夕焼け。
今年(2013年)の中秋の名月は、9月19日(木曜日)です。
2012年の中秋の名月は、9月30日でした。
2011年の中秋の名月は、9月12日でした。
2010年の中秋の名月は、9月22日でした。
2009年の中秋の名月は、10月3日でした。
2008年の中秋の名月は、9月14日でした。
2007年の中秋の名月は、9月25日でした。
2006年の中秋の名月は、10月6日でした。
2005年の中秋の名月は、9月18日でした。
2004年の中秋の名月は、9月28日でした。
2003年の中秋の名月は、9月11日でした。
2002年の中秋の名月は、9月21日でした。
http://www.astroarts.co.jp/special/2013moon/
地球から一番近いところにある身近な天体、月。その模様をウサギに見立てるなど、古くから人々に親しまれています。とくに天保暦(いわゆる旧暦)8月15日の月は「中秋の名月」として有名で、供え物をしてお月見をする習慣があります。
2013年は9月19日が「中秋の名月」。暦の関係で、中秋の名月は必ずしも満月になるとは限らないのですが、今年は2011年、2012年に続いて中秋の名月が満月です。中秋の名月当夜の満月は、今年を最後に2021年まで見られません。
月見
「十三夜」はこの項目へ転送されています。鈴木雅之のシングルについては「十三夜 (鈴木雅之の曲)」をご覧ください。 |
月見(つきみ)とは、月、主に満月を眺めて楽しむこと。観月(かんげつ)とも称する。
目次
[非表示]概要[編集]
月見は、主に旧暦8月15日から16日の夜(八月十五夜)と、日本では旧暦9月13日から14日の夜(九月十三夜)にも行われる。そのため、月見に関する話題で単に「十五夜(じゅうごや)」「十三夜(じゅうさんや)」と言うと、これらの夜を意味する。
中国や日本では、単に月を愛でる慣習であれば古くからあり、日本では縄文時代頃からあると言われる。ただ、『竹取物語』には、月を眺めるかぐや姫を嫗が注意する場面があり、月見を忌む思想も同時にあったと推察される。
八月十五夜[編集]
呼称[編集]
この夜の月を「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」と呼ぶ。
「仲秋の名月」という表現もあるが、これだと「陰暦8月の月」を指し、十五夜の月に限定されなくなる。「仲秋」とは、秋を初秋(旧暦7月)、仲秋(同8月)、晩秋(同9月)の3つに区分した場合、旧暦8月全体を指す。対して「中秋」とは「秋の中日」=陰暦8月15日のみを指す。
加えて、中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月(むげつ)」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月(うげつ)」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる。また、俳諧では8月14日 - 15日、16日 - 17日の夜をそれぞれ「待宵(まつよい)」「十六夜(いざよい)」と称して、名月の前後の月を愛でる。
日付[編集]
秋分は北半球では、太陽と月の角度により、月の(地球から見た)位置が観月に最も適している。秋分は旧暦では旧暦8月にあたる。実際の新暦での日付は、秋分(9月23日ごろ)の前後半月の1か月の期間の中で変動する(具体的には8月15日 (旧暦)#対照表を参照)。
しかし、日本の関東以西では、この時期、晴天に恵まれる確率は低い。
南米の日系人社会でも、日本と同様に十五夜の月を中秋の名月として観月する。ただし、南半球では春であり、月の位置も観月に適してはいない[要出典]。
十五夜の日は満月の日に近い日ではあるが、必ずしも両者は一致するものではなく、むしろ異なる場合の方が多い。その差は最大で2日である。
各地の風習[編集]
日本[編集]
中国から仲秋の十五夜に月見の祭事が伝わると、平安時代頃から貴族などの間で観月の宴や、舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。
現代では、月が見える場所などに、薄(すすき)を飾って月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、御酒を供えて月を眺める(お月見料理)。この時期収穫されたばかりの里芋を供えることから、十五夜の月を特に芋名月(いもめいげつ)と言う地方もある[1]。
沖縄ではふちゃぎ(吹上餅)を作って供える。
仏教寺院では、豊作を祈る満月法会を催すところもある。
また戦前から昭和中期にかけて(ところにより今日でも)は、各家に供えてある月見団子や栗、柿、枝豆、芋、菓子類を近所の子どもたちがそこの家人に見つからないように(見つけても見ない素振り)捕って回りその年の収穫を皆で祈る(祝う)風習がある。(お月見泥棒)[2]。
韓国[編集]
