私にとっては、奇遇な日でした。
心ああたまる「網愛物語」を実作しました。
左野 様は、村上さんの父の様な気がしました。
平成25年5月6日(月) 788 日目 東日本大震災
http://www.excite.co.jp/News/tv/20120525/Dogatch_8447.html
国民栄誉賞の「長嶋 さんと 松井さん}の関係みたい。
うめきた広場 (2013/4/26 オープン 大阪グランフロント)
毎日JP
http://mainichi.jp/select/news/20130503k0000m040065000c.html
うめきた:震災復興へモアイ像を展示
毎日新聞 2013年05月02日 21時18分(最終更新 05月02日 22時40分)
JR大阪駅北側の「うめきた」の広場で2日、東日本大震災からの復興を願ってチリのイースター島民が作ったモアイ像の展示が始まった。9日まで展示され、チリと交流のある宮城県南三陸町に25日に寄贈される。
全長約3メートル、重さ約2トン。同島住民が現地の石で制作。夜間は3色にライトアップされる。「モアイ」は現地語で「未来に生きる」という意味。1960年のチリ地震による津波で同町で41人が犠牲になり、被害を忘れないようにと91年、チリからモアイ像が贈られるなど交流が始まった。
像は東日本大震災の津波で流されたが、県立志津川高校の生徒らがモアイ像のバッジなどを制作し、復興に役立てようとしていることをチリの企業団体が知り、新しい像の寄贈を申し出た。
同町の佐藤仁町長は点灯式で「未来へ向かって一歩一歩進んでいる町民にとって、モアイ像は勇気を与えてくれる大きなプレゼント」と感謝を述べ、同高3年の佐々木千波さん(17)は「全国から多くの人がモアイ像を見に来てくれれば、復興につながる」と話した。【大沢瑞季】
中日新聞 平成25年5月6日(月) データーベースに
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2013050201001614.html
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
醤油:
関大 地方の時代映画祭http://regionalism.jp/work/2011.html
東日本大震災で壊滅を「八木澤」さん(父/平野復興大臣のことも、親睦会の際おおきしました)話を聞いて
気にしていました
息子さんが
平成25年5月2日(木) テレビ大阪で
カンブリア宮殿 金融革命
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
モアイ:
吹田市立博物館 平成25年度春季特別展
大僧正行基展 なぜ菩薩とよばれたか
の
吹田まち案内人と歩く・すいた史跡探訪
5月2日 木 垂水神社なと垂水地域の史跡をたずねます
解散場所 北大阪急行江坂駅 16時
今日は、すべて徒歩 ・・・集合地の阪急豊津駅まであるのも・・・・あ そうだ 大阪駅北は,「GRAND FRONT OSAKA」がオープン(4/26)している 新物くいも-オープンから連日30万人/日-)躊躇)だった。
行きました
ぎょ 裏から見る大阪駅
なにか見たことのあるものが
チリ地震(1960)と南三陸町の友好の 絆 が /2013(50年以上の時 が)
すべて うろ覚え ・・・()は確認後
モアイと言う言葉は 1970年 大阪万博
映画 チクチキ号
みんぱく
みんぱく ポリネシア
●頁の最後に まとめ でいます。●
>>>>>>>>●頁の最後に まとめ でいます。● >>>>>>>>>>>>>>
・・・・・・・・・・・・・平成25年5月6日(月) ・・・4日間 ・・・ ↑↑ の すべて うろ覚え を 確認・・・・・
この冊子 14~15頁(Part 3 日本とチリの交流の歩み)を元にせいりした。
1. 1867 発の日本船ストーンウォールがチリのプタン・アレナス港に入港
∫ 1895チリ政府が日本に 日露戦争の船艦 「和泉」/1905日本海戦 ・・改めて 多くのことを知る2.
2. 1960(昭和35年) チリ地震発生 日本にも津波による大きな被害をもたらす
1960年チリ地震
1960年チリ地震 | |
---|---|
地震で倒壊したバルディビアの建物
|
|
震源の位置(USGS)
|
|
本震 | |
発生日 | 1960年5月22日 |
発生時刻 | 19時11分14秒(UTC) 15時11分14秒(現地時間) 23日 4時11分14秒(JST) |
震央 | チリ バルディビア近海 南緯38度17分24秒 西経73度3分0秒 (地図) |
震源の深さ | 33km |
規模 | モーメントマグニチュード(Mw)9.5 |
最大震度 | 改正メルカリ震度XI: プエルトモント |
津波 | 25m:モカ島 (チリ)1 |
地震の種類 | 海溝型地震 |
被害 | |
死傷者数 | 2231~6000人[1] [2] |
被害総額 | 4~8億ドル |
被害地域 | チリ アメリカ合衆国 ニュージーランド 日本 などの環太平洋地域 |
1 NOAAの観測による
出典: 特に注記がない場合はUSGSによる。 |
|
プロジェクト:地球科学、プロジェクト:災害 | |
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1960年チリ地震(1960ねんチリじしん、西:Gran terremoto de Valdivia)とは1960年にチリを震源として発生した地震である。地震後、日本を含めた環太平洋全域に津波が襲来し、大きな被害が発生した。
目次[表示] |
概要 [編集]
地震は5月22日15時11分14秒(現地時間)に中部の都市バルディビア近海で発生、表面波Ms8.3 - 8.5、金森博雄の推定によるモーメントマグニチュード(Mw)9.5と有史以来観測された中で最大規模の巨大地震である。長さ1000km、滑り量10mを越える断層が活動したと考えられ地震モーメントM0は 2.0×1023N・m (2.0×1030dyn・cm) に達すると推定される[3]。
日本の東北地方海岸に到達した験潮所波形の数値解析によれば、長さ850km、幅180km、滑り17m、傾斜角20°の低角逆断層モデルが東北沿岸の津波を最も再現できるとされる[4]。
