はやぶさ(第20号科学衛星MUSES-C)は、2003年5月9日13時29分25秒(日本標準時、以下同様)に宇宙科学研究所(ISAS)が打ち上げた小惑星探査機で、ひてん、はるかに続くMUSESシリーズ3番目の工学実験機である。
イオンエンジンの実証試験を行いながら2005年夏にアポロ群の小惑星 (25143) イトカワに到達し、その表面を詳しく観測して[注釈 1]サンプル採集を試みた後、2010年6月13日22時51分、60億kmの旅を終え、地球に大気圏再突入した[1]。地球重力圏外にある天体の固体表面に着陸してのサンプルリターンは、世界初である。
概要 [編集]
はやぶさは2003年5月に内之浦宇宙空間観測所よりM-Vロケット5号機で打ち上げられ、太陽周回軌道(他の惑星と同様に太陽を公転する軌道)に投入された。その後、搭載する電気推進(イオンエンジン)で加速し、2004年5月にイオンエンジンを併用した地球スイングバイを行って、2005年9月には小惑星「イトカワ」とランデブーした。 約5か月の小惑星付近滞在中、カメラやレーダーなどによる科学観測を行った[注釈 2]。次に探査機本体が自律制御により降下・接地して、小惑星表面の試験片を採集することになっていた。 その後、地球への帰還軌道に乗り、2007年夏に試料カプセルの大気圏再突入操作を行ってパラシュートで降下させる計画であったが、降下・接地時の問題に起因する不具合から2005年12月に重大なトラブルが生じ[注釈 3]により、帰還は2010年に延期された。 2010年6月13日、サンプル容器が収められていたカプセルは、はやぶさから切り離されて、パラシュートによって南オーストラリアのウーメラ砂漠に着陸した。翌14日16時8分に回収された[2]。はやぶさの本体は大気中で燃えて失われた。 カプセルは18日に日本に到着し、内容物の調査が進められ、11月16日にカプセル内から回収された岩石質微粒子の大半がイトカワのものと判断したと発表された[3][注釈 4][4][注釈 5]。
小惑星からのサンプルリターン計画は国際的にも例が無かった。この計画は主に工学試験のためのミッションであり、次のような各段階ごとに実験の成果が認められるものである。
- イオンエンジンによる推進実験
- イオンエンジンの長期連続稼動実験
- イオンエンジンを併用しての地球スイングバイ
- 微小な重力しか発生しない小惑星への自律的な接近飛行制御
- 小惑星の科学観測
- 小惑星からのサンプル採取
- 小惑星への突入、および離脱
- 大気圏再突入・回収
- 小惑星のサンプル入手
はやぶさの地球帰還とカプセルの大気圏再突入、カプセルの一般公開、その後の採取物の解析などは日本を中心に社会的な関心を集めた。はやぶさがミッションを終えてからもブームはしばらく続いた[5]。 イトカワ探査の終了後、JAXAでははやぶさ2をミッションとして立案しており、応援を呼びかけていたが[6]、2011年5月12日、「はやぶさ2」を2014年に打ち上げる予定であるとJAXAより発表された[7]。
名前の由来 [編集]
ISASでは探査機の名前は、関係者同士の協議によって命名されてきた。MUSES-Cの場合、「はやぶさ」の他にも「ATOM」(Asteroid Take-Out Misson、アトム)という有力候補が存在した[8]。 この名は的川泰宣を中心に組織票が投じられていた案であった[8]。一方「はやぶさ」は上杉邦憲と川口淳一郎によって提案され、小惑星のサンプル採取が1秒ほどの着地と離陸の間に行われる様子をハヤブサに見立てた案であった[8]。他にも「はやぶさ」の名には、かつて東京から西鹿児島を走った『特急はやぶさ』や、鹿児島県の地名でもある『隼人』の面もあった[8]。協議の際に的川は「最近の科学衛星は『はるか』とかおとなしい感じの名前や、3文字の名前が多いので、濁点も入った勇壮な『はやぶさ』もいいね」と語り、また「ATOM」は語意の原子から原子爆弾が連想されるとして却下され[9]、結局「はやぶさ」が採用された[8]。 小惑星の名前が「イトカワ」であることから「戦闘機と宇宙機の両方分野で著名な糸川英夫氏に縁の深い、戦闘機『隼』に因んで命名された」と言われることもあったが、本探査機の打上げ日に初めて「はやぶさ」という正式名称が発表され、それから3か月後にその目標である小惑星1998 SF36が「イトカワ」と命名されたので、誤解であると川口は説明している[8]。
ミッション背景 [編集]
計画承認までの経緯 [編集]
はやぶさのコンセプトアート(NASA)。サンプラーホーンの形が完成形と大きく異なる。また左下にはキャンセルされたNASAのローバーが描かれている。
後に「はやぶさ」に至る小惑星サンプルリターン計画の検討は、日本で初めて惑星間空間に到達することになった「さきがけ」の打ち上げが成功裏に行われ、「すいせい」の打ち上げを控えた1985年6月、ISAS教授(当時)鶴田浩一郎が主催する「小惑星サンプルリターン小研究会」として始まった[10]。その成果として翌1986年には1990年代を想定し、化学推進を用いてアモール群に分類される小惑星である「アンテロス」を対象とするサンプルリターン構想がまとまる[11]。しかし、要求を満たす能力を持つロケットが存在しないなど、時期尚早であるとしてプロジェクトの提案はなされなかった[12]。
M-Vロケット開発を受けて検討は再開され、1989年秋から1990年春にかけて行われた宇宙理学委員会において、M-V 2号機のプロジェクトとして提案された。だが、LUNAR-A計画に敗れ採用されなかった[13]。その後はランデブーとホバリングによる超接近観測を目的とした工学衛星計画に方向性を改めて再検討が進められることになった。1991年1月時点において、MUSES-C計画は光学観測による自律航行、三軸姿勢制御、ターゲットマーカーを用いた自律運用、X線分析装置と質量分析器の搭載などが検討されており、1997年5月に二段式キックモーターを装備したM-Vで打ち上げられ、1998年6月にアンテロスに到達するという計画であった[14]。その後も検討は進められ、1995年に小惑星サンプルリターン技術実験探査機として宇宙工学委員会で選定、1996年に宇宙開発委員会の承認を経て正式にプロジェクトが開始された。
小惑星サンプルリターン計画と並行して、彗星サンプルリターン計画の検討も行われていた。1987年のハワイにおけるISY会議の席上で、低価格な彗星サンプルリターン計画「SOCCER」の検討をジェット推進研究所 (JPL) とISASとの合同で開始することが決定される。M-Vによる打ち上げや、マリナーMarkII計画の「CRAF」との連携を視野に入れたデルタロケットの使用も検討され[15]、1992年のディスカバリー計画ワークショップにおいて提案されるが、採用されなかった。その後、1994年にISASはMUSES-C計画に注力することを決定、SOCCER計画から外れる。その後、JPLによって検討を続けられたこの計画は、「スターダスト」としてディスカバリー計画に採用された[16]。
目的地の変更 [編集]
小惑星イトカワの軌道(I:イトカワ、E:地球、M:火星、S:太陽)
1994年に本格化した計画当初、目的地の小惑星は (4660) ネレウスであった。しかしM-Vロケットで打ち上げ可能な探査機の能力から見て、ネレウスへ向かうことが難しいと判断され、第2候補である (10302) 1989 ML という小惑星に変更された。しかし2000年2月10日のM-Vロケット4号機の打ち上げが失敗、2002年初頭に予定されていた打ち上げ計画が延期となって、1989 ML へ向かうことが出来なくなった。その結果、(25143) 1998 SF36が3つ目の候補として浮上、目的地として決定することになった。
はやぶさ命名3か月後の2003年8月、目的地の小惑星1998 SF36は、(探査対象となったことから)日本の宇宙開発の父、糸川英夫に因んで、「イトカワ」と命名された[17]。糸川は中島飛行機出身であり、設計に参加した飛行機としては「戦闘機隼(はやぶさ)」が著名である[18]。
構造 [編集]
- 仕様
バス系 [編集]
- 構体