詳細は「秋夕」を参照
韓国では旧暦8月15日を秋夕(チュソク、추석)といい、その前日と翌日が公休日(祝日)となる。このため、多くの企業、施設も休みとなり、帰省する者も多い[3]。先祖の墓参りをし、新米で「松片(ソンピョン、송편)」という餅を作り、祖先に感謝を捧げてお供えをする[4]。また知り合いに贈り物を贈り合う。このため英語では、コリアン・サンクスギビングデーという。
中国[編集]
十五夜の月を鑑賞する慣習は中国に由来する。
中国、台湾では中秋節として盛大に祝う。中秋節は祝日となっている。中国では当日、月餅を食べながら月を観る慣習があったが、近年は月餅はひと月以上前から知人に配るようになったため、中秋当日までに月餅は食べ飽きてしまい、中秋当日には売れ残りを恐れて安売りされるという現象も起きている。
台湾[編集]
台湾では中秋節は重要な民俗行事であり、全台湾が休日となる。月見をして月餅や文旦を食べる習慣がある。地区的な文化としては、美濃区の客家のアヒルを殺して食べる習慣や、宜蘭の小麦粉を練って中に黒糖を塗って焼いた「菜餅」を食べる習慣がある。また、台湾南部ではおもちや火鍋を食べる風習もある[5]。
1980年代中期から、当日屋外でバーベキューをするなどの別の楽しみ方が増えている。その起源は諸説あるが、広告代理店の影響であるとか、月見の最中に腹が減るからだと言われている。この習慣は、この年代の経済発展と生活の西洋化が、伝統的な民俗習俗にまで影響を及ぼしたと思われる。
ウィキニュースに関連記事があります。 |
香港[編集]
香港の公衆休日は旧暦八月十六日(中秋節の翌日)となっているが、幾つかの学校や会社は8月15日の午後から休みとする。人々は月餅を買う他、サトイモやスターフルーツやヒシを買ってお祝いをする。近年の香港では様々な新式月餅が起こり、特に冰皮月餅(アイス月餅)が流行している。夜には公園で市民がろうそくを灯し、灯籠を掛け、煲蠟(大量の液化したロウに水をかけ、水蒸気と火炎が盛り上がるさまを楽しむ。)で遊ぶ者さえいる。しかし安全のため香港政府は1990年代初頭より、厳しく取り締まっている。香港の主要な公園には、大小の灯籠を飾り、気分を盛り上げる。
銅鑼湾の大坑では、ドラゴンダンスを3日続けて行う。これは客家の習慣で、旧暦8月14日から16日の3日間続けて行い、災いを消し貧乏から逃れることを願う。また、年長者に長寿麵を、年少者に豬仔餅を送る習慣がある地区がある。
ベトナム[編集]
ベトナムでは、(越:Tết Trung Thu/節中秋*?)または(越:Tết Trông trăng*?)と呼ぶ。これはCuộiの伝説が起源となっている。彼の妻はうっかり聖なるガジュマルの木に尿をして、木を冒涜してしまう。そしてその木の枝に座った時、木は成長を始め、とうとうCuộiの妻を載せたまま月まで伸びてしまった。毎年中秋節の間、子供たちは灯籠を灯して行列を作り、Cuộiの妻に地上へ帰る道を教えている[6]。
ベトナムの月餅は、無論丸いものもあるが、四角いものが多い。ベトナム由来のCuộiの妻の物語の他に、嫦娥や登竜門の伝説も広く語られる。
他の重要な行事は、中秋節の前や最中に行われる獅子舞である。獅子舞は、アマチュアの子どもチームと訓練されたプロの両方によって踊られる。獅子舞のグループは通りで踊り、家を訪れては踊ってもいいか尋ねる。もし許可があれば、獅子が家の中に入って踊り、家のために幸運を祈る。家主は感謝を込めて、ご祝儀の金銭を渡す。
ベトナムでは、他の地域と違い、中秋節は子どものための祭りと見なされている。当日の晩、獅子舞の獅子を子供に買い与え、子どもは友達とそれで遊ぶ。また子供たちは、鯉の灯籠を持って遊びに出かけるが、これは登竜門の故事にちなんでいる。
八月十五夜以外の月見[編集]
九月十三夜[編集]
八月十五夜の月に対して「後(のち)の月」と呼ばれる。十三夜は日本独自の風習と言われている。ちょうど食べ頃の大豆や栗などを供えることから、この夜の月を豆名月(まめめいげつ)または栗名月(くりめいげつ)と呼ぶ。
江戸時代の遊里では、十五夜と十三夜の両方を祝い、どちらか片方の月見しかしない客は「片月見」または「片見月」で縁起が悪いと遊女らに嫌われた。二度目の通いを確実に行なうために、十五夜に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜にも来なければならないため)風習があった。
十月十夜[編集]
旧暦10月10日の月は「十日夜の月」とよばれ、「中秋の名月」と「後の月」に対しては「三の月」ともいい、この夜にみる月がその年の収獲の終わりを告げるとされた。
その他の夜[編集]