最大震度は、日本の気象庁震度階級で震度6相当とされている[5]。
都市 | メルカリ震度 |
---|---|
バルディビア | X |
プエルトモント | X-XI |
リオ・ネグロ | IX-X |
テムコ | VIII |
オソルノ | VII-VIII |
Puerto Saavedra | VII-VIII |
Llanquihue | VII-VIII |
Villarica | VII |
まず前震がM7.5で始まりM7クラスの地震が5~6回続いた後、本震がMs8クラスで発生した。また余震もM7クラスであったために首都のサンティアゴ始め、全土が壊滅状態になった。地震による直接的な犠牲者は1743名。負傷者は667名。
前日には単独でも巨大地震といえる前震も発生したが[7]、M7を超える余震は3つのみにとどまっている[8][9]。
前震
- 1960年5月21日 10:02(UTC), 南緯37.83°, 西経73.38°, Mw8.2
- 1960年5月22日 18:56(UTC), 南緯38.15°, 西経72.98°, Mw7.9
本震
- 1960年5月22日 19:11(UTC), 南緯38.29°, 西経73.05°, Mw9.5
余震
- 1960年6月6日 5:55(UTC), 南緯45.70°, 西経73.50°, Mw7.2
- 1960年6月20日 2:01(UTC), 南緯38.26°, 西経73.32°, Mw7.0
- 1960年6月20日 12:59(UTC), 南緯39.21°, 西経73.32°, Mw7.1
再来間隔 [編集]
この震源域では1575年、1737年および1837年にも巨大地震が発生し、1837年の津波は日本にも襲来した記録があるが、津波堆積物の調査から、堆積物を形成するような特に規模の大きな当該タイプの巨大地震は平均300年間隔で発生し、前回は1575年バルディビア地震である可能性が高いとされている[10]。
噴火の誘発 [編集]
本震の38時間後に噴火したコルドン・カウジェ山をはじめとして、1年以内に以下の火山が噴火している。20世紀に地球上で発生したMw9クラスの巨大地震は何れも地震後数年以内に近隣の複数の火山の噴火を誘発している[11]。コルドン・カウジェ山やペテロア山はマウレ地震(2010年チリ地震)後にも噴火している。
- 2日後 - コルドン・カウジェ山 (VEI : 3)
- 49日後 - ペテロア山 (VEI : 1)
- 54日後 - トゥプンガティト山 (VEI : 2)
- 7ヶ月後 - カルゴフ山 (VEI : 3)
地殻変動と地震波 [編集]
この地震によりアタカマ海溝が盛り上がり、沖合に点在する島では少なくとも5.7mの隆起、海岸に沿ったアンデス山脈西側が2.7m沈降するという大規模な地殻変動も確認された[12]。これはアンデス山脈に平行する向斜褶曲をもたらし、このような地殻変動の観測結果はアタカマ海溝沿いのナスカプレートの沈み込み帯における低角逆断層の震源モデルを支持している[13]。
後の推定によると幅200km長さ800kmに渡って断層が20mずれた事により、有感地震が半径約1,000kmという広範囲にわたって観測された。史上初の地球自由振動の観測に成功し、発生した地震波は地球を3周した事がアメリカでの観測で確認された。本震の震動は約20分後に日本国内の地震観測網でも捉えられた。
1957年から1967年の間に観測されたChandler運動(周期約14か月の極運動)のうち、1960年の観測結果からチリ地震発生によって地軸の年周運動に不連続が認められた[14]。 地球に何らかの原因で弾性球の変形が生じた場合、Chandler運動に変化が生じると予測されるが、たとえ1960年チリ地震のような巨大地震であってもその変形量ではChandler運動を励起するには全く不十分であるとされていた。しかし、1964年アラスカ地震において、震源域から約5000kmも離れたハワイ諸島においても10-8程度の永久歪が観測され、このような微小な地殻変動であっても全地球にわたって積分すればChandler運動を励起する可能性があるとされた[15]。
津波 [編集]
本震発生から15分後に約18mの津波がチリ沿岸部を襲い、平均時速750kmで伝播した津波は約15時間後にはハワイ諸島を襲った。 振幅の最大値は日本 6.1m、アリューシャン 3.4m、カナダ 3.3m、ハワイ 2.9m、オーストラリア 1.6mを観測している。ハワイ島のヒロ湾では最大到達標高10.5mの津波を観測し、61名が死亡した。[16]
太平洋を伝播する津波の周期は非常に長く、ヒロでは高さ数フィート程度の第一波到達約1時間後に最大波が襲来し、海岸線から800m以上内陸まで壊滅的な被害となった。
都市・地域 | 地域・国名 | 波高・遡上高[17] | 到達時刻(UTC) | 到達時間 |
---|---|---|---|---|
コンセプシオン | チリ | 観測 | ||
CORRAL | チリ | 10.0m | ||
GUAFO | チリ | 10.0m | ||
LEBU | チリ | (4.0m)5.0m | ||
Mocha島 | チリ | 25.0m | ||
PUNTA TIRNA (TIRERA) | チリ | 5.0m | ||
コンスティトゥシオン | チリ | 2.5m | ||
バルディビア | チリ | 10.0m | ||
MANSA川 | チリ | 8.5m | ||
PUNTA SAAVEDRA | チリ | 9.0m | ||
チロエ島 | チリ | 10.0m | ||
バルパライソ | チリ | 1.7m | 22日16:30 | 1:04 |
アリカ | チリ | 2.2m | 22日22:38 | 3:27 |
ANCUD | チリ | (8.0m)12.0m | ||
MEHUIN | チリ | 15.0m | ||
タルカワノ | チリ | 5.0m | 22日20:05 | 0:54 |
カヤオ | ペルー | 1.1m | 22日23:45 | 4:34 |
イースター島 | チリ | 6.0m | ||
ガラパゴス諸島 | エクアドル | 0.6m | ||
