1箱630円(税込)のレトルトカレー。道上が開発した「嗚呼 昭和カレー」と、新婚の秋吉が手掛けた「新妻 ドキドキキーマカレー」が1袋ずつ、谷口智則(絵本作家)が描いた動物の絵のパッケージに入っている。
当番組では2009年、「我が家の人気メニューNo.1」というテーマで、リスナーアンケートを実施。305人から回答を得た結果、カレーが1位になった。この結果を知った道上と秋吉が、それぞれオリジナルのカレーを作ることを宣言。専門家のアドバイスを得ながら、レシピを完成させた。さらに、同年11月15日に開催された「ABCラジオまつり」の会場・万博記念公園(大阪府吹田市)において、対決形式で双方のカレーを来場者に提供した。しかし、来場者の人気が予想以上にすごく2時間ほどで終了するという大反響を呼んだことから、セブンイレブンの期間・地域限定商品として販売されることが決まった。
ちなみに、前述の「ABCラジオまつり」でアンケートを実施したところ、「嗚呼 昭和カレー」が627票を得た。これに対して、225票に終わった「新妻 ドキドキキーマカレー」では、秋吉の希望もあって商品の発売前にレシピの内容を若干変えている。また、セブンイレブンでは、発売初日から売り切れ店が相次いだという(2010年2月11日放送分より)。
番組35周年記念企画の一環として、2012年12月3日から2013年1月末まで、関西地方全域および岡山県・香川県・徳島県内のサークルKサンクス店舗で発売。道上が山口県で過ごした少年時代の思い出の味である「遊食屋むさしの」(同県柳井市)の肉うどんを、キンレイの製麺・製造技術によって再現した。上記地方のサークルKサンクスで同年11年1日から19日まで予約を受け付けたところ、当初の製造予定個数(20万食)を上回る件数の予約が寄せられたため、同年内だけで約26万食を製造・販売している。ただし、「遊食屋むさしの」がある山口県内のサークルKサンクスでは当商品を扱っていない。
ちなみに、YouTube上の朝日放送公式チャンネルでは、当製品の予約期間中から公式PR動画ABCラジオ「おはパソ~道上洋三 思い出の肉うどん完成~」を配信している。当番組がYouTubeで動画を公開するのは、番組史上初めての試みである(2012年11月6日放送分の「話のハイウェイ」より)。また、同年11月18日に万博記念公園で開催された「ABCラジオまつり」では、参加者1万名への無料試食企画「1万人の大試食会」を実施した。
「2013年の夏期休暇中に岐阜県高山市で偶然食べた『中華そば』が、大学生時代に東京の下宿近くの屋台でよく食べていた『中華そば』の味に似ていた」という道上のエピソードをきっかけにキンレイが開発。道上やリスナー代表による試食を経て、2013年12月13日から2014年1月末まで、関西・四国地方全域および岡山県・広島県・三重県内の一部地域にあるサークルKサンクス店舗で発売した(1食498円)。対象店舗では、2013年11月17日から同月30日までの期間中に予約を受け付けたうえで、予約優先商品として販売。また、クール宅急便のサービスエリア向けに配送できる商品として、4食入りのセット(2980円)も売り出した。
当番組では、リスナーから「思い出の中華そば」に関するエピソードを募集したうえで、同年10月の放送から随時紹介。前年に続いて「ABCラジオまつり」(2013年11月17日に万博記念公園で開催)で無料試食企画を実施したほか、YouTube内の朝日放送公式チャンネルでABCラジオ「おはパソ~『道上洋三の中華そば物語』完成~」 というPR動画を公開している。
当初は2013年12月26日で販売を終える予定だったが、多数のリスナーから当番組に販売続行の要望が寄せられたことから、追加発売を急遽決定した。2013年12月30日から2014年1月13日まで上記地域のサークルKサンクスで予約を受け付けたうえで、1月24日から1週間限定で発売。その結果、売上総数はおよそ25万食にまで達した(2014年1月30日放送分のオープニングで道上が発表)。
なお、3食分の応募券を貼ったハガキでの応募を条件に、希望者から抽選で1,000名に道上のサインが入った成瀬国晴デザインの箸置きを進呈。また、中華そばのスープを応用したメニューのレシピが複数のリスナーから寄せられたため、追加発売が決定した2014年1月に道上の提案で「中華そば トッピング ビフォーアフター大賞」というリスナー参加企画を開催した。
当番組では2010年秋に、リスナーから寄せられたアイデアを基に、「残したい童謡・新しい童謡」に関するリスナー投票を実施した。同年11月23日の放送で集計結果をベスト10形式で発表した際に、道上が「新しい童謡が少ない」との感想を述べたことから、道上自身の作曲による「朝ごはんのうた」をリスナーの協力を得ながら「番組発の童謡」として発表するプロジェクトを始動。以降は、道上・秋吉が、祭日の放送を中心に「話のダイジェスト」などのコーナーで「朝ごはんのうた」を歌っていた。
