サンシャインプール 国営海の中道海浜公園
緊急事態宣言の発令に伴い、施設や店舗の営業状況に変更が発生している場合があります。最新の公式情報を確認するとともに、密閉・密集・密接を避ける行動を心がけましょう。
- 住所:福岡県福岡市東区西戸崎18-25
- 電話:092-603-1111
- 最寄り駅:西戸崎駅[出口]から徒歩約7分
- 営業時間:不定休。詳細は公式サイトを確認してください。
- 定休日:不定/2月 第1月曜/年末年始/2月 第1火曜
1日で遊びきれないシーサイドパーク。大芝生広場、動物の森、大観覧車やサンシャインプール(夏のみ)と盛りだくさん。
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福岡市東区にある国営海の中道海浜公園(うみなか)。海に囲まれた自然豊かな公園で子どもか ら大人まで楽しめます。一年を通して季節の花々が咲き誇り、開放的なロケーションのデイキ ャンプ場ではバーベキューを、子どもに人気の遊具や ...
古代の「海の中道」
海の中道の先端に位置する志賀島は、全島いたるところで土器など弥生時代中期の生活遺物が多数出土され、特に当時最新鋭の武器と考えられた「細形銅剣」の鋳型が発掘されています。これは高い技術力を擁する部族が島を根拠に大陸と盛んに交流を行い、文化を輸入していたことを物語っています。また、この地は「漢委奴国王」の印文で有名な金印の発掘された場所でもあります。(参考図書「福岡の古代を掘る」(朝日新聞福岡本部編)葦書房)
中世の「海の中道」
志賀島から海の中道にかけては、元寇来襲時の戦場ともなった地です。弘安の役では、能古島から小舟による奇襲を行い、一進一退の激戦の末、撃退に成功しました。現在志賀島には、「蒙古軍供養塔」などが残っています。また、江戸初期のころ加藤弥左衛門が砂地に植林を試み、根付けに成功。これより本格的な植林が始まっています。
江戸時代の「海の中道」
海の中道は、筑前国続風土記(1809年)や六十余州名所図会(1855年)等で名所として紹介されており、江戸時代にはすでに広く認識されていました。
昭和初期〜中期の「海の中道」
昭和11年に羽田に次ぐ日本で2番目の国際飛行場が雁ノ巣に建設されました。1,700mと1,300mの2本の滑走路を擁し、京城、大連、上海、台北へと飛んでいました。また、数年後には博多海軍航空隊が創設され、初期には水上飛行艇が飛んでいましたが、その後普通飛行機も飛び立つようになりました。
戦後の「海の中道」
敗戦後、海軍航空隊跡に米軍が駐留し「キャンプ博多」と呼ばれていました。朝鮮戦争当時は、第一線の米空軍基地として使用されました。現在のリゾートエリア付近に司令部の中枢があり、野外劇場・サンシャインプール付近に将校宿舎がありました。昭和47年に全面返還となり、広大な跡地利用の検討がなされた結果、優れた自然景観を最大限に生かした公園の整備を行うことが決まり、現在に至っています。
記念碑
現在、雁の巣地区には当時建てられた飛行場建設記念碑が残っています。皆さんも、海の中道に訪れる折りには、昭和初期、ここがアジアへの玄関口だったということに想いを巡らせてみてはどうでしょうか。
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