- 構体は、内部に電子機器や推進剤タンクなどを収容し、宇宙空間での温度差からそれらを保護すると同時に、内外の機器類の固定用強度部材となる[注釈 6][19]。
- 制御系
- 探査機全体の動作を制御する制御装置 (ITCU) は、CPUはSH-3 (SH7708) プロセッサを3重化し、OSとしてはμITRONを積んでいた[20][注釈 7][注釈 8][19]。
- 通信系
- 地球との通信を行うアンテナは3種各1基が備わっていた。これらのアンテナはデジタル送受信機と接続され、制御装置と地球の地上局との間を電波通信によって接続するのに用いられた。探査機の姿勢や電力状況によって3種のアンテナは切り替えられ、いづれか1つが常に地球との通信を維持するようになっていた[19]。
- 高利得アンテナ
- 最大のアンテナは 1.6メートルのパラボラ型高利得アンテナ (HGA) であり、イトカワ近辺まで近づいた超遠距離でも、画像伝送を含めた2k-4kbpsでのデジタル信号の通信を行えた[注釈 9]。HGAはz+軸方向に向けて機体に固定されており、0.7度ほどの細いビーム波であるため、正確に地球と通信するためには高精度の姿勢制御が要求された[注釈 10][19]。
- 中利得アンテナ
- 中利得アンテナ (MGA) は、巡航中で通信量も少なく、むしろ太陽電池で発電した電力をイオンエンジンへ優先して配分する必要がある期間に用いられた。ある程度の正確さで地球方向へ向けられれば、最大256bpsで通信が行えた[注釈 11][19]。
- 低利得アンテナ
- 低利得アンテナ (LGA) は、HGAの頂部に付けられており、機体本体や太陽電池の方向、若干の電波干渉方向などを除けば、地球の位置に関わりなく全周方向への通信が行えたが、これは緊急用の通信手段であり、8bpsときわめて低速度の通信であった。LGAを用いなければならないほど、逼迫した状況下での緊急通信用の通信手段として「1ビット通信」という通信機能が用意されていた[注釈 12][19]。
- 電源系
- 太陽電池パネル
- 太陽電池パネルは本体を挟んで両側に3枚ずつ、計6枚が全体としては「H形」になるよう配置されz+軸方向に向けて固定されている[注釈 13]。太陽電池パネルの裏面は放熱板である[19]。
- 電池
- 11セルの充電池を搭載していた[注釈 14][19]。
「はやぶさ」の推進システム
"IES"の構成概略1.キセノン・タンク 2.流量制御部 3.マイクロ波電源 4.中和器 5.イオンエンジン「μ10」 6.スクリーン 7.アクセル 8.ディセル
中和器内での反応概略キセノン原子はマイクロ波加熱によってプラズマ化され、正電荷を持つキセノン・イオンと電子に電離する。キセノン・イオンのほとんどは壁面から電子を受け取り、再びキセノン原子となって同じサイクルを繰り返す。生み出された電子は開口部より外部に流れ出る。
図ではマイクロ波による加熱の仕組みは省かれている。
イオン生成チャンバー内での反応概略キセノン原子はマイクロ波加熱によってプラズマ化され、正電荷を持つキセノン・イオンと電子に電離する。生み出されたキセノン・イオンはグリッドの穴を通って外部に流れ出るが、巧妙に配置された3層のグリッドを通過する間に電位勾配によって30km/秒程まで加速される。電子は正電荷の壁面に引き寄せられ、やがて壁を通って直流電源部に戻って来た電子の流れは中和器へと送られる。
図ではマイクロ波による加熱の仕組みは省かれている。
- 軌道制御系
「はやぶさ」には軌道制御を行うための主推進機としてマイクロ波放電式イオンエンジンμ10を中心とするイオン・エンジン・システム (IES) が搭載されていた。μ10はスラスタAからスラスタDとして、計4台が搭載され、他にも多数の装置と組み合わされて宇宙探査機の推進システムとして用いられた。また、姿勢制御にも用いられるRCSが軌道制御にも使用された。
IESのエンジン4台は同一のテーブル上に配置されていた[注釈 15][19]。
以下に「はやぶさ」の推進システムの仕様を示す。
- IESの仕様
- スラスタ有効直径:105mm x 4
- 定格推力:8mN x 4
- 消費電力:1050W (350W x 3)
- 比推力:3200秒
- 推力方向制御:2軸ジンバル±5°
- マイクロ波電源:進行波管 (4.25GHz x 4)
- 加速用高圧電源:3台
- 搭載推進剤:キセノン 66kg
- 推進剤タンク:チタン合金製 容量51リットル[19]
- 構成
「はやぶさ」に搭載されたμ10を含む推進システム"IES"の構成を示す。「はやぶさ」のIESは「μ10」イオン・エンジンと呼ばれるスラスタを4台持ち、それを駆動する直流電源を3台備えるので3基のエンジンまで同時に運転できる。 「μ10」それ自体はイオンの生成・加速部に過ぎず、燃料供給系や中和器、電源系などとともに用いられることで本来の性能が発揮できる。以下に全体の構成を重量とともに示す。
- 構成と重量
-
- スラスタ x 4 : 9.2kg
- マイクロ波電源 x 4 : 9.2kg
- 直流電源(3台) : 6.3kg
- 推進剤タンク : 10.8kg
- 流量制御部 : 6.5kg
- ジンバル機構 : 3.0kg
- 機械計装 : 5.0kg
- エンジン制御装置 : 3.5kg
- 電気計装 : 5.7kg
- 総計 : 59.2kg[19]
詳細は「イオンエンジン」を参照
本エンジンは燃料としてキセノンを用いており「イオン生成」「静電加速」「中和」という3段階を経て、キセノン・イオンが約30km毎秒ほどの加速を受けて真空の空間のほぼ一定方向へ放射する仕組みになっている。この陽イオンの放出による反動が、1基あたり8ミリ・ニュートンの定格推力を生む[19]。
- イオン生成
- イオン生成には「電子サイクロトロン共鳴」(ECR) という現象を利用している。燃料タンクから流量制御部を経由してイオン生成チャンバー内に導入された希薄なキセノンガスは、マイクロ波による加熱でプラズマされ、電子とキセノン・イオンに電離する。チャンバー壁面が正電圧に印加されているため、負の電荷を持つ電子は生成と同時に壁面へ引き寄せられて比較的短時間に消滅する。反対に正の電荷を帯びたキセノン・イオン (Xe+) は、チャンバー壁面から軽く反発を受けゆるやかに蓄積してゆく。4.25GHzのマイクロ波と1500ガウスの永久磁石によって脈動する電子流が作られ、この高速電子がキセノン原子に次々に衝突することでイオン化を起こす[19]。
- 静電加速
- イオン生成チャンバーに溜まった希薄なキセノン・イオンのガスは、真空中に向けて唯一開口しているグリッドの穴から出て行こうとする。炭素繊維強化炭素複合材料製のグリッドは「スクリーン」「アクセル」「ディセル」という3層から成るが、スクリーン・グリッドには+1500V程度が印加され、アクセル・グリッドには-300V程度が加わり、ディセル・グリッドは0Vの電圧レベルになっている。スクリーン、アクセル、ディセルという3枚のグリッドは0.5mm間隔で並び、それぞれ3mm、1mm、2mmほどの異なる大きさの900個近い穴があけられており、互いの開口位置が正確に合わされている[注釈 16]。正の電荷を帯びたキセノン・イオンは、1枚目の+1500V程度が印加されているスクリーン・グリッドを通過する過程で穴の縁から反発を受けて流出コースが細く絞られる。1枚目のスクリーン・グリッドを通過した直後に、2枚目の-300V程度が印加されているアクセル・グリッドに向けて、(1500+300=) 1800Vの電位勾配の強い加速を受ける。この加速がIESの推進力となる。3枚目の0Vの電位がかかっているディセル・グリッドは、低速なイオンがアクセル・グリッドに戻る事を阻止する働きをする。ディセル・グリッドはイオン・エンジンに必須というものではないが、μ10では長寿命化を求めて備えられている。チャンバー内には電離しなかったものや電離後に電子を吸収するなどしたキセノン原子が存在しており、中性電荷のこの原子はグリッドなどの制約を受けずに自由に飛び出すが、全体の量は比較的少なく、搭載燃料の無駄ではあるが許容されている[19]。
- 中和