2010年12月には、歌詞をリスナーから募集。歌詞の選考期間中には、リスナーが朝食のメニューを織り込んで応募した歌詞を、道上・秋吉が放送中に日替わりで披露していた。
歌詞が決まった2011年1月10日には、ウェスティンホテル大阪で、バイキング形式の朝食会を兼ねた公開生放送「皆で食べよう King Of 朝ごはん」を実施した。当番組では、その際にリスナー参加の下で収録した音源と、放送とは別に大阪市内の幼稚園で幼稚園児とともに収録した音源を基に「朝ごはんのうた」のCDを600枚限定で製作。希望する幼稚園・保育所に100枚、希望するリスナーに抽選で500枚、それぞれ無料で進呈した。また、当番組の携帯サイトでも、ダウンロード用に音源の一部を公開。2011年の2月頃からは一時、生放送中にメッセージを紹介したリスナーにも、道上の判断でCDを進呈していた。同年3月から発売のABCラジオ創立60周年CDブック「いつもラジオと一緒」に同封のCDにも、カラオケバージョンを含めた音源が収められている。
道上は、秋吉が当番組を卒業した2011年4月以降も、後任のアシスタント・久野と一緒に「朝ごはんのうた」を放送中に歌うことがある。ただし、その際に使われるカラオケの音源には、秋吉の声が入っている。2011年5月からは、M-1グランプリ(ABCテレビ制作で2001~2010年放送)にちなんで、「朝ごはんのうた」のメロディーにオリジナルの歌詞を付けるリスナー参加企画「替-1(かえわん)グランプリ」も実施している。
ちなみに、秋吉の2代後のアシスタント・吉田は、当番組のスタッフ時代に「朝ごはんのうた」の制作へ参加。CDや音源には、吉田の声も、メロディーの一部として収められている。
秋吉英美のアシスタント10周年記念として、2008年10月10日にプラネットジアースから初版1万部で発売(ISBN 978-4-89340-080-2)。発売の際には、ジュンク堂書店梅田ヒルトンプラザ店(2008年10月10日)、田村書店千里中央店、旭屋書店KuLaSu seasonなんばパークス店(ともに、2008年10月11日)、ジュンク堂書店三宮店、ブックファースト梅田店(ともに、2008年10月12日)の5店舗で秋吉と握手できるサイン本のお渡し会を実施した。また、増刷を重ねたこともあって、関西地方を中心に4万冊に届く勢い(2008年10月27日放送より)で売上を伸ばした。
2011年4月20日に朝日新聞出版から発売した道上の著書(ISBN 978-4-02-250856-0)。当番組の放送開始34年目で初めて出された番組本で、リスナーからの手紙やゲストの話などから、道上自身が選んだ珠玉のエピソードを収めた。発売前後には、当番組へのリスナーから、希望者に抽選で同書を進呈している。
2012年6月15日にワニブックスから発売した番組初の公式ガイド本(ISBN 978-4-8470-9070-7)。当番組の年表、道上と久野への密着取材の模様、久野以前の歴代アシスタントや番組と縁の深い著名人からのお祝いコメント、制作スタッフが披露した当番組の裏話などを収めている。同年12月28日放送分での発表によれば、約半年間で約2万部を売り上げたという。
テーマ曲は「クラリネット・ポルカ」。番組開始当初からオープニングとエンディングで流れている。
2011年7月には、関西を中心に活動するフォークデュオのワライナキが、道上からの依頼でイメージソング「あなたへの朝」を書き下ろした。当初のタイトルは「花の詩(うた)」だったが、道上がワライナキと打ち合わせを重ねた結果、タイトルや歌詞・メロディーの一部を変更。同年9月下旬から、道上・久野などの歌でジングルに使用している。また、「朝ごはんのうた」と同様にCDも製作。同年10月から、リスナーへのプレゼント(前述)に加えている。
なお、吉田をアシスタントに迎えた直後の2014年4月には、道上の作詞・ワライナキの作曲・道上と吉田の歌唱による「飛び出せ、朝!」を新しいイメージソングとして発表している。
以前は、『おめでとうパーソナリティ道上洋三です』というタイトルで、1月1日に年始の特別番組が放送されていた。
2007年は17:30 - 18:24(JST)に放送された。内容は、おはパソに出演したことのある外国在住の人に正月の様子を伝えてもらうものであった。もちろん、六甲おろしも歌った。
2008年1月1日は平日であったが、本放送は元旦特番のため中止され、14:00 - 15:00に特別番組が放送された。余談だが、その年の4日に道上本人が、この番組が録音であるにもかかわらず、本番組の後に放送された生放送番組『全力投球!!妹尾和夫です』内で電話で出演した。
