① 6 /14 土 曜日 夕刊
大飯原発
はも 沼島 ど゜うりで 牡鹿島で取ってきたのも美味しかった
新宮 晋 1937年 吹田市にも・文化会館にも・多くの作品が残っている
祇園祭 三井住友銀行 烏丸 には もう 展示はないのか
②6 /15 日 曜日 朝刊
日本で起きた災害の一覧とは - ニコニコ さん
ニコニコ大百科: 「日本で起きた災害の一覧」について語るスレ 1
より
一覧(大百科に記事があるもの、もしくは主要な自然災害)
- 1510~1890年代元
- 禄関東地震:1703年12月31日に発生したM8.1の地震。
沼島
沼島 | |
---|---|
座標 | 北緯34度10分5秒 東経134度49分33秒座標: 北緯34度10分5秒 東経134度49分33秒 |
面積 | 2.71 km² |
海岸線長 | 9.53 km |
最高標高 | 117.2 m |
所在海域 | 紀伊水道 |
所属国・地域 | 日本(兵庫県) |
沼島(ぬしま)は、淡路島の南4.6kmの紀伊水道北西部に浮かぶ兵庫県南あわじ市に属する島。面積2.71km²、周囲9.53km[1]、 最高地点は117.2m。瀬戸内海国立公園の一部。人口520人(2012年11月末現在)[2]。本項ではかつて同区域に所在した三原郡沼島村(ぬしまむら)についても述べる。
概要[編集]
勾玉形の島で北西側の真ん中に漁業中心の集落と沼島漁港があり、対岸の南あわじ市灘土生の土生(はぶ)港[注 1]、 洲本市の洲本港との間を定期船で結ばれている。江戸時代末期に漁業や海運業で最も栄え、1955年(昭和30年)頃までは人口2,500人ほどを擁していたが、その後は人口流出が著しい[4]。
中央構造線の南側に位置するため、淡路島とは異なり全島が三波川変成帯の結晶片岩によって構成され、南岸の海食崖には緑・白・黒など様々な縞模様が現れている。また珍しい同心円状の鞘型褶曲(さやがたしゅうきょく)も見られる[注 2]。 崖下に磯が発達していることから磯釣りの名所でもある。
- 注
歴史[編集]
ぬしまむら 沼島村 | |
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廃止日 | 1955年4月29日 |
廃止理由 | 新設合併 南淡町、福良町、沼島村 → 南淡町 |
現在の自治体 | 南あわじ市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 兵庫県 |
郡 | 三原郡 |
総人口 | 2,562人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 南淡町(航路を介して) |
沼島村役場 | |
所在地 | 兵庫県三原郡沼島村(大字なし) |
ウィキプロジェクト |
沿革[編集]
- 幕末時点では三原郡沼島浦が存在。阿波徳島藩領。
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により徳島県の管轄となる。
- 明治4年11月15日(1871年12月26日) - 第1次府県統合により名東県の管轄となる。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により兵庫県の管轄となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、沼島浦が単独で自治体を形成して沼島村となる。
- 1955年(昭和30年)4月29日 - 沼島村が南淡町・福良町と合併し、改めて南淡町が発足。同町沼島となる。
- 2005年(平成17年)1月11日 - 南淡町が緑町・西淡町・三原町と合併して南あわじ市が発足。同市沼島となる。
国産み神話[編集]
淡路島は、『古事記』では淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)と書かれ、『日本書紀』では淡路洲と書かれていて、伊弉諾尊(いざなきのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の産んだものとされる。
この「記紀」によると伊弉諾尊・伊弉冊尊の二神が天上の「天浮橋(あめのうきはし)」に立って、「天沼矛(あめのぬぼこ)」をもって青海原をかきまわしてその矛を引き上げたところ、矛の先から滴り落ちる潮が凝り固まって一つの島となった。これがオノゴロ島で、二神はその島に降りて夫婦の契りを結んで国産みを行った。初めに造られたのが淡路島で、その後次々に島を生んで日本国を造られたとされる。このおのころ島の所在地については諸説紛々としていて、そもそも架空の島であると言う説、淡路島北端の淡路市にある絵島、南あわじ市榎列(えなみ)の自凝島神社のある丘、あるいは淡路島全体であるという説もある。しかし南あわじ市には古くからおのころ島の地名があり、二神を祭る「おのころ神社」が存在するため沼島とする説もある[6]。
