明治13年 伊藤博文
鹿 1095頭
8chで
奈良公園(ならこうえん)は、奈良県奈良市の若草山麓に広がる都市公園。国の名勝。
概要 [編集]
太政官布達により明治13年(1880年)2月14日開園。大部分が国有地で、奈良県が無償で借用し管理している。都市公園としての正式名称は「奈良県立都市公園 奈良公園」といい、総面積は502ヘクタール。周辺の興福寺、東大寺、春日大社、奈良国立博物館、なども含めると総面積はおよそ660ヘクタール(東西約4キロメートル、南北約2キロメートル)に及ぶ。通常はこの周辺社寺を含めたエリアを"奈良公園"と呼ぶ。
公園内には多くの国宝指定・世界遺産登録物件が点在し、年間を通じて日本国内のみならず外国からも多くの観光客が訪れ、日本を代表する観光地の一つとなっている。
奈良の大仏や鹿(約1200頭)は国際的にも有名で、奈良観光のメインとなっており、修学旅行生の姿も多く見られる。東大寺修二会やなら燈花会、正倉院展、春日若宮おん祭など古都ならではの見ごたえのある行事も数多い。春には桜の名所として、日本さくら名所100選に選定されており、浮見堂周辺で花見を楽しむ人も多い。
塀・柵・門などがなく入園料も不要なのでどこからでも、いつでも(365日・24時間)散策することができる。なお、旧「史蹟名勝天然紀念物保存法」に基づく名称は「名勝奈良公園」である。
奈良公園と鹿 [編集]
1953年(昭和28年)11月、13年ぶりに再開した「鹿の角切り」
公園内の大部分は芝生に覆われ、約1200頭に上る鹿が徘遊する。この鹿は奈良公園や周辺に生息する、国の天然記念物に指定されている野生動物である(=所有者はいない)。鹿は奈良の観光資源の一つでマスコット的存在であり、様々な鹿を意匠した土産物の販売や[1]、1671年(寛文11年)に危険防止と樹木の保護のために始まった伝統行事の「鹿の角切り」や、ホルンで鹿を集め餌をやる「鹿寄せ」というイベントも行われている。奈良公園の独特の植物の景観を作る働きもしている。
なお、この公園に鹿がいることには以下のような由来がある。
- 鹿は春日大社の神使であり、春日大社創建の際、茨城県にある鹿島神宮の祭神・武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられる(春日大社は鹿島含め3社の分霊)。それゆえ、奈良公園の鹿は古くから手厚く保護されてきており、不慮の事故も含め、殺めると厳しい刑罰を受けた。伝説によると誤って文鎮で鹿を殺してしまった子供が鹿の死骸とともに生き埋めとなり、その墓が奈良公園周辺に残っている。今でも地元の住民は鹿に愛着の念と共に畏敬の念を併せ持つといわれる。
基本的には餌付けされていない野生による繁殖にもかかわらず、個体数を増やしていった。しかし、明治維新からは手厚い保護への反発から、戦中から戦後しばらくの間は食糧確保のため狩られ、その結果頭数が二桁まで激減した。その後は奈良市が「財団法人 奈良の鹿愛護会」を作り、保護に努め、その結果今日の生息数に至っている。この鹿は野生鹿として国の天然記念物に定められ、域内での無許可での捕獲や傷痍行為が罰則をともなって禁止されている。
なお、鹿せんべいを与えるさいには、手を噛まれないように注意したほうがよい。
奈良公園の鹿についての諸問題 [編集]
乗用車の普及や幹線道路の整備に伴い、車と鹿の衝突・接触事故が多発しており、奈良公園界隈の道路では、常に鹿の飛び出しに注意を払う必要がある。「鹿の飛び出し注意」という交通標識まで存在する。
最近では、心無い者によって鹿が危害を加えられる事件も多い。2003年には鹿がエアガンで撃たれる事件があり、2004年には果物ナイフで刺される事件も起きている。また2008年8月8日には漁具のヤスで刺されているのが見つかっている。2010年3月13日には春日大社の参道で矢が刺さった鹿が見つかったが、傷が深く後日死亡した。ただし、1970年にも、10歳ぐらいの雄鹿が角をえぐりとられ、血まみれになって死んでいるのが見つかっている。この事件は、角欲しさの鹿殺しと推定されている[2]。
