生徒との別れとあのことば
クラーク博士と札幌農学校1期生たちのあまりに短い交流は、双方に何をもたらしたのでしょう。4月16日、別れを惜しんだ生徒や職員たちは、馬に乗った博士を見送ってはるばる30キロもある北広島市と恵庭の堺の島松までやってきました。徒歩であれば丸1日歩いてきたことになります。その間に博士と学生たちはどんな会話を交わしたのでしょう。やがて別れの時はやってきました。
たぶんもう、日が暮れようとしていたのではないかと思います。ここは当時札幌郡の堺だったそうで、駅邸が置かれていました。生徒たちはここで一夜を過ごし、翌日札幌に戻ったのかもしれません。
ここを訪れてみると、北海道稲作の生みの親中山久蔵の駅邸として使われていた屋敷が当時のまま残されています。内部には、クラーク博士の日本までの足跡を示す資料などが展示されています。
場所は国道36号線からちょっと入ったところにあります。住所は北広島市島松1番地。内部見学は連休からのオープン(10時~17時)になります。千歳からレンタカーで札幌に向かうのでしたら、ちょっと寄り道してみることをおすすめします。
旧島松駅邸
博士は郡堺の島松川の手前で馬を止め、あの有名な言葉を発したといいます。
「ボーイズ、ビー アンビシャス!」
島松川
このあまりに有名な言葉には続きがあります。
「Boys, be ambitious like this old man!」
(ボーイズ ビー アンビシャス ライク ディス オールドマン)
「少年たちよ、この老人のごとくに大志を抱け」
島松駅邸前に立つクラーク博士の記念碑
生徒たち一人一人の顔を覗くようにした後に、自分のことを老人と表現し親しみを込めて発したこの言葉の意味するところについては、諸説あります。ただ、博士が目指し、かつまた学生たちが受け継いだものは明確でした。その精神は学んだ学生たちによって引き継がれ、さまざまな分野で影響を残しました。博士から直接学ぶことの無かった2期生の内村鑑三や新渡戸稲造など、多くの若者に受け継がれていったのです。
刺激に満ちた一年間の休暇を終えた博士はマサチューセッツ農科大学に戻り、その後もかつての日本の教え子たちとの手紙による交流は続きました。
有名な羊ケ丘展望台のクラーク像は、彼の来札100周年を記念して1976年に見晴らしの良いこの場所に建てられたものです。とくに博士とのゆかりはありませんが、見下ろす札幌ドームの辺りを歩いてゆくクラーク博士一行を思い浮かべ、自分の志は何だろうかと沈思してみるのも悪くないですよね。
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