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この項目では、和歌山県和歌山市加太浦の淡嶋神社について記述しています。その他の淡嶋神社については「淡島神社」をご覧ください。 |
淡嶋神社(あわしまじんじゃ)は和歌山県和歌山市加太にある神社。加太淡嶋神社、加太神社とも。
全国にある淡島(嶋)神社・粟島神社・淡路神社の総本社である。式内社「加太神社」の比定社の一つ(もう一社は加太春日神社)。旧社格は郷社。
2月8日の針祭、3月3日のひな流しでなどでも有名だが、特筆すべきはに境内一円に奉納された2万体ともいわれる無数の人形であり、その様はひとえに壮観である。
祭神 [編集]
少彦名命(すくなひこなのみこと)、大己貴命(おほなむじのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)を祀る。ただし、淡島神の本体については諸説ある。
由緒 [編集]
淡嶋神社系統の神社は日本国内に約1000社余りあるが、当神社はその総本社であり、和歌山県内でも屈指の歴史を誇る。
神話において日本を創造したと伝えられる少彦名命(すくなひこなのみこと)と大己貴命(おほなむじのみこと)の祠が加太の沖合いの友ヶ島のうちの神島(淡島)に祀られたことが始まりとされる。社伝によれば、三韓出兵の帰途瀬戸の海上での突然の嵐に遭遇した神功皇后が、船中で祈りを捧げたところ、「船の苫を海に投げ、その流れのままに船を進めるように」とのお告げにより友ヶ島に無事入港できたことを感謝し、持ち帰った三韓渡来の宝物を先述の二神に奉納した。その数年後、神功皇后の孫である仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来た際、その事実を聞くにおよび、島では不自由であろうと考え、社を対岸の加太に移し、現在のような社殿を建築したことが淡嶋神社の起こりとされる。
淡島神は住吉神の妃神で、婦人病にかかったため淡島に流され、そこで婦人病を治す誓いを立てたとする伝承もあるが、これは、淡島が住吉大社の社領となっていたことによる後世の附会と考えられている。このことにより、淡嶋神社は、婦人病を始めとして安産・子授けなど女性に関するあらゆることを祈願する神社となった(ただし、加太淡嶋神社では少彦名命が医薬の神であるからと説明している)。
江戸時代には、淡島願人と呼ばれる人々が、淡島明神の人形を祀った厨子を背負い、淡島明神の神徳を説いて廻ったため、淡島信仰が全国に広がった。
現在の社殿は豊臣秀吉の紀州征伐で焼失したが、その後浅野幸長が再建、紀州徳川家初代・徳川頼宣が修復を加え、さらに江戸時代末期に第十代・徳川治宝が造営、1979年(昭和54年)に現在の新社殿となった。
人形供養 [編集]
約2万体あるといわれる奉納された人形が社殿を埋める
人形供養の神社としても有名で、境内には供養のために納められた、無数の雛人形や市松人形、はてはフランス人形までもが所狭しと並べられ、異様な雰囲気をかもし出している。そのため心霊スポットとしてマスコミに取り上げられることがある。髪の毛が伸びることで話題を集めたお菊人形も安置されている。
最近では人形のほかにぬいぐるみなどが納められることも増える一方、人形供養の名目で人形やぬいぐるみを不法投棄していく者もいて関係者を悩ませている。このためか、神社では珍しく夜間に参道を閉鎖し立入禁止としている。
針供養 [編集]
針供養の神社としても有名で、毎年2月ごろに全国から集められた針を供養する。近年では縫い物をする機会が少なくなっていることから、供養に奉納される針の数も減ってきているという。
婦人病祈願 [編集]
淡島神は婦人病にかかったため淡島に流されたという伝承から、婦人病を始めとして安産・子授けなど女性のあらゆる下の病を快癒してくれる神社とされている。かつては祈願のため男根形や自身の髪の毛などが奉納されていたが、現在はそれらに代わって自身の履いていた下着(パンツ)を奉納する女性が多い。境内奧の末社には絵馬などと共に多数の女性用下着が奉納されている。
年中行事 [編集]
- 2月8日 針祭(針供養)
- 3月3日 雛祭(雛流し)
- 4月3日 春の大祭
- 7月1日~7月7日 たなばた祭
- 7月31日~8月3日 夏祭
- 10月3日 秋の大祭(甘酒祭)
文化財 [編集]
- 重要文化財
ギャラリー [編集]