沼島(ぬしま)は、淡路島の南4.6kmの紀伊水道北西部に浮かぶ兵庫県南あわじ市に属する島。面積2.71km²、周囲9.53km[1]、 最高地点は117.2m。瀬戸内海国立公園の一部。人口520人(2012年11月末現在)[2]。本項ではかつて同区域に所在した三原郡沼島村(ぬしまむら)についても述べる。
勾玉形の島で北西側の真ん中に漁業中心の集落と沼島漁港があり、対岸の南あわじ市灘土生の土生(はぶ)港[注 1]、 洲本市の洲本港との間を定期船で結ばれている。江戸時代末期に漁業や海運業で最も栄え、1955年(昭和30年)頃までは人口2,500人ほどを擁していたが、その後は人口流出が著しい[4]。
中央構造線の南側に位置するため、淡路島とは異なり全島が三波川変成帯の結晶片岩によって構成され、南岸の海食崖には緑・白・黒など様々な縞模様が現れている。また珍しい同心円状の鞘型褶曲(さやがたしゅうきょく)も見られる[注 2]。 崖下に磯が発達していることから磯釣りの名所でもある。
- 注
- ^ 正式名称は灘漁港[3]。
- ^ 1994年発見。世界でもこことフランスの2か所でしか見られない。日本の地質百選に選定されている[5]。
国産み神話[編集]
淡路島は、『古事記』では淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)と書かれ、『日本書紀』では淡路洲と書かれていて、伊弉諾尊(いざなきのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の産んだものとされる。
この「記紀」によると伊弉諾尊・伊弉冊尊の二神が天上の「天浮橋(あめのうきはし)」に立って、「天沼矛(あめのぬぼこ)」をもって青海原をかきまわしてその矛を引き上げたところ、矛の先から滴り落ちる潮が凝り固まって一つの島となった。これがオノゴロ島で、二神はその島に降りて夫婦の契りを結んで国産みを行った。初めに造られたのが淡路島で、その後次々に島を生んで日本国を造られたとされる。このおのころ島の所在地については諸説紛々としていて、そもそも架空の島であると言う説、淡路島北端の淡路市にある絵島、南あわじ市榎列(えなみ)の自凝島神社のある丘、あるいは淡路島全体であるという説もある。しかし南あわじ市には古くからおのころ島の地名があり、二神を祭る「おのころ神社」が存在するため沼島とする説もある[6]。
詳細は「国産み」を参照
自然と観光スポット[編集]
ほぼ全島が瀬戸内海国立公園の特別地域に指定されている。
- 奇岩 - 上立神岩、屏風岩、あみだバエなど
- 島の南側の海岸線は太平洋の黒潮をまともに受ける場所であり、奇岩・岩礁を形作っている。なかでも高さ約30mの上立神岩(かみたてがみいわ)は「天の御柱」とも言われ、江戸時代の和漢三才図会には「龍宮の表門」と書き記されている。
- ウミウ越冬地
- 11月から3月まで越冬するため、ウミウとヒメウが本州北部から飛来して、島の南側の岩棚に数百羽の集団で越冬している。1971年(昭和46年)に兵庫県の天然記念物に指定[7]。ヒメウは日本国内では絶滅の危険が高いとして絶滅危惧IB類(EN)に指定されている。
- おのころ神社
- 小高い山の上にあり、この山全体がおのころさんと呼ばれる神体山である。天地創造の神である伊弉諾尊・伊弉冉尊の二神を祀っている。
- 沼島庭園(伊藤邸)
- 兵庫県下最古の石組みの庭園。別名鶴亀庭園。足利義稙が沼島在所時に逗留した大寺(おおじ)に作庭したと言う説がある。
- 南あわじ市立沼島中学校
- 南あわじ市立沼島小学校
- 南あわじ市役所 沼島出張所
- 沼島郵便局(2007年3月に集配業務を南淡郵便局へ移管)
- 沼島漁港 - 兵庫県管理の第2種漁港で、主にアジ、イカ、タチウオなどが水揚げされている。2008年(平成20年)の水揚げ量は557t、登録漁船数は128隻[8]。
- 沼島海底送水管・送電線 - 対岸の灘地区との間に2条の送水管と関西電力の送電線が敷設されている[9]。
- ハモの名産地で、島で食事が出来る店は3軒、宿泊可能な店は2軒ある。
- 離島支援により沼島漁港に定期船の埠頭が整備され、道路も舗装され、海水浴場も整備されている(シャワー・トイレあり)。
淡路島から沼島汽船を利用する。和歌山下津港や徳島小松島港など本土との直接の便はない。
- 沼島汽船
- 洲本港 - 火・木・土のみの週3往復。所要時間52分。
- 土生港 - 一日10往復。所要時間10分。
土生港の沼島汽船場へは、
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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- 沼島汽船発着時刻表 - 南あわじ市ホームページ
新宮 晋(しんぐう すすむ、1937年7月13日 - )は日本の彫刻家[1]。風や水で動く彫刻で世界的に知られる。
イタリア滞在中に絵画からレリーフ作品、さらに立体作品へと分野を変えたが、帰国後の作風は「動く立体作品」で一貫している。高さ数メートルのスチール製の彫刻も多く、屋外に展示されているものも多い。風や水で動いたり、光を巧みに取り入れることで、自然との一体感を生む作品に特徴がある。「空気の専門家」の異名がある。
近年では「キッピスと仲間たち」や「ウィンドキャラバン」など、地球のすばらしさや大切さを表現する企画に熱心に取り組む。
舞台演出、絵本の執筆など多彩な活動を行っている。
おもな作品[編集]
受賞歴[編集]
- 第4回吉田五十八賞(建築関連美術の部)(1979年)
- 第8回現代日本彫刻展で国立国際美術館賞(1979年)
- 第8回長野市野外彫刻賞(1980年)
- 第18回日本芸術大賞(1986年)
- 第6回ヘンリー・ムーア大賞展特別優秀賞(1989年)
- 兵庫県文化賞(1994年)
- 大阪芸術賞(1995年)
- 第43回毎日芸術賞特別賞(2002年)
- 紫綬褒章(2002年)
- 第20回現代日本彫刻展大賞(2003年)
外部リンク[編集]