KAIMU | ハワイ州 | 4.0m | ||
ヒロ | ハワイ州 | 10.7m | 23日9:58 | 14:47 |
HONUAPO | ハワイ州 | 5.2m | ||
NAPOOPOO | ハワイ州 | 4.9m | ||
カフルイ | ハワイ州 | 3.4m | 23日10:18 | 15:07 |
PAUKUKALO | ハワイ州 | 4.6m | ||
ホノルル | ハワイ州 | 0.8m | 23日10:33 | 15:22 |
ワヒアハ湾 | ハワイ州 | 4.3m | ||
HAENA | ハワイ州 | 4.1m | ||
ジョンストン島 | ハワイ州 | 0.5m | 23日11:30 | 16:19 |
ミッドウェー島 | ハワイ州 | 0.6m | 23日13:30 | 18:19 |
ピトケアン諸島 | イギリスの海外領土 | 12.2m | ||
トゥトゥイラ島 | アメリカ領サモア | 4.9m | ||
ウポル島 | アメリカ領サモア | 4.9m | ||
パゴパゴ | アメリカ領サモア | 2.4m | 23日7:33 | 12:22 |
スバ | フィジー共和国 | 0.5m | 23日8:30 | 13:19 |
リトルトン | ニュージーランド | 0.4m | 23日8:12 | 13:01 |
ウェリントン | ニュージーランド | 0.9m | 23日7:45 | 12:34 |
タウランガ | ニュージーランド | 0.9m | 23日8:23 | 13:12 |
タウンズビル | オーストラリア | 0.3m | 23日16:05 | 20:54 |
ノーフォーク島 | オーストラリア | 0.2 m | 23日9:00 | 13:49 |
ホバート | オーストラリア | 0.3m | 23日12:00 | 16:49 |
ロード・ハウ島群 | オーストラリア | 0.7m | 23日10:45 | 15:34 |
ニューカッスル | オーストラリア | 0.2m | 23日12:00 | 16:49 |
グアム | アメリカ合衆国 | 0.2m | 23日16:40 | 21:29 |
タクロバン | フィリピン | 0.2m | 23日21:12 | 26:01 |
花蓮市 | 台湾 | 0.2m | 23日19:20 | 24:09 |
基隆市 | 台湾 | 1.1m | 23日20:30 | 25:19 |
高雄市 | 台湾 | 0.1m | 23日20:30 | 25:19 |
香港 | イギリスの海外領土 (当時) | 0.5m | 23日22:20 | 29:29 |
壇ノ浦 | 日本 | 0.4m | 24日0:40 | 29:29 |
築地 | 日本 | 0.1m | 23日18:10 | 22:59 |
舞鶴市 | 日本 | 0.5m | 23日23:25 | 29:14 |
門司区 | 日本 | 0.9m | 24日0:25 | 29:14 |
浦河町 | 日本 | 3.2m | ||
厳原町 | 日本 | 0.2m | ||
釜石市 | 日本 | 0.7m | 23日17:35 | 22:24 |
佐世保市 | 日本 | 1.3m | 23日21:40 | 26:29 |
名瀬市 | 日本 | 0.5m | 23日19:50 | 24:39 |
大湊 | 日本 | 0.2m | 23日20:15 | 25:04 |
紋別市 | 日本 | 0.4m | 23日19:10 | 23:59 |
函館市 | 日本 | 2.2m | 23日18:38 | 23:27 |
八戸市 | 日本 | 3.3 m | ||
女川町 | 日本 | 4.2m | ||
浜松市 | 日本 | 1.1m | ||
釧路市 | 日本 | 1.8m | ||
むつ市 | 日本 | 6.3m | ||
宮古市 | 日本 | 1.2m | ||
高知市 | 日本 | 3.1m | ||
大船渡市 | 日本 | 4.9m | ||
宮崎市 | 日本 | 0.6m | ||
油津港 | 日本 | 2.0m | ||
下田市 | 日本 | 1.8m | ||
銚子市 | 日本 | 2.1m | ||
三陸海岸 | 日本 | 6.4m | ||
塩釜市 | 日本 | 2.8m | ||
串本町 | 日本 | 2.2m | ||
土佐清水市 | 日本 | 2.7m | ||
鳥羽市 | 日本 | 1.6 m | ||
プンタレナス | コスタリカ | 0.3m | 23日4:00 | 8:49 |
エンセナーダ | メキシコ | 1.2m | 23日8:48 | 13:37 |
ラパス | メキシコ | 0.75m | 23日7:56 | 12:45 |
アカプルコ | メキシコ | 1.0m | 23日5:00 | 9:49 |
マサトラン | メキシコ | 1.1m | 23日6:57 | 11:46 |
サリナ・クルス | メキシコ | 1.0m | 23日4:56 | 9:45 |
クレセントシティ | カリフォルニア州 | 1.7m | 23日10:40 | 15:29 |
サンフランシスコ | カリフォルニア州 | 0.4m | 23日10:13 | 15:02 |
アラメダ郡 | カリフォルニア州 | 0.3m | 23日10:50 | 15:39 |
サンタモニカ | カリフォルニア州 | 1.6m | 23日9:22 | 14:11 |
サンペドロ湾 | カリフォルニア州 | 0.5m | 23日9:18 | 14:07 |
ロングビーチ | カリフォルニア州 | 0.7m | 23日9:27 | 14:16 |
ロサンゼルス | カリフォルニア州 | 0.8m | 23日9:18 | 14:07 |
サンディエゴ | カリフォルニア州 | 0.7m | 23日9:12 | 14:01 |
アストリア | オレゴン州 | 0.2m | 23日12:40 | 17:29 |
ニューポート | オレゴン州 | 0.6m | ||
プリンスルパート | カナダ | 観測 | 23日20:50 | |
スカグウェイ | アラスカ州 | 0.2m | 23日15:00 | 19:49 |
シトカ | アラスカ州 | 0.5m | 23日13:33 | 18:22 |
