1.米国 トランプ 階層があり 花札 自然をモチ-フ ボート頭にイメージ 歳
2.地震 災害 そうそう 方丈記
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備前花札
花札 - Wikipedia
- 備前花(びぜんはな)
- 岡山県を中心として使われたという花札
花札は、日本人の自然への愛が込められた美しい絵札です。
江戸時代中期に生まれ、もともとは「花鳥合わせカルタ」と呼ばれて階級の女性の間で流行した雅な遊びのひとつでした。賭博として知られるようになったのは明治期になってからで、もともとそのために作られた訳ではありません。「花鳥合わせ」「花札」と言っても、絵柄は花鳥だけでなく、草木や月、雨、動物といった季節の代表も含まれており、描かれているのが何なのかを知るだけでも趣深いと感じられます。俳句や着物と同じく、日本人の花鳥風月への情緒の豊かさが色濃く反映された文化なのは間違いありません。
花札の構成
1月 松(まつ) 松に鶴
2月 梅(うめ) 梅にウグイス
3月 桜(さくら) 桜に幕
4月 藤(ふじ) 藤にホトトギス
5月 菖蒲(あやめ) 菖蒲に八つ橋
6月 牡丹(ぼたん) 牡丹に蝶
7月 萩(はぎ) 萩にイノシシ
8月 芒(すすき) 芒に月・雁
9月 菊(きく) 菊に杯
10月 紅葉(もみじ) 紅葉に鹿
11月 柳(やなぎ) 小野道風にカエル・柳にツバメ
12月 桐(きり) 桐に鳳凰ひと月に4枚ずつ、合計48枚で構成されています。
方丈記方丈記 - Wikipedia
『方丈記』(現代語表記:ほうじょうき、歴史的仮名遣:はうぢやうき)は、鴨長明(かものちょうめい)による鎌倉時代の随筆。日本中世文学の代表的な随筆とされ、約100年後の『徒然草』、『枕草子』とあわせ「日本三大随筆」とも呼ばれる。
概要[編集]
長明は晩年、京の郊外・日野山(京都市伏見区日野町)に一丈四方(方丈)の狭い庵を結び隠棲した。彼が庵内から当時の世間を観察し、書き記した記録であることから「方丈記」と自ら名づけたのが本作品である。末尾に「于時、建暦のふたとせ、やよひのつごもりごろ、桑門の蓮胤、外山の庵にて、これをしるす」とあることから、1212年(建暦2年)に記されたとされる。現存する最古の写本は、大福光寺(京都府京丹波町)が所蔵する大福光寺本であり、これを自筆本とする見解[1]、誤字・脱字や諸本との関係より自筆ではないとする見解[2] がある。
漢字と仮名の混ざった和漢混淆文で書かれたものとしては、最初の優れた文芸作品であり、詠嘆表現や対句表現を多用し、漢文の語法、歌語、仏教用語を織り交ぜる。慶滋保胤の『池亭記』を手本としていることが指摘されており、かつてはこれを根拠の一として偽書説も唱えられていた。隠棲文学の祖や、無常観の文学とも言われ、乱世をいかに生きるかという自伝的な人生論ともされる。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」の書き出しで移り行くもののはかなさを語った後、同時代の災厄についての記述が続き、後半には自らの草庵での生活が語られる。さらに末尾では草庵の生活に愛着を抱くことさえも悟りへの妨げとして否定する。
諸本[編集]
広本と略本があり、広本は更に古本系と流布本系に分けられている。各本の関係を、長明自身による推敲の各段階を表すとする見解と、後代の書写、改作による変化とする見解がある。
現代の研究において底本とされることの多い大福光寺本は古本系に属し、漢字と片仮名による仮名交じり文である。これに対して、流布本系は平仮名交じりの仮名交じり文で書かれ、古本系との本文の異同も少なからず存在する。
略本は長明の体験した災厄に関する記述がなく、その他の部分にも異同が大きい。中でも真字本は漢字のみで書かれている。
天災・飢饉に関する記述[編集]
『方丈記』の中で長明は、安元3年(1177年)の都の火災、治承4年(1180年)に同じく都で発生した竜巻およびその直後の福原京遷都、養和年間(1181年~1182年)の飢饉、さらに元暦2年(1185年)に都を襲った大地震など、自らが経験した天変地異に関する記述を書き連ねており、歴史史料としても利用されている。