詳細は「国産み」を参照
自然と観光スポット[編集]
ほぼ全島が瀬戸内海国立公園の特別地域に指定されている。
- 奇岩 - 上立神岩、屏風岩、あみだバエなど
- 島の南側の海岸線は太平洋の黒潮をまともに受ける場所であり、奇岩・岩礁を形作っている。なかでも高さ約30mの上立神岩(かみたてがみいわ)は「天の御柱」とも言われ、江戸時代の和漢三才図会には「龍宮の表門」と書き記されている。
- ウミウ越冬地
- 11月から3月まで越冬するため、ウミウとヒメウが本州北部から飛来して、島の南側の岩棚に数百羽の集団で越冬している。1971年(昭和46年)に兵庫県の天然記念物に指定[7]。ヒメウは日本国内では絶滅の危険が高いとして絶滅危惧IB類(EN)に指定されている。
- おのころ神社
- 小高い山の上にあり、この山全体がおのころさんと呼ばれる神体山である。天地創造の神である伊弉諾尊・伊弉冉尊の二神を祀っている。
- 沼島庭園(伊藤邸)
- 兵庫県下最古の石組みの庭園。別名鶴亀庭園。足利義稙が沼島在所時に逗留した大寺(おおじ)に作庭したと言う説がある。
施設[編集]
- 南あわじ市立沼島中学校
- 南あわじ市立沼島小学校
- 南あわじ市役所 沼島出張所
- 沼島郵便局(2007年3月に集配業務を南淡郵便局へ移管)
- 沼島漁港 - 兵庫県管理の第2種漁港で、主にアジ、イカ、タチウオなどが水揚げされている。2008年(平成20年)の水揚げ量は557t、登録漁船数は128隻[8]。
- 沼島海底送水管・送電線 - 対岸の灘地区との間に2条の送水管と関西電力の送電線が敷設されている[9]。
- ハモの名産地で、島で食事が出来る店は3軒、宿泊可能な店は2軒ある。
- 離島支援により沼島漁港に定期船の埠頭が整備され、道路も舗装され、海水浴場も整備されている(シャワー・トイレあり)。
交通[編集]
淡路島から沼島汽船を利用する。和歌山下津港や徳島小松島港など本土との直接の便はない。
- 沼島汽船
- 洲本港 - 火・木・土のみの週3往復。所要時間52分。
- 土生港 - 一日10往復。所要時間10分。
土生港の沼島汽船場へは、
- 兵庫県道76号洲本灘賀集線
- バス
- 洲本バスセンターから洲本市コミュニティバスの来川(こりかわ)行きに乗車。終点で南あわじ市コミュニティバス「らん・らんバス(すいせん号)」に乗換えて沼島汽船場前下車(来川からの所要時間15分)。
- 陸の港西淡バスターミナル・中林病院・国衙(こくが)から南あわじ市コミュニティバス「らん・らんバス(すいせん号)」で沼島汽船場前下車。
出典[編集]
- ^ “兵庫(瀬戸内海)の島嶼”. 第五管区海上保安本部 海洋情報部 (1990年). 2010年11月25日閲覧。 “沿岸域情報ハンドブック(平成2年3月刊行)”
- ^ “南あわじ市地区・行政区別人口世帯数 (PDF)”. 南あわじ市役所 市民課 (2012年12月3日). 2012年12月28日閲覧。
- ^ “兵庫県の港(瀬戸内海)”. 第五管区海上保安本部 海洋情報部. 2010年11月25日閲覧。 “灘漁港 第二種漁港 南あわじ市管理”
- ^ “沼島ってどんなところ”. 沼島漁業協同組合 (2004年). 2011年1月12日閲覧。
- ^ “南あわじ市 沼島観光スポット”. 南あわじ市. 2010年11月28日閲覧。
- ^ “おのころ島神社”. 南あわじ市役所. 2010年11月28日閲覧。
- ^ “南あわじ市 沼島めぐりガイド”. 南あわじ市. 2010年12月2日閲覧。
- ^ “兵庫県/主な漁港の紹介(沼島漁港)”. 兵庫県農政環境部農林水産局漁港課 (2010年7月15日). 2010年11月28日閲覧。
- ^ “南あわじ市地域の主な水道施設”. 淡路広域水道企業団 (2005年). 2010年12月17日閲覧。 (PDF, 610KiB)
関連項目[編集]
- 兵庫県道482号沼島線 - 島内の一般県道。延長40m。
- ムーブ・島田弁護協会 - TBS系列で放送されていた番組。『沼島の春』と題したお見合い企画により一時全国的にその名が知られた。
- 南海道
- 淡路国
- 足利義稙 - 堺から遷座してきて、名乗った称号が嶋公方。大永3年(1523年)に撫養に遷座するまで沼島にいた。