ヤクタト | アラスカ州 | 0.8m | 23日14:18 | 19:07 |
モンタギュー島 | アラスカ州 | 2.3m | 23日16:57 | 19:29 |
スワード半島 | アラスカ州 | 0.7m | 23日16:57 | 19:29 |
ダッチハーバー | アラスカ州 | 0.7m | 23日14:50 | 19:39 |
KURILSKIYE | 千島列島 | 4.7m | ||
ロパートカ岬 | カムチャツカ半島 | 2.0m | ||
RUSSKAYA INLET | カムチャツカ半島 | 7.0m | ||
VILYUCHINSKAYA | カムチャツカ半島 | 5.0m | ||
OLGA INLET | カムチャツカ半島 | 4.0m | ||
SEMLYACHIK | カムチャツカ半島 | 4.0m | ||
KAMCHATKA R. MOUTH | カムチャツカ半島 | 4.0m |
日本での被害 [編集]
日本はチリから見て地球の真裏近くに有り津波が収斂しやすい位置関係で有ったため、他の太平洋沿岸地域と比べ被害が大きかった。地震発生から約22時間半後の5月24日未明に最大で6.1mの津波が三陸海岸沿岸を中心に襲来し、日本の各地に被害をもたらした。気象庁はこの津波をチリ地震津波(チリじしんつなみ)と命名した[18]。
死者行方不明 | 負傷者 | 建物被害 | 罹災者 | 罹災世帯 | 船舶被害 | 木材流失 | 道路損壊 | 橋梁流失 | 堤防決壊 |
142名 | 855名 | 46,000棟 | 147,898名 | 31,120世帯 | 2,428隻 | 19,290件 | 45箇所 | 14箇所 | 34箇所 |
津波による被害が大きかったのはリアス式海岸の奥にある港で岩手県大船渡市では53名、宮城県志津川町(現南三陸町)では41名、北海道浜中町霧多布地区では11名が死亡。浜中町では1952年の十勝沖地震でも津波被害を受けており、2度にわたって市街地は壊滅的な被害を受けた。街の中心でもある霧多布地区はこの津波により土砂が流出し、北海道本島より切り離され島と化した。現在は陸続きだった所に2つ橋が架けられており、本島と行き来が出来る。1つは耐震橋、もう1つは予備橋で橋が津波で流出する恐れがあるためと避難経路を2路確保するためである。東北地方太平洋側のほか、伊勢湾台風の被災から間もない三重県南部も津波被害を受けた。
また、同じく度重なる津波被害を受けた岩手県田老町(現宮古市)では高さ10mの巨大防潮堤が功を奏し、人的被害は2011年の東日本大震災が発生するまでは皆無であった。この田老町の防災の取り組みを取り入れ浜中町に防潮堤が建設される。北海道の防潮堤については後の北海道南西沖地震で津波による人的被害の甚大な奥尻島などでも建設された。
防災への影響 [編集]
地球の反対側から突然やってきた津波(遠隔地津波)に対する認識が甘かった事が指摘され、以後気象庁は日本国外で発生した海洋型巨大地震に対してもハワイの太平洋津波警報センターなどと連携を取るなどして津波警報・注意報を出すようになった。
当時は津波のオンライン観測網は無く、検潮所や潮位観測所に人が定期的に見に行く仕組みであった。
脚注 [編集]
[ヘルプ] |
- ^ “The Largest Earthquake in the World - Articles”. U.S. Geological Survey. 2007年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年1月11日閲覧。
- ^ “Emergency & Disasters Data Base”. Centre for Research on the Epidemiology of Disasters (CRED). 2007年1月9日閲覧。
- ^ Kanamori(1977) (PDF) Kanamori, H., 1977, The energy release of great earthquakes, J. Geophys. Res. 82, 2981-2987.
- ^ 大森政則(2001) (PDF) 大森政則(2001): 東北日本を対象とした1960年チリ地震津波の数値解析, 土木学会第57回年次学術講演会
- ^ チリ地震津波 - OCN[リンク切れ]
- ^ USGS Historic Earthquakes, Chile 1960 May 22 19:11:14 UTC Magnitude 9.5, The Largest Earthquake in the World
- ^ 大木聖子, 纐纈一起『超巨大地震に迫る- 日本列島で何が起きているのか』NHK出版新書、2011年
- ^ 東京大学地震研究所 2011年 東北地方太平洋沖地震 過去に起きた大きな地震の余震と誘発地震 東京大学地震研究所 広報アウトリーチ室
- ^ Engdahl and Villaseñor, 2002 (PDF) The Centennial Catalog
- ^ 世界の沈み込み帯における巨大地震・津波の履歴 第197回地震予知連絡会(2012年11月21日)議事概要
- ^ 藤井敏嗣、Newton, 2013年2月号、ニュートンプレス
- ^ Plafker(1970) Plafker, G. and Savage, J. C.(1970): Mechanism of the Chilean earthquakes of May 21 and 22, 1960, Geol. Soc. Am. Bull., 81, 1001-1030.
- ^ Cifuentes(1989) Cifuentes, I.L.(1989): The 1960 Chilean earthquake, J. Geophys. Res., 94, 665-680.
- ^ Smylie(1968) D. E. Smylie and L. Mansinha(1968): Earthquakes and the observed motion of the rotation pole, JOURNAOL F GEOPHYSICARLE SEARCH, VOL.73, No.24.
