いつも カンチョー /送信メール /これからは、キューカンチョ- /きょうちゃん :平成24年6月1日(金)
■ ■ 60きょうちゃん06 ブログ はじめて 3ッ月ごろ 当時は NTTのドブログ なんと 名神高速道路(吹田SA付近)の定点観測記事 1本で1400名の訪問者 全国く 4位 。
youtube は「千里竹の会」を中心に 500本は記録してす。
全ては 千里NT展=キュ-カンチョー 軍団の「おかげ」
小山 修三(こやま しゅうぞう、1939年3月24日 - )は、日本の文化人類学者・考古学者。専門は、民族学(オーストラリア・アボリジニ)、考古学(縄文時代)。国立民族学博物館名誉教授。
来歴・人物[編集]
香川県観音寺市出身。国際基督教大学教養部卒業。のちの漫画評論家・小野耕世は大学時代の親友[1]。
國學院大學大学院文学研究科日本史専攻修士課程・カリフォルニア大学博士課程修了。
1976年(昭和51年)「Jomon Subsistence and Population」で学位修得( カリフォルニア大学デービス校)。
カリフォルニア大学特別研究員を経て、1976年(昭和51年)国立民族学博物館助教授に就任。1996年(平成8年)同館第四研究部長に昇任、民族学研究開発センター長を兼任。オーストラリア・アボリジニを中心にフィールドワークを進めた著書や縄文時代に関する研究の著書に評価が高い。1960年代後半から1970年代にアメリカで盛んになったプロセス考古学の影響が強く、民族学(文化人類学)と考古学の接点が深いアメリカの手法を積極的に取り入れ実践している。ただし、国内の伝統的な考古学者からの批判もある。川や海に面している縄文遺跡の規模、出土する貝塚や、保存されていたドングリなどから、人口と面積の関係、つまり人口扶養能力(環境収量力)をコンピューターで解析。堅果類や魚介類、あるいは動物の分布などをマトリックスにして重ねて、土地がもつ人口扶養能力(環境収量力)を詳細に分析を行った。2002年(平成14年)3月に同館定年退官。
2004年(平成16年)6月に吹田市立博物館館長に就任。同館では特別展の企画運営を中心に市民参加を積極的に進め、2006年(平成18年)春の「千里ニュータウン展」、2007年(平成19年)秋の「'07EXPO'70-わたしと万博」は多数の来館者を集め、市民企画の新しい博物館のあり方を示した。飾らない人柄で吹田市民からは「カンチョー」と呼ばれ親しまれた。同館在任中、しばしば自ら「すいはく(吹田市立博物館)のトム・クルーズ」と名乗っていた。2012年(平成24年)5月に同館退任。2013年(平成25年)千里文化財団理事長に就任。
略歴[編集]
- 1964年 - 国際基督教大学教養学部人文科学科卒業
- 1968年 - 國學院大學大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了
- 1971年 - 國學院大學大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得退学
- 1976年 - カリフォルニア大学デイビス校大学院人類学部博士課程修了
- 1976年 - 国立民族学博物館第四研究部助教授
- 1991年 - 国立民族学博物館第四研究部教授
- 1998年 - 国立民族学博物館民族学研究開発センター教授
- 2000年 - 国立民族学博物館民族社会研究部教授
- 2002年 - 総合研究大学院大学名誉教授
- 2002年 - 国立民族学博物館名誉教授
- 2004年 - 吹田市立博物館館長
受賞歴[編集]
主著[編集]
単著[編集]
- 縄文時代コンピューター―考古学による復元―(中央公論新社・中公新書、1984年・中公文庫、1998年)
- 縄文探検(くもん出版、1990年)
- 狩人の大地―オーストラリア・アボリジニ―(雄山閣出版、1992年)
- 縄文の子どもたち(朝日新聞社、1994年)
- 縄文学への道(NHKブックス、1996年)
- 美と楽の縄文人(扶桑社、1999年)
- 森と生きる―対立と共存のかたち―(山川出版社、2002年)
共著[編集]
- 縄文鼎談三内丸山の世界(岡田康博との共著・山川出版社、1996年)
- 縄文人がおもしろい(岡田康博との共著・日本能率協会マネジメントセンター、1997年)
- 人はなぜ花を愛でるのか(八坂書房、2007年)
編著[編集]
- 現代日本文化の伝統と受容7 日本人にとっての外国(ドメス出版、1991年)
- 狩猟と漁労日本文化の源流をさぐる(雄山閣出版、1992年)
- 世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド(農分協、2004年)
- 梅棹忠夫 語る(日経プレミアシリーズ、2010年)
共編著[編集]
参考文献[編集]
- 『香川人物名鑑 2001』(四国新聞社)(2001年)
- 『香川県人物・人材情報リスト 2004』(日外アソシエーツ)(2004年)
朝日新聞 朝刊 31 大阪 北摂 13版
- ブログ名
- 千里ニュータウン+万博+∞…=吹田市立博物館!
