日田市(ひたし)は、大分県北西部に位置する市である。
大分県に位置するが、筑後川水系にあるため歴史的に福岡県筑後・筑前地方とのつながりが強く、この地域の方言である日田弁は肥筑方言の特徴を持つ。
周囲を山に囲まれた典型的な盆地であり、多くの河川が流れ込み「水郷(すいきょう)」を形成している。そのため、春から秋にかけては、朝夕に地元では「底霧」と呼ばれている深い霧が発生する。また、雷の発生数も全国有数である。盆地特有の内陸型気候であるため、夏は暑く、冬は寒い。夏は日本国内でも有数の酷暑で知られる。最高気温が35℃を超える猛暑日となる日も多く、年間猛暑日数45日(1994年)、連続猛暑日22日(1992年、1994年)は国内1位[1]。一方、冬は寒さが厳しく、最低気温が氷点下になる日も多い。日田市は山間部にあるため、大分県内においては、積雪も多い地域である。市内中心部でも、多い時には10センチメートル程度の積雪が見られることもあり[要出典]、より山間部に入っていけば、積雪が10センチメートルを超えることもある。また、山間部の地域では降水量が非常に多く、それが杉や檜の生育を早めるため、林業地域としての日田に寄与している部分もある一方で、土砂崩れのような自然災害を発生させる原因ともなっている。
日田盆地周囲の山地は、標高がおよそ1,000メートル、旧前津江・中津江・上津江村の位置する山間部では、標高が1,200メートルほどになる地域がある。
日田盆地に流れ込む多くの河川は、三隈川(筑後川)に合流する。これらの河川は江戸時代の末期には、日田周囲の地域で伐採された木材や物資を、筑後川下流の福岡県久留米や大川といった都市まで輸送する物流手段として欠かせないものとなった。これを日田川通船といったが、夜明ダムが建設されたことによって水運は行われなくなった。
[隠す]日田特別地域気象観測所(平均値:1981-2010、極値:1942-現在)の気候 |
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) |
21.5 (70.7) |
25.2 (77.4) |
27.7 (81.9) |
31.3 (88.3) |
36.3 (97.3) |
37.1 (98.8) |
39.3 (102.7) |
39.4 (102.9) |
38.0 (100.4) |
33.2 (91.8) |
27.3 (81.1) |
23.7 (74.7) |
39.4 (102.9) |
平均最高気温 °C (°F) |
9.6 (49.3) |
11.4 (52.5) |
15.1 (59.2) |
21.2 (70.2) |
25.8 (78.4) |
28.5 (83.3) |
32.1 (89.8) |
33.2 (91.8) |
29.2 (84.6) |
23.8 (74.8) |
17.7 (63.9) |
12.1 (53.8) |
21.64 (70.97) |
平均最低気温 °C (°F) |
−0.5 (31.1) |
0.3 (32.5) |
3.4 (38.1) |
7.9 (46.2) |
13.0 (55.4) |
18.2 (64.8) |
22.5 (72.5) |
22.7 (72.9) |
19.0 (66.2) |
11.9 (53.4) |
6.1 (43) |
1.1 (34) |
10.47 (50.84) |
最低気温記録 °C (°F) |
−10.8 (12.6) |
−9.9 (14.2) |
−7.8 (18) |
−4.4 (24.1) |
1.2 (34.2) |
7.1 (44.8) |
12.7 (54.9) |
14.1 (57.4) |
5.9 (42.6) |
−0.2 (31.6) |
−4.9 (23.2) |
−7.8 (18) |
−10.8 (12.6) |
降水量 mm (inch) |
64.8 (2.551) |
83.2 (3.276) |
132.2 (5.205) |
128.7 (5.067) |
177.1 (6.972) |
353.1 (13.902) |
333.4 (13.126) |
168.2 (6.622) |
167.5 (6.594) |
77.6 (3.055) |
71.5 (2.815) |
53.1 (2.091) |
1,810.4 (71.276) |
平均降水日数 (≥ 1.0 mm) |
9.1 |
8.8 |
11.4 |
9.8 |
9.6 |
12.7 |
12.7 |
10.2 |
9.6 |
6.5 |
7.4 |
7.6 |
115.4 |
平均月間日照時間 |
113.3 |
125.5 |
145.1 |
173.5 |
183.5 |
137.4 |
164.6 |
192.3 |
151.3 |
165.3 |
129.9 |
118.5 |
1,800.2 |
出典: 気象庁 |
隣接している自治体[編集]
地名の由来[編集]
「日田」の地名の由来にはいくつかの説があり定かではない。