本来、鹿は警戒心の非常に強い動物で、野生の鹿が人に近づくことは少ないが、奈良の鹿は神格化されたために手厚い保護を受けた影響もあり人を恐れない。但し、5月から7月の出産期、9月から11月の発情期には気が荒くなっているので注意が必要である。奈良公園周辺では、鹿が道路を横断して交通を妨げたり、付近の家や敷地に入り込む光景がしばしば見られる。隣接する奈良県庁の庭や、稀に近鉄奈良駅やJR奈良駅周辺にも出没することがある。過去にはJRの踏切で鹿が電車にはねられたこともある。
奈良の鹿については愛護団体である「奈良の鹿愛護会」が毎年調査しており、2008年発表の調査によれば、全1128頭(前年比33頭減)、内オス262頭、メス695頭、仔鹿171頭である(暫定)。死亡原因は疾病174頭、交通事故71頭、犬18頭等となっている。最近では、「奈良の鹿愛護会」の財源不足が深刻であり、観光客に鹿せんべいの購入を積極的に勧めるなどの活動をしているが、根本的な解決には至っていないのが現状となっている。
その一方で、近在の農地を荒らし、農作物の食害の被害が依然として発生している。「奈良市鹿害阻止農家組合」 の県知事への要望書によれば、「公園周辺、公園から遠く離れた地域にも出没し」野菜、水稲、植木・苗木等を食い荒らし、フェンスや海苔網の鹿を傷つけない柵での対応では被害が減らず、「長年にわたり鹿との戦いで高齢化にもより、たいへん疲れはてております」という。「共生できる理想(学術的な上限)と思われる700-800頭まで数を減らすこと」も含め、被害補償などへの要望が出されている[3]。
エリア内の主な施設 [編集]
年間行事 [編集]
- 若草山焼き(1月第4土曜日)
- 鹿寄せ(1月29日 - 3月11日までの毎日)
- 春日大社節分万燈籠(2月3日 節分の日)
- 興福寺追儺会(2月3日 節分の日)
- 東大寺二月堂修二会(3月1日 - 3月14日)
- 若草山春の開山 (3月18日 - 6月18日)
- 興福寺北円堂 春の特別開扉 (4月28日 - 5月7日)
- 東大寺聖武天皇祭 (5月1 - 3日)
- 氷室神社献氷祭 (5月1日)
- 春日大社 子供の日舞楽演奏会(5月5日)
- 薪御能(5月11日・12日)
- ライトアッププロムナードなら(7月1日 - 10月31日)[1]
- 東大寺解除会(7月28日)
- なら燈花会(8月6日 - 8月15日)[2]
- 東大寺大仏様お身ぬぐい (8月7日)
- 春日大社中元万燈籠 (8月14日・15日)
- 東大寺万燈供養会(8月15日)
- 大文字送り火(8月15日)
- バサラ祭り(8月末期)[3]
- 奈良県新公会堂庭園芝能(9月10日)
- 若草山秋の開山 (9月10日 - 11月27日)
- 猿沢池采女祭(9月18日)
- 興福寺塔影能10月1日)
- 鹿の角きり (10月上旬の土日祝)
- 興福寺南円堂特別開扉(10月17日)
- 春日大社 文化の日 舞楽演奏会 (11月3日)
- 正倉院展 (11月下旬 - 12月上旬)
- 春日若宮おん祭 (12月15日 - 12月18日)
- 東大寺 法華堂執金剛神像特別開扉 (12月16日)
交通アクセス [編集]
奈良公園を題材とした作品 [編集]
- フランスの作曲家オリヴィエ・メシアンの作品「7つの俳諧」(1962年)の第2曲には「奈良公園と石灯籠」というタイトルが付けられている。この「7つの俳諧」は、メシアンが1962年に来日し奈良をはじめとする日本各地を訪れた折の印象を作品としてまとめたものである。
- 吉永小百合 - 「奈良の春日野」奈良公園の鹿を題材にした楽曲である。
- 山本正之 - 「奈良公園のシカ」アルバム才能の遺跡に収録されている楽曲である。
周辺情報 [編集]
脚注 [編集]
外部リンク [編集]
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座標: 北緯34度41分08秒 東経135度50分36秒 / 北緯34.68556度 東経135.84333度 / 34.68556; 135.84333