この時は、38歳だった。
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日本マラソンの発祥の地とは知らなかった
日本マラソン発祥の地神戸
明治42年(1909)3月21日、神戸の湊川埋め立て地から大阪の西成大橋までの31.7キロの「マラソン大競争」が行われました。日本で「マラソン」という名称を使ったのは、この大会が初めてと言われています。参加申込者は408人にのぼり、体格試験によって120人にしぼりこまれました。鳴尾競馬場で予選が実施され、出場選手20人が決まりました。
大会当日の午前11時30分、当時の神戸市長水上浩躬が、短剣で選手の前に張られた紅白のテープを切り、スタートしました。
1位は、岡山県在郷軍人の金子長之助選手でした。御影付近で、わらじの緒が切れるアクシデントがありましたが、脱ぎ捨てて走り続け、タイムは2時間10分54秒、2着を5分近くも引き離す優勝でした。優勝者には、300円の賞金のほか、金時計や銀屏風などの豪華な賞品が贈られました。
神戸マラソン(2011年11月20日実施)のスタート地点でもある神戸市役所前に、「日本マラソン発祥の地 神戸」の記念碑が建てられています。
神戸市役所→貿易センター駅へ (神戸商工貿易センタービル)
ポートアイランド
この項目では、神戸市の島について説明しています。愛知県の島については「ポートアイランド (愛知県)」をご覧ください。 |
ポートアイランドは、神戸市中央区、神戸港内にある人工島。神戸大橋及び港島トンネルによって神戸中心部と結ばれ、都市機能を一通り備える。計画・設計は建築家、都市計画家の水谷頴介が担当。今後の都市開発に先駆的な役割を果たしたとして、1980年(昭和55年)に日本都市計画学会石川賞が授与された。
六甲山地の土で埋め立て、2期に分けて造成された。
およその位置 | 着工 | 竣工 | 総面積 | 町名 | |
---|---|---|---|---|---|
第一期 | 北部 | 1966年(昭和41年) | 1981年(昭和56年) | 4.36 km2 | 港島中町・港島 |
第二期 | 南部 | 1987年(昭和62年) | 2005年(平成17年) | 3.90 km2 | 港島南町・港島 |
目次
[非表示]町名[編集]
歴史[編集]
1966年に六甲山の土で埋め立てが始まり、その後、2005年には神戸空港が新たに作られた[1]。 開島に合わせ、1981年(昭和56年)にポートピア'81(神戸ポートアイランド博覧会)を開催。その後の地方博ブームのさきがけとなった。また、街開きにあたって博覧会を開催するという手法は横浜博覧会(横浜市・みなとみらい21地区)など各地で用いられるようになった。
阪神・淡路大震災の際には、島内全体が液状化現象で水浸しになって至る所に段差が生じた。市内の需要をカバーするため、一期地区に大量の仮設住宅が建設される。神戸大橋も橋脚にズレが生じただけではなく、水道管2本のうち通水していた1本(もう1本は将来需要を満たすために作られたもので通水されていない)が陥落して人工島の防災上の弱さを露呈した。なお、復旧工事中は、交通規制による渋滞緩和などの目的で、KD橋という仮の橋が新港第三突堤に向けて架設され1年間使用されていた。
その後、一期地区は、その港湾施設の統合に伴って島の西部で旧バースの売却が行われ、神戸学院大学、神戸夙川学院大学、兵庫医療大学の3大学がキャンパスを新しく開設した。さらに、重機販売会社や中古車販売会社が集積して輸出を行う巨大中古車市場も設けられている。震災後、二期地区は土地の売却が進まずに問題となり、神戸市は、神戸医療産業都市構想を立案して医療機関や関連企業の誘致を図っている。その結果2009年(平成21年)8月現在では、理化学研究所神戸研究所など11の研究関連施設と158の医療関連企業が進出し、国内最大級の医療クラスターとなっている。2002年(平成14年)には三宮地域と神戸空港を結ぶ重要な都市軸上に位置している西側の区域が、「神戸ポートアイランド西地域」として政令による都市再生緊急整備地域に指定されている[2]。
博覧会の終了後も営業が続けられていた神戸ポートピアランドは阪急グループの経営再建に伴い、2006年(平成18年)3月31日をもって閉園した。
施設[編集]
- 神戸コンベンションコンプレックス
- ポートアイランド・スポーツセンター
- 神戸市立青少年科学館
- UCCコーヒー博物館
- 神戸花鳥園
- みなと異人館 - 北野町にあった異人館「旧ヘイガー邸」を移設したもので、現在はシスメックスのゲストハウスとして利用されている(通常は一般には非公開)。