天候次第で月を見られない場合もあるので地方によっては月待ちという風習があり、十七夜以降を立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、寝待月(ねまちづき)、更待月(ふけまちづき)、という。二十三夜待ちまでを行う地域が多くを占めたが、二十六夜待ちまで行う地域があり、月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が現れる[7]、という口実を付けて月が昇る(深夜2時頃)まで遊興に耽った。この風習は明治時代に入ると急速に廃れていったようだ。
月見の名所[編集]
日本[編集]
- 松島(宮城県宮城郡松島町)
- 九段坂(東京都千代田区)
- 信州姨捨(長野県千曲市)
- 伊賀上野城(三重県伊賀上野)
- 玄宮園(滋賀県彦根市)
- 大覚寺大沢池(京都府京都市)
- 渡月橋(京都府京都市嵐山)
- 姫路城(兵庫県姫路市)
- 岩国城と吉香公園(山口県岩国市)
- 満願寺(島根県松江市)
- 桂浜(高知県高知市)
台湾[編集]
中華人民共和国[編集]
- 盧溝橋(北京市)
- 嶗山太清宮(山東省青島市)
- 痩西湖(江蘇省揚州市)
- 網師園(江蘇省蘇州市)
- 西湖(浙江省杭州市)
- 黄山(安徽省黄山市)
- 廬山(江西省九江市)
- 洞庭湖、岳陽楼(湖南省岳陽市)
- 峨眉山(四川省峨眉山市)
- 洱海(雲南省大理市
- 漓江(広西チワン族自治区桂林市)
月見に関連した作品[編集]
- 古典文学
- 『竹取物語』 - かぐや姫伝説
- 漢詩
- 小説
- 俳句
- 短歌
- 詠み人知らず「月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月」(「月」が8回あり、「この月」が8月であることを示している)
- 歌
- 『うさぎ (童謡)』(作詞・作曲 不詳)(わらべうた)「うさぎ うさぎ 何見て跳ねる 十五夜お月様 見て跳ねる」
- 絵本
- いわむらかずお『14ひきのおつきみ』童心社 1998年
- イオクベ『ソリちゃんのチュソク』セーラー出版 2000年
- 能
- 「井筒」(いづつ)
- 「融」(とおる)
- 「姨捨」(おばすて)
- 「三井寺」(みいでら)
月見の料理[編集]
茹でた蕎麦・うどんを丼に入れ、場合によって叢雲(むらくも)やススキに見立てた海苔(またはとろろ昆布やワカメで代用)を敷いてから、生卵を割り入れて、汁と薬味を添えたものを「月見うどん」、「月見そば」と呼ぶ。月見の風情をどんぶりの中に見立てたものである。本来、月見にこの海苔は必須であり、海苔なしの場合は「玉(ぎょく)」といった(「玉(ぎょく)落とし」「玉(ぎょく)入り」「玉(ぎょく)落ち」等)が、現代では海苔なしでも卵さえ入っていれば月見と言ってしまうことも多い。
鍋焼きうどんや味噌煮込みうどんにも鶏卵を割り入れる場合も多いが、火が通って黄身が見えにくくなるためか、月見とは呼ばれない。
北九州市では、焼きうどんなどにくぼみを作り、中に卵を落として、ひっくり返して焼いたものを天窓と称している。これは天窓から月が見える様子を言っており、月見の変型である。
マクドナルドでは1991年以来、秋限定メニューとして、9月から10月にかけて目玉焼きの入った「月見バーガー」を発売している(ただしこれ以前からファーストキッチンで同種のハンバーガーが売られており、オリジナルではない)。
台湾では、かき氷のメニューのひとつとして「月見冰、ユエチエンピン」(月見氷)がある。かき氷の上に黒糖蜜、練乳、ドライフルーツなどのトッピングを乗せた後、真ん中にくぼみを作って、生卵の黄身を割り入れたものである[8]。中国語で月見は「賞月」という言い方が普通であり、「月見」は日本語からの借用と考えられる(中国語は動詞 - 名詞の語順であり、「月見」のような名詞 - 動詞の語順は本来は用いない)。
脚注[編集]
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- ^ 「年中行事事典」p65 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
- ^ 「年中行事事典」p65 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
- ^ 秋夕の帰省ラッシュ 中央日報 2009年9月19日
- ^ <韓国文化>秋夕 先祖の墓参りをし松片つくって食す 東亜経済日報 2001年9月28日
- ^ 台北市立圖書館-熱門主題:與月為伴 愉閱中秋
- ^ familyculture.com tettrungthu
- ^ 『広辞苑』
- ^ 懐かしの台湾デザート 月見カキ氷(旅々台北、2005年7月6日)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
ウィキメディア・コモンズには、月見に関連するカテゴリがあります。 |
- 中秋の名月はいつ?
- 中秋の名月はいつですか? - 月探査情報ステーション
- もう一つの名月・九月十三夜の月
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