外部リンク[編集]
- 沼島汽船発着時刻表 - 南あわじ市ホームページ
新宮晋新宮晋 の画像検索結果
新宮 晋(しんぐう すすむ、1937年7月13日 - )は日本の彫刻家[1]。風や水で動く彫刻で世界的に知られる。
経歴[編集]
- 1937年(昭和12年) - 大阪府豊中市に生まれる。
- 1960年(昭和35年) - 東京芸術大学を卒業後、イタリア政府奨学生としてイタリアに移り住む。ローマ国立美術学校で絵画を学ぶ。
- 1966年(昭和41年) - ミラノのブルー画廊で立体作品を発表。同年帰国。
- 1971年(昭和46年) - ハーバード大学視覚芸術センターより客員芸術家として招かれ渡米する。
- 1973年(昭和48年) - アメリカニューヨーク州パーチェスで野外個展「Wind and Water Sculptures」を開催する。
- 1986年(昭和61年) - 横浜市で「自然のリズム 新宮晋展」を開催する。
- 1991年(平成3年) - イタリアジェノバのロッジア・デッラ・メルカンツィアで個展を開催する。
- 1994年(平成6年) - 三田市青野ダムサイト公園で野外ショー「キッピスと仲間たち」を演出する。
- 1998年(平成10年) - 三宅一生パリ・コレクション1999春夏の舞台装置を手がける。
- 1999年(平成11年) - パリのシャンゼリゼ通りで開かれた「Champs de la Sculpture 2000展」に出品する。
- 2000年(平成12年) - 世界巡回プロジェクト「ウインドキャラバン - 私たちの星の観測」を開始する[2]。
作風[編集]
イタリア滞在中に絵画からレリーフ作品、さらに立体作品へと分野を変えたが、帰国後の作風は「動く立体作品」で一貫している。高さ数メートルのスチール製の彫刻も多く、屋外に展示されているものも多い。風や水で動いたり、光を巧みに取り入れることで、自然との一体感を生む作品に特徴がある。「空気の専門家」の異名がある。
近年では「キッピスと仲間たち」や「ウィンドキャラバン」など、地球のすばらしさや大切さを表現する企画に熱心に取り組む。
舞台演出、絵本の執筆など多彩な活動を行っている。
おもな作品[編集]
彫刻[編集]
- 星の計算機(1967年)
- 終わりのない対話(1978年、彫刻の森美術館)
- 遥かなリズム(1979年、兵庫県立美術館)
- 光のメッセージ(1980年、大阪市国立国際美術館)
- 時の旅人(1981年、宮城県美術館)
- 波のこだま(1983年、ボストンニューイングランド水族館)
- 宇宙へのメッセージ(1988年、新宿駅西口地下広場)
- 波の機織り・雨に乾杯(1988年、名古屋市若宮大通公園)
- 風の音符(1989年、横浜美術館)
- 雲の牧場(1990年、札幌芸術の森野外美術館)
- コロンブスの風(1992年、ジェノバ)
- 水の木・星の立像(1992年、兵庫県三田市青野ダムサイト公園)
- はてしない空(1994年 関西国際空港)
- 遠いこだま(1994年、倉吉博物館)
- 生命の輝き(1999年、彫刻の森美術館)
- 宇宙に捧ぐ(2001年、メゾン エルメス)
- 時のシルエット(2003年、山口県宇部市ときわ公園)
著書[編集]
- 『いちご』、文化出版局、1975年
- 『くも』、文化出版局、1979年
- 『風のサーカス』、新潮社、1989年
- 『じんべえざめ』、扶桑社、1991年 ISBN 978-4594006815
- 『キッピスの訪ねた地球』(月刊「たくさんのふしぎ」111号)、福音館書店、1994年
- 『小さな池』、福音館書店、1999年 ISBN 978-4834015942
- 『風の旅人』、扶桑社、2002年 ISBN 4-594-03579-5
- 『風の星』、福音館書店、2004年 ISBN 978-4834006155
受賞歴[編集]
- 第4回吉田五十八賞(建築関連美術の部)(1979年)
- 第8回現代日本彫刻展で国立国際美術館賞(1979年)
- 第8回長野市野外彫刻賞(1980年)
- 第18回日本芸術大賞(1986年)
- 第6回ヘンリー・ムーア大賞展特別優秀賞(1989年)
- 兵庫県文化賞(1994年)
- 大阪芸術賞(1995年)
- 第43回毎日芸術賞特別賞(2002年)
- 紫綬褒章(2002年)
- 第20回現代日本彫刻展大賞(2003年)
注釈[編集]
外部リンク[編集]
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