- ジーベックホール
- みなとじま会館
- ニチイ学館神戸ポートアイランドセンター
ホテル[編集]
研究機関[編集]
- 先端医療センター
- 理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター、計算科学研究機構(京コンピュータ)
- 神戸バイオメディカル創造センター
- 神戸バイオテクノロジー研究・人材育成センター
- 神戸大学インキュベーションセンター
- 神戸臨床研究情報センター
- 分子イメージング研究開発拠点及び健康産業開発センター
- 神戸インキュベーションオフィス
- 神戸国際ビジネスセンター
- 神戸医療機器開発センター
- 日本メジフィックス神戸ラボ
- アシックススポーツ工学研究所
- 兵庫県立生活科学研究所
- 日本麻酔科学会本部
- 神戸健康産業開発センター
大学[編集]
- 神戸女子大学・神戸女子短期大学ポートアイランドキャンパス
- 神戸学院大学ポートアイランドキャンパス
- 神戸夙川学院大学
- 夙川学院短期大学
- 兵庫医療大学
- 甲南大学ポートアイランドキャンパス
- 神戸大学インキュベーションセンター
- 兵庫県立大学神戸情報科学キャンパス
職業能力開発短期大学校[編集]
企業[編集]
- ワールド本社
- ジャヴァグループ本社
- UCC上島珈琲本社
- TOA本社
- ユーハイム本社
- フジッコ本社
- アシックス本社
- 田崎真珠本社
- 大月真珠本社
- MORESCO本社・研究センター
- バンドー化学本社
- メノガイア本社
- 神戸ふ頭梱包団地
- サンテレビジョン (SUN-TV)本社
- オフテクス本社
- オリバーソース本社・工場
- ノエビア本社(ノエビア神戸ビル)
- コナミ神戸ビル(かつての本社)
- ダイエー(登記上の本店)
交通関連[編集]
- 神戸エムケイ本社営業所・エムケイ観光バス神戸営業所
- 国際興業大阪神戸支店・神戸営業所
- 神戸交通振興ポートアイランド営業所
- 日本交通神戸営業所・関西空港リムジン神戸営業所
- 神姫バス神戸営業所ポートアイランド車庫
- 西日本JRバス神戸営業所
- 大阪バス神戸営業所
- 東豊観光神戸営業所
- 神戸フェリーバス本社
- 神戸バス本社
- 神戸空港タクシーポートアイランド営業所
- 神戸新交通本社・ポートライナー車両基地
- 株式会社OMこうべ海上アクセス事業部(神戸-関空ベイ・シャトル)
その他[編集]
- ポートアイランド北公園、ポートアイランド中公園、ポートアイランド南公園、ポートアイランド西公園、ポートアイランド中央緑地公園
- イズミヤスーパーセンター(2010年(平成22年)2月28日閉店)
- 神戸キメックセンタービル
- 神戸ヘリポート
- 神戸市立医療センター中央市民病院
- イケア
- ポートアイランドゴルフ倶楽部
- 神戸水上警察署
- 神戸市水上消防署
交通[編集]
南側沖合には神戸空港があり、空港および2期地区へのアクセスとしてポートライナーが延伸された。また、阪神高速5号湾岸線(大阪湾岸道路西伸部)の延長が都市計画決定され、6車線の高架道路・橋が建設される予定である。ちなみにポートアイランド内には2箇所のランプが設けられる見込みである。
- 神戸新交通ポートアイランド線(ポートライナー)
- 神戸交通振興(ポーアイキャンパス線)
- 神姫バス(ポートアイランド線)
教育[編集]
- 中央区 (神戸市)に記載
帰化植物 [1][編集]
全国屈指の帰化植物のメッカとなっている。初めて記録された帰化植物や、新たな知見が得られるなど、学術的にも珍しい発見がされている。記録された帰化植物は239種。原産地別ではヨーロッパ産122種、北アメリカ産66種、地中海沿海産23種、南アメリカ産10種、その他12地域18種。分類別では、イネ科51種、キク科36種、アブラナ科20種、マメ科19種、ナデシコ科10種、ナス科9種、その他94種。
港で荷降ろしされるコンテナに付着していたもの
空き地の表土流出防止の目的で外国産の牧草種子が使用され、その中に混入していたもの
道路分離帯や花壇で栽培されていたものが繁殖したもの
土壌改良のため輸入された、ヤシ殻堆肥や家畜の糞や、持ち込まれた植物に混入していたと考えられるもの
主な帰化植物[編集]
アメリカウンダンモドキ
- アブラナ科。アフリカ南部原産で、オーストラリア・ニュージーランド・ヨーロッパ・ハワイ島に帰化している一年生または多年生草本。1996年ポートアイランドで採集された。
セイヨウヤマホロシ