- ^ 金森博雄 『岩波地球科学選書 地震の物理』岩波書店、1991年、p158#阿部勝征「極運動と大地震」
- ^ 津波到達時刻の5時間前に「避難警報」が出されていたが、津波見物に行った住人や津波は震源地であるチリがある南東方向からやってくると判断した住人が巻き込まれ亡くなっている。(ナショナルジオグラフィックチャンネル『警告!最大級の自然災害ビッグ4「壊滅的大地震の恐怖」』 2010年2月15日放送から)
- ^ NOAA May 22, 1960 South Central Chile Tsunami Amplitudes
- ^ 気象庁
参考文献 [編集]
- 1960年のチリ地震津波災害(50年目の現地調査・2010年2月)
- 昭和35年チリ地震大津波 防災科学技術研究所 自然災害情報室
- チリ地震震源域でくり返し生じた過去の巨大地震 (PDF) 歴史地震 第21 号(2006) 87-91 頁
関連項目 [編集]
- 地震の年表
- プレートテクトニクス
- スマトラ島沖地震
- 浜中町
- 東北地方太平洋沖地震 -日本国内での観測史上最大の地震。本地震とは逆のパターンで津波が襲った。
ウィキメディア・コモンズには、1960年チリ地震に関連するカテゴリがあります。 |
外部リンク [編集]
- チリから来た大津波(昭和35年6月1日)[リンク切れ] - 日本映画新社・朝日ニュース昭和映像ブログ
- チリ地震津波調査報告書海岸地形とチリ地震津波-建設省国土地理院
- USGS - Surviving a Tsunami—Lessons from Chile, Hawaii, and Japan
- USGS - Historic Earthquakes Chile 1960 May 22 19:11:14 UTC Magnitude 9.5
- 昭和35年チリ地震津波の浸水範囲(釜石港救援情報図) (PDF) - 釜石海上保安部 Kamaishi Coast Guard Office
- チリ津波(1960年) 京都大学防災研究所
3. 1966 奈良県天理市とチリのラ・セレナ市が姉妹都市関係を締結
ラ・セレナ
ラ・セレーナ La serena |
|||||
---|---|---|---|---|---|
|
|||||
位置 | |||||
コキンボ州内の位置 |
|||||
座標 : 南緯29度54分40.71秒 西経71度15分7.03秒 / 南緯29.9113083度 西経71.2519528度 / -29.9113083; -71.2519528 | |||||
歴史 | |||||
設立 | 1544年9月4日 | ||||
行政 | |||||
国 | チリ | ||||
州 | コキンボ州 | ||||
市 | ラ・セレーナ | ||||
人口 | |||||
人口 | (2002年現在) | ||||
市域 | 177,608人 | ||||
人口密度 | 98.24人/km2 | ||||
その他 | |||||
等時帯 | CLT (UTC-4) | ||||
夏時間 | CLST (UTC-3) | ||||
公式ウェブサイト : http://www.laserena.cl |
ラ・セレーナ(La serena)は、チリ中部コキンボ州の都市で、同州の州都。首都サンティアゴ・デ・チレの北方約470kmに位置する。観光地として発達しており、チリ国内のみならずアルゼンチンからも観光客が訪れる。チリで二番目に古い町として知られる。チリで最も経済発展のさかんな地域の一つであり、1992年から2002年の間に32.6%の人口増加がみられた。人口は2002年現在16万148人。
目次[表示] |
歴史 [編集]
ペドロ・デ・バルディビア(Pedro de Valdivia)の命により現在のチリの首都サンティアゴと現在のペルーの首都リマを結ぶ中継港として1544年9月4日にスペイン人のフアン・ボーン総督(Captain Juan Bohón)によって建設された。1549年に地元のインディアンに都市は破壊されたが、同じ都市にフランシスコ・デ・アギレ総督(Captain Francisco de Aguirre)がより安全な現在の場所に再建した。
天文学 [編集]
ラ・セレナは多数の天文学のオフィスがあることでも知られる。
- ESO(ヨーロッパ南天天文台):ラ・シヤ天文台オフィス
- NOAO(アメリカ国立光学天文台): CTIO(セロ・トロロ汎米天文台)オフィス
- AURA:ジェミニ天文台オフィス
姉妹都市 [編集]
気候 [編集]
[隠す]ラ・セレーナの気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 22 (72) |
22 (72) |
20 (68) |
18 (64) |
17 (63) |
16 (61) |
15 (59) |
16 (61) |
16 (61) |
18 (64) |
19 (66) |
20 (68) |
18.3 (64.9) |
平均最低気温 °C (°F) | 14 (57) |
14 (57) |
13 (55) |
11 (52) |
10 (50) |
8 (46) |
8 (46) |
9 (48) |
9 (48) |
10 (50) |
11 (52) |
13 (55) |
10.8 (51.3) |
降水量 mm (inch) | 1 (0.04) |
1 (0.04) |
1 (0.04) |
2 (0.08) |
14 (0.55) |
20 (0.79) |
31 (1.22) |
16 (0.63) |
6 (0.24) |
2 (0.08) |
1 (0.04) |
1 (0.04) |
96 (3.79) |
出典: World Climate Guide[1] |
脚註 [編集]
- ^ “La Serena Climate Guide, Chile”. World Climate Guide (2011年). 2011年7月19日閲覧。
外部リンク [編集]
ウィキメディア・コモンズには、ラ・セレナに関連するカテゴリがあります。 |
「ラ・セレナ」は、チリに関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 国)。 |
-
③1964(S41)年12月17日、在チリ大使がラ・セレナ市を公式訪問した際、ラ・セレナ市長から日本の宗教文化都市と姉妹都市 ...
