コネチカット州
北 東部にはイギリスが植民地を作り、イギリス的な風景、イギリス的な町並み、イギリス的な地名などが数多く残っている所がたくさんある。そのため、このあた りをニューイングランド地方と呼ぶようになった。普通ニューイングランド地方には、コネチカットのほか、ロードアイランド、マサチューセッツ、バーモン ト、ニューハンプシャー、メインの各州が含まれ、ここコネチカットは、そのニューイングランド地方の表玄関にあたる州でもあるのだ。
ロードアイランド州や、デラウェア州に次いで、三番目に小さい州コネチカット州は、面積は小さいながらも、人口330万人を誇る、大きな州でもある。さらに、一人当たりの平均所得の高さで、アラスカ州やワシントンD.C.などと首位を競う、お金持ちの州でもあるのだ。
そ の理由は、先ず第一に、郊外にある高級住宅街に住む人々。ニューヨークの郊外の最高級住宅街として有名なグリニッチやスタンフォードは、お金持ちの人口が 多い所だ。彼らの年収が、州の平均をアップしているのだ。第二に、大企業の地方流出。最近ニューヨークに入りきれなくなった企業の本社がコネチカットに移 転してきているのだ。それに、州都ハートフォードは、35社以上の保険会社の本社を持つ「保険の町」だ。つまり地元に多数の大企業があることによって、州 民の平均賃金が高いというわけだ。
イエール大学の町と、捕鯨の基地だった大西洋岸
コネチカット州の大西洋岸に、ニューヨークの最高級住宅街として知られる、スタンフォードという町がある。
そ の町で高校教師をしているジェフは、私がアメリカで結婚式をあげたときに」ベストマン」という、日本でいう仲人のようなものをしてもらった人で、今でも毎 年のように家を訪ねている古い友人だ。彼は、名門大学を卒業して、職場を探すときにスタンフォードの公立高校の給料が全米で一番高いというので、ここで暮 らしているのだ。
そのジェフの長男のクリスチャンが、プレップ・スクールに入ったので、学校の様子の写真を撮りたいのなら撮影許可をとってくれるという。一度の撮影してみたいと思っていた私は急いで出かけたのだ。
普 通、アメリカの高校というと、ラフなTシャツにジーンズというイメージを持つが、さすがに「プレッピー」、そこでは全員がネクタイを締めて、きちんとジャ ケットを着ていた。プレッピー・スクールとは、カレッジ・プレペアトリー・スクールといって、日本語では大学の予備校といった意味だ。もっとも、日本の予 備校とはちがって、中学から高校までの授業を行う正規の学校として認められている所。ニューイングランドに多くある、名門の私立学校なのだ。
こ この学生のほとんどは、一流大学への進学を希望しているというのだが、キャンパスや教室でふざけている彼らを見た限りでは、日本の進学校のガリ勉達とは全 然違ったイメージを受けた。やはり、きびしい規律の中にも、アメリカの特徴、自由な雰囲気だけは忘れずに残されているようだ。ちょっとのぞいた東洋史の授 業では、源頼朝とか北条政子とかいう聞き覚えのある単語たくさんでてきていて、日本の歴史について、一生懸命ノートに取っているアメリカの子ども達を見て いると、なんとなく不思議な気持ちだった。
そんな彼らが目標とする名門大学のひとつ、イエール大学がすぐ隣のニューヘブンという町にある。ここは1701年に創立された古い大学。日本でいえば、江戸時代の鎖国のまっただ中の頃。日本の寺小屋や藩校の時代に、ここではすでに大学ができていたわけだ。
こ こ、コネチカット州には、1800年代の中ごろ、捕鯨の漁場を求めて日本に開国をせまる船が出航していた港を再現した、海洋博物館「ミスティック・シーポ ト」がある。当時、イエール大学のような本格的な教育施設を持っていた彼らには、着物を着て刀を付けていた日本人は、いったいどのようにうつったことだろ う。
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