駐車場から
↑の南 古墳公園に整備されるまえからであろう
少し、遠回りになるが 東に ・・右折れ(南へ)
一路 西に(R171の北)、 住宅の中を
川の跡か
川の跡ですかと通行中の人に ・・・休みたいところやった。
ここですか、白もの「東芝」洗濯機工場の跡地です・・今(道幅3mもない一方通行)いる道は、西国街道。
ヘエ~ こんなに、「西国街道」て狭かったのですか・・・アノ西に見えるは「弁天さん」の塔、そして その向こうは、
千里中央の「THEタワー」 ・・・方角は、ほとんど達し ホ ・・・家電のこと・腰痛のこと・病院のこと・・・
・・・少し、下り坂 あ 西国街道は、進入禁止 信号待 左の歩道から パチリ
北に 先きほどの人の言われ通り↓ / よく、前は通過していたが・・・・
阿武山観測所は,昭和5年(1930),地球物理学教室の実験室が市電により精密観測に支障をきたすようになったため,その移転先の一つとして,原奨学金をもとに建設された。昭和29年(1954),教授定員をもつ理学部附属教育実習施設となった。
開設と同時にウィーヘルト地震計(1トン)が設置された。その後も各種の地震計の試作・改良が行われ,佐々式大震計などが追加された.広帯域・広ダイナミックレンジの観測体制により,世界の一級地震観測所として評価されてきた。観測結果は,昭和27年(1952)から平成8年(1996)まで,Seismological Bulletin, ABUYAMAとして世界中の地震研究機関に配布されてきた。
昭和46年(1971)には,総延長250mを越える観測坑道が設置され,地殻変動連続観測や坑内における高感度地震観測が開始された。
大正7年(1918)年に理学部で開始された高温高圧実験の装置は阿武山観測所に移設され,科研費等により高圧装置等が次々に追加され,高温高圧下での岩石の変形・破壊実験等が行われた。
昭和40年(1965)から地震予知計画がはじまり,微小地震研究観測および極微小地震移動観測班(後に総合移動観測班に拡充)新設のための定員増がはかられた。昭和48年(1973),理学部附属地震予知観測地域センターが設置され,その後,昭和54年(1979)には,教授1,助教授1,助手6,技官3,事務官1の施設となった。平成2(1990)年6月,防災研究所所属の部門・観測所と統合され,現在に至っている。
R171に出て / そうか、一通だったから、あの「西国街道」を通ったことがなかったのだ それと 東芝・・
まさか・・・・
・・・・・
名神高速道路茨木インターの手前 / 少し、東に戻れば 松下電器
(2008年10月1日、“松下電器産業株式会社”は、
“パナソニック株式会社”に社名を変更いたしました
この前は、いつもどちらかと言うと東の↑前ばかり 、名神高速道路が出来た時は、よく利用はしたが
改めて、改めてが・・・・・・。
コメント
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