- ブログ紹介
- 『千里ニュータウン展』『万博展』『自然展』など、市民や館長・学芸員が入り乱れて吹田市立博物館を盛り上げ、記録しているブログ
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吹田が生んだヴァイオリン奏者 堀江恵太さんの演奏会
出演/ヴァイオリン:堀江恵太氏
ピアノ:荒井悦子氏(堀江さんの中学時代の先生)
曲目/
F.クライスラー(1875-1962)/愛の喜び 愛の悲しみ 美しきロスマリン
N.パガニーニ(1782-1840)/無伴奏ヴァイオリンの為の24の奇想曲 作品1より
10番vivace 16番Presto 24番Quasi Presto カンタービレ(Cantabile)
貴志康一(1909-1937)/竹取物語 月 龍
E.イザイ(1858-1931)/無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番(第1~4楽章)
堀江さんが竹取物語を解剖/解説しました。
貴志康一の竹取物語を解剖すると大きく甲-乙-甲と三つの部分から成っている。最初の甲を解剖するとその中はさらにA-B-Aとなっていて、乙の部分もその中がX-Y-X’からできている。最後の甲の中味はA-Bだけで終結部につながって終わる。
このような音楽の形式を三部形式といい、甲乙甲の中も三部なので複合三部形式といいます。
この解剖した部分、部分のメロディを弾きながら解説してくれました。ピアノ伴奏が、主役のヴァイオリンより目立つことがないような作曲の工夫も解剖しました。
音楽的に考え抜かれてすっごくよくできた曲だということがよ~くわかりました。
これが20代の貴志康一のすごいところなの(だそう)です。
(おーぼら)
すいはく初 大フィル演奏会
大阪フィルのメンバーによるスペシャル・コンサート
出演/大阪フィルハーモニー交響楽団メンバー
ヴァイオリン:崔文洙氏 須山暢大氏
ヴィオラ:木下雄介氏
チェロ:近藤浩志氏
演奏曲目は
ドホナーニ(1877~1960)/弦楽三重奏のためのセレナーデ
バルトーク(1881~1945)/二台のヴァイオリンのためのソナタ
貴志康一(1909-1937)/竹取物語、龍
ヒンデミット(1895~1963)/ミニマックスより
バルトーク(1881~1945)/ルーマニア民俗舞曲
アンコール
1)ヒンデミット(1895~1963)/ミニマックスより
2)花(滝廉太郎)
でした。 最後の「花」は全員で合唱しました。
(by おーぼら)
平成31年度(2019年度)春季特別展開幕
音楽家 貴志康一 生誕110年~吹田に生まれた若き天才~
4月27日(土)午後1時 開幕しました。
【第一部】開会式・コンサート
「貴志康一の生涯と音楽」
出演:アンサンブル・ステッラ
歌:隈本由紀子氏 山崎芳智子氏
ピアノ:中村いく子氏 隈本義子氏
開会式の会場は定員いっぱいの120人あまりで、講座室のドアをあけてロビーで椅子席の観客が10人あまりいました。
アンサンブル・ステッラの指導で貴志康一作曲の風雅小唄(みやびこうた)を全員で合唱しました。
【第二部】展示解説
講師:五月女賢司学芸員
【第三部】講演会「貴志康一 28年の軌跡」
講師:毛利眞人氏(音楽評論家)
(by おーぼら)
新春館長講演会「元号と紀年法」(1/6)
「そういうことは歴史学者が聞かれることで文化人類学者にはご下問はないんですよー」と、そこはあっさりかわされましたが、今や日本だけで日常的に使われている「元号」。かつてはアジアのいろんな国でそれぞれの「紀年法」(年を数えるシステム)があり、これらのグローバルな紹介から始まりました。
ところでそんな元号大好きの日本でも、終戦まではもう一つの紀年法、「皇紀」(紀元)がありました。昭和15年(1940年)が紀元2600年とする数え方ですね。神武天皇の即位から数え始めるとする数え方です。ところがこの皇紀、制定されたのはなんと明治5年で、西暦と同じ頃に導入された新顔。元号と皇紀とどちらを明治新政府の「使うほう」にするのか議論があって、「皇紀一本で行く」という主張もあったそうですが、結局「併用で行く」と落ち着いたんだそうです。
古くからの元号のほうがやはり生活に浸透していて、「皇紀」(紀元)は戦後ほぼ使われなくなってしまいましたが、かつて日本が占領していたアジア圏では、インドネシアの独立宣言(昭和20年・1945年)が皇紀で書かれているなど、意外なところで痕跡を残しています。