なお2010年は、1月1日が金曜日であったにもかかわらず、ABCラジオでは当番組の時間帯に生放送の特別番組『伊藤史隆のLet's寅(とら)い! ようこそ2010年』を編成。当番組の年始特別番組も放送されなかった。そのため、当番組における同年最初の放送は、4日(月曜日のレギュラー放送)からになった。1月1日に長時間の生放送番組『新春スーパーワイド』を編成するようになった2011年以降は、2011年のみ1月3日(月曜日)から、2012年以降は1月2日からそれぞれ事前収録の短縮版を放送。また、1月2日の午後に特別番組『おめでとう道上洋三です』を放送している。
道上洋三の健康道場 | |
---|---|
ジャンル | 健康教育・トーク番組 |
放送方式 | 収録 |
放送期間 | 2014年10月4日 - |
放送時間 | 土曜日 7:00-7:30 |
放送局 | ABCラジオ |
ネットワーク | 全国10局ネット(HBC・YBSのみ同時、他一部地域先行または時差) |
パーソナリティ | 道上洋三 |
出演 | 川添佳穂 |
提供 | サンスター |
公式サイト | 公式サイト |
特記事項: 「おはパソ」の同名ミニコーナーからのスピンオフ番組 |
|
テンプレートを表示 |
2014年10月からは、当番組内で「健康道場」の放送を継続するとともに、同コーナーから派生したサンスター1社提供の単独番組『道上洋三の健康道場』の放送を開始。「健康道場の師範」と称する道上が、ゲストを交えながら、これまでの人生で培った健康へのこだわりを語り合う。また、リスナーからの健康相談を紹介する。
アシスタントに当たる「筆頭門下生」には、朝日放送アナウンサーの川添佳穂を起用。2014年入社の川添が、ラジオの全国ネット番組にレギュラーで出演するのは、当番組が初めてである。
朝日放送ラジオスタジオでの事前収録による番組で、放送開始時点でのネット局と放送時間は以下のとおり[6]。オープニングでは、川添がネット局の所在地と略称をすべて紹介している。
番組の前半に行われる。各界著名人を2週(例外で3週となる場合有り)にわたり、著名人の健康法をインタビューする。
2011年(平成23年)10月からは、道上が縁の深い著名人と対談する収録企画「堂々上々 道上洋三が行く」を、月に1回「話のダイジェスト」「話のマーケット」で放送。放送終了後に、Webioと公式サイトからインターネット向けに音源を配信している。Webioでは毎月更新されるが、公式サイトでは、過去の配信分を含めたすべての音源を公開している。ちなみにタイトルは、「道上が対談相手と縁の深い場所へ出向く」という対談のスタイルに、道上の苗字を掛けている。
また、配信開始と同時に、『朝日新聞』関西版の夕刊(配信回によっては朝刊)に当番組の特集ページを1ページ新設。月に1回のペースで、「堂々上々 道上洋三が行く」の収録の模様や、当番組で紹介したメッセージから道上が特に印象に残った内容などを掲載していた。
2014年(平成26年)3月で企画を終了。対談に登場したゲストは、合計で28名に達した。
[ヘルプ] |
ABCラジオ 平日6:30 - 9:00 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
おはようパーソナリティ道上洋三です
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ABCラジオ おはようパーソナリティ | ||
おはようパーソナリティ中村鋭一です
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おはようパーソナリティ道上洋三です
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-
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ABCラジオ 土曜朝7時台前半 | ||
サクサク土曜日 中邨雄二です(7:00 - 10:00)
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道上洋三の健康道場
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TBSラジオ 日曜12時台前半 | ||
道上洋三の健康道場
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-
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いつの間にか ASKにつながり
