大阪市中央公会堂 中集会室(3階)
13:00~
小雨を尻目に JR吹田から大阪駅→地下鉄御堂筋線→淀屋橋駅下車→大阪市役所の南→中島公会堂・・
第1部 半能「高砂」 たかざや。このうらぶねに-ほをあげ-て- 参加者全員で/観世流能楽師 山本 章弘 指揮 ふえ こずつみ おおづつみ 太鼓 ハー イャ-
雅な舞いにうっとり 良かったです!!
第2部 講演1 「豊臣期大坂図屏風」と竹生島宝厳寺(30分)/2回目でした。
高橋 隆博 関西大学名誉教授
講演2 新発見「浪速名所図屏風」
F,エームケ(ケルン大学名誉教授 /日本語で
講演3 谷 直樹 大阪くらしの今昔館館長
◆パネル・ディスカッション
高橋 隆博/F.エ-ムケ/谷 直樹
進行:長谷 洋一(関大文学部教授)
>>>>>歩いて 御堂筋 北に JR大阪駅 →吹田駅
時には 歩く 歩く
◆中の島の朝日放送・新聞系ゅ朝日ビルディング)の「フエスティバルホール」の「緞帳 (どんちょう)」は
{豊臣 期大坂図屏風}がデザインされて いるということを知りました。
・もう一種類は 「柳橋川車」 アサヒビール
朝日新聞デジタル:緞帳、対極の美 図柄の魅力は 新 ...
緞帳、対極の美 図柄の魅力は 新フェスティバルホール
豊麗にして荘重。ふんだんに使った金糸がまばゆく輝く。10日開業の新たなフェスティバルホール(大阪・中之島)に二つの緞帳(どんちょう)がお目見えした。幅30メートル、高さ13メートル、重さ1・8トンで、国内の音楽ホールでは群を抜く大きさ。4日には、専門家2人の講演会があり、図柄の魅力が明かされた。(谷辺晃子、編集委員・今井邦彦)
■狩野博幸・同志社大文化情報学部教授
それにしても、今回緞帳になった2枚の絵はまったく趣が違う。「豊臣期大坂図屏風」は庶民や侍の行き交う大坂の町が生き生きと描かれた風俗画。外国に保存されていたものが選ばれたことに感服している。
もう一つ、長谷川等伯(1539~1610)の「柳橋(りゅうきょう)水車図屏風」は日本の美、日本人の美意識を示した作品といえる。ちょうど今年、作家の安部龍太郎さんが「等伯」で直木賞を受賞した。機会とはこうして重なるものですね。
等伯といえば日本の水墨画の最高作品とされる国宝「松林図屏風」が有名だ。彼の活躍した桃山時代は画壇に2人の巨人が現れ、戦い続けた。2人とはもちろん等伯と狩野永徳(1543~1590)だ。
等伯は幼いころを信春といい、能登の七尾で生まれ育つ。絵で名をあげようと、妻子を連れて京を目指したのは33、34歳のころだった。
一方の永徳は当時30歳。京の画壇を席巻する狩野家の御曹司であり、日本の風俗画の最高峰とされる国宝「洛中洛外図屏風」を23歳で描いている。2人はライバル同士といいながら、ミケランジェロとラファエロとはわけが違った。
おそらく等伯は狩野家に入門したが、当然離れてゆく。その後は堺の豪商たちと結びつき、千利休とも交流する。そして相当苦労しながら画壇に上り詰めるわけだが、「本朝画史」には当時の2人の確執がはっきりと記されている。
永徳の死後、等伯の隆盛は大変なものがあった。「柳橋水車図屏風」はまさにそのころの作品。月の浮かぶ夜の景で、金色の橋の向こうには平等院鳳凰堂がある。つまり極楽浄土への希求が表現された意匠だ。装飾豊かな原画の世界が緞帳に見事に表現されたことは、大変ありがたい。
◇
1947年、福岡県生まれ。九州大博士課程中退。京都国立博物館時代はスター・ウォーズ展なども手がけた。専門は桃山絵画、江戸絵画。
■高橋隆博・関西大文学部教授
豊臣期の大川や船場、住吉など大坂の町を生き生きと描いた絵が、こうした文化の殿堂に緞帳として残される。豊臣秀吉も涙を流して喜んでいるだろう。
この屏風(びょうぶ)絵は、オーストリア・グラーツの、現在は博物館となっているエッゲンベルク城の壁に、「インド風」の絵として飾られていた。現在は館長になった学芸員のバーバラ・カイザー博士が、2000年からの修理を機に由来の調査を開始。彼女から相談を受けたドイツ・ケルン大のフランチィスカ・エームケ教授が06年に関西大に来た際、私は写真を見せられて驚いた。間違いなく豊臣期の大坂城の姿だったからだ。