720年から740年頃に成立した『豊後国風土記』では、景行天皇が九州遠征時に浮羽から日田に立ち寄った際に、「久津媛」(ひさつひめ)と名乗る神が人となり現れたことに因んで名づけられたもので、後に久津媛が訛って「日田」になったとしている。
また、承平年間(931年 - 938年)に成立した『和名類聚抄』では、日高郡とされており、「比多」の訓が付されている(元和古活字本巻5)。現在も三芳地区には「日高町」という地名が残っている。
江戸時代に成立した『豊西記』には、「湖であった日田盆地に大鷹が東から飛んできて湖水に羽を浸し、羽ばたき、旭日の中を北へ去ると、湖水は轟々と抜けて干潟となった。そして日隈、月隈、星隈の三丘が現れた。」という「日と鷹神話」があり、それよりヒタカと呼ばれるようになったという。
本来は日高見国であって、そこから日高、日田になったという説もある。[要出典]
先史・古代[編集]
小迫辻原遺跡より、3世紀末から4世紀初頭にかけての豪族の環濠居館の跡が出土している。また、ダンワラ古墳からは1世紀 - 3世紀頃の漢鏡と推定される金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(国の重要文化財)が出土している。この鏡には卑弥呼の鏡ではないかとの説もあり、2009年に九州国立博物館4周年特別展で展示された際には「卑弥呼の鏡か?」とのコピーとともにPRされた。
学術的には偽書とされる『先代旧事本紀』国造本紀に、古代ヒタにおいての国造には、「成務天皇の時代に葛城国造同祖、鳥羽足尼(宿禰)を定めた。」とある。止波宿禰(鳥羽宿禰)は、西暦470年以降(古墳時代後期)に靱編連(ユギアミノムラジ。現在の日田市刃連町付近)に会所宮(現在の会所山久津媛神社周辺)とよばれた屋敷に居住し、村人に農業などを指南した人物として『豊日志』(現存せず)に記されていたとされる。
『豊後国風土記』靭編郡の条には、欽明天皇の時代、日下部氏の祖である邑阿自(オウアジ)が靱部として仕えており、村について家を構えた。これにより靭負(ユギオイ)村とよび、後に靭編(ユギアミ)郡と呼んだとある。ちなみにユギオイとは、靭(ユギ・ユキ、矢を入れる容器)を使用する者をいい、ユギアミとは、靭を作る者のことをいう。大化の改新後は郡司に任ぜられ、大蔵氏 (豊後国)が郡司に就くまで日田の支配権を握っていたと考えられている。
古代 - 中世[編集]
834年頃に、在地小豪族の大蔵氏(大蔵氏の庶家)が居付いたとされている。日田大蔵氏に関しては中井王の子孫であるという説もあるが、一方、宇佐を本拠としていた鬼蔵永弘が日田に居付いて、日田大蔵氏となったという説もあり、渡来の秦氏であるというものまであるので定かではない。
日田城および大蔵館(鷹城)、現在の慈眼山公園を拠点に栄華を極め1444年まで590余年一系を保ったが、家臣たちにより16代永包を殺害した永好を美濃国で殺害[2]し、豊後の大蔵氏は滅亡する。その後、大友氏より親満(永世)を養子に受けて大友系日田氏として再興するが大友氏滅亡とともに1548年に滅亡する。以降は、大友義鑑が選出した旧豊後大蔵氏一族の郡老8名が政治を執り行った[3]。
安土桃山時代の1593年に豊臣家蔵入地(直轄地)となり、宮部継潤らによる検地(太閤検地)が行われた。宮木豊盛が代官として日隈城を築き、小川光氏の丸山城築城以降に大名領を経て幕府直轄領となり城を廃城として日田陣屋を設置し、江戸中期に西国郡代が置かれた。初代郡代は揖斐政俊、最後の郡代は窪田鎮勝である。享保19年(1734年)当時には、豊前・豊後・日向・筑前の天領地合わせて12万石を支配し、江戸末期には16万石にもなった。明治以降、松方正義を知事として迎えて日田県となり、その後、大分県への編入を経て現在に至る。
江戸時代に京大坂江戸を手本に町人文化が繁栄し、現在でも小京都などと呼ばれる。特に、代官・郡代により掛屋に指定された商人は大名貸しの金利などにより利益を得ており、その利益や蓄えを俗に日田金(ひたがね)ともいった。日田金は一例として、広瀬淡窓の弟である6世広瀬久兵衛(ひろせきゅうべい、1790年 - 1872年)による水路(小ヶ瀬井路)や通船用への川の整備や干潟の干拓(呉崎新田・久兵衛新田(宇佐)など)工事などの事業、大名の財政再建などに投じられている。
幕末に広瀬淡窓の開いた私塾咸宜園には日本中から塾生が集まった。著名な塾生には蘭学者の高野長英や近代軍隊の基礎を築いた大村益次郎などがいる。
近現代[編集]
1889年(明治22年)の町村制度施行の際における日田郡全域が現在の市域にあたる(一部部分的な編入などによる例外あり)。
詳細は「日田郡」を参照
- 市長: 原田啓介(2011年8月5日就任1期目)
- 過去には後に衆議院議員となる畑英次郎が1968年から3期市長を務めた経験がある。
国政・県政[編集]
衆議院小選挙区選挙では大分2区に属する。近年選出の議員は以下のとおり。
本市ひとつで選挙区をなす。定数は3人。近年選出の議員は以下のとおり。