Ask.com(アスクドットコム)は検索エンジンやQ&Aサイトを提供する、ポータルサイトである。
Ask.comはインターネットの黎明期から存在する検索サービスである。かつてはAsk Jeeves社(アスク・ジーブス)が運営していたが、2005年以降は雑誌ニューズウィークなどを所有するコングロマリットのIACが運営している。検索サービスは寡占化が進んでいるため、シェアは数パーセントに過ぎないが、アメリカ合衆国で第4位の検索サイトである[1][注釈 1]。利用者は1億809万人/月に達し、アメリカ合衆国で第8位のウェブサイト(2012年11月)でもある[2]。 かつては独自の検索エンジンを開発し、日本向けにカスタマイズも行っていた。しかし2009年にAsk.jpが終了し、2010年には検索エンジンの開発 も終了した。2011年にQ&Aサイトを開始して独自のコンテンツを確保すると共に、IACグループの広告枠を1億2500万ドルでGoogleに販売して収益をあげている[3]。検索サービスも継続しており、現在でもjp.ask.comで日本語検索を行うことが出来る。
英語版には、検索サイトとコミュニティ型のQ&Aサイトがある。検索サイトではウェブ検索の他に画像検索やニュース検索、動画検索を行うことが出来る。また地図と連動した地域情報の検索(AskCity)やQuixey社 が提供するモバイルアプリケーション情報など、他社のサービスを独自のユーザーインターフェースで検索するサービスも提供している。Q&Aサイト では、コミュニティに対して質問を投稿することができる。またトップページには四つの選択肢の中から正解を選ぶ、クイズ形式の「Question of the Day」があり、Q&Aサイト検索に誘導している。日本語版は検索サイトのみで、ウェブ検索を行うとQ&Aサイトも検索して、結果を表示 する。かつては日本語版でも動画検索やブログ検索が可能だったが、現在は画像検索のみに対応している。
Ask.comはウェブブラウザ用のツールバーを提供しており、javaインストール時や他社のフリーソフトと共にインストールされる場合がある[4]。ツールバーをインストールすると、Internet Explorerのホームページとデフォルト・サーチエンジンが変更される[5]。これはツールバーをアンインストールしても、自動的に元には戻らないので、Internet Explorerの「ツール」メニューから「インターネットオプション」を開いて、手動で変更しなければならない[6]。アンインストール時のエラー対策には、ToolbarUtilityTool.exeが用意されている[6]。
AskJeevesは1996年にギャレット・グルーナーややデイビッド・ウォーヘンらが設立した会社である。Mr.Jeeves(ミスター・ジーブス)とは、イギリスのユーモア小説「比類なきジーヴス」に登場する有能な執事のことである。AskJeevesの検索エンジンはグレイ・シェヴスキーが設計した質問応答システムを基に開発され、キーワード検索だけでなく質問文による自然語検索にも対応していた[7]。そのため「わからないことがあったらジーブスに聞いてみよう、ジーブスは何でも知っている」[8]という社名になったと言う。AskJeevesは人気を得て、1999年にNASDAQに上場した。
AskJeevesの検索エンジンは、Teoma(テオマ)というブランド名で語られる事もあるが、これは2001年に買収したTeoma社の検索エンジンに由来する。TeomaはGoogleと同じようにページランクに 基づいて検索を行うだけでなく、検索語の主題を理解して、その主題に関係するウェブページから検索を行う「サブジェクト・スペシフィック・ポピュラリ ティ」(Subject Specific Popularity)と言うアルゴリズムを採用していた。当時のGoogleで「原子爆弾」を検索すると、「原子爆弾」から「原子爆弾並みに美味しいお 菓子」まで原子爆弾と書いてあるウェブページは何でも検索対象とし、その中からリンク数の多いウェブページを一覧表示した。これに対してTeomaはウェ ブページをグループに分けて「原子爆弾並みに美味しいお菓子」を検索対象から除外して、「水素爆弾」や「第二次世界大戦」などを検索対象に加える。また爆 弾に関するグループ(コミュニティ)の中から評価の高いウェブページを「エキスパート」として抽出し、そのページからリンクされているウェブページに高い 評価(オーソリティ)を与えて一覧表示した[9]。このアルゴリズムは「検索クエリのテンプレートを用いることで関連度の低い情報を排除する方法」として特許登録されており、2000年代前半の検索分野における重要特許の1つだと言われている[10]。また他社と比べるとインデックスしているページ数が少ないものの、1990年代には不可能だと思われていた、SSPを使ったリアルタイム検索を実装した点でも評価が高かった[11]。TeomaはGoogleキラーとして期待され[12]、2001年頃はAbout.comやiWon、MSN、Lycos[12]や企業向けの検索システム[13]で利用された。2004年にはExciteの親会社を買収してポータルサイトやフリーメールサービスを手に入れて、ヨーロッパや日本に進出した。