- イオン生成を行いキセノン・イオンだけを宇宙空間へ放出すると正の電荷だけが失われ、そのままでは負の電荷が宇宙機に蓄積されて正の電荷を帯びたキセノン・イオンの投射効率が落ち、やがては正イオンの放出そのものが行えなくなる。この蓄積される負の電荷を電子の放出という形で正負をバランスさせる働きをするのが中和器である。中和器には-30Vほどの電圧がかけられる[注釈 17]。中和器内には、燃料タンクから流量制御部を経由して希薄なキセノンガスが導入される。イオン生成チャンバーと同様に、マイクロ波加熱によってキセノンガスはプラズマとなり、キセノン・イオンと電子に電離される。イオン生成過程と異なるのは、中和器の壁面が負電位であるため、電子は壁から反発を受けるがキセノン・イオンは引かれる。キセノン・イオンは壁に接すると電子を受け取ってキセノン原子に戻る。キセノン原子はマイクロ波加熱によって電離し、再びプラズマの一部となるので、キセノンは中和器内にある限り同じサイクルを繰り返す。電子は壁から供給され続ける限りキセノンを仲立ちにいくらでも生成されるため、中和器内に充満した電子は唯一の開口部から真空空間へ向けて流れ出す。中和器から出た電子は3層のグリッドを通過してきたキセノン・イオンと結びついてキセノン原子となる。イオン生成チャンバーと同様に、中和器内のキセノンガスやキセノン・イオンも真空中に漏れ出すが、その量は比較的少ないために、搭載燃料の無駄ではあるが許容されている。また、中和器で消費されるキセノンガスは、イオン生成チャンバーに比べると少量で済む[19]。
リレーボックス3台の直流電源から4台のスラスタへ配電する。
- 流量制御部
- 流量制御部は、1基だけの推進剤タンクから圧力を減じながら4基のスラスタへ必要に応じて適正な圧力でキセノンを供給するために設けられている。推進剤タンクの圧力は、当初は70高圧ほどもあり、運用によって消費されたが地球帰還時でも30気圧ほどあった圧力をスラスタが必要とする0.6気圧程度に下げる働きを果たす。このようにキセノンガスの流量と圧力を調整するために、高圧系と低圧系のそれぞれにラッチング・バルブと非通電時は常に閉じているバルブの2種類を2組と4組に並列にした冗長構成のバルブ群にされており、高圧/低圧の中間にアキュムレータ (ACM) と呼ぶ貯圧タンクを設けることで圧力調節を行っている。低圧側のバルブを閉じた状態で高圧側のバルブを開くと、推進剤タンクからアキュムレータへキセノンガスが流入する。高圧側のバルブを開けておく時間でアキュムレータ内に蓄えられるガス圧を調節する。適正な圧力になれば高圧側のバルブを閉じてから、4系統あるスラスタ側配管の適切な低圧側のバルブを開く。スラスタ側配管では各組ごとのイオン生成チャンバーと中和器が連接されており、片側だけを閉じたり開いたりはできない[注釈 18][注釈 19][注釈 20][注釈 21][19]。
- 直流電源
- 直流電源 (IPPU 1 - IPPU 3) は、太陽電池パネルやバッテリーからの電流供給を受けて、キセノン・イオンの加速や中和器の電子放出の原動力となる。このような直流電源は、これまでの宇宙機でも長年培われた通信機用高圧電源技術であるため信頼性が高く、予備などを含めて4基になったスラスタに対しても電源は3台で十分だと判断され、実際にもトラブルは生じていない[注釈 22][19]。
- リレーボックス
- 3台の直流電源からのイオンエンジン駆動用の出力は、4基のエンジンに向けてリレーボックス (RLBX) によって給電が切り替えられるようになっていた[注釈 23][19]。
- 姿勢制御系
RCS12基の姿勢制御スラスタの配置。
太陽電池パドルへの影響を避けて、±y面には付けられていなかった。
- 姿勢制御スラスタ
- 20ニュートンの推力を持つ2液式の軌道制御用も兼ねた姿勢制御スラスタ (RCS) が±z面の上下4つのそれぞれの角に計8基と±x面の左右に2基ずつの計4基で合計12基あり、軌道制御や姿勢制御に用いられた。RCSにはA系とB系の2系統の配管がある。[注釈 24]加圧に不活性なガスを用いている推進剤のタンクは、無重力環境では単にタンクにパイプを繋いだだけでは、その時々の液体の位置によって配管内に流れるものが液体であったりガスであったりして問題がある。燃料であるヒドラジンのタンクと酸化剤の四酸化二窒素のタンクのうち、燃料タンクはゴムなどの袋に充填され周囲から加圧ガスで押すようになっている。酸化剤は腐食性が強いので高分子化合物は用いられず、はやぶさでは金属製のベローズをタンクに収めることで腐食されずに加圧ガスで押すようになっていた。ノズル基部の噴射器から当初は最短で30ミリ秒の、運用中に改良して最短10ミリ秒のパルス状の噴射、もしくはそれ以上の必要な長さの噴射を行なえた。噴射された2つの推進剤は直ちに化学反応を起こして燃焼し、そのガスがノズルを広がりながら一方へ飛び出す反動が推力となるものであり、スケールの違いや加圧ポンプなどがない他は、大型の2液による液体燃料式ロケットと同じしくみだった[注釈 25][19]。
- リアクションホイール
- ゼロモーメンタム方式による3軸姿勢制御を行う本機では、姿勢制御装置として3軸3基のリアクションホイール (RW) を搭載していた。電力を使用することで角運動量を調節できるリアクションホイールは、RCSのように推進剤を消費しないので長期間の宇宙活動には適するが、機体のモーメントをホイール内に蓄積し続けると月単位では回転数が上限値を迎え「飽和」してしまうため、RCSのような何らかの方法で時折、機体外に無用な回転運動量を放つ「アンローディング」作業が必要になる[注釈 26][注釈 27][19]。
探査機器 [編集]
宇宙機でのミッション系に相当する探査機器類は、受動的なセンサ系と能動的なサンプル採取関係のものに大きく分けられる。センサ系は小惑星への接近時に用いられる純然たるミッションの誘導用と、ミッション内容によらず宇宙空間内での位置や方向などを知るための航法用のものがあり、両方を兼ねるものもある。[注釈 28][注釈 29][19]。
- センサ系
- 外部の状況を知るためのセンサには、スタートラッカ (STT) やジャイロ、それに光学航法カメラ (ONC) 系統などの航法用センサ類と、探査ミッションに関わる対象物の科学的データを得るためのセンサ類が搭載された。また、機体内部の温度や電圧、電流といったセンサもそれぞれの搭載機器に多数が配置され制御系へ測定データを提供していた[19]。
- 航法用センサ
- 太陽センサ:太陽の位置を検出することで自機の方向を知る、航法用センサとしては最も基本的なものである[19]。
- スタートラッカ:スタートラッカ (STT) は、比較的明るい星の位置を検出することで自機の方向を知る航法用センサである。地球を周回するような近距離では、センサだけ搭載しておいて星図データとの照合は地上にデータ送信することで対応する方法が主体であるが、はやぶさでは星図データを搭載して自ら照合する自立星同定機能を備えていた。本機の実体は30度×40度程度の視野角を持つカメラだった[19]。
- 光ファイバ・ジャイロ:慣性基準装置 (IRU) とも呼ばれる光ファイバ・ジャイロは3軸ごとに機体の回転運動を測定する。IRUは実績がある米国製の700グラムほどの製品が採用され2台(各3軸計測)が搭載された[注釈 30][19]。
- 加速度センサ (ACM):加速度センサは機体の直線加速度を測定する。3軸方向が必要になる。理論上は直線加速度を積算することで宇宙空間内での移動距離が判るはずであるが、微小な加速度の測定は誤差が大きく、ACMだけでは正確な航法・誘導は行えない[19]。
- 光学航法カメラ (ONC):3台ある光学航法カメラ (Optical Navigation Camera) は航法用センサであると同時に、科学観測に用いられる探査ミッション用センサでもある。3台のCCDは同種のものが採用され、画像処理回路も1つだけが共通に備え、撮影対象に応じて、底面方向 (-z軸) のONC-T(望遠)/ONC-W1(広角)と側面方向 (y軸) のONC-W2(ワイド)[注釈 31]という3つのカメラが切り替えて用いられた。撮像素子:背面照射型CCD 1,024x1,024画素(有効画素1,000x1,024)、露光時間:5.46ms-179s、アナログ処理回路 (ONC-AE):カメラヘッド駆動・12ビットAD変換、重量:1.01kg、デジタル画像処理回路 (ONC-E):32ビットRISC CPU+画像処理用ASIC、重量:5.66kg[19]
