朝日新聞の朝刊の記事見て のぼせ上がり 頭の中は 走馬灯 ニューヨークもワシントンも 何が何だか
和洋折衷極めたオンリーワンな銭湯 休業後も人気の理由
源ケ橋温泉の脱衣場。高さ約10メートルの天井からシャンデリアが下がり、開放感がある空間になっている=2020年12月16日午前11時3分、大阪市生野区林寺1丁目、
ユニークな外観で、銭湯で初めて国の登録有形文化財になった大阪市生野区の源ケ橋(げんがはし)温泉が昨春、約80年の歴史に幕を下ろした。ただ、随所に工夫がこらされた建物の見学希望者は後を絶たず、昨秋は浴室でオンラインライブも開かれた。経営者は建物を守っていく思いを新たにしている。
謎の自由の女神像がお出迎え
大阪市生野区の生野本通商店街から路地に入り、まっすぐ進むと、源ケ橋温泉が姿を現す。
約900平方メートルの敷地に立つ木造2階建ての瓦ぶき建物だ。屋根にはしゃちほこのほか、窓枠に2体の自由の女神像が付いている。窓にはステンドグラスが多用され、玄関前には「源ケ橋」と彫られた石柱も。和洋折衷の外観に誰もが目を奪われる。
脱衣所の高さ約10メートルの天井にはシャンデリアがあり、重厚感と開放感が味わえる。浴室の床は大理石で、オパール石で四方を囲んだ「原石風呂」もある。
2代目経営者の中島弘(ひろむ)さん(78)によると、建物は1937年に地元の地主が建築した。中島さんが生まれた42年に父の貞次さんが借り受け、銭湯として営業を始めた。その後、土地を買い取った。
源ケ橋温泉の外観。屋根や窓枠にしゃちほこや自由の女神像があしらわれている=2021年1月18日午後2時8分、大阪市生野区林寺1丁目、細見卓司撮影
当時は戦争まっただ中。空襲で焼け残った木材を拾い集め、風呂をたいたこともあったという。終戦後は客足が一気に増え、1日1千人にのぼった。中島さんは「商店街から銭湯前まで二重にも三重にも列ができた」。
営業開始の頃からほとんど変わっていない建物の外観がなぜこうなったかは中島さんも知らない「謎」だ。自由の女神像は「入浴」と「ニューヨーク」をかけただじゃれでは、といわれている。
燃料高騰・銭湯離れ…時代の変化が直撃
好調に陰りが見え始めたのは70年代のオイルショックの頃だ。燃料価格が高騰し、専門業者から卸してもらえなくなる事態に陥った。「泥のような廃油も燃料にしたが、徐々に業績が下降線をたどっていった」と中島さん。
風呂付きの家が当たり前になったことも銭湯離れに拍車をかけた。府公衆浴場組合によると、府内には68年に2358軒の銭湯があったが、昨年12月時点で331軒に減った。
貞次さんが亡くなった81年の時点で、源ケ橋温泉の経営はすでにほぼ赤字だった。最盛期には9人いた従業員は中島さん夫妻だけになった。建物は98年、登録有形文化財に指定されたが、客足の回復につながらなかった。水道や電気代といった固定費のほか、建物の修繕費も重くのしかかった。
貯蓄を取り崩しながらも店を毎日開いてきたのはやはり、常連客の存在が大きかったと中島さんはいう。「お客さんが困る顔だけは見たくなくてね」
だがボイラーや煙突の修繕、自身の腰の手術などが重なり、2019年1月から長期休業に入った。営業再開に未練はあったが、「腰の調子は良くなったが、一気にやる気をなくしてしまった」。
長女夫妻が「後を継ぐ」と言ってくれたが、休業直前の客足は1日約80人。「もうからなくなった銭湯に子どもたちを巻き込めない」と断った。昨年4月、組合に廃業を届け出た。 ◇
「生野が誇るオンリーワンの場所」
ところが廃業後、団体で銭湯を見学したいとの依頼が月2、3件舞い込むようになった。見学には中島さんが対応し、外観や歴史を説明している。銭湯の固定電話は廃業後もつながる状態にしてある。
11月には、生野区の活性化をめざす一般社団法人いくのもりが源ケ橋温泉でイベントを開いた。
脱衣場で紙芝居を演じたほか、男湯を演奏会場としてアーティストに歌ってもらい、いずれもユーチューブでライブ配信した。
源ケ橋温泉で昨年11月にあったイベント。男湯での歌と演奏がライブ配信された=大阪市生野区林寺1丁目、一般社団法人いくのもり提供
代表理事の木村和弘さん(53)は「銭湯でライブは冒険的な試みだったが、源ケ橋温泉は生野が誇るオンリーワンの場所で、ぜひ使いたかった」と振り返る。
参加したアーティストからも「歌声が響いて、最高に気持ちよかった」と感想が寄せられた。木村さんは「歴史的にも面白い場所。今後も地域のために利用していきたい」と話す。
「この建物が使えそうだなと思ってもらえるなら、自由に利用してくれれば」と中島さんはほほえむ。利用した人たちが恥ずかしいと思わないよう「きれいに直してあげたい」と口にした。自らできる限りの修繕をしていくつもりだ。
源ケ橋温泉で昨年11月にあったイベント。脱衣場での紙芝居がライブ配信された=大阪市生野区林寺1丁目、一般社団法人いくのもり提供
1995 平成7年 第16回「 国勢調査」のさなかに 25年前 50歳 20歳-
新谷 住田 横畑 3人 大阪 馬場町 今のNHK場からタクシー ・・・
コロナ禍 やもな 元気でいてる
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。