No. 9 会津八一歌碑 ひそみきて
歌碑の高さ:112cm 幅:63cm
ひそみきて たがつくかねぞ さよふけて ほとけもゆめに いりたまふころ 秋艸道人 (秋草道人:八一の雅号)
夜更けにだれかがそっと寺の鐘を打つのが聞こえる、仏も寝たまうような時間でもわたしは寝付けない この歌は会津八一全歌集に載っている観音堂の8首の一つで、昭和20年8月の作です。
この年、愛妻きい子さんを失った悲しみの中で作ったもので、その悲しみを観音堂の前の「山鳩」でおおよそ次のように書いています。 *1
きい子は20才で自分に嫁いで来て、貧乏に耐えながら14年内助に尽くしてくれたが、 過労で今春病臥し、故郷越後に疎開した後病状が悪化して、人手もなく薬もままならず 介護に奔走した甲斐もなく、7月10日永の眠りについた。
野辺の送りの読経を頼む僧侶は軍役で不在で、お寺の10歳ほどの童女が経本を手に 懸命に修證義の一節を読んで去っていった。
戒名 素月冷光信女八一は明治14年(1881) 新潟県に生まれ、中学時代から短歌・俳句をつくり、早稲田大学卒業後は 母校で教鞭をとりました。
のちに「夕刊ニイガタ」を主宰し「南京新唱」「山光集」「寒燈集」などの歌集を出しています。
秋艸道人の名で世に知られるようになったのは、 昭和十五年に「鹿鳴集」を出してからです。
短歌については素人をもって自任し、 時流の外の存在として自らの姿勢を貫き、 生涯歌風を変えませんでした。
うたは全部ひらがなで書いています。
参考図書
*1 日本の詩歌 会津八一 寒燈集 中央公論
歌碑の高さ:112cm 幅:63cm
ひそみきて たがつくかねぞ さよふけて ほとけもゆめに いりたまふころ 秋艸道人 (秋草道人:八一の雅号)
夜更けにだれかがそっと寺の鐘を打つのが聞こえる、仏も寝たまうような時間でもわたしは寝付けない この歌は会津八一全歌集に載っている観音堂の8首の一つで、昭和20年8月の作です。
この年、愛妻きい子さんを失った悲しみの中で作ったもので、その悲しみを観音堂の前の「山鳩」でおおよそ次のように書いています。 *1
きい子は20才で自分に嫁いで来て、貧乏に耐えながら14年内助に尽くしてくれたが、 過労で今春病臥し、故郷越後に疎開した後病状が悪化して、人手もなく薬もままならず 介護に奔走した甲斐もなく、7月10日永の眠りについた。
野辺の送りの読経を頼む僧侶は軍役で不在で、お寺の10歳ほどの童女が経本を手に 懸命に修證義の一節を読んで去っていった。
戒名 素月冷光信女八一は明治14年(1881) 新潟県に生まれ、中学時代から短歌・俳句をつくり、早稲田大学卒業後は 母校で教鞭をとりました。
のちに「夕刊ニイガタ」を主宰し「南京新唱」「山光集」「寒燈集」などの歌集を出しています。
秋艸道人の名で世に知られるようになったのは、 昭和十五年に「鹿鳴集」を出してからです。
短歌については素人をもって自任し、 時流の外の存在として自らの姿勢を貫き、 生涯歌風を変えませんでした。
うたは全部ひらがなで書いています。
参考図書
*1 日本の詩歌 会津八一 寒燈集 中央公論
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