元来「改元」は突然発生するため、「元年の暦」はないもののたとえに使われるそうですが、今年は異例の計画改元。新元号は5月1日からですが、発表は前もって4月1日に行われるとのこと。エイプリルフールと重なってややこしいフェイクが巻き起こらないことを祈りたいものです。
(by okkun…最後の一文はokkunの感想です…)
わたしと万博…人々は何を見たのか(リンク集)
千里万博の地元、吹田市立博物館では2007年に特別展「'07EXPO'70-わたしと万博-」を市民企画で行いました。これに関連して当ブログでは有志から「わたしと万博」のエピソード、裏話を、投稿&聞き書きによって収集し、49編にわたって連載しました。多士済々、百花繚乱、ごったまぜ?…やはり地元には強い磁場があるというか、濃ゆい話がいっぱい出てきました。2007年当時でとても37年前の話とは思えないみずみずしさ、ムチャクチャ面白いです!(遠方から来られた方、万博終了後の話もあります)
それからさらに11年、2018年になった今、なんとこのオオサカン・ピープルの熱に引き寄せられて?2025年万博の開催地が大阪に決定!そこでこの49編のリンク集をまとめて掲載いたします。万博は人々に何を残すのか?…それを一番よく知っているのは、吹田・千里の人たちではないでしょうか(記事のタイトル部分をクリックするとジャンプします)。
●1.ある市民委員の作文(okkun)
●2.カレーライスと小さなお客(K.T.さん)
●3.小学校2年だった(てつさん)
●4.待った、疲れた、見られなかった(きょうちゃんさん)
●5.神戸港からゾウが歩いてきた(Aさん)
●6.来るな、来るな…こわかった!(おーぼらさんのお友達)
●7.バンパク美術展(へぐりさん)
●8.デートと森の思い出(sutanさん)
●9-1.民放はじめての共同中継(テレビマンKさん)
●9-2.月の石を食べた!(テレビマンKさん)
●9-3.山の手言葉のロシア人(テレビマンKさん)
●10.梅棹忠夫さんに聞く(梅棹忠夫さん)
●11.万博とひだびと(akakageさん)
●12.「EXPO CITYから来ました」(黒バグさん)
●13.動く歩道は歩くもの(こぼらさん)
●14.縄文人は岡本太郎をまねた?(石毛直道さん)
●15.ある小学生の大阪万博(H.F.さん)
●16.修学旅行で万博へ(Y.F.さん)
●17-1.九ちゃんの思い出(あかちゃんさん)
●17-2.メキシコ館つれづれ(あかちゃんさん)
●17-3.長嶋だっ!(あかちゃんさん)
●17-4.クリエーター・大高猛(あかちゃんさん)
●18.わが心の「青春桜」(光 軍夫さん)
●19-1.若き裏方技術者の挑戦(MMMMさん)
●19-2.万国博めざした千日前通建設(MMMMさん)
●20.クリエーター・大高猛Ⅱ(あかちゃんさん)
●21.三方町~吹田市 リーダー交歓会(てつさん)
●22-1.新京阪電車P6の引退(kafukuさん)
●22-2.情報産業論と万博(kafukuさん)
●22-3.千里ニュータウンという展示物(kafukuさん)
●23.「万博を思い感傷にふける…」(Kさん)
●24.万博少年になれなかった僕の万博体験記(万博少年?Tさん)
●25-1.お祭り広場うらばなし1(伊吹健さん)
●25-2.お祭り広場うらばなし2(伊吹健さん)
●25-3.お祭り広場うらばなし3(伊吹健さん)
●25-4.お祭り広場うらばなし4(伊吹健さん)
●26.わが家はタイムカプセル(Sさん)
●27.万博カヤの外(K教授さん)
●28.万博アパシー(カンチョーのトラウマ)(カンチョー)
●29.「○百万人目のお客様」!?(A.Fさん)
●30.バンパクよりアンポの1970年(ミリカママさん)
●31.山田で臨時民宿経営してました(Oさん)
●32.万博が私の職業を決めた?(かべさん)
●33.藤白台の子供と万博(okkunほか)
●34.SF作家放談「1970年を語る」を読む(あかちゃん)
●35.泥の工事現場で振袖の手を振る(吹田市万博課長Hさん)
●36.万国博ホステス・夏の一日(遠藤桂子さん)
●37.北海道からのお便り(Mさん)
●38.筑豊から遠かった大阪(okkunの先輩)
●39.万博跡地で鶴瓶さんと野球!(てつさん)
●40.万国博バッジの思い出(こぼらさん)
●41.ゾウのゆくえが気になる(okkun)
●42.酒屋の配達トラックから目撃した未来(寺西善宏さん)
●43.「古代の夢と現代の夢」父と古河パビリオン(蟇田吉昭さん)
●44.原子力発電が美しい夢だった時代(Oさん)
●45-1.万国博ホステスうちあけ話(遠藤桂子さん)
●45-2.エルパソとの国際電話(遠藤桂子さん)
●46.みんぱくへの道(関雄二さん)