- 望遠光学航法カメラ (ONC-T):8バンド分光フィルターが付いて"AMICA"とも呼ばれる。D=15mm, f=120mm F8、視野角:5.7°x 5.7°、重量:1.61kg[19]
- 広角光学航法カメラ (ONC-W1):D=1.1mm, f=10.4mm F9.6、視野角:60°x 60°、重量:0.47kg[19]
- 広角光学航法カメラ (ONC-W2):D=1.1mm, f=10.4mm F9.6、視野角:60°x 60°、重量:0.91kg[19]
- 探査ミッション用センサ
- レーザー高度計 (LIDAR):レーザー測距機とも呼ばれるレーザー高度計 (LIght Detection And Ranging; LIDAR) は、レーザー光を用いた測距装置である。計測レンジ:40m-60km、誤差:±1m(50m時)、±10m(50km時)、計測周期:1回/秒、重量:3.67kg[注釈 32][19]
- レーザーレンジファインダー (LRF): レーザーレンジファインダー (Laser Range Finder) は、レーザー光を用いた測距装置であり、LRF-S1とLRF-S2の2台がある[19]。
- LRF-S1:LIDARが比較的長距離を担当するのに対してLRF-S1は近距離を担当し、30度ほどの角度を持たせた4本のレーザー光を用いて対象面の傾きを測定する。70メートル以下でLIDARと併用し、互いの誤差を確認しながらLRF-S1の測定へ切り替える。LIDARがレーザー単パルス波を用いて反射されて来るまでの伝播時間を計測するのに対して、LRFではFM変調した連続レーザー波を送信して反射波との位相差を計測する。計測レンジ:7-100メートル、計測誤差:±10cm(10m時)、±3m(100m時)、計測周期:5回/秒、重量:1.45kg[19]
- LRF-S2:サンプラーホーンの長さを測る。着地時などにホーンが押されて縮むが、機体側からホーン先端部との距離を計測することで小惑星との接触を検知するようにした。S1/S1共通のデータ処理回路部 (0.91kg) が別にあり、切り替えて使用するためにS1とS2は同時に使えない。計測レンジ:0.5m-1.5m、計測誤差:±1cm、計測周期:20回/秒、重量:0.41kg[19]
- ファンビームセンサ (FBS):ファンビームセンサ (Fan Beam Sensor) は、レーザー光を利用した障害物検出器であり、送信機/受信機のセットが探査機両側面に各2か所、合計4セットが配置されていた。イトカワへの着地(タッチダウン)では、探査機本体が未知の地形へ降下するため、起伏が予想以上に大きい場合に備えて、太陽電池パネルの下方空間をレーザービームで扇状にスキャンすることで10cm大程度の岩石の突出部がパネルに接触する前に再上昇して接触回避できるように考えられていた[注釈 33][注釈 34][19]。
- 近赤外分光器 (NIRS):0.8-2.1μmの近赤外線領域を測定する分光器である。InGaAs素子による64画素が1列に並んだ光学的な検出器である。視野角0.1度x0.1度で取り込んだ検出光を、透過型回折格子によって波長ごとに分散させ、0.8-2.1μmの領域を64バンドで光量を検出する。イトカワを構成する岩石などの組成を知るために、太陽からの反射光を小惑星の表面で測定し、主にケイ酸塩鉱物による吸収スペクトル線を知ることで、組成に関する情報を得るものである。AMICAの可視光領域の情報と合わせれば、より詳細な鉱物組成が推定できる[注釈 35]。NIRSとXRSはコントローラと電源を共有している[19]。
- 蛍光X線スペクトロメータ (XRS):X線蛍光分光器とも呼ばれるXRS(X-Ray Spectrometer) は、3.5度×3.5度の視野角を持ち、1.0-10keVのエネルギー帯域のX線を160eVの分解能で検知することができる。本来の小惑星の組成を検知する底面に取付けられたセンサー部にはX線CCD素子が4枚用いられており、太陽活動によってX線の放射量が変化するのを補正するための側面に飛び出した位置にある標準試料を捉えている別に1枚が使用され、合計5枚のX線CCD素子が搭載されている。センサー部だけで1.7kgの重量であり、センサー部とは別にXRS用の電子回路が共通電子回路部内に収納されている[19]。
- 可視分光撮像カメラ (AMICA):AMICA(Astroid Multiband Imaging Camera) は、航法用カメラ"ONC-T"の別名であり、航法では元々不要な機能である分光用の8域の分光フィルターホイールが探査用として備わっている。1つのバンドは航法に用いる場合の350-950nmまでの全域を通過させるものであり、残る7つのフィルターが、360nm, 430nm, 545nm, 705nm, 860nm, 955nm, 1025nmを通すようになっている[注釈 36]。偏光フィルターもCCDの四隅に備えられていて、小惑星に接近した時に表面の粒子サイズを検出することになっていた[注釈 37][19]。
- ターゲットマーカー
- はやぶさはイトカワ上に短時間だけ接地して岩石等の試料を採集するが、その着陸を安全に行うために、広角カメラ"ONC-W1"の撮影によって横軸方向の移動速度を安全値である毎秒8cm以内に収めるよう降下軌道を制御するが、その際の良好な画像を得るのにターゲットマーカーが用いられる。イトカワに30m程まで接近したはやぶさは、底面にぶら下げた状態のターゲットマーカーの固定ワイヤーを火工品、つまり火薬で焼き切る。はやぶさはRCSで自らは減速することで、ターゲットマーカーを先に着陸地点となるイトカワ上に落としておき、ゆっくり接近しながら、"ONC-W1"はフラッシュで照らした画像と照らさない暗い画像を簡単な内部演算することで、ターゲットマーカーの位置を知る。複数回この処理を行うと、横方向の移動速度を知ることができる。
- ターゲットマーカーは重力の小さなイトカワ上で弾まずに確実に定着するように、薄いアルミ製の袋にポリイミド粒を収めたお手玉のような構造に作られており、転がり防止用の4つのとげが付けられていた[注釈 38][21]。フラッシュに対して明るい反射を得るため、表面は再帰性反射シート(民生品)で覆われていた[19]。
- サンプラー系
- イトカワ表面からサンプルを採取するサンプラーは、5つのサブシステムから構成されている。
- プロジェクタ
- サンプラーホーン
- サンプルキャッチャー/カプセル蓋
- 搬送機構
- サンプルコンテナ[19]
- プロジェクタ
- プロジェクタは弾丸(プロジェクタイル)を下方へ向けて打ち出し、イトカワ表面の岩石などを飛散させてサンプルとしてホーン内に飛び上がらせる役割を持つ。3本の棒状の発射装置がサンプラーホーンの基部外面に備わり、電気発火によっては推進薬に点火されることで、5gのタンタル製の弾丸が各1発ずつ順番に発射されると秒速300mで飛び出してイトカワ表面を打つ。ホーンの基部にはアルミ箔の膜が付いた穴が3か所開いており、それぞれのプロジェクタがこれらに合わせて取り付けられている。点火後、弾丸は推進薬の圧力によってアルミニウム製のサボと共に前進し、弾丸はプロジェクタから飛び出すが、サボはプロジェクタ内に留まり変形して銃口を塞ぐので、発射ガスがホーン内に吹き込まれてサンプルや地面を汚染することはほとんどない。弾丸は穴からホーン内に入射されると、下部ホーン下端の中央付近に飛ぶように照準されている。弾丸はタンタル製であるため、小惑星の岩石組成とは区別が付きやすいとされる。プロジェクタの発射命令は、ホーンの長さを測るLRF-S2が1cmの短縮を検出することで出されることになっていた[19]。
- サンプラーホーン
