茨木川が
http://www.kira.city.ibaraki.osaka.jp/manabidori/no14/14html/5811/s5811100.htm
橋の名前やたら
山茶花、梅などの花々が散り始めると本格的な花の季節の到来です。桜前線の北上に伴い「茨木のさくら」も満開時を迎えます。そこで、編集スタッフは、茨木の桜の名所を訪ね、“とっておきのさくら情報”をお届けすることにします。
元茨木川緑地公園
茨木市のほぼ中央を北から南へ流れる茨木川がありました。この川は辺りの田畑へ水を送る役目をしていましたが、市の人口増加とともに田畑は宅地へと変わっていき、川よりも道路を望む人々の声が高まっていきました。日本万国博覧会の年(1970年)「川を埋めて緑地公園にする」という計画が立てられ、田中町から沢良宜までの5kmに及ぶ緑地公園は1974年~1988年の15年間の長きにわたる工事によって完成しました。現在は、市民の“いこいの場”となっています。
茨木市民さくらまつり 田中町と桜通りの2か所で平成2年より桜祭りが毎年3月下旬から4月上旬の10日間開催され(今年は3月28日~4月6日)、野点や琴の演奏が桜に彩りを添えます。ソメイヨシノが一番多く約1,500本、松月・普賢象・関山などの有名な里桜系統も約680本あります。
桜通りの珍しい里桜 『鬱金(うこん)』 江戸時代から記録にあります。色が珍しく開いた花弁は淡い黄緑色で、ウコン色に見立てたもの。つぼみの外側は淡紅色、散る間際の花弁の中心は紅色に変わります。 『普賢象(ふげんぞう)』 室町時代からある八重桜の代表種。外側の花弁はやや濃い淡紅色、内側は白色。2本の葉化した雌しべをつきだしている様子を、普賢菩薩が乗る白象に見立てたのが名前の由来です。 『安行寒桜(あんぎょうかんざくら)』 埼玉県南部の安行で栽培に成功しました。早咲き桜で、沖縄原産の寒緋桜と同時期(桜通りでは3月中旬頃)に咲きます。淡紅色一重咲き、花弁は丸くて大きくソメイヨシノに似ています。
桜の苑
市の北部、上音羽にあり、4月上旬から5月上旬の約1か月間桜とツツジの開花にあわせて開園します。植樹、剪定、下草刈、開園時期の決定などは市役所農林課が担当しています。ソメイヨシノを中心に桜の木が約1,000本植えられていて、近くの山や下方に広がる田畑、家を背景にした満開の桜の美しさは一幅の絵をみるようです。桜は市内より1週間くらい遅く咲き、続いて5月までツツジを楽しむことができます。 阪急バス「上音羽口」または「上音羽倶楽部前」バス停下車徒歩5分。
その他の桜の名所 弁天さん(冥応寺)……近鉄バス「茨木弁天前」下車 万博公園(吹田市)……大阪モノレール「万博公園」駅下車 |
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- 日本の代表的な桜、ソメイヨシノは幕末近くに江戸の染井村(現在の東京駒込)で栽培、明治になってから全国に広まった。有名な太閤秀吉の醍醐の花見は山桜?浅野内匠頭の切腹場面も山桜?
