肉ジャガのはじまりは舞鶴とか
発祥の地論争[編集]
京都府舞鶴市が1995年(平成7年)10月に「肉じゃが発祥の地」を宣言。1998年(平成10年)3月に広島県呉市も「肉じゃが発祥の地?」(最初に宣言した舞鶴市に配慮して"?"をつけた)として名乗りを上げた。
根拠は、
- 舞鶴市:東郷平八郎が初めて司令長官として赴任したのが舞鶴鎮守府であり、現存する最古の肉じゃがのレシピが舞鶴鎮守府所属艦艇で炊烹員をしていた故人から舞鶴総監部に寄贈されたものである。
- 呉市:東郷は、舞鶴赴任より10年前に呉鎮守府の参謀長として赴任している。
としている。
しかしながら資料が曖昧であり、最古のレシピが本当に舞鶴で作られたものなのか他の鎮守府から伝わったレシピを書き写したものではないのかという論争が決着していないため、両市とも大岡裁き的に「舞鶴・呉の双方が発祥地」としている。[1]
ご当地グルメとして[編集]
近年は、発祥地に関する「論争」を逆手に利用し、それぞれがライバル関係をアピールしながら連携して肉じゃがと海軍ゆかりの街をアピールする活動が多い。また、それぞれの街ではご当地グルメの肉じゃがが考案され、地域おこしに利用されている
概要[編集]
肉、じゃがいも、玉ねぎ、糸こんにゃくなどを醤油、砂糖、みりんで甘煮にしたもの。肉は、牛肉、豚肉、鶏肉などが使用される。水兵の食事として全国的に導入された。
誕生の経緯[編集]
1870年(明治3年)から1878年(明治11年)までイギリスのポーツマス市に留学していた東郷平八郎が留学先で食べたビーフシチューの味を非常に気に入り、日本へ帰国後、艦上食として作らせようとした。しかし、ワインもドミグラスソースも無く、そもそも命じられた料理長はビーフシチューなど知らず、東郷の話からイメージして醤油と砂糖を使って作ったのが始まりともされる。
しかし、当時の日本では既にビーフシチューやその変形であるハヤシライスが洋食屋での一般的メニューであったこと、また、牛肉を醤油と砂糖で煮るのは牛鍋や牛肉の大和煮と同様の手法であることなどから、この説を脚色されたものとする意見もある
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