安元の大火[編集]
安元3年4月28日(1177年5月27日)午後8時頃、都の東南(現在のJR京都駅付近か)で、舞人の宿屋の火の不始末が原因で出火した。火はまたたく間に都の西北に向かって燃え広がり、朱雀門・大極殿・大学寮・民部省などが一夜のうちに灰燼に帰した。公卿の邸宅だけでも16軒、一般家屋に至っては都の3分の1が焼失した。死者は数十人(『平家物語』の記述では数百人)であった。
治承の竜巻[編集]
治承4年(1180年)4月、中御門大路と東京極大路の交差点付近(現在の京都市上京区松蔭町、京都市歴史資料館の辺りか)で大きな竜巻(長明は「辻風」と記述)が発生した。風は周囲にあるものをあっという間に飲み込み、家財道具や檜皮、葺板などが、あたかも冬の木の葉のように宙を舞った。風の通ったあとには、ぺしゃんこに潰れたり、桁や柱だけになった家が残された。竜巻は市街地を南南西に向かって走り抜け、現在の東本願寺の手前辺りで消滅したものと思われる。
養和の飢饉[編集]
養和年間(1181-82年)2年間にわたって飢饉(養和の飢饉)があり、多くの死者が出た。旱魃、大風、洪水が続いて作物が実らず、朝廷は様々な加持祈祷を試みたが甲斐なく、諸物価は高騰し、さらに翌年には疫病が人々を襲った。仁和寺の隆暁法印が無数の餓死者が出たことを悲しみ、行き交うごとに死者の額に「阿」の字を書いて結縁し、その数を数えたところ、養和2年4月・5月の左京だけで、42,300人余に達したという。なお、この飢饉は福原遷都や、源頼朝・源義仲をはじめとする各地での武力蜂起とその追討の影響によって拡大した面があるが、方丈記にはその点は触れられていない。
元暦の地震[編集]
元暦2年7月9日(1185年8月6日)、大きな地震が都を襲った(文治京都地震、地震の年表#日本参照)。山は崩れ海は傾き、土は裂けて岩は谷底に転げ落ちた。余震は3か月にもわたって続いたという。
方丈記の該当箇所には「また、同じころかとよ、おびたゝしく大地震ふること侍りき。そのさまよのつねならず。山はくづれて河を埋み、海は傾きて陸をひたせり。土裂けて水湧き出で、巌割れて谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ船は波にたゞよひ、道行く馬はあしの立ちどをまどはす。」とする記述があり、ここで云う「海」とは『平家物語』などで「湖」や「水海」と表現されている琵琶湖ではなく、この地震が内陸地震にとどまらず、津波を伴っていた可能性が指摘されるとする説がある(南海トラフ巨大地震説)[3]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
方丈記(原文・現代語訳) - 学ぶ・教える.COM
方丈記(原文・現代語訳)
学ぶ・教える.COM > 大学受験 > 古文 > 方丈記 ■ 方丈記 ― 全文全訳(対照併記) 方丈記 … 建暦2年(1212)成立の日本を代表する随筆の一つ。方一丈(約3m四方)の草庵に隠棲した鴨長明が記した。仏教の無常観をもとに、大火、旋風、福原遷都、飢饉、地震などの天災、人災(五大災厄)に翻弄される人々について回顧するとともに、世を捨てて一人静かに暮らす自らの生活を簡潔な和漢混淆文で記述。 鴨長明 … 1155?~1216 鎌倉初期の随筆家、歌人。通称、菊大夫。法名、蓮胤。賀茂御祖神社(下鴨神社)の神職(禰宜)の家に生まれ、和歌や管弦を学ぶ。建仁元年(1201)和歌所寄人に補任。神職の地位を得る機会を一族の妨害によって挫折。50歳で出家し、京都日野の外山に隠棲。著作は、『方丈記』のほか、『発心集』『無名抄』など。 □ 方丈記の原文・現代語訳(口語訳・解釈:全訳) 一 『ゆく川の流れは絶えずして…』 : 冒頭 二 『予、ものの心を知れりしより…』 : 安元の大火 三 『また、治承四年卯月のころ…』 : 治承の辻風 四 『また、治承四年水無月のころ…』 : 福原遷都 五 『その時、おのづからことの便りありて…』 : 平安還都 六 『また、養和のころとか…』 : 養和の飢饉 七 『前の年、かくの如く…』 : 疫病の流行 八 『仁和寺に隆暁法印といふ人…』 : 仁和寺の隆暁法印 九 『また、同じころかとよ…』 : 元暦の地震 十 『すべて世の中のありにくく…』 : 鎌倉時代の格差 十一 『わが身、父方の祖母の家を伝へて…』 : 隠棲の理由 十二 『今、日野山の奧に跡を隠してのち…』 : 庵の様子 十三 『春は、藤波を見る…』 : 庵での生活 十四 『また、ふもとに一つの柴の庵あり…』 : 友人との行楽 十五 『おほかた、この所に住みはじめし時は…』 : 静穏な独居生活 十六 『それ、人の友とあるものは…』 : 自助による生活 十七 『衣食のたぐひ…』 : 閑居の気味 十八 『そもそも、一期の月影傾きて…』 : 結末 (注) 方丈記の各章段は当サイトにおける便宜上のものであり、内容のまとまりを重視して区分しました。 花札 - Wikipedia
花札(はなふだ)は、日本のかるたの一種であり「花かるた」とも呼ばれた。今では一般に花札といえば八八花のことで、一組48枚に、12か月折々の花が4枚ずつに書き込まれている。
48枚の由来は、一組48枚だったころのポルトガルのトランプが伝来した名残である。2人で遊ぶこいこい、3人で遊ぶ花合わせ、という遊び方が一般的だが、愛好家の中では八八という遊び方に人気がある。同じ遊び方でも地域によってルールが異なったり、地域独特の遊び方もあるほか、海外にも伝播している。
歴史[編集]
日本にカードゲームが初めて上陸したのは安土桃山時代。宣教師が鉄砲やキリスト教、カステラ等と共に伝えたとされる。ちなみに日本の「かるた(歌留多、骨牌)」の語源は、ポルトガル語でカードゲームを示す「carta」である。天正時代(1573〜91)にはすでに国産のかるたが作られており、当時の札が一枚だけ現存する。江戸時代には、賭博という閉鎖性と当時の物品流通の実態から、日本全国に普及したカードゲームは、各地で様々なローカルルールを生み出し、そのローカルルールにふさわしいように札のデザインも変えていった。それらの札を「地方札」という。
かるたへの禁制は安永のころから厳しさを増し、とくに寛政の改革では売買が厳しく禁止された。花札は、この禁制からの抜け道として考案されたと考えられている。それまで12枚×4スートであったものを、花札では数字及びスートの記号を隠すために4枚×12か月とし、図案には主に教育用に用いられていた和歌カルタをモチーフとした。しかし、花札もすぐに禁止された。現在残っている最古の禁令は1831年のものである[1]。また『摂陽奇観』によると、それ以前の1816年にすでに花合(= 花札)が禁止されており[2]、それ以前に花札が考案されていたと考えられる。
明治初期には相変わらず花札は禁止されていたが、1886年に販売が解禁され、同年に銀座の上方屋から花札とルールブックが発売された[3]。これ以降花札は大いに流行した。その一方で1902年に「骨牌税」によってカルタ類が課税されるようになると、地方札を生産していた日本各地のかるた屋は倒産し、地方札は廃れていき、各地に伝わる遊び方も滅びていった。なお、任天堂は多くの地方札の原版を保有しており、発注も可能である(もちろん、相応の発注単位である必要がある)。同社サイトで、地方札原版がファイルに収められている様子が確認できる。
現在、花札を製造している企業は、「任天堂」「田村将軍堂」「大石天狗堂」「エンゼルプレイングカード」をはじめ、多数存在する。2009年夏まで、「松井天狗堂」が日本唯一の手摺り花札を製造していたが、職人の高齢化や後継者不在などの理由で現在では製造を辞めている。
「花札」の「花」は、花鳥がデザインされているためにこの名があるが、また本カルタ(南蛮系・天正系を源流にするもの)に対する代用品という意味もあるだろうという。花電車・花相撲などに使われている「花」の意味である[4]。
もともと歌かるたは上流階級の遊びであったため、幕府は下流階級の商人や町人が使用することを禁じた。[要出典]そのため人々は幕府の目を盗んで賭博行為をするため、店の奥に賭博場を用意した。店に入った最初に「鼻(ハナ=花札)をこする合図」をすると店主が「奥へどうぞ」と賭博場へ案内してくれたという。賭博行為で使用するという後ろめたさから、隠語的表現で花札の販売店には花=ハナ=鼻として「天狗」の面が掛けられていたことからパッケージにもイラストが描かれることになった。