●47.アメリカ館ホステスの思い出(ジナ・バーンズさん)
●48.遅れて来た「中国」(okkun)
●49.父が作った新幹線に乗って(にしやんさん)
こんなエピソードが2025年にもいっぱい生まれますように…万博は決して「一過性のイベント」なんかではありません。
(まとめ by okkun)
「お祭り広場」って何だろう?一大阪万博秘話
万博のお祭り広場の設計をなさった上田篤先生の講演がありました。
はじめに中牧館長が(祭りのはっぴを着て)上田先生の紹介を兼ねたあいさつ
上田先生は
お祭り広場の設計で有名だがそれだけではない、
たくさんの発見や発明がある例えば、・「五重塔はなぜ倒れないか」を解明された
・建設省で千里ニュータウンなどニュータウンの計画を担当した
・鎮守の森の研究をして、社叢学会を作った。
日本各地に残っている鎮守の森こそが日本の伝統文化のあり方だというような主張をされ、
さらにさかのぼって縄文文化に通じるということで縄文文化/竪穴住居の問題にも造詣が深い。
さらに日本国家の成立にかかわることで、とくにアマテラスの役割、国土の形成に関心をもって研究なさっている
そしてまもなく米寿を迎えられる。お元気で、大いに刺激を受ける人です。
このたび吉志部神社の鎮守の森にある吹田市立博物館におまねきしました。
********************
以下、すいはく博物館だよりから転写
「お祭り広場」って何だろう?一大阪万博秘話
大阪の北方、千里ニュータウンの傍に万博記念公園があり、そこにひと際目立つ、お化けのような「太郎タワー」が立っている。そしてその辺りをお祭り広場跡という。その「お祭り広場」とはいったい何だろうか?
今から53年前の夏、長く辛かった戦争を忘れるかのように、日本中は「東京オリンピック」に沸いていた。ところがそのとき、もう一つの国際文化イベントである万国博覧会の大阪開催を目指して通産省を通し、密かにパリ国際博覧会協会に働きかけていた文化人グループがあった。建築家の浅田孝、建築評論家の川添登、文化人類学者の梅棉忠夫、SF作家の小松左京らである。その彼らの運動が功を奏して、翌年春、パリ国際博覧会協会は1970(昭和45)年に大阪で万博を行うことを決定したのである。
そのニュースが日本に伝わったとき、寝耳に水の関西人はびっくりした。「万博って一体何や?」。しかし、もう時間がなかった。その会場が千里ニュータウンの隣接地と決まったため、早速、大阪府・市を中心とする対策事務局が作られ、その何人かの役人が、たまたまその年の一月に京都大学建築学科の助教授に赴任した私のところにやって来た。というのも、私はそれまでの約10年間、建設省住宅局にいて日本のニュータウン建設に取り組んでいたのだが、私のところへ来られた人々はその関係者たちで、彼らは万博の準備を命じられたものの万博が分からず、元中央官僚の私のところに助けを求めにきたのだった。しかし万博は通産省の所管で建設省の知るところではない。そこで「万博の調査を始めては?」と提案したところ、その調査を私がやらされることになった。
そこで私は京都大学建築学科内の京大建築会に勧進元を依頼し、私の直属の教授の西山卯三氏を責任者として、京大を中心として私の知る限りの関西の知識人・学者を総動員し「万博とは何か」と関西の知識人・学者を総動員し「万博とは何か」というA4判300頁の報告書を3か月余りで作り上げた。ために私は生涯初めて、3日完全徹夜なるものを数回やった。34歳の「若さの暴走」だった。
しかし、大阪府・市を始め多くの市町村、マスコミ、企業、学校などにその報告書が配られた結果、万博の趣旨が次第に理解されていった。単なる産業博覧会などと違い「人類はどうあるべきか」ということについての特定のテーマを持って各国、各企業が出展するものだ、ということである。
その大阪万博のテーマもやがて「人類の進歩と調和」と決まった。後は会場計画委員会が作られて、会場計画の原案作成者を決めるだけとなった。そうしたその年の12月末に会場計画委員会が開かれることになり、その直前に私のところへまた府・市の担当者がやってきて「会場計画の原案作成者をぜひ関西から出してほしい」と懇願した。
しかし懇願されても私は先の「調査報告書」をまとめ上げたに過ぎず、名目上の編者は西山教授であり、ために西山教授は会場計画委員になったが、私は会場計画委員でも何でもない。大学の一助教授に過ぎず何もできる立場にない。しかも会場計画委員会委員のメンバー表を見ると、西山教授のほかに、西山教授が委員になったためか下馬評では有力だった先の浅田孝氏の名が消え、代わりに東京オリンピックで数々の施設の設計で有名になった丹下健三東京大学教授が入っている。そして会場計画委員会は、原案作成者をこの西山・丹下の二人のどちらにするかで惧悩している、というのである。
