ベルリンマラソンでエリウド・キプチョゲ(ケニア)が2時間1分39秒の世界新記録をマークした。従来の記録2時間2分台(2時間2分57秒)をあっさり、なんと1分18秒も大幅に破った偉業である。
実は、レースの日の早朝「ベルリンではキプチョゲが1分台を出すかもしれませんね」というタイム予想を、シドニーマラソン解説の直後にテレビ局関係者と話していた。彼なら2時間2分台の世界記録では満足しないと思ったからだ。
キプチョゲの勝負強さは、リオ五輪(2016年)の金メダルが物語っている。
また、世界記録更新の可能性がいかに高かったかということも、昨年5月にフルマラソンでの2時間切りを目指すイベントとして開催された「ブレイキング2」で実証済みである。
非公認とはいえ、キプチョゲはすでに42.195キロを2時間0分25秒で走っているのだ。
▶アヘベ 裸足 東京五輪
東京オリンピックでマラソン初の2連覇[編集]
1964年春、アベベは軍曹に昇進した。5月にアディスアベバで1年ぶりにマラソンを走って優勝。8月の東京オリンピックの国内予選では自己2位となる2時間16分18秒8で優勝し、代表に選ばれる。しかし、競技の6週間前に盲腸の手術を受け、ニスカネンの立てた練習スケジュールは大きく狂った。このため、日本の代表選手のコーチたちも「アベベはマークの対象にしていなかった」とのちに語っている[12]。アベベはエチオピア選手団の一員として9月29日に来日し、選手村や隣接した織田フィールドで毎日走った。10月10日の開会式ではエチオピア選手団の旗手を務めている[13]。
10月21日の東京オリンピックマラソン本番では、20km地点辺りから独走態勢に入り、全く危なげのないレース運びで[14]、ヒートリーの記録を1分44秒縮める2時間12分11秒2の世界最高記録で再び金メダルを獲得した。近代オリンピック史上、マラソンの種目で二連覇はアベベが初めての快挙であった。それ以後、オリンピックのマラソン競技で世界(最高)記録を樹立したランナーは出現していない。
アベベはゴールした後に疲れた様子も見せずに整理体操を始め、7万人の観衆を驚かせた。後にアベベは「まだあと10キロは走れた」と語ってい
る。
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