種類[編集]
日本各地の花札[編集]
- 八八花(はちはちはな)
- 日本全国で使われている花札。明治期に完成した。全国の地方札の図案を統一したものと言われている。特徴として柳のカス札が「太鼓に鬼の手」になっている。現在花札といえばこの八八花を指す。日本古来の組み合わせ(松に鶴、梅にうぐいすなど)や、他のカルタからの図案転用も見られる。6月・7月の4枚を減らし、40枚構成(厚さは48枚構成に合致させているので少し厚い)にした「虫札」といわれるものも存在する。
- 北海花(ほっかいはな)
- 北海道で使われていたという花札。
- 越後花(えちごはな)
- 新潟県、及びその付近で使われていたという花札。『大役』『小役』(小役は詳細不明。大役は最近になって判明)という競技に使われたほか、八八花の代用にも使われた。現在でも製造されている。
- 越後小花(えちごこはな)
- 新潟県の上越方面で使われていた花札。一回り小さく、「鬼札」という追加札が3枚あるのが特徴。鬼札を使う遊び方も以前はあったらしいが、現在は伝わらない。
- 越前花(えちぜんはな)
- 福井県で使われていた花札。謎が多い。
- 金時花(きんときはな)または阿波花(あわはな)
- 四国地方で使われていたという花札。金太郎の鬼札(ジョーカー)があることからこう呼ばれるようである。短冊札と素札(カス札)に月数が書いてある。ちなみに現在の徳島北東部が発祥地といわれているから「阿波花」の別名が付けられている。
- 奥州花(おうしゅうはな)または山形花(やまがたはな)
- 山形県を中心として東北地方で使われたという花札。二枚あるカス札のうち1枚に黒点が打ってある。
- 花巻花(はなまきはな)
- 岩手県を中心として東北地方で使われたという花札。
- 備前花(びぜんはな)
- 岡山県を中心として使われたという花札。
外国に伝播した花札[編集]
- 大連花(だいれんはな)
- 中国大連在住の邦人が使っていたという花札。短札の背景に模様がついており、「赤短」「くさ」「青短」ごとに背景の柄が異なる。
- 花闘(ファトゥ:화투 / 花鬪 / hwatu)
- 李氏朝鮮末期に朝鮮半島に伝えられた花札。日本から最初に伝えられた製品は任天堂製の花札であるという。現在はプラスチック製で、商標が桐ではなく、薄の光札(20点札)の満月内に書かれている(メーカーによる)、藤の札が逆向きになっている(これもメーカーによる)といった細かい違いがある。赤短には「紅短(ホンダン、홍단 / 紅短 / hongdan)」・青短には「青短(チョンダン、청단 / 靑短 / cheongdan)」という字がそれぞれハングルで書かれている。光札には漢字で「光」と書かれた赤い丸印が入っている。また桐を11月、柳(雨)を12月とみなす。ほかにパックの中に柳のカス札の予備や、ジョーカーに似た特殊なカス札がはいっていることがあるが、実際のゲームには使わないことも多い。特殊なカス札は、手札やめくり札の中に出てきたら、それを自分の取った札に追加して(カス2枚または3枚に相当する)、山からもう一枚引くことができる。日本では伝統的なカードゲームといった地位に落ち着いている花札であるが、韓国では現在でも「3人集まれば必ず花札をする」と言われるほど人気があり、「国民ゲーム」と称されるほどである。こいこいを元にした「ゴーストップ」がもっとも盛んであるが、ほかに六百間や、おいちょかぶ系統の「ソッタ」なども行われる。花札は延辺朝鮮族自治州などの中国朝鮮族の間でも行われている。戦後韓国で花札賭博が横行し社会問題になったほか、北朝鮮では花札は禁止されているという。
- ハワイの花札
- 各札の点数や、どの役に使えるかを示すインデックスが札の上に書かれていることがある。ハワイでは短冊が10点・日本で通常10点とする札が逆に5点になる。また、柳に小野道風の札も5点と数える。カス札は0点である。ハワイの花合わせは「さくら」と呼ばれ(肥後花とも)、不如帰・八橋・猪(クサと同じ月の5点札)のように、見慣れない役がある。