そこで私は言った。「それなら、西山卯三さんと丹下健三さんのお二人に共同設計をお願いしては? お二人ならきっとできるでしょう」。私がこのお二人なら共同設計ができるだろうと思ったのは、お二人は建築家とはいえその業績が余りにも違うからだ。丹下さんは正真正銘の世界の建築家だが、西山さんは建築家とはいえその実質のお仕事は都市計画や国土計画である。しかしそういう内実はともあれ、これは絵の巨匠のピカソとマチスに共同制作をお願いするようなもので果たしてそんなことができるのだろうか?府市の担当者たちは不安げな顔をして帰っていった。
しかし、その数日後に先の会場計画委員会が開かれ、その席上、丹下健三さんが「西山さんとならうまくやれるでしょう」と言って西山・丹下の共同設計案を了承されたのである。私のアイデアは採択されたのだった。
それから1か月後の節分の夜、丹下さんの申し出により東京のホテル・ニューオータニの特別室で、西山さんと丹下さん、それにお忙しい両氏の代理人として私と丹下さんのお弟子の建築家の磯崎新さんの合計4人が、会場計画のやり方について具体的な相談を行うことになった。その席上、丹下さんはこう提案された。「西山先生。会場計画の原案を先に、つまり設計期間の前半に自由におやりください。ただし後半を私にやらせてください。そのとき30パーセントだけ変更をお許しください」。これは、お二人が純粋の芸術家だったら誰が聞いても腰を抜かすような提案だろう。それを丹下さんが言い出され、西山さんも了承された。つまり私の突飛なアイデアが日の目に向かったのである。
そこで会場計画の前半をやることになった西山さんは私に「万博会場を未来都市のモデルにするから、中心に広場を置く案を描け」といわれた。しかし私は「羽仁五郎さんも『都市の論理』でいわれる通り、日本の都市には広場の伝統がありません」と答えたが「なかったら新しく作れ」といわれた。私は咄嗟に「お祭りのときの広場ならあります」と答えたら「それでいい」といわれた。
私がそう答えたのも、東京から京都に向かって出来たばかりの新幹線に乗って京大に赴任したとき、国土の山野に無数の鎮守の森を「発見」したからだ。それまでニュータウンばかり手掛けていた私は、そういう伝統の存在にビックリした。
そこで京大に来て学生たちと各地の鎮守の森を調査したところ、その多くが祭の時に神輿の御旅所になる「小広場」をもっていることを知った。そこで祭のイベントが行われる。その素晴らしいものに小豆島の亀山八幡宮のお旅所があった。広場の周囲に大きな石が7、8段も連続して立ち並び、まるでギリシャの野外劇場の観覧席のようだ。私はそれを基に原案を描いた。そういうことがあって、西山さんの前半の案は「お祭り広場を持つ未来都市」となった。
後半は丹下さんがそのお祭り広場案を引き継ぎ そこに六角形ユニットの鉄骨の箱を無数に連続させた、航空母艦のように巨大な「カマボコ板の屋根」を掛けられた。そして私に「その下にそれに見合う観覧席、広場、地下空間などを設計しなさい」と命じられたのである。西山さんが途中で設計を降りられたため、代わりに、たいして建築デザインの実績もない私を抜擢していただいた。
丹下さんは西山さんとの約束を守られたのであった。私は感激してその任に当たった。なお、また丹下さんは別に岡本太郎さんという画家にシンボルとなるタワーの設計を依頼された。これも岡本さんは彫刻家でもなかったのにその大任を見事に果たされた。そうしてそれはお祭り広場のシンボルになった。
こうして出来上がったお祭り広場は大阪万博の花形となり、連日連夜、そこで世界の祭りが行われ、当初の予想を大きく超えて万博史上最高の6400万人もの観客を集めた。お祭り広場の案が発表された当初、万博運営を所管する通産省が「万博は産業技術の博覧会だから、お祭りをやりたかったら文部省に頼め」と異議を唱えたが、後には黙ってしまった。
このような大阪万博は何から何までが異例づくめの一大イベントだった。そんなことが許されたのも、敗戦に打ちひしがれた当時の日本人が、まなじりを決して日本文化を持って世界に立ち向かおう、という強い意欲があったからだろう。西山・丹下・岡本さんらもなくなられた今となっては遠い思い出である。(元大阪大学教授 上田 篤)
(おーぼら)
「お祭り広場」の講演が「文化の日」におこなわれます
11月3日(金、祝)
午後1時30分~3時
「『お祭り広場』って何ですか? -大阪万博秘話」
講師/上田篤氏(元大阪大学教授)
