この地は
垂水神社 (吹田市)
垂水神社 | |
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所在地 | 大阪府吹田市垂水町1-24-6 |
位置 | 北緯34度45分59秒 東経135度30分15秒 |
主祭神 | 豊城入彦命 |
社格等 | 式内社(名神大)・郷社 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 10月20日 |
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垂水神社(たるみじんじゃ)は、大阪府吹田市にある神社である。豊島郡の式内社(名神大社)で、旧社格は郷社。
祭神[編集]
崇神天皇の第一皇子である豊城入彦命を主祭神とし、大己貴命と少彦名命を配祀する。
「垂水」とは滝の古語である。神社の北には垂水ヶ岡(千里山)の泉から湧き出る水が滝となっており、元々はこの滝を神体として水の神を祀っていたものと見られる。万葉集に収録されている志貴皇子の歌「いははしる垂水の上のさわらびの もえいずる春になりにけるかも」は、この滝を詠んだものとされているが、伝説の域を出ない。
歴史[編集]
社伝によれば、豊城入彦命は弟の垂仁天皇に皇位を譲って東国の開拓を行ったが、その最初の開拓をしたのが垂水の地であり、豊城入彦命の子孫が祖神として豊城入彦命を祀ってきたと伝える。新撰姓氏録によれば、孝徳天皇の時代に大旱魃があったが、垂水ヶ岡の清水だけは涸れなかったので、豊城入彦命の末裔の阿利真公が高樋を作ってその水を京に送水した。その功により「垂水公」の姓を贈られ、当社を創建したという。
国史の初見は、『続日本後紀』の承和8年(841年)9月に従五位下の神階を受けたという記述である。延喜式神名帳では名神大社に列している。
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概要
近畿の水瓶(みずがめ)といわれる琵琶湖。 そこからの唯一の流れである淀川水系は、古代以来、都をはじめ、その沿岸に住む多くの人々の生活を支え、各時代の文化を育んできました。
大阪湾にいたる平野部は、葦原(あしはら)の生い茂る湿地帯であり、小高いところは無数の島々を形成していて、人々は、そこを「八十嶋(やそしま)」とよんだのです。
今から1300年以上前、大化の改新のときに都が奈良から難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや・前期難波宮)に遷されました。 当神社は、その真北に鎮座しています。 そして神社の起源もこの時期に重なっています。
人の一生などはるかにおよばない長い年月、氏子をはじめ多くの崇敬者の努力により、当社の境内地は、緑豊かで清浄な神域を保ってきました。 周囲がすっかり開発されてもなお枯れることなくしたたり落ちる「垂水」。 それこそがご神威であり奇跡です。
大都会のすぐそばにあることを忘れさせ、そして人が生きていく上で大切なものは何かを思い出させてくれる場所です。
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