構成[編集]
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2011年2月) 花札の絵柄は以下の通り。札の名称や漢字はもっとも一般的なもの。「短冊・赤短・青短」は「丹札・赤丹・青丹」とも書く。
月 花 20点札(光) 10点札(種) 5点札(短冊) 1点札(カス) 1月 松(まつ) 松に鶴(つる)[絵札 1] - 松に赤短[絵札 2]
松のカス(2枚)2月 梅(うめ) - 梅に鴬
(うぐいす)[絵札 3]梅に赤短[絵札 2]
梅のカス(2枚)3月 桜(さくら) 桜に幕(まく) - 桜に赤短[絵札 4]
桜のカス(2枚)4月 藤(ふじ)[絵札 5] - 藤に不如帰
(ほととぎす)藤に短冊
藤のカス(2枚)5月 菖蒲(あやめ) - 菖蒲に八橋
(やつはし)[絵札 6]菖蒲に短冊
菖蒲のカス(2枚)6月 牡丹(ぼたん) - 牡丹に蝶(ちょう) 牡丹に青短
牡丹のカス(2枚)7月 萩(はぎ)[絵札 7] - 萩に猪(いのしし) 萩に短冊
萩のカス(2枚)8月 芒(すすき)[絵札 8] 芒に月(つき) 芒に雁(かり) -
芒のカス(2枚)9月 菊(きく) - 菊に盃(さかずき) 菊に青短
菊のカス(2枚)10月 紅葉(もみじ) - 紅葉に鹿
(しか)[絵札 9]紅葉に青短
紅葉のカス(2枚)11月 柳(やなぎ)[絵札 10] 柳に小野道風[絵札 11] 柳に燕(つばめ) 柳に短冊 柳のカス 12月 桐(きり) 桐に鳳凰(ほうおう) - -
桐のカス(3枚)[絵札 12]絵柄に関する注釈[編集]
- ^ 実際には鶴は足の指のしくみや体重などで、松に乗るのは不可能である。松に乗っていたのは実はコウノトリとされ、昔の画家がコウノトリを鶴と勘違いしたという説もあるが定かではない。絵を確認すると、鶴は松に乗っているのではなく地面に立っているのでこの説の前提からして疑問である。そもそも「松に鶴」という縁起物を描いたデザイン画にこのような説を当てはめる事自体に無理があるものと思われる。[要出典]。
- ^ a b 「あかよろし」と書かれている。「の」のように見える2文字目は「可」の草書体に由来する変体仮名の「か」()である。「あかよろし」とは「明らかに良い」という意味かという説もあるが定かではない。
- ^ 梅に描かれている鳥の体の色はウグイスよりメジロに近い。実際のウグイスの体は茶褐色と白である。また、メジロは梅の蜜を吸いに梅の木にやってくるが、ウグイスは昆虫を主食とするため、梅の花との関連性は低い。テレビニュースで梅の花にやってきたメジロに「ウグイス」との間違ったキャプションがつけられたこともある。しかし、元々「梅に鶯」という言葉は「取り合わせのよい二つのもののたとえ」という意味であり、「梅に鶯」をテーマにした絵画とメジロが梅の木にやってくることとは関係がない。従って描かれている鳥はメジロであると断定する事はできない。また、実際には地方やメーカーによって描かれている鶯の色はさまざまに異なっている。ほかの札の赤い月夜や黄色いツバメを見ても、そもそも写実的な色を使おうとしていないことは明らかである。
- ^ 「みよしの」と書かれている。古くから桜の名所とされた、奈良県吉野地方の美称である。
- ^ 黒豆(くろまめ)とも言う。
- ^ 八橋とは愛知県知立市にある地名である。構図は杜若の名所で知られる無量寿寺の庭園に因み、在原業平の歌でも有名である。もっとも花札では菖蒲と呼んでいるため、杜若と菖蒲を勘違いするおそれがある。
- ^ 赤豆(あかまめ)とも言う。
- ^ 「薄」とも書く。坊主(ぼうず)とも言う。
- ^ 無視したりすることを意味する隠語の「しかと」は、この絵札が語源と言われている。10月の札で鹿が横を向いているので「鹿十」(しかとお)に由来するという説がある。
- ^ 雨(あめ)とも言う。
- ^ 古くは「柳に番傘」または「柳に番傘を差して走る斧定九郎」であった。明治時代にデザインが変わり「柳に小野道風」となる。
