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千里南地区センタービル+千里市民センタービル 写真一覧/村野藤吾
千里南地区センタービル+千里市民センタービル
行政施設や銀行、図書館、プラネタリウムなどが入居する千里ニュータウン南地区の中心的施設として使用されているが、再開発計画により平成24年度より順次解体される見通し。
西側の千里南地区センタービルは地上4階、後に増築された東側の千里市民センタービルは地上2階建て(南側地上レベルは地下1階)となっているが、敷地の高低や天井高の調整により建物の高さをあわせ、交互に配された形状の異なる窓が連続した外観のデザインも統一されている。
建物に一歩足を踏み入れたときに感じる印象は外観と同じくらい重要なもので、建物の顔になる部分だと思うが、その顔に変更を加えたことで今でも造形豊かなこの建築が一般的に価値が見出されない一因となってしまっているように感じた。
村野藤吾の「幻の工場」、八幡製鉄所で発見 今も稼働中:朝日新聞デジタル
村野藤吾の「幻の工場」、八幡製鉄所で発見 今も稼働中
奥村智司
2017年1月9日07時30分
日本を代表する建築家の一人、村野藤吾(1891~1984)が戦時中に設計した日本製鉄(現・新日鉄住金)八幡製鉄所の工場が、北九州市戸畑区に現存し、稼働していることが分かった。刊行されている村野の年譜には同製鉄所の複数の工場を設計したとの記録があるが、実際に建てられたのかはこれまで不明で、「幻の工場」だった。
村野が設計したのは、八幡製鉄所の戸畑地区にあるロール加工工場。幅60メートル、奥行き150メートルの鉄骨造で、新日鉄住金の子会社の日鉄住金ロールズが所有している。1941年に建てられ、当時も今も、鉄板を延ばす円柱のロールを製造している。
京都工芸繊維大の笠原一人・助教(近代建築史)がこのほど、同大の美術工芸資料館が所蔵する5万点を超える村野の図面の中から八幡製鉄所の三つの工場の設計図を確認した。
設計図の表題はいずれも八幡製鉄所が所有する建物の記録と一致。その一つが「戸畑ロール旋削工場」(現在のロール加工工場)で、現存していた。その後、日鉄住金ロールズでも「村野建築事務所」と記された同工場の図面が見つかった。
村野が設計を手がけた工場の数は限られるうえ、戦災などで多くが失われたらしい。八幡製鉄所の3工場のうち「第二製鋼工場混銑炉」「第一厚板工場材料手入場(ていれば)」は、すでに撤去されたとみられる。
八幡製鉄所では、八幡地区にある旧本事務所などが「明治日本の産業革命遺産」の一部として世界文化遺産に登録されている。(奥村智司)
◇
〈村野藤吾〉 佐賀県唐津市生まれ。現在の北九州市で育ち、小倉工業学校を卒業後に一時、八幡製鉄所に勤めた。広島市の世界平和記念聖堂(1954年)は戦後建築として初めて国重要文化財に指定された。他に伊勢志摩サミットの主会場となった志摩観光ホテル(51年)や新高輪プリンスホテル(82年)、旧そごう大阪店(35年)、日生劇場(63年)など幅広い建築の設計を手がけた。文化勲章受章。村野藤吾賞は建築界の権威ある賞の一つ。
http://www.kansai-u.ac.jp/Museum/sys_img/news_174.pdf
村野藤吾建築をめぐるトークと見学会(報告)(更新2016.5.23)
村野藤吾建築をめぐるトークと見学会には、たくさんのかたにご参加いただきました。皆様に篤くお礼申し上げます。
村野藤吾(1899-1984)は、1949年から1980年までの32年間に、関西大学千里山キャンパスにある約40棟の学舎を建設しました。まさに村野にとってのライフワークといえるもので、様々な用途をもつ建物が自然発生的に配置され、豊かな緑とともに特徴ある教育環境を創り出しました。老朽化により約半数が建て替えられましたが、様々な表情を持つタイルや壁面、階段、アプローチなど、残っている建物のあちこちに村野の好みを見ることができます。
下記のとおり、関西大学の村野建築を紹介するトーク会と見学会を開催いたします。奮ってご参加ください。(終了しました)
日時:5月21日(土)
場所:関西大学第1学舎B102教室(1967年村野藤吾建築)※変更になりました。
参加費:無料
〔トーク〕13時~14時
「村野藤吾作品としての関西大学千里山キャンパス」
講師:橋寺知子氏(関西大学准教授)
〔建築見学会〕14時
博物館のある簡文館は内部見学していただけます。
その他、キャンパスマップをもとに、村野の建築を堪能ください。
申し込み方法
①氏名(ふりがな) ②人数 ③電話番号 ④住所を記入の上、FAXまたはE-mailで関西大学博物館にお申し込みください。
※申し込みの件名に「村野トークと見学会」と書いてお送りください。
<申し込み先>
関西大学博物館
FAX:06-6388-9928
E-mail:[email protected]
最新のAdobe Readerは http://www.adobe.co.jp からダウンロードしてください
http://osaka-kawakaze.blogspot.jp/2014/10/blog-post.html
日本基督教団南大阪教会/村野藤吾
明治24年(1891)、佐賀県唐津市に生まれた村野藤吾は、大正7年(1918)に早稲田大学建築学科を卒業後、大阪の渡辺節建築事務所に入所し、活動の拠点を大阪に置いた。 旧礼拝堂(会堂)と塔屋(教会塔)は無事に戦火をくぐり抜けたが、時間の経過とともに傷みが激しくなり、旧礼拝堂(会堂)を取り壊すことになった。その際、村野は「私の長男」と呼んで強い愛着を示したというエピソードが残っている。 そして昭和56年(1981)に新礼拝堂(会堂)が建築されたが、こちらも当時90歳の村野の手によるもので、彼の宗教建築最後の作品となった。つまり南大阪教会は、村野藤吾の処女作である塔屋(教会塔)と最晩年の作品である新礼拝堂(改修)とが一望できる貴重な建築物であるということができるのだ。
大阪市阿倍野区阪南町1-30-5
竣工:昭和56年(1981)-改築
設計:村野藤吾
施工:奥村組 構造:RC造1階(一部鉄骨造)
コメント
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