内容紹介:
1970年の大阪万博には「お祭り広場」がつくられました。桟敷席をもつ広場では、開会式をはじめ、さまざまなイベントがくりひろげられました。瀬戸内のお祭りをヒントに「お祭り広場」を設計した上田篤先生に当時の経緯を「秘話」として語っていただきます。
お知らせまで。
(アルプスの少年)
2017年度夏季展示「自然のふしぎをあそぼう」開幕
主催者を代表して後藤市長があいさつしました。
【要旨】きょうはいい天気、そして暑い。でも将来、室温や湿度が年中一定に保たれるようになったら人間はどうなるだろう。海外に行くとよくおなかをこわす。それは海外が悪いのではなくて、日本が快適すぎて私たちの耐性が低下しているのだろう。ある意味都会病なのでしょう。
今回博物館で「自然の不思議をあそぼう」が開かれます。
毎年、市民ボランティアが企画していただいている。以前は歴史系博物館であったところに
あたらしいいぶきを吹き込んでいただきました。
ふつう博物館といえば歴史系を思い浮かべるのが一般的だろう。
博物学は英語でNaturalHistoryというように博物学には自然が含まれているのだ。
History(歴史)をみていくとき、暮らしや歴史、伝統というように範囲が広がっていくのですが、
結局、博物学とは「わからんことを知りたい」ということでしょう。
分からんことが一番多いのは自然の分野でしょう。
今朝の新聞では「なぜ生きてるのか、生命システムがわからない」という生物が発見されたそうだ。
「不思議をあそぼう」とは奥深いタイトルだ。
お子さんたちにいろんな仕掛けで自然の不思議を突きつけで、さらに疑問が出てくる。
そして彼らが大人になった時、コントロールされた自然を是とするか、しないのか。この夏を体験した子どもたちは是としない大人になっているだろう。
そのためにも子供たちに体験させることはいいことです。
来年以後も取り組んで頂きたいです。
中牧館長
夏のさなかに始まる夏季展だが実は冬のまっただ中から実行委員会を重ねて今日を迎えたのです。寒い中、実行委員会を作って20名を超える市民ボラの協力で今日を迎えているのです。
市長も述べたように当館は歴史系博物館で自然系の学芸員は一人もいない、そこを実行委員の方たちが補ってくださっています。
natural historyという広い分野を考えるということは19世紀に始まったわけだが、その精神を21世紀にとりもどそうという試みです。
身のまわりの不思議を子どもたちにもわかるようにする展示を実行委員会の皆さんがしてくださいました。蝶々がどのように世界を見ているのか。火山のない吹田市にどうして火山灰が積もっているのか
蜘蛛はなぜトンボを捕らえるが自分は蜘蛛の巣にくっつかないのか
などを上手に展示してくださいました。
展示に際して伊丹昆虫館や芥川のアクアピアを尋ねたりして、博物館の連携のなかから今回の展示が生まれた。たくさんの子どもたちが来館してくれると嬉しい。
この博物館で、楽しみながら学ぶことは十分可能だと思います。USJとニフレルだけじゃないですよ。
毎日のように多種多様なイベントがありますので吹田の子どもたちには恵まれた環境にあると自画自賛しています。
毎年市民が企画している夏季展ですが、毎年レベルが上がっていることは間違いないです。イベントでも新しい取り組みも見られる。市民実行委員は委員長が伊藤委員長から藤田委員長に変わりました。フレッシュな風が吹いています。
藤田和則実行委員長
みなさんのおかげで今日の開会式を迎えることができたと感謝しています
学芸員の皆さんはお忙しい中お手伝いいただきました。
中牧館長からは定例実行委員会にも出席して適切なアドバイスをいただきました。ありがとうございます。
こういう形で博物館と市民が子どもたちを迎えるということが吹田市の健康の源だろうと思っています。
これからも続いていくようがんばって子どもたちを迎えたいと思う。
開会式の後、特別展示場で藤田和則実行委員長が展示解説をしました。
そのあと、玄関前広場で佐井寺中学吹奏楽部60人~そのうち一年生20人~が演奏(+歌+ダンス)をしてくれました。
(おーぼら)
今年の夏季展示は「自然のふしぎをあそぼう」
「千里ニュータウン秘宝展」@千里ニュータウン情報館(南千里・-11/27)
・今回初めて、バスオール3代が南千里に集合します。(全国でもたぶんここだけ…)
・初公開!こないだまで山田駅前にあったD棟の美しい住棟番号!
・万博当時の珍しい阪急電車の表示類(9年ぶりに揃い踏み)
今週末、10月15日(土)と、11月12日(土)には展示解説もあります。
両日、14時からと15時からの2回ずつ!
