No.10 弘法大師歌碑 阿字の子が(あじのこが)
歌碑の高さ:140cm 巾:70cm
あじのこが あじのふるさと たちいでて またたちかえる あじのふるさと
阿字の子が 阿字の古里 立出て 又立返る 阿字の古里 高野山第四八七世法印大融 (筆)
人は、誕生して世の中に出て行って、やがて大日如来の懐に帰って永遠の命が始まる *(という死生観で、真言宗のご詠歌になっています)
弘法大師(空海)は、宝亀五年(774)讃岐国(香川県)に生まれ、24歳で仏門に入り、 延暦二十三年(804)遣唐使に従って渡唐し、留学すること3年、真言密教を学んで帰朝し、高尾山寺に住して真言宗を開きました。
のち、桓武天皇の命で教王護国寺(東寺)を経営し、また修禅入定の地として高野山に 金剛峯寺を建立しました。
* 「阿」は、最初と最後を表す「阿吽(あうん)」の「あ」で、つまり最初の意味。
参考
インターネットで「阿字の子」を探すと、いろいろな紹介記事が見つかります。
●写真は 弘法大師歌碑 東/横 健康歩道 5/18撮影 緑・緑
歌碑の高さ:140cm 巾:70cm
あじのこが あじのふるさと たちいでて またたちかえる あじのふるさと
阿字の子が 阿字の古里 立出て 又立返る 阿字の古里 高野山第四八七世法印大融 (筆)
人は、誕生して世の中に出て行って、やがて大日如来の懐に帰って永遠の命が始まる *(という死生観で、真言宗のご詠歌になっています)
弘法大師(空海)は、宝亀五年(774)讃岐国(香川県)に生まれ、24歳で仏門に入り、 延暦二十三年(804)遣唐使に従って渡唐し、留学すること3年、真言密教を学んで帰朝し、高尾山寺に住して真言宗を開きました。
のち、桓武天皇の命で教王護国寺(東寺)を経営し、また修禅入定の地として高野山に 金剛峯寺を建立しました。
* 「阿」は、最初と最後を表す「阿吽(あうん)」の「あ」で、つまり最初の意味。
参考
インターネットで「阿字の子」を探すと、いろいろな紹介記事が見つかります。
●写真は 弘法大師歌碑 東/横 健康歩道 5/18撮影 緑・緑
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