NHK Eテレ 特集 21時 見ました なかなか 床につくことができませんでした。
NHKドキュメンタリー - ETV特集「曜変~陶工・魔性の輝きに挑む~」
- 800年前 中国で作られた曜変天目茶碗 その製法は失われた
- 美しい輝きをどう生み出すのか?初めて曜変の科学分析が許された
- 親子二代で茶碗の完全再現に挑んできた陶工の夢はかなうのか
NHKドキュメンタリー - ETV特集「曜変~陶工・魔性の輝きに挑む~」
七色に輝き変化する神秘の茶碗(わん)、国宝・曜変天目。陶芸史上、最高傑作のひとつとされる。しかし、その製法は歴史の中で失われ、再現不可能と言われてきた。幾多の陶工たちが同じものを焼こうと挑んできたが、製法を解明した人はいない。そんな中、千載一遇のチャンスが巡ってきた。なんと中国で曜変が新たに発見されたのだ。新しい曜変を科学分析すれば、製法が分かるかもしれない。曜変の再現に挑む人たちを記録した。
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曜変天目茶碗 - Wikipedia
漆黒の器で内側には星の様にもみえる大小の斑文が散らばり、斑文の周囲は藍や青で、角度によって虹色に光彩が輝き、「器の中に宇宙が見える」とも評される。曜変天目茶碗は、現在の中国福建省建陽市にあった建窯[1]で作られたとされる。現存するものは世界でわずか4点(または3点、後述)しかなく、そのすべてが日本にあり、3点が国宝、1点が重要文化財に指定されている。いずれも南宋時代の作とされるが、作者は不詳である。形状、大きさがいずれも酷似していることから、同一人物の作ではないかとも言われる。日本では室町時代から唐物の天目茶碗の最高峰として位置付けられている[2]。
南宋のある時期、建窯で数えるほどわずかな曜変天目茶碗が焼かれ、それから二度と焼かれることは無く、なぜ日本にだけ現存し、焼かれた中国には残っていないのか(器が割れ欠けている完全でない状態のものは発見されている)、大きな謎として残っている。
中国では曜変天目は不吉の前兆として忌み嫌われ、すぐに破棄されたために中国に現存せず、わずかに破壊の手を逃れたものが密かに日本に伝来した、とする説も唱えられたが、後述の中国での陶片の出土状況から南宋時代の最上層の人々に曜変天目が使われていたことが示唆されている[3]。
日本に3腕 中国 杭州 4ケ目破片で
曜変天目茶碗 - Wikipedia
曜変天目茶碗
曜変天目茶碗(ようへんてんもくちゃわん)は、天目茶碗のうち、最上級とされるもの。略して曜変天目と呼ばれることもある。なお、「曜変」は「耀変」と書かれることもある。
目次
[非表示]概要[編集]
漆黒の器で内側には星の様にもみえる大小の斑文が散らばり、斑文の周囲は藍や青で、角度によって虹色に光彩が輝き、「器の中に宇宙が見える」とも評される。曜変天目茶碗は、現在の中国福建省建陽市にあった建窯[1]で作られたとされる。現存するものは世界でわずか4点(または3点、後述)しかなく、そのすべてが日本にあり、3点が国宝、1点が重要文化財に指定されている。いずれも南宋時代の作とされるが、作者は不詳である。形状、大きさがいずれも酷似していることから、同一人物の作ではないかとも言われる。日本では室町時代から唐物の天目茶碗の最高峰として位置付けられている[2]。
南宋のある時期、建窯で数えるほどわずかな曜変天目茶碗が焼かれ、それから二度と焼かれることは無く、なぜ日本にだけ現存し、焼かれた中国には残っていないのか(器が割れ欠けている完全でない状態のものは発見されている)、大きな謎として残っている。
中国では曜変天目は不吉の前兆として忌み嫌われ、すぐに破棄されたために中国に現存せず、わずかに破壊の手を逃れたものが密かに日本に伝来した、とする説も唱えられたが、後述の中国での陶片の出土状況から南宋時代の最上層の人々に曜変天目が使われていたことが示唆されている[3]。
曜変と呼ばれる条件[編集]
「曜変」とは「天目」という言葉と同じく日本で作られた言葉で、中国の文献には出てこない。日本で曜変という言葉が使われた最も古い文献は室町時代の「能阿相伝集」である[4]。
曜変とは、建盞の見込み、すなわち内側の黒い釉薬の上に大小の星と呼ばれる斑点(結晶体)が群れをなして浮かび、その周囲に暈天のように、瑠璃色あるいは虹色の光彩が取り巻いているものを言う。この茶碗の内側に光を当てるとその角度によって変化自在、七色の虹の輝きとなって跳ね返ってくる。これが曜変天目茶碗にそなわっていなければならない不可欠の条件である。
本来、「曜変」は「窯変(容変)」と表記され、陶磁器を焼く際の予期しない色の変化を指すが、その星のような紋様・美しさから、「星の瞬き」「輝き」を意味する「曜(耀)」の字が当てられるようになった。この様な紋様が現れる理由は、未だに完全には解明されていない。また、この紋様が意図的に作り出されたものか、偶然によるものかは議論がわかれている。
茶人の高橋箒庵は茶道具の名品集「大正名器鑑」を編修して、その中に6点の曜変天目茶碗をあげているが、本来油滴に分類されるべきものも含まれており、前記の条件に厳格に当てはまるのは後述する国宝に指定されている3点のみである。
現存する曜変天目茶碗[編集]
静嘉堂文庫蔵[編集]