天理市
この項目「天理市」は画像提供依頼に出されており、市役所の画像の画像提供が求められています。(2012年8月) 依頼者の方へ:このテンプレートはページ上部に貼り付けてください。画像提供依頼ページにも依頼文を追記してください。 提供者の方へ:画像提供後は画像提供依頼ページまたは画像提供報告ページに報告をお願いします。全依頼画像が提供されたらこのテンプレートを剥がしてください。 |
てんりし 天理市 |
|
---|---|
天理市旗 天理市章 | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 奈良県 |
団体コード | 29204-4 |
面積 | 86.37km² |
総人口 | 68,275人 (推計人口、2012年12月1日) |
人口密度 | 790人/km² |
隣接自治体 | 奈良市、桜井市、大和郡山市 磯城郡田原本町、三宅町、川西町 |
市の木 | イチョウ |
市の花 | ウメ |
なし | |
天理市役所 | |
所在地 | 〒632-8555 奈良県天理市川原城町605番地 |
外部リンク | 天理市の公式ページ |
表示・ノート・編集・履歴 ウィキプロジェクト |
天理市(てんりし)は、奈良県北中部に位置する市。日本で唯一宗教団体の名称が市名となっており、市の中心部には天理教関連の施設が集中する等、宗教都市として知られている[1]。
目次[表示] |
市名の由来 [編集]
名称は当時既に一帯に普及していた天理教に由来し、日本で唯一宗教団体の名称が市名となっている[1]。自治体名としては、過去に金光教本部の所在地であることに由来する金光町が岡山県浅口郡に存在したが、現在は合併により浅口市となったことに伴い消滅した[1][注 1]。天理市当局も自ら“宗教都市”と明言している[2]。[要検証 – ノート]日本の市で、明確に私的団体に由来する市名を持つのは、この天理市と愛知県豊田市(トヨタ自動車に由来)のみである[注 2][注 3]。そのため、以前、一宗教団体の名称が市名になることによって精神的苦痛があったとして訴訟があったが、原告が天理市民でも奈良県民でもなく、京都府民であるため請求権がないとして却下された。[要出典]また、かつて、天理市民ではない天理教信徒が天理市の市名を「山辺市」に変更することを求めて天理市長を訴えたが、この訴えも却下された[3]。
地理 [編集]
奈良県北中部に位置する。市域を東西に西名阪自動車道、名阪国道が貫き、南北軸と交わる交通の要所となっている。 東部は大和高原等が広がる山間地であり、西部は奈良盆地に含まれる平坦地となっている。 市の中心部には石上神宮、大和神社や天理教関連の施設が集中しており、宗教都市としての性格を持ち合わせる。西部は、近鉄や西日本旅客鉄道の沿線であり、住宅地として開発が行われ、大阪へのベッドタウンとしての性格を持ち合わせる。都市としては、複数の顔を持ち、同市内でありながら、街の雰囲気、住民の指向は違いを見せる。
気候 [編集]
奈良県を参照。
人口 [編集]
天理市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 天理市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 天理市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
|||||||||||||||||||||||||||
天理市(に該当する地域)の人口の推移
|
||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 / 国勢調査 |
1990年代後半 - 2000年代前半に掛けては増減が激しい時期があったが、近年は微減傾向である。
歴史 [編集]
- 1954年(昭和29年)4月1日、山辺郡丹波市町・二階堂村・朝和村・福住村・添上郡櫟本町・磯城郡柳本町の合併により奈良県下で四番目の市として誕生。天理教の本部が丹波市町にあったことにちなんで新市名が選ばれたが、教団側は「山辺市」を推薦していた。
- 1954年(昭和29年)9月24日、市章を制定する。[4]
- 1958年(昭和33年)10月15日、磯城郡田原本町のうち、桧垣・遠田・海知・武蔵の4大字を編入。
http://www.ima-nara.jp/archives/date/2012?cat=tips&id=4129
ミニコラム31:「大阪万博の遺産―天理市のモアイ像」
天理市庁舎玄関前の植え込みの中にモアイ像が飾られています。日本万国博覧会(EXPO‘70)のチリ館に展示されていたレプリカが、終了後に同国のラ・セレナ市と姉妹都市であった天理市に寄贈されたものなんですよ。
天理市のモアイ像
4. 1970年 チリが大阪万博博覧会に参加
モアイを 会社で知る (アメリカ 月の石 と モアイが評判であった)
4-1. http://blog.goo.ne.jp/tomotubby/e/043c96660d37084a3e0c1eb109815163
1970年万博にはモアイが二体あった!