InterActiveCorp社はアメリカ合衆国のテレビショッピング会社のHome Shopping Networkの放送部門が、1986年に分社化して出来た会社である。その後、バリー・ディラーが 経営権を握り、200x年代前半にはTicketmaster(チケット会社)やMatch.com(出会い系サイト)、Expedia(旅行サイト)な ど多数のインターネットサービスを所有するコングロマリットになっていた。IAC社はGoogleなどのインターネット検索によって、自社のポータルサイ トのコンテンツ配布機能が脅かされていると感じていた[14]。 そのため2005年にAsk Jeevesを買収して、検索業界に参入した。Ask Jeeves社の社名はその後「IAC Search & Media」となり、マスコットキャラクターのMr.Jeevesは姿を消した。米国版ではオプション指定により表示する方法があったようだが、2013 年現在は使用不能である。一方、イギリス版では復活し[15]、2013年現在も健在である。
2004年から2008年頃はWeb 2.0時代で、ブログやブログ・メディアが流行した。AskJeevesはフィードリーダーとして有名なBloglinesを買収した。Ask.comはリアルタイム性を重視したブログ検索エンジンを開発して、ブログを投稿してから数秒で検索できるようにした[11]。2000年代中盤は動画共有サイトが始まった時代でもあった。Ask.comは動画検索エンジン[16]や高品質な画像を探すことが出来る画像検索エンジンを開発した。またテレビ広告を積極的に行って知名度を高め[17]、欧米で利用者を急増させた[18]。しかし結局、検索市場でシェアを伸ばすことは出来なかった[19]。
2008年、親会社のIACは子会社を再編し[20]、Ask.comのCEOを交代させ[19]、リストラを実施した[21]。またGoogleに広告枠を売って収益を改善した[22]。Ask.jpは2009年に終了して、日本独自の開発を終了した。2010年には米国でも検索エンジンの開発を終了し、Bloglinesのサービスも停止した。2011年からは知名度の高さを生かしてQ&Aサイトを開始し[23][24]、モバイル分野に注目している[25]。
日本には、Ask Jeevesがトランスコスモスと 共同で設立したアスクジーブスジャパン株式会社があり、2004年から2009年までは日本独自のAsk.jpを提供していた。その後アスクドットジェー ピー株式会社となり、Ask.jpの終了後はTCI Plus株式会社となった。しばらく法人向けの広告配信などを行っていたが、最終的にはトランスコスモスに吸収合併された[59][60]。現在はAsk.comが日本語版のサービスを提供している。
Ask.jpの検索エンジンはTeomaをベースとし、日本語向けに改良されていた。またブログ検索機能は日本の独自開発で、ポッドキャスト付きのブログを抽出する事ができた[61]。ツールバーも提供していたが、Smiley Central機能はスパイウェアやアドウェアとの指摘もあった(メーカーは否定)[62]。Google検索を行なうと、トップ結果のページの最下段に「(その時に入力したキーワード)を検索。 検索結果をすばやく、今すぐ調べる!」の広告が登場する。
AskビデオはトランスコスモスのJストリームを利用した動画共有サービスである[63]。Consumer Generated Mediaとして、携帯電話のカメラなどで撮影した動画(最大5分)を投稿することが出来た[64]。その後MOVIE CASTERを買収し、動画数は100万本に達した[63]。また動画をデコレーションする「デコわく」や犬の動画専門のOneOne.TVなどもあった。
またCGMだけでなく、映画の有料配信[65]や自主制作の「白昼夢」「加齢臭なる一族」のような番組も配信していた[66][67]。またB2Bとして、企業の宣伝番組[68]や第2日本テレビの配信インフラ[69]としても利用された[70]。
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