- ^ 桐のカス札のうち1枚にはよく製造元が印刷されている(例:任天堂など)。桐のカス札の1枚は色違いとなっており、ゲームの種類によっては特別な点数を持つ。
点数[編集]
種類 枚数 点数 備考 光 5 20 松に鶴、桜に幕、芒に月、柳に小野道風、桐に鳳凰 種 9 10 動物や鳥の描かれているもの、菖蒲に八橋、菊に盃 短冊 10 5 短冊の描かれているもの カス 24 1 植物だけが描かれているもの(0点とする場合がある) この点数がもっとも一般的だが、地域やゲームの種類によって札の点数は異なる。例えば、六百間では光および「梅に鴬」は50点、短冊と桐の黄色のカス札は10点、カス札は0点として計算する。ただし青丹3枚あるいは文字入りの赤丹3枚を揃えると加点がある。
また、こいこいでは役を作る時にどれがタネでどれがカスであるかの区別が必要なだけで、得点を計算するときは札の点数は無視される。植物の種類と月名との対応[編集]
もっとも普通に行われている「めくり」系のゲームでは、植物と月名の対応に関する知識はほとんど必要ないが、おいちょかぶを花札でやる場合には月名との対応を覚えていないとプレイできない。
月名は旧暦によっている。しかし、「柳に燕」や桐のように季節に植物が一致しないものがある。
地域やゲームの種類によっては、上の表とは異なる対応になっているものがある。たとえば、ひよこでは、柳が2月、桐が6月、牡丹が11月、梅が12月である。これは名古屋地方では一般的な対応であった[5]。
競技種目、競技方法[編集]
めくり系[編集]
場札と手札を合わせ、さらに山札をめくって場札と合わせるもの。合わせた札は自分のものになる。取った札によって役を作ることができる。花札のゲームとしてはもっともよく行われている。
イタリアのスコパ・英語圏のカシノや、中国で牌九牌を使った釣魚・トランプを使った撿紅点というゲームに類似している。
かぶ系[編集]
札の月の合計の1の位を9に近づけるもの。バカラ・牌九などに似ている。株札を使う地域もあるので、株札のゲームもここに含めた。
きんご系[編集]
札の月の合計を15以下で最大の数に近づけるもの。広義のかぶ系であり、かぶ系に含める場合もある。ブラックジャックに似ている。
よみ系[編集]
台札に対して、1つ上の月の札を出していき、手札を早くなくした側を勝ちとするもの。トランプの「ポープ・ジョーン」などに類似する。
花札の不正行為[編集]
俗に言うイカサマやインチキ。
- 目じるし
- 特定の札に傷や染みなどの細工を施す、俗に言う「ガン札」。
- さくら
- 競技に参加していない第三者が、競技に参加している者と組んで対戦者の手札を覗き、それを相手に手振りなどの動作で伝える行為のこと。
- 尻のぞき
- 山札の一番下を覗き見る行為のこと。
この節の加筆が望まれています。 用語[編集]
特定のゲームでのみ使用する用語は除く。
- 親
- 札を合わせる段階で最初に札を出す人。
- 胴二
- 札を合わせる段階で二番目に札を出す人。「ナカ」とも言う。
- ビキ
- 札を合わせる段階で3番目の人。古くは「大引(おおびき)」と言った。
- のぞむ
- 切った札の上下を入れ替える(カットする)こと。胴二が行うことが多い。
- まく
- 札を配ること。ふつうは親が行う。
- サシ
- ふたりで競技すること。
- 手役
- 札を合わせはじめる前の手札によって決まる役。
- 出来役
- 札を合わせはじめてから取った札によって決まる役。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 尾佐竹猛 『賭博と掏摸の研究』 総葉社書店、1925年。
- 池間里代子 「花札の図像学的考察」、『流通経済大学社会学部論叢』 (流通経済大学) 第19巻11-26頁、2009年。 NAID 110007191037。 NCID AN10281220。
- 江橋崇・著『花札-ものと人間の文化史-』(法政大学出版局)2014年6月11日発売予定 ISBN 978-4588216718
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