- 日本で最も早く咲く桜は沖縄の寒緋桜。1月下旬頃には開花する。ワシントン・ポトマック河畔の桜は、日露戦争中当時の東京市長尾崎行雄がルーズベルト大統領に贈ったもの。
- 桜の宴の始まりは、弘仁2年(811)嵯峨天皇が南殿(紫宸殿)に桜を植え、宴を催したのが最初。左近の桜はこの時からだろうか。
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平成2年、元茨木川緑地公園が 大阪みどりの百選に選ばれた。 |
公園緑地課の話
市内の公共施設に植えられている樹木を管理しています。公園、緑地、街路樹に植えてある1本1本に樹木銘板をつけ、それらを番号化し、履歴をコンピュータに登録しています。緑地化にあたっては、大きく枝を張る木、低く花を咲かせる木など特徴を生かしながら配置するように心掛けています。「花が散った」、「毛虫がでた」「葉が茂りすぎる」「葉が落ちた」と苦情もきますが、目を楽しませ、日陰を作り二酸化炭素を吸収しトくれる樹木を大切にしてほしいと思います。公園の清掃も大切な仕事で、こども会などのボランティア清掃にも感謝しています。ゴミ、騒音などの面でご協力いただきマナーを守って楽しんでください。 |
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http://www.h3.dion.ne.jp/~miyachan/sakuradoori.htm
桜通り(さくらどおり)
桜通りは高橋交差点より南へ横江交差点までの約2.2kmです。 桜通りは大阪みどりの百選「元茨木川緑地の桜」としても有名です。
中条図書館前・消防署前にも茨木童子の像と説明書きがあります。
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茨木童子「茨木童子」は古くから民衆の中で語り伝えられてきたふるさと茨木の代表的な民話です。 「茨木市史」によると、茨木童子は水尾村で生まれたが、幼児期に茨木村のはずれに捨てられ、近くの床屋に拾われて育てられた。床屋の手伝いをしているうちに客の切傷の血をなめ、その味を知ってからは、わざと傷をつけて血をなめることが習癖となった。 自分でも異常に思った童子は前の小川にかかる橋の上から水に映る自分の顔を見、それが鬼に形相であることを知って人間世界での生活をあきらめ、大江山の酒呑童子の配下になったということです。 この茨木童子の名が広く世に知られるようになったのは浄瑠璃や芝居の題材となってより以後のことであり、その名の最も早く見えるのは、おそらく「御伽草子」の酒呑童子の項であろうといわれています。 この「茨木童子」像は茨木青年会議所が郷土の埋もれた伝統文化を掘りおこし、それを顕彰することによって、市民の皆さんにふるさとを再発見していただこうという願いをもって製作され、茨木市ではこの趣旨を生かしつつ、多くの市民の皆さんの憩いの場としてここに設置しました。 平成2年3月 茨木市 |
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水辺 消防署前の滝~もう少しビニールパイプを見えないようにして欲しいものです。 |
遊歩道1 ジョギングコースでもあるので地道です。アスファルト舗装が多い中、貴重です。 |
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健康歩道 川端通りは直線ですが、ここはサークルになっています。もちろん土足厳禁です。足は第二の心臓です。 |
健康歩道説明書 愛称「トッキパワー」とにかく不摂生している人にはいたるところが痛い。中には気持ちよさそうにスイスイ歩いている人もいる。「あんたは何もんだ?」と言いたくなります。 |
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オークの森 阪急のガードを超えて少し行くとありますが、良く見ないと通り過ぎてしまいます。 |
遊歩道2 花壇があり、いつも綺麗です。茨木市制50年の時計のモニュメントもあります。 |
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あやめ橋付近 「あやめ」か「かきつばた」がわずかに咲きます。 |
オリーブの森 オリーブは小豆島で栽培され内海町は茨木市民海の家もあります。 |
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オリーブの森の石碑 小豆島の地図と下記の文字が刻まれています。 「オリーブ」の原産地をたずねると、それは遠く地中海沿岸に至ります。 わが国におけるその栽培発祥地は本市と国内姉妹都市の内海町(香川県小豆郡)であります。 両市町の友好親善を深めるとともに、「平和」のシンボルである「オリーブ」を広く市民のみなさんに親しんでいただくことを願って、このたび内海町のご芳志をいただきここに「オリーブの森」を設置いたしました。 平成2年11月 茨木市 |
大阪みどりの百選 「元茨木川緑地の桜」 桜の開花時期は短いので毎年桜祭りで賑わいます。所狭しといっせいに宴会が始まります。桜通りはいつも雪洞がたてられ、提灯がつるされて出店や茶会、植木の販売がされ、移動式トイレも満員になります。点灯時間は夜9時までです。
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今年はシルバー人材センターで「ぜんざい」もしていました。 |
年々賑やかになってきます。 |
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道路愛称モニュメント 「桜通り」茨木市長 重冨敏之書 デザイン製作 木村光佑 「空の方へ」SKY,WORD-C
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水辺 暑い時にはやはり涼が一番。 |
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遊歩道3 4月の桜が終わると八重桜、それに続いてハナミズキが咲き出します。 ここより南も桜通りですが佐和良義神社、道祖神社につづく。 |
平成15年6月現在 平成16年4月一部追加