昭和91年 大正105年 明治149年
阪神・淡路大震災
7865日目 阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)とは、1995年(平成7年)1月17日に発生した兵庫県南部地震による大規模地震災害である。
東日本大震災
1948日目 東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい、ひがしにっぽんだいしんさい)は、2011年 (平成23年)3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発した日付から3.11(さんてんいちいち、さんいちいち)と称することもある。危機管理等を目的として関東大震災と比較される。
朝日新聞 朝刊 7/29 金 曜日 総合5 14版 ◆ 廃炉 ◆核燃料大部分 圧力容器内
熊本震災
107日目 熊本地震(くまもとじしん)は、2016年(平成28年)4月14日21時26分以降に熊本県と 大分県で相次いで発生している地震である。
7 /28 木 曜日 夕刊 関西発
玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)は、大阪市中央区にある神社である。旧社格は府社。
宇迦之御魂大神(稲荷神)を主祭神とし、下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命を配祀する。社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は比売社と称していた。蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承がある。
豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。戦国時代の戦火で荒廃し、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により社殿が再建された。元和元年の大坂夏の陣で社殿は再び焼失し、元和5年に徳川幕府の大坂城代や氏子らの寄進によって再建された。社地は元々は急崖に面していたため、少しでも平坦化するために、寛政元年(1789年)、東横堀川の浚渫で出た土砂を町人らが運び込む「砂持」が行われた。豊臣・徳川時代を通して大坂城の鎮守とされ、豊津稲荷社と称した。江戸時代には伊勢参りの出発点とされた。
現在の「玉造」の社名は鎮座地の地名によるもので、一帯は古代、勾玉などを作っていた玉作部の居住地であったという伝承がある。昭和61年(1986年)、創祀二千年を記念して境内に難波・玉造資料館が開館した。
現在の社殿は昭和29年(1954年)に再建されたものである。
境内
- 厳嶋神社(市杵嶋姫神) -- 現在地の池(白龍池)に白龍観音が出現したことにより弁才天を祀ったもので、神仏分離により祭神を市杵嶋姫神とした。雨乞いの神として信仰される。
- 万慶稲荷神社(宇迦之御魂大神) -- 大坂城内の各地に祀られていた稲荷社を、享保年間に一社に合祀し当社境内に祀ったものである。
- 新山稲荷神社(宇迦之御魂大神) -- 寛政11年(1799年)、当時の大坂城代・松平輝和が城代屋敷内に当社の分霊を祀ったものである。明治40年(1907年)、当社境内に遷座された。新山稲荷は現在の大阪府立清水谷高等学校敷地内に在った。
- 胞衣塚大明神 -- 豊臣秀頼の胞衣を 祀る。当初は大坂城三の丸に当たる現在地に胞衣が埋められ、その後は豊臣家を慕う当地の人々により密かに祀られていた。昭和20年、戦災により焼失し、寺 山町(現 上町一丁目)、東阪町(現 玉造一丁目)に遷座していた。昭和58年(1983年)、大坂築城400年を記念して元の鎮座地に遷座された。子供の夜泣きに霊験ありとされる。
- 豊臣家奉納鳥居 -- 慶長8年、豊臣秀頼により社殿再建時に奉納された石鳥居。阪神・淡路大震災により基礎に損傷を受け、現在は上部・脚部に分け、境内に置かれている。
- 豊臣秀頼公銅像 -- 平成23年(2011)10月13日に建立・除幕式。
大峯伸之のまちダネ 29体 一度は数えて見たかった ありがとう
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