日時/5月22日(日曜) 14:00~15:30
講演会「大阪万博とは何かだったのか~“進歩”と“調和”の実相」
講師/文化政策・まちづくり大学院教授 角橋徹也氏
秋元 宏 (吹田市立博物館 平成23(2011)年度春季特別展実行委員会 市民実行委員)さんの司会
レジメ2頁
角橋徹也氏の簡単な経歴
略歴:1934年京都市生まれ。
大学卒業後、大阪府に就職し千里ニュータウン開発に従事。
都市計画研究のためオランダ留学後、万博協会にて大阪万博会場計画の作成に従事。モントリオール万博駐在員。
大阪万博会期中は外国館担当リエゾンオフィサーなどを歴任。その間「中之島を守る運動に関わる。大阪府退職後、建築とまちづくりのコンサルタント事務所を主宰。現在は村野藤吾設計の千里南地区センタービルの保存運動に関わる。
学歴・研究歴:
大阪市立大学理工学部(現 工学部)建築学科卒業。オランダ ロッテルタ゜ム大学社会科学研究所修士課程修了。神戸大学大学院工学研究科博士課程修了。
都市プランナーを経て、まちづくり市民大学院教授。工学博士・一級建築士・技術士(都市計画め地方計画)
14時から先生の経歴紹介・レジメ(パーポィント48シート/編集印刷は秋元さん A4 10頁)ことで、始まりました。
感想:懐かしいキーワードが、ボンボンと飛び出し
(例:”もはや戦後ではない”(1956経済白書)・東海道新幹線開通と東京オリンピック開催(1964))
青春の血が騒ぐ・・反面・・新聞・TVで知る、現実の東日本大震災(3.11~73日目)も交差して・・頑張れ
日本(♪♪の歌)にも、煽られた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・パラダイム・パラダイム・・・・・・・・・・・・・・・・・
NO1
No3
2 万博の”成功”をもたらしたもの
・国家的プロジェクトとしての総力戦体制
・メディアと大衆が一体となった陶酔状態
・企業の大量宣伝と広告会社の果たした役割
・”国民総中流”と豊かさを自覚した人々の熱狂的支持と非日常の体験
・太陽の塔、お祭り広場、月の石、人工衛星などの話題性
・外国旅行の疑似体験~第2の開国の始まり
3 高度成長期(1960~70)へ突入
-黄金の60年代-
・”もはや戦後ではない”(1956経済白書)
・東海道新幹線開通と東京オリンピック開催(1964)
・大阪万博開催-高度成長の絶頂期
・田中角栄が日本列島改造論を出版(1972)
・2つの石油危機(1973年と1979年)
・バブル経済(1960年)とその破綻~失われた20年へ
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コメント
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