- ナス科。ヨーロッパ原産で、北アフリカ・アジア・オセアニア・北アメリカに帰化している。昭和初期に観賞・薬用植物として渡来してる。ポートアイランドでは、輸入物資に付着していたと考えられるものが、1991年に記録されている。
- ボリビア・アルゼンチンの原産で、近隣国や北アメリカ・オーストラリア・アフリカ・イスラエルなどの地中海沿岸に帰化している。ポートアイランドでは、輸入物資に付着していたと考えられるものが、1995年に記録されている。
- イネ科。西南ヨーロッパ・北アフリカ・西アジア原産で、北アメリカ・オーストラリアなどに帰化している。1968年、北九州市で日本最初の生育報告がなされ、ポートアイランドでは1993年に記録された。
- イネ科。北アメリカ原産の多年生草本。1997年、ポートアイランドで初めて生育が確認された。その後、尼崎市南部・北九州市・大阪府南部での記録がある。
脚注[編集]
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- ^ a b 水田光雄 「帰化植物たちの楽園」 『兵庫県生物学会65周年記念誌 豊かな兵庫の自然力 - 生物の多様性と人々の営み -』、兵庫県自然学会編、2011年、125-127頁
- ^ 都市再生緊急整備地域(神戸市公式ウェブサイト)
関連項目[編集]
ウィキメディア・コモンズには、ポートアイランドに関連するメディアがあります。 |
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神戸ポートアイランド博覧会
概要 | |
---|---|
イベントの種類 | 地方博覧会 |
通称・略称 | ポートピア(PORTOPIA)'81 |
正式名称 | 神戸ポートアイランド博覧会 |
開催時期 | 1981年(昭和56年)3月20日~9月15日 |
会場 | ポートライナー市民広場駅周辺から南公園駅・中埠頭駅周辺 |
来場者数 | 1,610万人 |
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神戸ポートアイランド博覧会(こうべポートアイランドはくらんかい)は、神戸港に造られた人工島ポートアイランドにおいて1981年3月20日から9月15日まで開催された博覧会。「ポートピア(PORTOPIA)'81」の愛称でも親しまれた。
メインテーマは「新しい”海の文化都市”の創造」、サブテーマは「魅力ある未来都市」、「21世紀の港とくらし」、「広場としての太平洋」、「手をつなごう世界のふるさと」。
概要[編集]
「水」の字をモチーフに描かれたロゴマークはデザインを公募して選んだもの。期間中1,610万人の入場者があり、純益60億円を記録した。会場面積は約72ha。この博覧会の成功は、1980年代後半の「地方博ブーム」の火付け役となり、神戸市は都市経営のモデルとして「株式会社神戸市」と称されるきっかけとなる。
会場[編集]
会場は神戸新交通ポートアイランド線(ポートライナー)市民広場駅周辺から南公園駅、中埠頭駅にかけてであり、跡地はほぼ神戸コンベンションコンプレックスおよび住宅地として利用されている。海のすぐ前に建てられて、世界最大であった観覧車がある神戸ポートピアランドは、この博覧会当時からの遊戯施設域であった。
また、会場では中国から借り受けたジャイアントパンダ2頭が公開されて人気を集めた。神戸市出展のパビリオン「神戸館」及び太陽神戸銀行(現・三井住友銀行)出展の「神戸プラネタリウムシアター」が神戸市立青少年科学館として、印象的なコーヒーカップの形であった「UCCコーヒー館」もUCCコーヒー博物館として改装され、現在もポートライナー南公園駅前に建っている。それらは、神戸コンベンションコンプレックスとともに、当時を偲ばせる数少ない施設であり、後世の都市開発に影響を与えた施設は少なくない。
テーマソング・CM[編集]
「ポートピア'81」のキャンペーンソングとして、ゴダイゴが歌う「ポートピア」が1980年5月1日、日本コロムビアからリリースされ、その年末、ゴダイゴは2年連続でNHK紅白歌合戦に出場を果たした。また、同年10月には大地真央が歌う「ポートピア’81がやってくる/ポートピア’81音頭」がビクターからリリースされた。 松任谷由実が1981年に発表したアルバム『昨晩お会いしましょう』の1曲目「タワーサイドメモリー」にも、ポートピアに関わる部分がある。
夏休み直前には国鉄(当時)が当博覧会PRのテレビCMを放映、寅さんシリーズのタコ社長役でお馴染みの太宰久雄が出演し、太宰扮する理髪師と利用客の小学生の少年とのやりとり(太宰「今年の夏休み、どこ行くの?」少年「ポのつくところ!」太宰「えっ、ポーランド!?」)が人気を集めた。
