大阪 吹田市 万博記念公園
第一部 式典 敬称略
開会の辞 大会実行委員長 壁岸輔春 後ほど 第三部 記念ステージ 一 おてもやん
1589年、伊達政宗は会津地方の戦国大名、蘆名氏を、「摺上原の戦い」で撃破した。この戦いにより、蘆名氏は滅亡した。『さんさ時雨』は、伊達軍による勝ち戦の直後、伊達軍の将兵によって作られ、歌われたとされる民謡のこと。
また、一方で以下の記録も残されている。 1930年(昭和5年)3月20日、仙台協賛会発行「わしが国さ」第20号には、藤原非想庵(藤原相之助)が非想生という著名で「さんさしぐれの研究(1)」を投稿している。この研究では、この民謡は「地方の民謡」ではなく、中央から全国的に唄われていた小曲で、それが奥州で残っていた、というのである。発生時代は室町の頃であり、東北に伝達されたのも室町時代の末を下らない、と断言している。蘆名氏時代の会津若松でも唄われた形跡があり、伊達軍の将兵が作ったことを否定している。当時と現在(昭和5年を指す)では唄い方も曲風も大きく変わり、原形を留めていないのを嘆いている。 また、一番の歌詞の説明もこれに続く号に載せており、「時雨」と「濡れかかる」は一体的なもので、男女の濡れ場を表したものであるという。それ故、ご祝儀での祝い唄ということになったとも言っている。
第二 祝賀ステージ スコップ三味線 笑楽の会一同 / スコップと栓抜きを用いて、 音楽に合わせて津軽三味線の真似をして演奏するもの。
第二部 十四 山形大祝舞 松森一夫 / 第一部 式典 四十周年を迎えて 大会会長
第三部 記念ステージ 民謡記和会々主 東川記和 三 唄 連続 割愛のかずかす お許しを
閉会の辞
第4部 飲んで唄って カラオケ他 実行副委員長 渡辺 譲
凄い の ツルの一言! マイクはいらない 地声で 踊りも囃子も 愉しい 楽しい・・・・・ アっという間の 2時間半。
いずれが菖蒲が燕子花 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花
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