- サンプラーホーンは、先端部の内径が20cmで全長1mほどのほぼ円筒形をした中空の管である。上部ホーンと下部ホーンはアルミニウム製の円錐形であり、ホーン全体の外形を保ちながら、舞い上がったサンプルを最上部へと誘導する働きをする。中部ホーンは耐弾性がある布を円環で支えた蛇腹構造になっていて、打ち上げ時には畳まれ、宇宙空間で伸ばされるようになっている。舞い上がったサンプルがホーンを破って機体に損傷を与えないように強靭な布が選ばれており、機体自身が地面に接触しないように距離を稼ぐと同時に接地時の衝撃吸収も担っている。下部ホーンの周囲にはダストガートというスカートがあり、ホーンに入らなかったサンプルが機体側に飛び上がって障害を起こさないように考慮されている[19]。
- サンプルキャッチャー/カプセル蓋
- サンプルキャッチャーは直径48mm、高さ57mmの円筒形の容器であり、内部はA室とB室に隔てられている。上部ホーンから導かれたサンプルは45度に傾いた反射板に当たることで進路が横向きに修正されて、1回目のサンプル収集ではB室に格納され、次にA室に格納される。2室の切り替えは120度(1/3回転)ごとに2方向の開口部を持つ回転ドア式の回転筒キャップによって行われ、最後の1/3回転によってこれがそのまま蓋となる。サンプルキャッチャーの一方にはカプセル蓋が固定されている[19]。
- 搬送機構
- サンプルキャッチャーをサンプルコンテナ内に移動させるのが搬送機構の役割である。サンプルの収集を終えて、サンプルキャッチャーをサンプルコンテナ内に移動するには、まず、サンプルキャッチャーに挿入されているホーン上端部を下げる。次に、形状記憶合金製のバネに通電してサンプルキャッチャーとカプセル蓋を押し、これらをサンプルコンテナ内に挿入する。ラッチ・シール機構に対して信号を送り、ラッチによってカプセルにカプセル蓋を固定する動作と、Oリングによる真空シールを保つ動作を同時に行う。カプセル側と結んでいた信号ケーブルを火工品によるワイヤーカッターで切断した[19]。
- サンプルコンテナ
- サンプルコンテナは帰還カプセル内の中央に位置しており、サンプルキャッチャーを格納する容器である。宇宙空間でサンプルキャッチャーを収容したサンプルコンテナは、サンプルキャッチャー側の2重のOリングと共にサンプルキャッチャーとサンプルコンテナとの狭い間隙を真空に保つことで地球帰還時の再突入の高温から熱伝導を断ち、同時にサンプルコンテナ内まで真空に保つことで地球大気からのサンプルの汚染も防ぐようになっている[19]。
- 帰還カプセル
- 帰還カプセルは、直径40cm、質量16.3kgの蓋付中華鍋風の形状をした耐熱容器で、サンプルコンテナなどを除けば、ヒートシールド、パラシュート、インスツルメント・モジュールといった要素から構成される。帰還カプセルはサンプルコンテナを収容後、分離地点に到達したところで止められていたラッチを火工品により解除し、18本のヘリカルスプリングが再突入カプセルを回転をつけながら押し出すしくみである。地球帰還時には最大、約43,000km/時(約12km/秒)の速度で大気に進入するため、主に断熱圧縮による空力加熱を受けて前面の空気の温度は最大では2万℃ほどになる。15MW/m2ほどの加熱率と見込まれる[注釈 39][19]。地球帰還後は月軌道付近[4]で本体から分離し(実際には 70,000 km[22]または 74,000 km[23]で分離した)、突入角12.0度[24]、秒速12.2km[24]の超軌道速度[4]で再突入する(帰還が予定より3年間延びたため、分離に用いる火工品が無事機能するか懸念されたが、大気圏再突入3時間前に予定通り分離された)。
- ヒートシールド
- ヒートシールドは、主にCFRPによって作られた耐熱性のカバーであり、前面ヒートシールドと背面ヒートシールドの2つの円盤状の部品から構成される。最大2万℃になる熱に耐えながら、内部への熱の侵入を断つことが求められた。前面ヒートシールドは、落下中の減速効果と姿勢の安定性を両立させるために曲率半径20cmの部分球面状の外形が選ばれた。高熱に耐えるための外面を形成するCFRPの層は「アブレータ」と呼ばれる[注釈 40]。前面側では25-36mmほどのアブレータ層の内側には10mmほどの断熱層が形成され、背面側では11mmのCFRP層になっている。表面にはアルミ蒸着カプトンの薄膜が貼られている。[注釈 41][4]背面ヒートシールドにはパラシュートの一端がつながり、ヒートシールドを分離・破棄する過程でパラシュートが引き出されることになる[注釈 42][19]。
- パラシュート
- 再突入カプセルは、大気を落下中の高度5-10km付近でヒートシールドを捨て、ポリエステル製のパラシュートを開いて、落下速度を7m/秒程度にまで減速させる[19]。
- インスツルメント・モジュール
- インスツルメント・モジュールはサンプルコンテナを取り囲むように配置されている電子機器であり、リチウム1次電池によってパラシュートの開傘命令と電波ビーコンの送信が行われる。加速度センサやタイマーによってパラシュートの開傘タイミングを決め、開傘後に地上に落下してからはUHF帯で[4]ビーコンを送信する。高熱や開傘時の50Gほどの衝撃にも耐える必要から、基板間は樹脂で満たされ固められている[19]。
搭載探査機 [編集]
MINERVA [編集]
MINERVA(ミネルバ)は、当初、はやぶさへの搭載が予定されていたNASAのローバーがキャンセルされたため、それまでゆっくりと開発されていたものが、急遽準備された日本の小型ローバーである。プロジェクトマネージャーの川口淳一郎が日本独自の子探査機を搭載することを提案し開発された。名称は "MIcro/Nano Experimental Robot Vehicle for Asteroid" の略である。カウンターバランスの代わりに搭載することが前提となっており、分離機構を含めた質量を1kg以内に収めることが条件となっていた。NASAのJPLによってMUSES-CNの開発が進められていたことから正式なプロジェクトとしては扱われておらず、開発費は技術研究費用から捻出された。民生品や宇宙仕様品の廃棄部位の使用、宇宙仕様品のメーカーによる無償提供などで開発コストが大幅に削減されている。 当初は正4面体の頂点にハエタタキのような構造を取り付け、それをモーターで駆動するという方式が考えられたが、駆動部位の露出や消費電力の面で問題があり、最終的には完全密閉の正16角柱形の外形に、内部のモーターを駆動してその反力でホップするという方式に決定した。
MINERVA仕様[25]
寸法 |
直径 120mm × 高さ 100mm(正16角柱) |
質量 |
591g |
CPU |
SH-3 (SH7708)(約10MIPS) |
メモリ |
ROM:512KB |
RAM:2MB |
フラッシュメモリ:2MB |
OS |
μITRON |
アクチュエータ |
Maxon Motor AG製 DCブラシ・モーター × 2(ホップ用、旋回用) |
ホップ能力 |
最大9cm/s(速度可変) |
電力供給 |
太陽電池:EMCORE製 最大2.2W(距離:1AU) |
電気二重層コンデンサ:エルナー(株)製、容量:25F、電圧:4.6V |
通信 |
9.6kbps(通信可能距離:20km) |
搭載センサ |
CCDカメラ SONY PCGA-VC1 × 3(ステレオ + 単眼) |
フォトダイオード × 6 |
温度センサ × 6 |
打ち上げ後2年を経て2005年11月12日に探査機から分離されたが、分離時に探査機が上昇中であったため、イトカワに着陸することはできず、史上最小の人工惑星となった(後にIKAROSのDCAM2により更新[26])。分離後の状態は良好であり、探査機の太陽電池パネルを撮影した他、通信可能限界距離を越え通信が途絶するまで18時間に渡ってデータを送信し続けた。
MUSES-CN [編集]
"MUSES-CN"は質量1kgを目標として開発される予定の小型ローバーだった。この着陸探査機は、NASAのジェット推進研究所のディープスペースネットワークを利用する対価として「はやぶさ」に搭載される予定だったが、重量過多と開発費の高騰によって2000年11月3日に開発計画は中止された[27]。カメラや近赤外分光器の搭載を予定していた[28]。