稲葉天目の通称で知られ、曜変天目茶碗の中でも最高の物とされる。元は徳川将軍家の所蔵で、徳川家光が病に伏せる春日局に下賜した[1]ことから、その子孫である淀藩主稲葉家に伝わった。そのため、「稲葉天目」と呼ばれるようになった。その後、1934年に三菱財閥総帥の岩崎小弥太が購入し入手したが、岩崎は「天下の名器を私如きが使うべきでない」として[1]、生涯使うことはなかったという。現在は静嘉堂文庫所蔵[5]。国宝。なお、近年オープンした東京丸の内の三菱一号館内「三菱センター デジタルギャラリー」ではデジタルコンテンツとして常時閲覧することができる。
- 大きさ
- 高さ:6.8cm
- 口径:12.0cm
- 高台径:3.8cm
藤田美術館蔵[編集]
水戸徳川家に伝えられたもので、曜変の斑紋が外側にも現れている。1918年に藤田財閥の藤田平太郎が入手し、現在は藤田美術館所蔵[1]。国宝。
- 大きさ
- 高さ:6.8cm
- 口径:12.3cm
- 高台径:3.8cm
大徳寺龍光院蔵[編集]
大徳寺塔頭の龍光院に伝わったもの。国宝。堺の豪商津田宗及が当初は所持していた。国宝とされる三椀の曜変天目茶碗のうち、最も地味なものであるが、幽玄な美しさを持つとされて評価が高い。通常非公開であり、鑑賞できる機会は稀である[6]。
- 大きさ
- 高さ:6.6cm
- 口径:12.1cm
- 高台径:3.8cm
MIHO MUSEUM蔵[編集]
加賀藩主前田家に伝えられたもの。重要文化財。大佛次郎が所蔵していたもので、現在はMIHO MUSEUM所蔵。なお、この天目茶碗を「曜変」と呼ぶかどうかは議論があり、「油滴天目ではないか」とする意見もある。
- 大きさ
- 高さ:6.6cm
- 口径:12.1cm
- 高台径:3.9cm
失われた曜変天目茶碗[編集]
現在、世界で4点(または3点)しか現存しない曜変天目茶碗だが、記録によればもう1碗あったと考えられる[7]。足利義政から織田信長へと、時の最高権力者に所有された天下第一の名椀であったが、信長がこれを愛用し、持ち歩いたため本能寺の変で他の多くの名物と共に焼失してしまった[1][8]。
陶片の発見[編集]
曜変天目は生産地の中国においては文献上の記述もなく、現物はおろか、陶片ですら見つかっていない状態であったが、2012年5月に中国浙江省杭州市の杭州南宋官窯博物館館長、鄧禾頴が発表した論文において、2009年末に杭州市内の工事現場から曜変天目の陶片が発見されていたことが正式に報告された。出土した陶片は全体の3分の2ほどが残っていたという[3]。現在は古越会館所蔵[9]。杭州市は南宋の都が置かれ、出土場所はかつての宮廷の迎賓館のような所で、宮廷用に献上されたことをうかがわせる言葉が刻まれた陶磁器も一緒に発見された[2][1]。
- 大きさ[9]
- 高さ:6.8cm
- 口径:12.5cm
- 底径:4.2cm
復元の試み[編集]
1953年に発表された小山富士夫と山崎一雄による論文「曜目の研究」において科学的に曜変天目の分析がなされて以降、多くの陶芸家がその復元を試みてきたが、焼成のメカニズムの完全な解明や、実物と同様の光彩や斑紋を持つ茶碗の再現は実現していない。
- 2002年、岐阜県土岐市の陶芸家、林恭助が、一度黒い茶碗を焼いた上で二度焼きをするという手法を用いて曜変天目に近づいた作品を発表した[10]。
- 2012年10月、愛知県瀬戸市の陶芸家、九代目長江惣吉が、中国江西省景徳鎮市で開かれた国際シンポジウムにおいて曜変天目の焼成方法に関する発表を行った。建窯の周辺で産出される蛍石を窯に投入する方法で、蛍石の化学変化により発生するフッ素ガスによる釉面の腐食により光彩が現れるというもの[3]。
脚注[編集]
- ^ a b c d e “「曜変天目」器に宇宙を見る”. NHKニュース (日本放送協会). (2013年2月7日). オリジナルの2013年2月7日時点によるアーカイブ。. http://megalodon.jp/2013-0207-1610-13/www3.nhk.or.jp/news/html/20130207/t10015354641000.html 2013年2月7日閲覧。
- ^ a b “数奇な伝来、存在自体が謎…国宝の名茶器「曜変天目」”. 産経新聞 (2013年1月30日). 2013年7月23日閲覧。
- ^ a b c 2012年11月30日、中日新聞夕刊「謎解けるか曜変天目 中国で初出土 焼成法にも光」
- ^ 「能阿相伝集」に「曜変、天下に稀なる物也。薬の色如豹皮建盞の内の上々也」とあり、次いで「君台観左右帳記」の記録で「曜変、建盞の内の無上也、世上になき物也」とある。
- ^ 静嘉堂文庫美術館
- ^ 1990年、東京国立博物館で開催された「日本国宝展」、2000年に同館で開催された「日本国宝展」には龍光院の曜変天目が出品された。
- ^ 義政の宝物台帳と言われる「君台観左右帳記」によれば、「地は大変黒く、濃い瑠璃色や淡い瑠璃色の星型の斑点が一面にあって、黄色や白、ごく淡い瑠璃色などが種々混じって、絹のように華やかな釉もある」と記されている。
- ^ 「名物目利聞書」に「曜変、稲葉丹州公にあり、東山殿御物は信長公へ伝へ、焼亡せしより、比類品世に屈指数無之なり」とある。
- ^ a b 陶説 716号「曜変天目茶碗片 杭州出土」(2012年11月、日本陶磁協会)
- ^ ハイビジョンスペシャル 「幻の名碗 曜変天目に挑む」(NHK-BS、2003年)
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