17世紀半ばの屏風絵が、なぜオーストリアへ渡ったのか。1641年に幕府が鎖国政策を強化し、屏風の海外持ち出しも禁止されたが、それからもオランダ東インド会社を通じて流出は続いた。18世紀のエッゲンベルク候の財産目録には「インド風の屏風」の記録がある。多くの美術品を収集した3代目当主の注文を受け、オランダ東インド会社が買い付けたのだろう。
この絵図では、本丸から北に架かる「極楽橋」が注目される。イエズス会宣教師が1596年に本国への報告で、屋根や望楼(ぼうろう)を備え、黄金に飾ら れた立派な橋だと記しているが、まさにそのままの姿だ。橋は秀吉の死後の1600年、彼をまつった京都の豊国(とよくに)神社に門として移築され、さらに 2年後、豊臣秀頼が琵琶湖の竹生(ちくぶ)島に寄進したという記録がある。今も島の宝厳寺(ほうげんじ)に残る唐破風(からはふ)の門は、豊臣期大坂城の唯一残った建物の可能性がある。
宝厳寺の門の欄間(らんま)に彫られた鳥は、中国で天子の乗り物を象徴する「鸞(らん)」だろう。秀吉は後水尾(ごみずのお)天皇の大坂城への行幸(ぎょうこう)に備え、京都からの街道側に立派な極楽橋を架けたのではないか。
◇
1945年、山形県生まれ。関西大修士課程修了。同大学博物館長、なにわ大阪文化遺産学研究センター長などを歴任。専門は東洋漆芸史。
■すべて手作業、1年2カ月
二つの緞帳は、今年創業170周年を迎えた「川島織物セルコン」の京都市左京区にある工場で織り上げられた。全工程は1年2カ月。全て職人たちの手作業だ。
5層の天守閣の大坂城に光り輝く極楽橋、大川を行き交う船――。パナソニック寄贈で「豊臣期大坂図屏風」を元にした緞帳には、502人の細やかな所作や着物などが描かれ、豊臣時代の庶民の活気があふれ出てくるようだ。
製作が始まる直前の2011年9月、図案と下絵を担当した同社美術工芸製造グループの堀田美幸さん(50)は、原図が残るオーストリアのエッゲンベルク 城を訪れた。糸で織ったサンプルなどを持ち込み、色調を確かめるためだった。こだわり抜き、最終的に約600色を使った。
男女で眉の太さをわずかに変えたり小紋柄を出したりするなど、細やかな配慮も忘れなかった。「根気のいる作業だったが、これほど思い出深い仕事はなかった。豊臣期の大坂のにぎわいを感じてもらえるのでは」と話す。
アサヒビール寄贈で長谷川等伯の「柳橋水車図屏風」を元にした緞帳は、対極をゆく幽玄な風致が特徴だ。「豊臣期……」が「動」ならば、こちらは「静」。柳の葉の向こうに透けて見える黄金の橋から、川の流れまでが繊細に表現されている。
同社は、2日開場の東京・銀座の新たな歌舞伎座にも、三つの緞帳を納めた。「達成感、誇らしさ、そして何よりほっとした気持ちでいっぱい」と堀田さん。
奇跡的に海外で見つかった「豊臣期大坂図屏風」と、等伯の傑作である「柳橋水車図屏風」。どちらを使うかは、公演主催者が決めるという。
・出来た直前に玄関までには-赤い絨毯の巾ひろい階段/何段と質問した事があります-。
・建て替え前・・昭和38年2月1日の夜には、いきました。 その夜は 鼻血出ました。
◎〇先輩お元気ですか フェスと聞くたび どどっと わき出る青春の血
フェスティバルホール
フェスティバルホール Festival Hall | |
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情報 | |
完成 | 2012年 |
開館 | 2012年12月20日 |
収容人員 | 3,000人 |
客席数 | 2,700席 |
設備 | オーケストラピット、スライディングステージ、ピアノ等 |
用途 | 主としてコンサート(多目的) |
運営 | 朝日ビルディング |
所在地 | 〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島2丁目3番18号 |