MUSES-CN仕様[29]
寸法 |
縦 140mm × 横 140mm × 高さ 60mm |
質量 |
1.3kg |
電力供給 |
太陽電池:2.9W |
通信機器 |
Orbiter-Mounted Rover Equipment (OMRE) |
搭載センサ |
0.9-7.0mm帯域赤外線分光計 |
航法 [編集]
詳細は「EDVEGA」を参照
はやぶさでは、光学複合航法と地形航法が採用されていた。光学複合航法は主に宇宙空間での軌道を決定するためのものであり、地形航法はイトカワへ正確に着地するためのものであった。
- 光学複合航法
- 光学複合航法は電波航法と光学航法を併用する方式である。
- 電波航法
- 距離を最も正確に計測できるのは電波航法であった。地球からはやぶさへ向けて発射された電波パルスをはやぶさが受け取ると、それをすぐに地球へ向けて送り返す。宇宙空間の電波の伝播速度などが判っていれば、地球とはやぶさ間の距離が数メートル単位の誤差で計測できる。また、電波のドップラー効果を計ることによって、地球方向に関する加速/減速も正確に計測できる。はやぶさは太陽の引力によっては常に引かれているため、自ら推力を出さずに慣性運動をしばらく続ければ、地球方向での正確な距離や速度の変化から、かなり正確な航跡が算出できる。この計測のためには最低でも3日間は、精度を高めるためにはさらに数日間は、軌道制御に関わるイオンエンジンなどは使用できない。長距離になると誤差が大きくなり、3億キロメートル先では数百キロの誤差となる。
- 光学航法
- 光学航法は主にイトカワの方向や位置を知るのに用いられ、また、自機の方位や位置の算出にも利用できる。
- 光学複合航法では、上記の各種データを収集して地球で幾何学的分析をすることで、はやぶさの位置や方向、イトカワの位置や方向、そしてそれぞれの運動ベクトルと速度が求められる。
- 地形航法
- イトカワの形状をあらかじめ特徴点として記憶させておき、地球側からはX, Y, Zの3軸の座標を指定することで、はやぶさ自身がイトカワの位置を画像認識することが可能になった[注釈 43]。
はやぶさの軌跡 [編集]
打上げからイトカワへ [編集]
(時刻はすべてJST)
- 2003年5月9日:13時29分25秒に内之浦宇宙空間観測所よりM-Vロケット5号機で打ち上げ。「はやぶさ」と命名[30]。M-Vの5号機は先端のフェアリングが除去され、「はやぶさ」専用に設計・製造されたキックモーターKM-V2によって軌道に投入された[注釈 44]。予定の宇宙空間に到達してM-Vロケットのはやぶさが放出されると、最初は自動で太陽電池パドルが展開され、次にサンプラーホーンが伸ばされた。はやぶさから電波によってビーコンが届き、軌道が確認されると同時に、地球からの指令を受けて順番に搭載機器の動作確認の手順が開始された[注釈 45]。
- 5月27日:イオンエンジン「μ10」(IES) の動作試験が開始された。高い電圧を使う動作試験は、放電事故を避けるために高真空が確保された打ち上げ後の約3週間過ぎてから行われた[注釈 46]。
- 6月-7月:IESの動作試験が継続された[注釈 47]。週に1回程度は推進を止めて、地球との間で距離や速度の測定を行い、軌道決定した。7月末頃には各スラスタの運転条件がほぼ明らかとなり、A以外の残り3基を順番に用いた加速計画にめどが立った。
- 9月:この頃、推進時間が1,000時間を越えた。この時点で地球から52,000km後方を飛行中であった。
- 11月4日:観測史上最大規模の太陽フレアに遭遇した[注釈 48]。フレアの放射を浴びた太陽光パネルは回復不可能な劣化を生じ、今後、発電出力が低下する事態となった。搭載メモリの「シングルイベントアップセット」と呼ばれる外部放射線に起因する一過性のエラーが起きたが、失われたプログラムを地球から再送信することで対応できたので、演算処理に関しては影響はほとんどなかった。太陽電池パネルによる発電量がIESの推進力であるため、ソーラーセルの劣化はそのまま加速能力の低下を意味していた。この後、時間を掛けて軌道計画を再検討した結果、イトカワ到着予定は2005年6月から2005年9月へと3か月伸び、イトカワからの出発も2005年10月から2005年12月へと変更された。
- 2004年3月14日:2か月ほど先のEDVEGAの実施に備えて、IESを停止すると、1週間以上かけた軌道決定作業に入った。その後、4月20日と5月12日にRCSを使って軌道の微調整を行った。
- 5月19日:イオンエンジンを併用した地球スイングバイ (EDVEGA) に世界で初めて成功した[注釈 49]。地球への再接近時の高度誤差は1km以下という高い精度で通過した。一時的に地球の影に入った機体は搭載したリチウムイオン蓄電池によって電源がまかなわれた。
- 12月9日:イオンエンジンの積算稼働時間が2万時間を突破した。
- 2005年2月18日:遠日点(1.7天文単位)を通過して、イオンエンジンを搭載した宇宙機としては世界で最も太陽から遠方に到達した。
- 7月29-30日・8月8日-9日・8月12日:搭載されたスタートラッカー(星姿勢計)により小惑星「イトカワ」を捉え、合計24枚の写真撮影を行った。これらの画像と地上からの電波観測により精密な軌道決定を行った。
- 7月31日:リアクションホイール (RW)3基のうちx軸周りを担当していた1基が故障して回転しなくなった[注釈 50]。残る2基による姿勢維持機能に切り替えて飛行した[注釈 51]。
- 8月:8月前半はRWの故障対応でしばらくIESによる加速を中断していたのを補うために、8月後半はIESの3基による全力加速を継続的に行った。
- 8月28日:イオンエンジンを切りイトカワへの接近に備えた。
イトカワの観測・着陸 [編集]
(時刻はすべてJST)
- 9月4日、点状ながら初めてイトカワの形状を撮影。イトカワの自転周期が予想通り約12時間であることを確認。さらに、レーザー高度計の送信試験に成功。9月10日の撮影では、イトカワの細長い形状をはっきり捉えた。
- 9月12日:イトカワと地球を結ぶ直線上で、イトカワから20kmの位置(ゲートポジション)に到達した。これにより公式にイトカワとのランデブー成功となった。イトカワの観測結果によって着陸候補となる場所が見当たらないほど岩ばかりのゴツゴツした表面であることが判明した。
- 9月30日:イトカワから約7kmの位置(ホームポジション)まで接近し、近距離からの観測モードに移行した。
- 10月2日23:08:y軸のリアクションホイールが停止した。残ったRWはz軸の1基だけであり、RCSを併用して姿勢制御を行う必要に迫られた。RCSの液体推進剤は往路を終えたこの時点で約2/3がまだ残っていたので、直ちに推進剤不足となる不安はあまり無かったが、精密な姿勢制御が行えなくなったことで、HGAによる地球との高速データ通信が不可能になり、MGAによる通信に切り替えられた。この時点で、地球から3億km遠方に居るはやぶさとの通信は、34分の往復時間がかかった。
- 10月28日:帰還用推進剤の確保のために消費削減が求められていたが、RCSの噴射を精度良く制御する目処が立った。これにより予定通りサンプル採取実施が決まった。
- 11月4日:1度目のリハーサル降下を行った。着陸前の準備としてイトカワへ接近しながら航法や探査といった各種機能を試験する着陸リハーサルであったが、自律航法機能を使って700メートルまで接近したところで予定の軌道を外れはじめたため、リハーサルは中止された[注釈 52]。
- 11月9日:2度目のリハーサル降下によって高度75メートルまで接近した。時間をかけてゆっくりと降下するため、日本の臼田局だけでなくマドリードの通信所との連携作業も試され、うまく通信の切り替えが行えた。ミッション関係者の名前が入ったターゲットマーカーが正常に分離され、予定通り虚空に消えた。フラッシュランプもテストされ、良好な結果を得た。また、画像も撮影したため、地球側で受信後、ウーメラ砂漠ではなくミューゼスの海に2回の着陸を試みることが決まった。