情報館、けっこう貴重な資料がつまってるのですが、使い回しがきくように簡素に作りすぎて(っていうか予算もつかず)、いい場所にあるのにもったいないことになってます!少しでも価値を再認識していただければと。ここがなくなったら、千里ニュータウンの情報、ちりぢりばらばらになっちゃいますよ~!そうなったら取り返しつかないです。
すいはくと千里ニュータウン情報館、吹田市の機構的にはまったく別の部門に連なっていますが(すいはくは社会教育、情報館は都市整備)、バックヤードでは柔軟に協力してもらってますので、「まるで別館のように」どちらも可愛がってやってくださいませ。地域はひとつですから。
(by okkun)
新芦屋古墳の装飾馬具の本物が展示されていますー秋季特別展の期間中
駐車場から吹博への案内表示が完成!
2016年 夏季展示 開幕しました
まもる自然・つくる環境Ⅲ どっちがどっち!?-ちかくの自然をよくみてみよう-
会期/平成28年(2016年)7月16日(土曜)~8月24日(水曜)
いきものには、ぱっと見た目はそっくりさん、だけどよくみればちがう種類というものがたくさんいます。
ちがいはわかるけど、それじゃあ?どっちのいきものがどっちの種類?まではなかなかわからないもの。
今年の展示では、私たちの身近にいるこの、「どっちがどっち!?」をたくさん集めました。
いくつわかるか挑戦してみよう!
吹田市の小学校4年生が作成した「自然発見シート」を展示しています
展示だけでなく、さまざまな関連イベントもほとんど毎日開催されています。夏休みの思い出づくりにぜひ来館下さい。(吹田市立博物館夏季展示実行委員会 副委員長 金指)
セミの脱け殻 クマゼミとアブラゼミ どっちが多いか
脱け殻を持って来た子どもに いきものカードを渡しています。
迷路や ころりんオルゴールがあります。どうやって遊ぼうかな。
展示場には三畳程のスペースがあり、塗り絵や折り紙ができます。
ダンゴムシレースの迷路です。自分のダンゴムシを一生懸命に応援しています。
“田園都市”千里山 ~大正時代の理想郷~ 最終日
放送大学の「博物館展示論」で吹田市立博物館が取り上げられます(初回は6月1日20:45~21:30)
8回目の講義のテーマは「歴史系博物館の展示-国立歴史民俗博物館と地方の博物館」です。その講義概要をみると「本章では、まず国立歴史民俗博物館と東北歴史博物館の展示を比較検討し、歴史系博物館の展示のコンセプトとそのメッセージ性や政治性について考える。また、吹田市立博物館と知多市歴史博物館を取り上げ、地域密着型の歴史系博物館の特徴やその役割、また市民との共同などについて学ぶ。」とあります。
http://www.ouj.ac.jp/hp/kamoku/H28/kyouyou/C/ningen/1554875.html
最初の放送日は今年の6月1日(水曜)20:45~21:30です。45分番組のなかの後半部で約10分間、常設展示と企画展示、ならびに市民実行委員会による展示などについて、放映されます。
さらに詳しくは吹博のHP「館長のページ」をご覧ください。
http://www.suita.ed.jp/hak/kanchou/kanchou.html
(アルプスの少年)
春季特別展 開幕 最初の講演会
シンポジウム「来場者による大阪万博の経験と長期記憶」
全日本博物館学会 2015年度 第8回研究会
「来場者による大阪万博の経験と長期記憶」
開会挨拶 吹田市立博物館 館長 中牧 弘允
趣旨説明 全日本博物館学会 委員
吹田市立博物館 学芸員 五月女 賢司
「来場者による大阪万博の経験と長期記憶」
神戸学院大学 教授 清水 寛之氏
清水先生はいきなり来場者にアンケート用紙を配り回答を待って講演をはじめました。
「大阪万博の回想:来場者による経験と鮮明な長期記憶の保持」
カナダ・ブリティッシュコロンビア大学
教授 デイヴィッド・アンダーソン氏
全日本博物館学会 常任委員・乃村工藝社
若月 憲夫氏
パネル・ディスカッション デイヴィッド・アンダーソン教授
休憩時間に場外でも熱い討論が!
(おーぼら)
2016年 観梅会 箏演奏
2016年 観梅会 詩吟
2016年 観梅会
◆講話
「梅と日本文化」 中牧弘允館長
まず「春」の定義から。
「春とは何ですか?」と問われたらどのように答えるのが正しいのでしょう?