施設・パビリオン[編集]
パビリオン[編集]
- テーマ館(神戸ポートアイランド博覧会協会)
- 兵庫縣館(兵庫県)
- 神戸館(神戸市) - 神戸市立青少年科学館として現存
- 川鉄地球館(川崎製鉄 現:JFEスチール、川鉄商事、川鉄物産)
- 神鋼ポートラマ館(神戸製鋼グループ)
- サントリー・ウォーターランド(サントリー)
- ポートピアみどり館(三和グループ 現:UFJグループ)
- 神戸プラネタリウムシアター(太陽神戸銀行他協賛企業) - 音楽:大野雄二 / ナレーション:城達也、神戸市立青少年科学館として現存
- ダイエーパビリオン(ダイエー) - 国内初のオムニマックス・シアター 音楽:松岡直也
- 住友館(住友グループ)
- 三菱未来館(三菱神戸博綜合委員会)
- アイ・ビー・エム遣唐使館(日本アイ・ビー・エム)
- サンヨーソーラリアム(三洋電機グループ)
- 関西電力未来エネルギー館(関西電力)
- 大阪ガスワンダーランド(大阪ガス)
- UCCコーヒー館(上島珈琲本社) - UCCコーヒー博物館として現存。ただし外観は改装されている。
- 芙蓉グループパビリオン・グリーンエアドーム(芙蓉グループ)
- ハートピア・水遊びのパビリオン(三金会)
- 三井グループ館(三井グループ)
- ソーラーピラミッドの松下館(松下電器産業)
- フレッシュライフ'81(萬年社企画)
- ファッションライブシアター(神戸新聞事業社企画)
- MINAMIガラテ館・海中ハウス(南ビル企画)
- 屋内催場(ポートアイランドスポーツセンター) - 恒久施設として建設、現存。
- 外国館
- 神戸国際交流会館・市民広場 - ポートピア'81にあわせ開館。恒久施設として建設され、現存。協会本部が設置された。
- たばこと塩のパビリオン(日本専売公社)
- 造水促進センター「ポートオアシス」
- 大展示場 - ポートピア'81にあわせて建設、神戸国際展示場として現存。
- 中国館(1階)
- 電気通信館(2階。日本電信電話公社、国際電信電話株式会社、地方公共団体) - 当時実験段階だったキャプテンシステムの端末を設置
レジャー施設[編集]
- 国際広場 - ステージとアリーナを使ったイベントを開催。収容人数2600人。
- ポートピアサーカス - 木下大サーカスとアメリカン猛獣サーカスによる合同公演。跡地は現在のワールド記念ホール
- パンダ館 - 中国天津動物園から借りたジャイアントパンダの「ロンロン」(メス17歳)と「サイサイ」(オス6歳)を展示。周囲には雰囲気を出すために竹などが植えられていた。少し離れた場所に建てられており、跡地は現在南公園内の野球場となっている。
- 銀河鉄道・パノラマカー - 小型の蒸気機関車(羅須地人鉄道協会所有の610mm軌間機関車を借り入れ。元東洋活性白土3号機と6号機[1])と、小型連節バス
- 神戸ポートピアランド - ポートピア'81にあわせ開園
- オーロラビジョン
- 異人館通り - 神戸北野の異人館の複製
- 中央広場
- 花の広場
- せせらぎの森
脚注[編集]
- ^ 蒸気機関車 - 羅須地人鉄道協会ウェブサイト(「3号機」「6号機」の箇所を参照)。この借り入れについては、博覧会終了後に返却時の整備状態をめぐって鉄道協会側と博覧会協会側の見解が対立、裁判に持ち込まれたが鉄道協会側の敗訴に終わっている羅須地人鉄道協会とは(「2つの蹉跌」の箇所を参照)。
関連項目[編集]
- ポートアイランド
- 神戸新交通ポートアイランド線(ポートライナー) - ポートピア'81にあわせ開業
- 神戸ポートピアホテル - ポートピア'81にあわせ開業
- ポートピア連続殺人事件
この「神戸ポートアイランド博覧会」は、イベント(行事)、祭礼に関連した書きかけ項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。 |
神戸ポートピアランド
神戸ポートピアランド | |
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神戸ポートピアランド
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施設情報 | |
愛称 | ポートピアランド、ポーピア、KPL |
事業主体 | 阪急東宝グループ |
面積 | 5ha |
開園 | 1981年(昭和56年)10月1日 |
閉園 | 2006年(平成18年)3月31日 |
所在地 | 兵庫県神戸市 |