位置 | 北緯34度41分36.8秒 東経135度29分47.9秒 / 北緯34.693556度 東経135.496639度 / 34.693556; 135.496639座標: 北緯34度41分36.8秒 東経135度29分47.9秒 / 北緯34.693556度 東経135.496639度 / 34.693556; 135.496639 |
アクセス | 地下鉄四つ橋線肥後橋駅4番出口直結 京阪中之島線渡辺橋駅12番出口直結 地下鉄御堂筋線・京阪本線淀屋橋駅より徒歩約5分 JR東西線北新地駅より徒歩約8分 JR大阪駅より徒歩約11分 ※ 何れも2012年4月現在[1] |
公式サイト | festivalhall.jp |
フェスティバルホール(Festival Hall)は、大阪府大阪市北区中之島に所在する文化施設《多目的ホール》。中之島フェスティバルホールとも呼ばれている。朝日ビルディングが運営している。
目次
[非表示]概要[編集]
高度経済成長に差し掛かったばかりの昭和30年代初期の日本に於いて、しかし芸術性の高い演奏会を開催するにふさわしいコンサートホールの類は未だ存在しなかった。
そのような状況の中、エディンバラやザルツブルクといった名だたる音楽祭に匹敵する国際的な音楽祭を開催出来るホールを大阪の地に、ということで昭和33年(1958年)4月3日に新朝日ビルディング内にオープンしたのが当ホールである[2]《竣工も1958年[3];ちなみに同じ年には東京タワーも竣工しており、3年後の1961年には東京文化会館も竣工そして開館している》。
土佐堀川に面する南側壁面には「牧神、音楽を楽しむの図」と題された信楽焼の大レリーフが施され、中に入ってみれば豪華なシャンデリアを備えるロビー、そして間口30.7m・奥行22.5mの大舞台と2,700席の客席を擁する当ホールは、当時世界有数と謳われるほどであった[4]。
また木質系の材料で張り巡らされたホール筐体内部は音響特性に優れ、開館以来「残響の長さだけでなく音がまろやかに豊かに響く」とか「天井から音が降り注ぐ」等と称えられるほどだった。そしてこのことが、クラシック音楽はもとより、ロックなどのポピュラー音楽、ジャズ、能・狂言などの純邦楽など、あらゆるジャンルのアーティスト達から愛される存在へと成長するファクターとなった[4][5]。
しかし老朽化のため、開館50周年を迎えた2008年いっぱいで建て替えのため一旦閉館。この時点で来場者数は4千万人に届くところまで来ていた。
そしてその一旦閉館から4年余り経った2012年12月、超高層ビルとして生まれ変わった「中之島フェスティバルタワー」の中で2代目当ホールは開館した。
旧ホール(初代;1958年~2008年末)[編集]
特性と実績[編集]
□二つの屏風が語る大阪
~「豊臣期大坂図屏風」と「浪速名所図屏風」~□■
関西大学なにわ大阪研究センターでは、芸術文化魅力育成プロジェクト実行委員会の主催で、二つの屏風が語る大阪~「豊臣期大坂図屏風」と「浪速名所図屏風」~を以下のとおり開催します。
参加費は無料ですが、事前申し込みが必要です。多数の参加をお待ちしています。
【日 時】
11月9日(月) 13:00~16:00
【会 場】
大阪市中央公会堂 中集会室3階
(大阪市北区中之島1-1-27)
【内 容】
半能「高砂」の上演、講演、パネルディスカッション、
会場にて屏風のレプリカを展示
【参加費】
無料(要申込)
【定 員】
400人
【申込および問い合わせ先】
関西大学 なにわ大阪研究センター TEL. 06-6368-1329
◇「講座申込みページ」からお申し込みください。
https://jmrs.kyomu.kansai-u.ac.jp/wsin/!SIPLS0110?KHN_KEY=20150902095159001
◇往復はがき・FAXでも受付いたします。
送付先: 関西大学なにわ大阪研究センター設置準備室
〒564-8680 吹田市山手町3-3-35 簡文館増築棟
FAX. 06-6368-0092
詳細は以下のURLをご覧ください。
http://www.kansai-u.ac.jp/naniwa-osaka
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