朝日新聞 から 京は西 ○○寺 ○○松も見に行かなくては
五葉松で樹齢600年以上、全長37m、国の天然記念物に指定されています。
主幹が地を這うように伸びる巨大な松は、臥龍の遊ぶ様に見えることから、安政4年(1857)、花山前右大臣家厚公により〝遊龍〟と命名されました。善峯寺で特に有名なこの松は“日本一の松”と人口に膾炙されています。平成6年に松くい虫の被害により、全長50mほどの松が15m余り切断され、現在は全長37mとなっています。標石は明治26年、鳥尾中将の書です
なるほど なあ 言っても返答なし Tvに夢中 アッハハ!!
だからこそ、「乗ってみせるわ 玉(たま)の輿(こし)」。そう願う女性は多い。
薫風さわやかな5月の昼下がり。京都・西陣の今宮神社には、若い女性の姿が目についた。お目当ては「玉の輿お守」。うそのような本当のお守りを求め、いま全国から女性たちがやってくる。何しろここは、別名「玉の輿神社」なのだから。
いわれはこの方、桂昌院(けいしょういん)にある。徳川幕府3代将軍家光の側室にして、5代将軍綱吉の実母。大奥に影響力を持ち、従一位という女性の最高位にまで上り詰めた人だ。
もとは西陣の八百屋の娘、お玉さん。その成功ぶりから、いわゆる“玉の輿に乗る”という言葉の語源になったという説もあるくらい。ちなみに家光の乳母春日局(かすがのつぼね)は従二位だから、出世具合は半端じゃない。
今からさかのぼること約300年。信心深い桂昌院は、いくさや飢饉(ききん)で荒れ果てていた今宮神社に社領百石を寄進して再建した。いわば中興の祖だ。
その桂昌院が再び表舞台に登場することになったのは十数年前。平安時代から続く「今宮祭」に活気が薄れ、地元に危機感が広がっていた。そこに飛び出した「玉の輿みこし」のアイデアに、神社も動いた。女子大生たちが担ぎ手になり、ほかのみこしとともに巡幸する。
《乗るなら乗っとこ 玉の輿
ワッショイ ワッショイ》
こんな囃子(はやし)が盛り上げる。「なんや、あれ」。最初は眉をひそめた沿道の人たちにも、いつしか浸透していった。「玉の輿お守」もこの流れ。「若い女性の心にストライクだったのでしょうね」。宮司の佐々木従久(よりひさ)(60)はいう。
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