- 11月12日:3度目のリハーサル降下を行い、高度55メートルまで接近した。探査機「ミネルヴァ」を投下した。搭載機器は順調に機能していたが、重力補償のためのスラスタ噴射の途中で分離してしまったため探査機は上昇速度を持ち、イトカワへの着陸は失敗した。このリハーサルでは、降下誘導にLIDARが使えず、自律的な画像認識による誘導も機能しないため、新たに「地形航法」という手法を考案して試してみた。また近距離レーザー光度計 LRF の動作確認も行った。何より大きな違いは、太陽発電パドルに太陽光の圧力を受けることで降下速度を時速100メートルほどとごく低速にしたことだった。ミネルバの投下失敗は、元々太陽光による圧力やイトカワの引力ではやぶさが降下している間に分離が行われる予定でいたが、指令コマンドの順番をミネルバの分離命令の直前に、降下速度を抑えるためのRCS噴射命令を入れて送信してしまうというミスによって、はやぶさが上昇をはじめた直後にミネルバを分離してしまったことで起きた。
- 11月20日:高度約40メートルで88万人の名前を載せたターゲットマーカーを分離した。マーカーはイトカワに着地した。予定通り1回目のタッチダウンに挑戦した。はやぶさは降下途中に何らかの障害物を検出し自律的にタッチダウン中止を決定して上昇を開始したが、再び秒速10cmで降下を始めた。はやぶさは2回のバウンド(接地)[注釈 53]を経て、約30分間イトカワ表面に着陸した。このときは受信局の切り替えでビーコンが受信できない時間帯であったため、地上局側は着陸の事実を把握できておらず、通信途絶が長すぎることを不審に思った管制室の緊急指令で上昇、離陸した[31]。地球と月以外の天体において着陸したものが再び離陸を成し遂げたのは世界初であった。タッチダウン中止モードが解除されないまま降下したため弾丸は発射されなかったが[注釈 54]、着陸の衝撃でイトカワの埃が舞い上がり、回収された可能性があるとされた[34][注釈 55]。
- 11月26日:2回目のタッチダウンに挑戦。新たにマーカーを投下すると2つの目印を見て混乱する可能性があるため新たなマーカーの投下を止め、また前回のマーカーも確実に検出できる保証はないので、マーカーによる制御はせず記録モニターのみの設定とした。降下中に前回投下した署名入りターゲットマーカーをイトカワ表面上に確認[35]。日本時間午前7時7分、イトカワに予定通り1秒間着陸し、即座にイトカワから離脱した。なお、地球に帰還したカプセルの中身のうち、2010年11月16日までにイトカワ由来と断定されたおよそ1500個の微粒子はこのとき回収されたものである。[注釈 56]2回目離脱後の9時過ぎ、スラスタ噴射によりイトカワから5kmの位置で静止した。この時、B系2番スラスタから燃料のヒドラジンが探査機内部に漏洩していることが判明した。弁を閉鎖し漏洩は止まった。
- 11月27日:化学推進スラスタの噴射を試みたが、小さな推力が観測されただけであった。この時、燃料が漏洩したため気化による温度低下でバッテリーの機能が低下し電源が失われたために、結果として搭載システムが広範囲に再起動されたと推定されている。姿勢制御スラスターは2系統 (A/B) とも推力が低下し、はやぶさの姿勢は大きく乱れた。
交信途絶・帰還 [編集]
(時刻はすべてJST)
- 11月28日:通信が途絶した。
- 11月29日:LGAによる低速度通信が回復した[36]。
- 12月2日:再びRCSの使用を試みたが、小さな推力が観測されただけであった。
- 12月3日:スピン軸が太陽方向に対して30度ずれていることが確認された[注釈 57]。緊急時の対処として、イオンエンジンの推進剤であるキセノンガスを中和器から直接噴射する事で姿勢制御を行う事にした。運用ソフトウェアの作成を開始した。
- 12月4日:運用ソフトウェアが完成し、キセノンガスの直接噴射による姿勢制御を試みた。姿勢制御に成功した[注釈 58]。
- 12月4日:姿勢が修正されたため、MGAによる256bpsの通信が回復した。2回目のタッチダウンに関わるデータが送信され始めた。
- 12月7日:受信データ解析の結果、11月26日の着陸シーケンス中に弾丸発射中止のコマンドが見つかり、サンプリング用弾丸は発射されていなかった可能性が高くなった[注釈 59][注釈 60][37]。成功と発表されていた着陸が、失敗に終わっていた可能性が高いと修正し発表された。
- 12月8日:機体はみそすり運動を始め、キセノンガスを使っても姿勢を回復できなかった。以前に漏れていた燃料が気化して噴出した可能性が考えられたが、原因は特定されていない。通信が途絶した[注釈 61]。
- 12月14日:地球への帰還予定は2010年6月に延期することが発表された[注釈 62][38]。
- 2006年1月23日:はやぶさからのLGAによる低速度通信の電波がかろうじて受信された。
- 1月26日:「1ビット通信」によって状況が次第に明らかになった[注釈 63]。12月8日の姿勢制御喪失後、太陽電池パネルからの発電量が低下し、一旦は電源供給が失われた。リチウムイオン充電池は11セルすべてが放電し切った状態であり、その内の4セルは過放電によって充電能力を失っていた。また、RCSの推進剤は、11月のトラブルで燃料をほとんどを失っていたが、さらに酸化剤も12月以降のトラブルで失われていた。イオンエンジン用のキセノンガスは、トラブル前の圧力を保っていて、残量は42-44kgと推定された。回転を止めるためにまだ稼動するz軸のリアクション・ホイールが使用され、さらに中和器からのキセノンガス噴射が行われた。
- 2月25日:自転数が緩和されたことで、LGAによる8bpsでのテレメトリーデータの受信が可能となった。
- 3月4日:おおよその姿勢制御に成功し、MGAによる32bpsでのテレメトリーデータの受信が可能になった。
- 3月6日:3か月ぶりに位置や速度が特定され、地球からは3億3,000万km、イトカワからはその公転方向に1万3,000kmの所を秒速3メートルで離れつつあることが明らかになった。
- 3 - 4月:構体内部へ漏洩し滞留している可能性がある燃料などを追い出すために、ベーキング作業を行った。
- 5月31日:イオンエンジンBとDの起動試験に成功した。
- 7月:姿勢制御に使用していたキセノンガスの消費量を抑えるため、太陽光圧を利用(ソーラーセイルと同じ原理)したスピン安定状態での運用に切り替えた[注釈 64]。
- 7 - 9月:|採取試料容器を地球帰還カプセルに格納する作業には、リチウムイオン充電池の電力が必要であるため、使用可能なセルに充電をはじめた。9月に充電を完了し、以降は充電状態を維持した。
- 2007年1月17日:採取試料容器を地球帰還カプセルに格納する作業をはじめた。翌18日未明に格納作業の完了を確認した[注釈 65][39]。
- 4月20日:スラスタBとDによる2基の同時運転からスラスタDによる単独運転に変更された[注釈 66]。
- 4月25日:地球帰還にそなえて巡航運転を開始した[40]。巡航運転に先立ち、姿勢制御プログラムの書き換えを行った[注釈 67]。
- 7月28日:スラスタCのイオンエンジンが推力を生んだ。スラスタDを温存のため停止してCの単独運転に切り換えた[41]。
- 10月18日:復路の第1期軌道変換が完了した。イオンエンジンおよびリアクション・ホイール (RW) を停止し、太陽指向スピン安定モードに入った。ここまでのイオンエンジン稼働時間は、往路・復路あわせて延べ31,000時間、軌道変換量は1,700 m/s に達する。復路の軌道変換量は残り400 m/s である[42]。
- 2008年2月28日:3回目の遠日点を通過した(1.63天文単位)[43]。
- 2009年2月4日:リアクション・ホイールを駆動し、イオンエンジン(スラスタD)を用いて動力飛行(復路第2期軌道変換)を開始した[44]。
- 8月13日08:30:イオンエンジンを停止し、セーフホールドモードへ移行しているのが発見された。原因は宇宙放射線による姿勢監視装置のシングル・エラー・アップセット (SEU) と推定された。軌道は少し変更されるが地球帰還に問題はなかった。遠日点付近であるため、電力事情が改善されるまでは太陽指向スピン安定制御による慣性飛行で運用された[45]。