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神戸ポートピアランド(こうべポートピアランド、Kobe Portopia Land)は、兵庫県神戸市のポートアイランドにあったレジャー施設である。通称は、「ポートピアランド」、「ポーピア」、「KPL(ケイピーエル)」等。
概説[編集]
1981年(昭和56年)3月 - 9月に開催された神戸ポートアイランド博覧会の遊戯施設としてオープン。同博覧会終了後の同年10月1日より、単独で営業が行われる。ポートピアランドという名称は、博覧会の愛称である「ポートピア'81」から名付けられている。
当時はファミリー向けの遊園地は各所にあったが、神戸ポートピアランドはそのターゲットを若者(当時はヤングアダルトと表現していた)に徹底的に絞込み、都市型のテーマパークとして絶叫型のライドのみで構成された非常に日本において先進的なパークであった。2年に1機種は必ず新規で機種を海外より導入をし、入園者数を伸ばしていった。入園者数はピーク時の1991年(平成3年)には163万人を記録。わずか5ha面積で営業しており、日本一効率的なパークであると称された。
当初の立地は、南公園とともにポートアイランド南側の沿岸部であった。しかし、周囲が二期工事で埋め立てられたために内陸部にある施設と変化していった。
衰退期、そして終焉へ[編集]
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災による休園後の入場者の減少、当時の不況、レジャーの多様化、近郊に神戸ハーバーランドの街開きやUSJの開業による入場者の減少の影響、施設の老朽化などを理由に経営していた阪急東宝グループ(当時)の阪急電鉄が2003年(平成15年)、宝塚ファミリーランドとあわせて遊園地事業より撤退を決定。その後、ポートアイランドの地盤沈下を懸念した神戸市に対し、施設を無償譲渡し、営業を継続した。当時人気のハロー!プロジェクトのイベント開催やナイター営業時に噴水と花火のショーを開催するなどして打開策を打ち出すが、入場者の大きな増加にはつながらず、2006年(平成18年)3月31日をもって閉園し、「ポートピア'81」開幕以来25年の歴史に幕を閉じた。
なお、2006年(平成18年)2月上旬から閉園までにかけて、「さよならポートピアランド〜25年のあゆみ〜展」が公開された。これは、その名の通り25年の生い立ちを懐かしい写真ポスターやVTRなどを交えて振り返る目的で企画されたものであり、来園者が思い出を綴る掲示板も設置された。最終日の3月31日には、営業終了時に閉園セレモニーが開催され、高田支配人の挨拶の後、最後の花火が中央の帆船より打ち上げられ、併せて「25年間ありがとう」の文字花火も披露された。最終日には20000人以上の来園者があり、テレビ局もその模様を生中継で放送した。 1999年の始めぐらいの時から開設したホームページは、2006年5月に閉鎖され、閉園当日の閉園直後ににおけるトップページでは、単にポートピアランド正面からの夜景写真をバックに、「3月31日をもって閉園いたしました」の閉園挨拶が記されただけのものになっていた。閉園直前のサイトの風景は、下の外部リンクから行ける。その後、そのドメインは他者運営のサイトとなった。
閉園後の跡地には、2008年(平成20年)4月14日より、スウェーデンを本拠地とする大手家具製造・直販企業「イケア」がイケアポートアイランド店をオープンさせている。ポートピアランドがあった頃の面影はすっかりなくなっている。
アトラクション[編集]
- BMR-X
- ダブルループコースター
- スーパーループ・オン・トップ
- フライングカーペット
- クレイジートラベル
- ファラオズガーデン
- ファンハウス
- ミュンヘンアウトバーン
- ジャイアント・ウェーブスインガー
- コンドル
- ジャイアント・スプラッシュ
- アイスブリザード
- リバーボード
- バンパーボート
- ファンタジートレイン
- 二層メリーゴーランド
- パターゴルフ
- ダッジェム
- ゲームズハウス
- ジャイアントホイール(観覧車)
- ゴンドラ数36、高さ63.5m(1984年ギネス記録)
- クリフハンガー
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 神戸ポートピアランド (閉園前の公式サイトを保存したミラーサイト)
- 神戸新聞ニュース:総合/2005.02.25/ポートピアランド廃園へ 入園者減で来年3月神戸新聞社 2005年2月25日
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