2-4.通路・・東部拠点のまつづくり計画 用地区分線・・
2-5.通路の落書き
2-6.通路の南端
2-7.稱徳寺 岸部南3
2-8.稱徳寺 岸部氏碑
こんな文字も見ました・・明應二年/(室町)
-HPで調べていますが、1493年・・なかなか、あらわれません・・近くの天津神社との関係はなとどと・・・
吹田市立博物館のHP
●天津神社(岸部南3-15)
江戸時代、本居宣長は著書で吉志部は難波の吉士という氏族が住んだ所か支配した地域ではないかと考察しています。吉士は吉師・吉志とも書かれ、境内の燈籠に「難波吉師霊燈」と刻むのは、こうした考えが吉志部で広く受け入れられていたからでしょう。この小祠は忍熊王(応神天皇の異母兄)という皇子の首が埋められた場所に建つという言い伝えがあります。忍熊王は、難波の吉士の祖といわれる五十狭茅宿祢と謀反を起こし、追いつめられて両者ともに瀬田川の渡場に入って死んだといわれます。忍熊王の伝承は、吉志部と難波の吉士との関係から派生して吉志部一帯に語られてきたとみられます
●吹田市立博物館-わかりやすい吹田の歴史 別冊 平成20年3月31日 刊行-
頁13 吹田市のできごと
1493年 明応 吹田正通が実相院領正木荘の代官となり、年貢を請け負う。
・日本のできごと 1497年 蓮如が石山本願寺を創建する。
2-5.通路の落書き
2-6.通路の南端
2-7.稱徳寺 岸部南3
2-8.稱徳寺 岸部氏碑
こんな文字も見ました・・明應二年/(室町)
-HPで調べていますが、1493年・・なかなか、あらわれません・・近くの天津神社との関係はなとどと・・・
吹田市立博物館のHP
●天津神社(岸部南3-15)
江戸時代、本居宣長は著書で吉志部は難波の吉士という氏族が住んだ所か支配した地域ではないかと考察しています。吉士は吉師・吉志とも書かれ、境内の燈籠に「難波吉師霊燈」と刻むのは、こうした考えが吉志部で広く受け入れられていたからでしょう。この小祠は忍熊王(応神天皇の異母兄)という皇子の首が埋められた場所に建つという言い伝えがあります。忍熊王は、難波の吉士の祖といわれる五十狭茅宿祢と謀反を起こし、追いつめられて両者ともに瀬田川の渡場に入って死んだといわれます。忍熊王の伝承は、吉志部と難波の吉士との関係から派生して吉志部一帯に語られてきたとみられます
●吹田市立博物館-わかりやすい吹田の歴史 別冊 平成20年3月31日 刊行-
頁13 吹田市のできごと
1493年 明応 吹田正通が実相院領正木荘の代官となり、年貢を請け負う。
・日本のできごと 1497年 蓮如が石山本願寺を創建する。
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