春を決めるのに太陰太陽暦、二十四節季、天文学、気候学に基づく四つの方法があります。
●太陰太陽暦いわゆる旧暦では“月切り”といって春は1月、2月、3月を言い、各々を初春、中春、晩春とも呼びます。同様に初夏、中夏、晩夏・・・
●二十四節季は太陽の動きを(立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満などと)24等分して決めたもので立春から立夏前日までを春と定義されています。
●西洋から導入された天文学では春分から夏至前日までを春といいます。
●太陽暦に基づく気候学からは春は新暦の3~5月のことです。
一方春の花について
菅原道真が大宰府で
東風吹かばにおひ をこせよ梅の花、あるじなしとて春を忘るな
と詠ったように日本文化で春の花はず~っと梅だった。
余談だが京都御所の紫宸殿では「右近の橘、左近の桜」だが北野天満宮では「右近の梅」になっている。
しかしいつの頃からか春の花が梅から桜に代わってきた
西行や本居宣長の歌などがきっかけとなったのだろう。
西行の「ねがはくは 花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月のころ」
季節は2月の15夜。これは(今年に当てはめると新暦3月23日で桜が咲き始めるころになるように)新暦では3月下旬から4月上旬に当たる。吉野の山桜も咲くころに相当する。
したがって、ここで詠まれた「花」は桜を意味する。
これがひとつのきっかけとなって日本人は梅から桜に乗り換えてきた。
春の定義が4つあり、花も梅と桜があり
日本文化には4通りの春と2種類の花を楽しむのことが見られるのです。
インドやネパールのヒンドゥー教の春祭りホーリー祭(Holi)も語りたい勢いでしたが時間切れでした。なにしろ制限時間が10分だったので、ここで講話はおわりました。
◆講話
「身近に生きている外来植物」 紫金山みどりの会会長 武田義明さん
武田義明さんは「紫金山みどりの会で紫金山公園の整備や林の管理をしている。週一回放送大学の兵庫学習センターに行ってる。」と自己紹介した後、「身近に生きている外来植物」と題して紫金山公園を中心に吹田市内で見られる外来植物の紹介をしました。
観梅会だが、梅は元来日本にはなかったもので野生には存在しなかった。
外来生物には「人間によって運び込まれ野外に定着したもの」という定義がある。
梅は野外に定着していないので外来植物には当たらないともいえます。
さらに外来生物は「自然に分布を拡大したものは含まない」ということで人間が関与して外国から入ってきたものを言うのです。
その入り方に関して
意図的導入:観賞用に輸入した植物、フィッシングのために持ち込んだ魚、養殖のために輸入したものなど人間活動に伴って入ってきたもの
逸失導入:アライグマ、タイワンザルなど輸入したペットが逃げ出したもの
非意図的導入:船底や輸入材木に付着して入ってきたもの
などがあります。
2005年に外来生物法が施行されました。その中で特定外来生物に指定された動植物は
栽培・飼育・保管・運搬・輸入は原則禁止。
譲渡や野外に放つ・植えることは禁止されていて違反すると懲役3年もしくは100万円以下の罰金が科せられます。しかし周知不足で多くの国民はこの法律を知らないのが現状です。
●特定外来植物は17種類指定さてています。そのなかで吹田で見られるものを紹介します。
◆オオキンケイギクは北米原産で花がきれいので知らないで緑化のためや花壇に植えられ広がった。在来種が駆逐されています。
◆ナルトサワギクは緑化のために導入したものが広がってしまった。毒があるので鹿が食べないために、残ってしまった。淡路島で大量発生していて吹田にも侵入してきました。
◆オオカワヂシャは水辺に生える植物。吹田でも多く見られる。繁殖すると同時に日本のカワジシャと高配して遺伝子のかく乱が起きている。在来のカワジシャがすいたではほとんど見られなくなった。
在来のカワジシャとの雑種ホナガカワヂシャが増えている。
◆アゾラ・クリスタータはシダの仲間。元々アイガモ農法でカモのエサとして導入したものが増えてきた。吹田にはニシノオオアカウキクサという同じような外来種が繁茂していたが最近なぜか消えてきた。
その他、特定外来生物には指定されていない外来植物として
◇クレソンやシロツメクサは日本各地に広がっている
◇アメリカオニアザミは最近とくに目立ってきましたトゲだらけで痛いアザミです。
◇トウネズミモチ:中国原産でその実を鳥が食べて種を運ぶので生息地が増えていく。常緑樹なので林が暗くなってしまう。
◇タチバナモドキ(ピラカンサ)も鳥が種を運んで生息域が広がります。
◇トケイソウはつる性で林を覆ってしまうのだが全国的に広がっているとはいえない。しかし吹田市周辺で広がっている感じがする。原因は分からない。中南米原産だが吹田市内で越冬している。実は食べられるがおいしくはない。
◇タンポポ。在来種とヨーロッパ原産の外来種(アカミタンポポ、セイヨウタンポポ)がある。問題はカンサイタンポポとカンサイタンポポの雑種がふえていること。
◇ヒメジョオンも外来種。ハルジオンは花が少し早く茎が中空で葉っぱが茎を抱く。
◇メリケントキンソウ:トゲがあるので座ると痛い。子どもがはだしで歩くときは注意。
(おーぼら)
2021年7 月
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