弁当は持ってこなくていいい。
集まる所は、大阪地下鉄 谷町線・千日前線 谷町9丁目
・中改札口
AM:10時
歩いてじっくり見るのは?
http://n-sanpo.cside4.jp/sanpo/nanasaka/
1.真言坂
真言坂(しんごんざか)
生國魂神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏毀釈まで神社周辺で栄えていた。うち、神社の北側には医王院・観音院・桜本院・新蔵院・遍照院・曼陀羅院の六坊があった。すべて真言宗であったので、この坂は真言坂とよばれた
真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、日本の仏教の宗派。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう)、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。
空海が中国(唐時代)の長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。
同時期に最澄によって開かれた日本の天台宗が法華経学、密教、戒律、禅を兼修するのに対し、空海は著作『秘密曼荼羅十住心論』『秘蔵宝鑰』で、空海が執筆していた当時に伝来していた仏教各派の教学に一応の評価を与えつつ、真言宗を最上位に置くことによって十段階の思想体系の中に組み込んだ。最終的には顕教と比べて、密教(真言密教)の優位性、顕教の思想・経典も真言密教に摂包されることを説いた。
2.源聖寺坂
源聖寺坂(げんしょうじざか)は大阪府大阪市天王寺区にある坂。
天王寺七坂と呼ばれる坂の一つで、坂の名は、坂の上り口北側に源聖寺があることに由来する 西側の上り口は下寺町の松屋町筋に通じ、坂を上りきると生國魂神社正門の少し南、齢延寺と銀山寺の間を通る。道筋は上町台地上で水平となり、東は谷町筋・生玉南交差点の一つ南の辻へと至る。
上り口から途中までは石畳となっているが、途中から階段状になり、少し東南東に向きを変える。
かつて石段を上りきった場所に昭和末期まで「源九郎稲荷」があった。コンニャク好きの狸が祀られ、天王寺区史に「こんにやくの八兵衛」という祠があったことが記されている。現在どこへ還座されたかは不明で、生國魂神社に還座されたと記した資料[1]がある一方、同名の末社とは無関係との記述 [2] もある。
3.口縄坂
口縄坂(くちなわざか)
坂の下から眺めると、道の起伏がくちなわ(蛇)に似ているところから、この名が付けられたという。 付近の浄春寺には、暦学者麻田剛立、画家田能村竹田、春陽軒には国学者尾崎雅嘉、太平寺には、医家北山寿安ら、江戸時代に活躍した先人の墓がある。また、梅旧院には芭蕉の供養碑もみられる。
口縄坂よりもさらに松屋町筋を南下すると、風景の中にオートバイの専門店が多く見られるようになります。この付近は「バイク通り」と呼ばれるほどオートバイ専門店が多く集まる場所で、その中のオートバイ専門店を東に抜けると愛染坂(あいぜんざか)があります。
愛染かつらで有名なお寺「勝鬘院愛染堂」が坂を上ったところにあることから名づけられたこの愛染坂は、私立の名門校である大阪星光学院に沿って上町台地まで一気に上がる急な坂道です。舗装された道路ですが、車やオートバイは進入禁止です。「自転車は押しましょう」という標識があるのは、坂道があまりに急だからです。
坂道の下から見ると、左手に大江神社、右手に大阪星光学院というように神社と学校に挟まれているため、緑の豊かな道です。愛染坂を上がったところにある愛染堂の夏祭りは大阪で最も早く開催される夏祭りとして知られており、夏の風物詩となっています。また、隣接する大江神社には「夕陽岡の碑」があり、上町台地から大阪の中心部を眺める絶景ポイントとして知られています。さらにこの大江神社はいつしか阪神タイガースの優勝祈願にご利益のある神社として知られるようになり、多くのタイガースファン
5.清水坂
愛染坂は南側を大阪星光学院と接していますが、この星光学院から見ると北側は愛染坂、そして南側には天王寺七坂の一つである清水坂(きよみずざか)があります。
清水坂の名前は、南側に接している清水寺というお寺に由来しています。ところで清水寺と言えば「清水の舞台」で有名な京都の清水寺を連想しますが、清水坂に隣接している清水寺は、名前が同じであるだけでなく、京都の清水寺から譲り受けた「十一面千手観世音菩薩」が祀られていることで、実際に深い関わりがあります。
かつて天王寺一帯は名水どころとして知られており、清水寺の境内にある崖からは天然の地下水が常に流れ出る滝があります。これは「玉出の滝」と呼ばれ、大阪市内唯一の滝です。「玉出の滝」の形も京都・清水寺の「音羽の滝」を模した造りになっていると言われています。
清水坂はこの清水寺と星光学院に挟まれているため、夏でも涼しさを感じるほど静かで緑の多い道です。広くゆったりとした道で、階段ではありますが横には段差のないスロープがあるので、自転車を押しながら通行することも出来ます。
6.天神坂
安居天神へ通じる坂道なのでこのように呼ばれている。この神社境内は大坂夏の陣に真田幸村が戦死したところで、本堂脇に「真田幸村戦死跡之碑」がある。
また、同境内すぐ下には七名泉の一つ、安居の清水があり、「かんしずめの井」(癇静め)とも呼ばれよく知られている。
7.逢坂
逢坂(おうさか)は、大阪府大阪市にある国道25号(竜田越奈良街道)の坂。または同市天王寺区の町名(ただし、町名はこざとへんの「阪」)。名称は逢坂関に由来するとも、聖徳太子と物部守屋が法について討論した合法四会に由来するとも言われる。「合坂」、「相坂」とも表記された。
概要[編集]
道路(坂)としての逢坂は、天王寺区逢阪1丁目の「天王寺公園北口交差点」から四天王寺1丁目の「四天王寺交差点」にかけて東西にのびている坂で、現在の国道25号そのものである。東側(四天王寺)の標高が高くなっている。西側は松屋町筋、東側は谷町筋につながっている。
「天王寺七坂」のひとつで一番南にある。
歴史[編集]
平安時代の頃には、坂の上り口にあたる現在の天王寺公園北口交差点あたりまで海であり、このあたりは「合法ヶ辻」と呼ばれ、のちに浄瑠璃『摂州合邦辻』の舞台ともなった。
近代以前は馬車馬が音をあげるほど急な坂だったと伝えられ、道も狭く、事故多発地点だった。明治9年(1876年)に茶臼山観音寺の住職が寄付を集めて坂を切り崩して緩やかにする工事を行った。明治時代末期に大阪市電の第三期線建設に伴い、道路が拡張されてほぼ現在の姿になった。
地理[編集]
現在の町名は昭和56年(1981年)に実施された町名で、1丁目と2丁目がある。国道25号を挟んで北が1丁目、南が2丁目となる。東は谷町筋、西は松屋町筋までの範囲である。
もとは東成郡天王寺村の一部。明治30年(1897年)に大阪市へ編入され、明治33年(1900年)に逢阪上之町、逢阪下之町が起立した。この逢阪上之町が現在の天王寺区逢阪におおむね該当し、逢阪下之町は天王寺区茶臼山町、浪速区下寺、日本橋東の各一部となっている。
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