1.玉林寺の西で説明を聞き、右折れ・・玉林寺の裏・・左折れ・急な坂道をS字とのぼり(右側は朝日ビールさんの「先人の碑がある静かな公園」 時たま、小鳥の声も聞きました)・・吹田市市民会館が南東に見える片山公園の頂上に-片山公園忠魂碑-。
この地は、千里丘陵の南端と絡ませ・・地の豪族キシダ氏のこと・ 5C中頃 後期古墳・スエ器・ハニワ・近世の吹田操車場へ埋土地とその跡地・今の東部開発の発掘調査ので推定や史跡の発掘を通してみる周辺の様子・地殻の変動や地質そして平安期の瓦産業・・・などの説明を受ける。
■地の流れ<歴史>を・戦国時代を ↑ 吹田城との背景を理解するのに、ずいぶん役だった。
■戦国時代・・高台だから、周辺の様子がよくわかる。
2.片山公園を北に下り、吹田市立中央図書館(市制30周年に建設/来年、市制70周年)前を西に下り、総合福祉会館前で・・アケボの「ゾウ」が発見されたことや瀬戸内海で「ゾウ」が漁民の人で・・そして、明石原人・・と 吹田の地が古くからあることを・・・・
少し西に下ると バザーで賑やな人に見送られ
・・信号の手前を右折・・150mくらい歩道を西北に・・・3へと続く
-吹田市の保管所(不法駐輪車)-
道路の左はかなり急な地・・千里丘陵の水が流れて・・川・・川の横に道・・いわば、自然に道が出来たのが自然だろうと、常日頃から思っている。
頂いた資料 丸写し 「吹田城を探索」(A3 1枚)
吹田街道
吹田街道は、むかしから「伊丹道(いたみみち)」と呼ばれて豊中方面との交流によく利用された。南高浜町-写真・・後ほどにも現れるかも-
にある南町道標のところで亀岡街道から分かれ、西圧、垂水、榎坂、小曽根(おぞね)を経て、服部で能勢街道に通じる道である。亀岡街道を縦貫道とすれば、吹田街道は東西を結ぶ横軸としてたいせつであったことがわかる。
3.城山(現 出口町3)・・ここに「吹田城?」。
4.一行は、↑の地(出口町3)をUターン。
バザーのあった前を南下・・西の庄へ
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