知れば 知るほど 面白い!
第1部 浦先生: わかり安く ドンドン 引き込まれました(東京と大阪の比較・・なぜ 笑いが)
第2部 後藤先生 :秋田 實 没後40年」 念密なお話ありがとうございました。
第2部 藤田 先生 「秋田 實 笑いの変遷」 本を買って その実像に浸りたい
平成30年2月20日(火) 関西大学 千里山キャンパス なにわ大阪研究センターセミナー室 13:00~16:30
特別研究「なにわ大阪の『笑い』に関する調査と研究」が、まもなく2 年間の研究期間を終
えます。今回の研究会は2 部構成で開催します。
第1 部は、特別研究の成果報告会です。第2 部は「秋田 實没後40 年」と題して、秋田 實氏
に関する研究発表と講演を行います。秋田 實 氏は1905(明治38)年生まれ、1977(昭和52)
年に逝去されました。2017 年は没後40 年に当たります。
秋田氏の2 日前には稲垣 足穂(作家)が、同年には、田中 絹代(女優)、延原 謙(シャーロッ
ク・ホームズの翻訳家)、海音寺 潮五郎(作家)、内藤 濯(「星の王子さま」の訳者)、そして
チャップリンがともに他界しています。なにわ大阪の現代の「笑い」を考える上で、秋田 實氏
は重要な人物ですが、まだまだ謎に包まれた部分が多数あります。研究発表と講演を通して、
秋田實氏の姿に迫ります。
秋田實笑いの変遷 藤田富美恵著 「父」とたどる上方漫才の歩み
- 2017/12/2付
- 情報元
- 日本経済新聞 朝刊
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東京帝大を中退後、出身地の大阪に戻って漫才の台本づくりを始めたのが1930年代。学生時代に関わった左翼運動の資金を得るために、当時は同一雑誌に複数の名義で寄稿していたこともあったという。
上方漫才の父、娘が追う
ミヤコ蝶々・南都雄二や夢路いとし・喜味こいしら、多くの漫才師を育て、「上方漫才の父」と呼ばれた大阪の漫才作家、秋田實(1905~77年)。その長女に生まれた。
「ジョークも言わない、真面目な父親でね」。没後40年を前に、実家に眠る遺稿や遺品を、1年半前からひもとき始めた。様々なタイプの笑話を研究したとおぼしき、戦前の洋書。アイデアや要点などを記したメモ類。終戦直後に自ら刊行した拳闘雑誌。丁寧な字で埋められた原稿用紙は、積み上げると20センチ以上になった。ほこりを払い、1枚1枚めくっていると、「若い頃の様子、知らなかった一面に出会えて楽しかった」。
秋田については漫才の名作選集が編まれ、優れた評伝もある。ただ、謎は多い。東京大学で左翼活動にかかわった青年が、なぜショービジネスの世界に身を転じたのか、等々。家族として、「きっちり答えを出さな」と意気込んだ。
地道な作業を通じて見えてきたのは、「好奇心が強く、興味のあることに次から次へのめり込んでいく姿。自然体でいただけだったと思います」。父が逝った年齢を超え、「遠慮して書けないこともない。偉そうに、これが父だよって言える」と笑う。
締め切りに追われる父の背中を見て、「物書きになろうとは思わなかった」が、自身も50歳を前に童話作家としてデビューした。最初は賞金にひかれ書き始めたが、「(自作が)活字になるのはええもんやで」と語った父の言葉の重みを実感するように。
「今回で終いにしようと思ったけど、これはどうしても伝えたい、書かなきゃあかんなって思うんです」。父をはじめ戦時下の漫才作者たちは、どんな思いで庶民の生活に笑いを届けたのか。資料を通じての“父との対話”は、まだまだ続く。(中央公論新社、1850円)
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