- 2011年4月
- 井上伸史(無所属)
- 酒井喜親(無所属)
- 桜木博(自民)
公共機関[編集]
国の行政機関[編集]
法務省
財務省
厚生労働省
農林水産省
国土交通省
司法機関[編集]
福岡高等裁判所
独立行政法人[編集]
県の行政機関[編集]
- 西部振興局
- 日田県税事務所
- 西部保健所
- 日田土木事務所
- 日田警察署
伝統工芸[編集]
古くから市周囲の山間部での林業が栄え、それらの林業地で育つ杉は、日田杉と呼ばれてきた。そのため、この杉を用いた下駄作りや漆器などの木工業がさかんである。しかしながら近年は外国産の安い木材の輸入増加などをうけ、林業自体が以前に比べて衰退傾向にある。
この他、三隈川では鮎などを対象とした内水面漁業が行われる。また、井上酒造、クンチョウ酒造、老松酒造などの酒造業も古くから存在する。
近年はTDK、九州住電装等の工場や、サッポロビール九州日田工場、三和酒類日田蒸留所等の食品工業が進出している。
日田市に本社を置く企業[編集]
主要大規模小売店舗[編集]
- 日田市街地
上記すべての店舗が日田駅近くの中心市街地に立地する。
- 郊外
中心商店街[編集]
- 日田中央商店街
- 三本松商店街
- 寿通り商店街
- 豆田町商店街
|
日田市と全国の年齢別人口分布(2005年) |
日田市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 日田市 ■緑色 ― 日本全国
|
■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
|
日田市(に該当する地域)の人口の推移
|
総務省統計局 国勢調査より |
高等学校[編集]
- 公立
- 私立
中学校[編集]
- 日田市立東部中学校
- 日田市立南部中学校
- 日田市立北部中学校
- 日田市立三隈中学校
- 日田市立大明中学校
- 日田市立戸山中学校
- 日田市立東有田中学校
- 日田市立前津江中学校
- 日田市立津江中学校
- 日田市立大山中学校
- 日田市立東渓中学校
- 日田市立五馬中学校
小学校[編集]
- 日田市立朝日小学校
- 日田市立有田小学校
- 日田市立石井小学校
- 日田市立三芳小学校
- 日田市立咸宜小学校
- 日田市立光岡小学校
- 日田市立日隈小学校
- 日田市立堂尾小学校
- 日田市立小野小学校
- 日田市立高瀬小学校
- 日田市立羽田小学校
- 日田市立月出山小学校
|
- 日田市立夜明小学校
- 日田市立静修小学校
- 日田市立三和小学校
- 日田市立花月小学校
- 日田市立伏木小学校
- 日田市立若宮小学校
- 日田市立桂林小学校
- 日田市立赤石小学校
- 日田市立柚木小学校
- 日田市立大野小学校
- 日田市立出野小学校
- 日田市立中津江小学校
|
- 日田市立上津江小学校
- 日田市立馬原小学校
- 日田市立桜竹小学校
- 日田市立台小学校
- 日田市立塚田小学校
- 日田市立出口小学校
- 日田市立五馬市小学校
- 日田市立丸山小学校
- 日田市立都築小学校
- 日田市立大山小学校
|
特別支援学校[編集]
鉄道路線[編集]
最寄り空港は福岡空港。
- 高速バス
- 一般路線バス
- コミュニティバス
高速道路[編集]
一般国道[編集]
- 主要地方道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
名所・旧跡[編集]
神社仏閣[編集]
祭事・催事[編集]
ご当地グルメ[編集]
- 日田やきそば - 一般のソース焼きそばに比べて、麺がパリっとしているのが特徴。
日田市を舞台とした作品[編集]
日田市に関係する著名な人物[編集]
出身者[編集]
- 政治家
- 軍人
- 作家・文化人
- 俳優・芸能関係者
- スポーツ関係者
日田市に縁のある人物[編集]
- 松方正義(公人・内閣総理大臣) - 初代日田県知事を勤めた。
- 高野長英(医者・蘭学者) - 広瀬淡窓に弟子入りしたとされる。
- バーナード・リーチ(イギリス人陶芸家) - 日田小鹿田に滞在して陶芸の研究を行った。
- タモリ - 京町にあったホテルに併設されたボウリング場の支配人だったことがある[要出典]。
- 夏目漱石(作家・小説家) - 冬場日田に向かう途中、山中で落馬したエピソードがある。そのときの様子を「吹きまくる 雪の下なり 日田の町」と、詠んだ句がある。
- 行基(僧侶) - 天瀬町高塚で地蔵菩薩を彫ったといわれる。
- 末綱聡子 - 昭和学園高等学校出身の女子バドミントン選手。大分県大分市出身。
- ^ 日田市が猛暑“2冠” 大分合同新聞、2013年8月20日
- ^ 木藪正道著『日田の歴史を歩く』芸文社 1990年
- ^ 長順一郎著『総合村落史考』歴研 2001年
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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