大阪の街に貼られているポスターには「25年を経て。エキスポランドに 本物のモアイ、ふたたび立つ!」などと書いてあるため誤解されやすいのですが、25年前、1982年に同じエキスポランドで展示されたモアイと今回の「平和のモアイ」は全くの別物です。1982年に展示されたモアイは下の写真のように二体で、完全体のモアイと、胴体部分から切り離された「顔だけモアイ」でした。このうち、完全体の方が正真正銘の「世界遺産」のモアイで、15体の大型モアイが立ち並ぶイースター島アフ・トンガリキ遺跡の近くに今も下のように立っています。
(左)1982年展示のモアイ二体 (右)アフ・トンガリキ近くに立つモアイ
さらに遡ること12年前の1970年、大阪で行われた日本万国博でも本物のモアイが出展されていました。まさしく本邦初公開のモアイで、チリ館の前に設置されたその像は、胴体から切り離された「顔だけモアイ」でした。モアイが日本で広く知られるようになったのに、この「顔だけモアイ」の貢献度は大きかったそうですが、モアイが「顔だけ」であるような誤解を広く植え付けたこともまた事実です。
万博の際に来日した「顔だけモアイ」は、実は1982年にも再来日を果たしていました。上の写真を見ると、奥に見えるモアイがそれのように見えますが、実は違います。先述の完全体モアイの方なのです。このモアイは、万博前には下の写真のように、顔と胴の間でポッキリ破断した状態で放置されていて、「顔だけ」が日本にやってきたのです。万博後にイースター島に戻り、顔と胴が接合されて、1982年には五体満足(足はないかな?)で再来日したということです。
万博に来た「顔だけ」時代のモアイ大使
ところが、万博に出展された「顔だけモアイ」は実は複製で、万博終了後も島に帰らず日本のチリ大使館に駐留し、奈良県天理市に引き取られたという説があります。天理に行くと、市役所の敷地に「顔だけモアイ」が鎮座しているそうで、まんざら嘘ではなさそうなのです。
ミニコラム31:「大阪万博の遺産―天理市のモアイ像」
天理市庁舎玄関前の植え込みの中にモアイ像が飾られています。日本万国博覧会(EXPO‘70)のチリ館に展示されていたレプリカが、終了後に同国のラ・セレナ市と姉妹都市であった天理市に寄贈されたものなんですよ。
天理市のモアイ像
この噂を聞いて最初に頭に浮かんだのは、1982年にエキスポランドに展示されたもう一体の素性不明の「顔だけモアイ」です。このモアイと、万博で展示された修復前のモアイ大使がどこかで混同されてしまったのではないか。と思ったわけです。
万博のモアイの謎が解けないままに四ヶ月経った頃、エキスポランドの「平和のモアイ」展示について書かれた、とある
エキスポランドのメルマガに登録しています。
たまに『○○にご招待』というのがあるんですが、応募して当たった事が1回ありました。
あれは確か、人が演じるお化け屋敷だったような。
その後も何度か応募し続けていたんですが、例の事故の以降メルマガ配信は暫くなかったですね。
最近になって復活したメルマガにあった『チリ・イースター島モアイ展』に応募したら、運良く当選したので行って来ました。
エキスポランド前に着いたのは午後2時頃でしたが、何だか閑散としていますよ。
確か3連休だよね?世間は。
いくら客をUSJに取られているといっても、これは寂しすぎやしないか。
入り口そばにあるサーカスのテントが、より一層のわびしさを醸し出しています。
土産物屋もカフェテラスも、全然人が居ない。
大丈夫なんだろうかと心配しながら、モアイ展の建物へ向かいます。
中に入ると、口上や説明が壁にずらーっとあるスタイルが変わっていないので「ああ、エキスポの催し物だな」と、まるでふるさとに帰って来たような感慨。間違ってるよハリー。
入り口で係員に「良かったらクイズに挑戦して下さいね」と言われ、用紙をもらって奥に進むと、そこでは数名の先客がクイズの答えを求めて、展示パネルの前をうろうろしてました。
←4問目の「挨拶は何と言う?」の答えを書く相方E。真剣。
←全問正解するともらえます。これでわたしもモアイ博士。
ただ何となく知っていた気でいたモアイに関する知識をクイズによって深めながら、いよいよ目玉である『平和のモアイ像』が展示されているフロアへ。
どーん。
本当はこの頭上に帽子みたいなのが乗っかってるんですが、安全面に考慮したのか外されて別に展示されておりました。
目があるモアイは珍しいですよね。
貝で出来てるとか言ってたような言わなかったような(モアイ博士認定証を返上しなさい)。
←暗くて申し訳ないですが、珍しいモアイの背面。何か内蔵みたい。
地震が起きても大丈夫という台に乗ってますよという協賛会社のスチールに「ほうほう」と頷いたり、イースター島で倒れたモアイ像をもう一度立たせるという計画を実行した香川県の会社のVTR上映を見たり(これが結構長かった)、お土産コーナーのモアイグッズに笑ったりしていたら、2時間くらい経っていました。
今日は17時までという営業時間。
日が沈みかけている、冬の初めの寒い夕暮れの遊園地。
「確かこの売店の焼きとうもろこしが美味しかったんだよね」とEが買い求めたけど、閉店間際で冷蔵庫に入れていた1本を急遽焼いてくれたので、申し訳ないがあんまり美味しくなかったですね。
知らない遊具が増えていたなあ。
それと、事故のあったコースターは撤去されるそうですね。
人気の遊具を失うのも、こんなにも客足が減っているのも、経営側が安全をないがしろにした結果でしょう。
当然なんですよ。
だけど。
わたしはエキスポランドが大好きだから、より精進して、頑張って盛り返して欲しいと思う。
失った信頼は、新しい遊具では取り戻せません。
お客に対して誠実にあって下さい。
そうすれば、またここに、楽しい笑い声が帰って来るはずです。
わたしは、そう思います。
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早速ブログ主のハリーさんから写真をお借りしました。説明分を拡大してみると、意外な事実が判明しました。
なんと大阪万博には、チリ館の「顔だけモアイ」のほかに、テーマ館、つまり岡本太郎作「太陽の塔」の地下にもう一体、複製の「顔だけモアイ」が展示されていたのです。
1988・・・・・・ 25年の時が前後するが-香川県 クレーン会社 タダノ の映像を見る この時やったか-http://www.tadano.co.jp/tadanocafe/moai/about/moai/index.html
TADANO Cafe:株式会社タダノ:モアイ修復プロジェクト:モアイの基礎 ...
