1/10 朝日新聞
日本のはじまり、堺から と ・・・・聞いたことを思い出しました。
10/21 堺市へ その1:平成22年10月21日(木)
JR西日本 環状線 新今宮→南海新今宮-普通-七道。
七道駅北の「河口慧海」像
河口慧海http://www.lib-sakai.jp/kyoudo/kyo_digi/sakaitaikan/sakaitaikan_kawagutiekai.htm
河口慧海[慶応2年(1866年)~昭和20年(1945年)] | 戻る |
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河口慧海は現在の堺区北旅籠町西に生まれました。幼名は定治郎(さだじろう)。錦西小学校、土屋弘(鳳州)の晩晴塾、東京の哲学館(現、東洋大学)に学びました。慧海は、チベット語訳の仏教原典を求めて明治30年および37年の二回にわたりチベットへ入国しました。その旅行記(『西蔵旅行記』)は、仏教学者だけではなく民族学者、探検家にも高く評価され英訳も出版されました。晩年は僧籍を返上して在家仏教を提唱しました。 右は、2002年12月にネパールで発行された慧海の切手です。 |
『改正修身 人の基』土屋弘・著 明治9年(1876年) | ||
儒学者・土屋弘は、明治5年から、当時の堺県で、教育行政に携っていましたが、そのかたわら、堺の戎之町の自宅に晩晴塾(晩晴書院)という私塾を開き、そこで漢籍・詩文、修身を教えました。これは修身の教科書です。河口慧海もこの塾で学び、読書力・文章力を身に付け、チベット旅行の大いなる助けとなりました。 | ||
『西蔵(チベット)旅行記』河口慧海・著 明治37年(1904年) 博文館 | ||
『西蔵旅行記』は明治36年の河口慧海のチベット探検からの帰国後、口述筆記によって新聞連載されたものが評判になって、翌年上下巻の単行本として出版されたものです。 | ||
『Three Years in Tibet(チベットの三年)』河口慧海・著 明治42年(1909年) | ||
河口慧海のチベット探検は、海外でも高く評価されました。慧海の『西蔵旅行記』の英訳である本書は、帰国6年後にインド・マドラスおよびロンドンで出版されました。 |
投稿情報: 23:06 | 個別ページ
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