http://expo70.exblog.jp/2356257
1970年3月26日(木) 晴(最低-1.5/最高9.5)
チリ・ナショナルデーチリ館●入場者:350,662人(入場予定者290,000人) ●迷子:399人 ●尋ね人:429人 ●患者発生数:470人 ●救急車:41件 ●火災発生件数:1件 ●来訪VIP:チリ・アウグスト・マランビオ駐日大使夫妻/常陸宮同妃両殿下 【催 物】 ●万国博がやってきた(2) お祭り広場(18:30) 3/30まで ●放送祭EXPO'70 万博ホール(20:00) フジテレビ「万国びっくりショー」(関西テレビ) 出演:(1部)火を吹く男:シェル・スイング(スウェーデン) 万国博参加国首都をあてる子供:三井厚恵(日本) 五面太鼓の曲打ち:朴良徳/元貞愛(大韓民国) (2部)逆さ歌をうたう人:ケイト・デニッケ(ドイツ) 頭で巨石を割る男:チョウ親子(シンガポール) 大蛇神楽:長沢社中(日本) 4/3まで ●青少年のつどい・若人のつどい・元気な子供たち 野外劇場(11:00) 出演:大阪市中大江幼稚園130人 合唱、遊技/大阪市北中道小学校98人 トランペット演奏、バトントワーリング 大阪市南百済、鷹合両小学校49人 吹奏楽演奏/大阪市玉造小学校69人 トランペット演奏 ●民族音楽 野外劇場(13:00/15:00) 出演:チリのロス・キンチェロス ●マリオミランダ・ピアノコンサート 万博ホール(10:35) ●アジア少年少女合唱祭 お祭り広場(15:30) 出演:31団体の少年少女合唱団計2000人 ●ウインピー・ショー(11:00/14:00/16:00) ピエロのウインピーと犬1匹 9/13まで ●こぐま座ショー「ぬいぐるみ人形」(11:00/14:00/16:00) こぐま座15人 5/15まで 【会場内の出来事】 ●ケベック州館ディスコ中止 ●ベルギー館前の動く歩道で観客が倒れ、28人負傷運転休止 ●ダイダラザウルス第3レーンで故障発生 ●エキスポタクシー一部運休 【チリ館】 ●テーマ:「太平洋の水平線を広げる」 ●所要時間:20分 ●収容:586人 ●1日の平均入場者数:50,000人 ●建築面積:944平方メートル ●延べ面積:1,438平方メートル ●参加決定:昭和44年1月23日 (参考文献:朝日週間20世紀1970/まぼろし万国博覧会/日本万国博覧会公式記録/日本万国博覧会政府公式記録/講談社日録20世紀1970年/万国博オールガイド/日本万国博覧会公式ガイドブック/アサヒグラフ増刊開幕!日本万国博)
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by expo1970osaka | 2013-03-26 09:07 | 43年前の今日は | Trackback(1) | Comments(1)
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Tracked from シンガポールについて at 2005-05-15 21:26
タイトル : シンガポール
シンガポールシンガポール共和国(シンガポールきょうわこく)、通称シンガポールは、東南アジアのマレー半島南端に隣接するシンガポール島を領土とする国。首都はシンガポール (市)|シンガポール。人口460万の大半が華人である。熱帯海洋性気候。国の面積は大変小さく...more Commented by kachimo at 2005-03-30 02:46
万国びっくりショーって、毎週、ワクワクしてました。
|
-
・・・・・・・・・・・・・・手当たりしだいの資料です・・・見れば、色色と思い出が・・・・・・
-
モアイの絡み
-
3. http://www.nikkei.com/photo/special/article/?4.ng=DGXZZO53032810Q3A320C1000000&uah=DF270920129169
4.http://sano567.la.coocan.jp/banpakukinenhi/index.ht
5.すこい 感動をhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AD%E5%8F%B7
6.http://moaimoai.at.webry.info/200710/article_3.html
25年を経て。エキスポランドに「モアイ」ふたたび!作成日時 : 2007/10/27 01:24
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先日東京・丸ビルで展示されていた「モアイ」が大阪にやってきた! エキスポランドでモアイが公開されるのは25年ぶりだ。 期 間:2007年10月24日(水)~2008年1月14日(祝) 会 場:エキスポランド催しホール 入館料:300円(中学生以上)※別途エキスポランド入園料(おとな\1,100 こども\600)が必要。 入館時間:10:00~17:00(11/1以降は16:30まで) (今から25年前) 1982年3月 私は山口から新幹線に乗り、モアイに会いに行った。高校生だった。 2007年10月24日 来阪したモアイに会うため、車でエキスポランドに向かった。 自宅から車で40分、25年前に4時間もかけて会いに行ったことを思えば楽勝だ。 万博公園の中央駐車場に車を止めると、太陽の塔が出迎えてくれた。 開園5分前、「催し会場でオープニングセレモニーを行います」とアナウンス。 急いで会場へ向う。 会場前には関係者約80名。 代表者挨拶の後、チリ出身で関西在住のハイメ・ロペスさん(FM COCOLOパーソナリティ) そして、にしうみしずかさん(?)によるダンス。 テープカットで無事開会式終了。 招待者、関係者で混雑していたため、しばらく経ってから会場へ。 【ZONE1】 チリ・イースター島と巨石像モアイ まず最初に出迎えてくれたのは、このモアイ。 1970年 日本万国博覧会 太陽の塔を含むメインのパビリオン・テーマ館地下で展示されていたモアイ(複製)である。いきなり貴重なモアイとの対面だ。 【ZONE2】 平和のモアイ 東京・丸ビルとはうってかわって「平和のモアイ」は暗いところで寂しそうにたたずんでいた。 「平和のモアイ」製作過程の写真等も展示。 【ZONE3】 イースター島モアイ大図鑑 島内のいろいろなモアイをパネルで紹介 【ZONE4】 映像コーナー「モアイ修復プロジェクト」 トンガリキ修復の様子を収録した株式会社タダノ制作のビデオを上映 ・VTR「モアイよ立ち上がれ!」65分(フルバージョン) ・VTR「クレーン再び」15分 ・VTR「モアイよ立ち上がれ!」15分(ショートバージョン) 2006年 株式会社タダノは二台目のクレーン車を寄贈 VTR「クレーン再び」にカイネネさん登場! 見よ、カイネネさんの雄姿を。チリ軍艦内から、クレーン車にのって登場!! 【ZONE5】 モアイと日本 ・1970年 日本万国博覧会 チリパビリオン前のモアイをパネルで紹介 ・1982年 エキスポランドで世界初公開された来日モアイをパネルで紹介 ・2007年 東京・丸ビルで公開された平和のモアイをパネルで紹介 【モアイグッズ販売コーナー】 モアイ好きにとってはウハウハのコーナーでした。 以上、公開初日のレポートでした。 |
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