- 9月10日:遠日点を通過した。
- 9月26日:イオンエンジンを使用して動力飛行を再開した。
- 11月4日:1基のイオンエンジン(スラスタD)が中和器の劣化によって自動停止した[46]。
- 11月11日:打ち上げ後から予備機として使用していなかったスラスタAの中和器と、2007年4月から使用停止していたスラスタBのイオン源を使用する複合モード運用をはじめた[47][注釈 68]
- 12月27日:イオンエンジンを停止し、VLBI観測によって精密な軌道を同定した(2010年1月1日まで)。
- 2010年1月13日:地球の引力圏内を通過することが確実になった。
- 2月26日:月よりも内側(約31万km)を通過する軌道に入った[48]。
- 3月5日:対地高度約16万kmを通過する軌道に入った。イオンエンジンを一旦停止し、軌道の精密測定を実施した。
- 3月20日:対地高度約4.6万kmを通過する軌道に入った[注釈 69]。
- 3月27日:復路第2期軌道変換を終了した。地心距離約2万km(高度約1.4万km)を通過する軌道に入った。
- 4月4日:地球外縁部への精密誘導を実施した(TCM-0、4月6日まで)。
- 5月1日:精密誘導に伴う補正のために減速して到着時間を調整した(TCM-1、5月4日まで)。
- 5月12日:スタートラッカーが地球と月を捉えた。
- 5月23日:地球外縁部(高度約630 km)への精密誘導のため、接線加速と太陽方向への加速を実施した(TCM-2、5月27日まで)。
- 6月2日:オーストラリア政府が同国内ウーメラ立入制限区域 (Woomera Prohibited Area, WPA) へのカプセル落下を許可した。
- 6月3日:地球外縁部からウーメラ立入制限区域への誘導目標変更のため、軌道補正を実施した(TCM-3、6月5日まで)。
- 6月9日:落下予測範囲を狭めるため、さらに詳細な誘導を実施した(TCM-4、12:30-15:00)。「はやぶさ」は最後の軌道修正 (TCM-4) を実施し、同13日23時頃に南オーストラリア州にあるウーメラ立入制限区域の東西100kmほどの地域内に落下することが確実となった。同区域を通過するスチュアート・ハイウェイは13日22時から0時まで通行止めとされた。この時点で地球までの距離は約190万kmであた。
- 6月13日:カプセルの切り離しを行った (19:54)[注釈 70]。[22]地球を撮影 (22:02)。内之浦局に地球の写真を送信中に水平線の向こう側に入り通信途絶した (22:28)[49]。大気圏再突入し「はやぶさ」本体の消滅 (22:51)。上空5kmでカプセルがパラシュート展開・ビーコン発信 (22:56)。ウーメラ砂漠へ軟着陸 (23:08)。ヘリコプターから目視でカプセル発見 (23:56)[50]。
はやぶさはカプセルを分離した後、最後に地球を撮影するミッションを行った[19]。イトカワの観測終了後、カメラとその保温ヒーター電源は長時間切られたままで健全性が不明だった。また、カプセル分離まではそれに適した姿勢に保つ必要があり、分離機構が不調の場合にはカメラを地球に向けての写真撮影はできないと思われていた[52]。しかし、カプセルの切り離しに順調に成功したため、カプセル取り付け面に対して側面にある広角カメラ (ONC-W2)[51][53]を地球方向に向くよう姿勢を変更した。カプセル分離の反動でふらつく機体をイオンエンジンの推進剤の直接噴出とリアクションホイール (RW-Z) によって立て直し、2時間かけて[54]機体を回転させた[55]。そして13日22時2分頃までに地球を5、6枚撮影し、データを地上に送信した。そのほとんどは真っ暗なものでしかなかったが、送信の最中に通信が途絶して写真の下部が欠けていた最後の1枚の写真が、ぎりぎりで地球の姿を捉えていた[52][54][56][57]。
2003年5月9日の打ち上げから7年。姿勢制御用のリアクションホイールは3基中2基、化学燃料スラスタはすべて故障。バッテリは放電しきっているため、太陽電池パネルが太陽方向から逸れると即座に電源断となる状態。故障したスラスタ同士を繋いで復活させたイオンエンジンもいつ止まるかわからず、搭載されたコンピュータすらビット反転を起こし始めているという、まさに満身創痍の帰還であった。実際に使用されることはなかったが、最後のリアクションホイールが故障した場合の対策も用意されていた[58]。
大気圏再突入 [編集]
右下に離れて見える光点がカプセル。その後方に見える光点の集まりが「はやぶさ」の本体。
6月13日15時頃、ハワイ島のすばる望遠鏡がはやぶさの撮影に成功した。地球までの距離は約17万km[59]。
6月13日22時51分頃[1]、はやぶさ本体およびカプセルは大気圏再突入した。流星のように輝きながら無数の破片に分解し、燃え尽きていくはやぶさ本体と、一筋の光の尾を曳いて飛び続ける再突入カプセルは、南オーストラリア州においては数十秒間にわたり地上から肉眼でも観測され、満月の倍の明るさに相当するマイナス13等級の輝きを発し[60]、人の影が地面に映るほどの明るさとなった[61]。 事前の予想では、大気圏再突入時の光跡は最大でマイナス5等級程度と報道されていたが[62]、後の記者会見では、この予想ははやぶさ本体を含まない、再突入カプセル単体の明るさを指した予想であったと訂正された[63]。
その後、カプセルからの電波信号(ビーコン)が受信され、パラシュートが開いたことが確認された。着陸予想地点の周囲に展開した方向探測班がビーコンの方向から落下位置を推定し、発熱による赤外線を頼りに[64]ヘリコプターによる捜索が行われ、13日23時56分、再突入直前の予想地点から1キロほどのウーメラの北西約200キロで目視により発見された[1][64][65]。
現地の砂漠一帯は先住民アボリジニーの聖地でもあるため、14日午前にアボリジニーの代表がヘリで現場を視察し、了解を得た後、宇宙機構のチームがカプセル回収に向かった[64]。カプセルに付いている火薬などの危険物が安全な状態かどうかを調べた後、カプセル回収作業開始し、約4時間後に回収を完了し[66]、専用のコンテナで現地の拠点施設まで移送された[67]。また、探索されていたヒートシールドも14日14時頃に発見され[2]、翌日に回収された。
なおこれ以前にも日本の宇宙機が自力で大気圏再突入に耐えた例はいくつかあるが、回収まで予定通りに成功したのは2003年に回収されたUSERS回収カプセル以来7年ぶり2度目。旧ISASが打ち上げた衛星・探査機としては初の回収成功となった(失敗後に偶然回収されたEXPRESSを除く)[注釈 71]。
NASAはJAXAなどと共同で、観測用航空機「DC-8」から19台のカメラで「はやぶさ」の大気圏再突入を撮影した[68][69]。 はやぶさは惑星間航行をしていたので、歴史上2番目の速度で大気圏再突入が行われ、カプセルが非常に高温にさらされる[70][注釈 72][70][注釈 73][71]。NASAの支援としてはこのほかに、ディープスペースネットワークによるはやぶさの追跡支援、エイムズ研究センターの大型加熱風洞を用いた再突入カプセルの耐熱シールド試験があった[72][注釈 74][72]。
カプセルの輸送と分析 [編集]
「惑星物質試料受け入れ設備」を参照
発見されたカプセルは、ウーメラ施設内のクリーンルームで爆発の危険性がある装置を取り除いた後[66]、窒素を満たした風船に入れた上で内箱に収納。さらに衝撃吸収用のボールを並べた免震箱に入れて熱シールドと共にチャーター機で日本に輸送され[73]、17日深夜に羽田空港に到着した[73]。18日にトラックで相模原キャンパスのキュレーションセンターに搬送された[71][注釈 75][注釈 76][注釈 77]。 19日には試料容器のX線断層撮影検査を終了し、容器に亀裂などがないことが確認された[注釈 78][76]。 22日には開封作業の準備段階で、外側の容器のふたを開けた際に微量のガスが採取された。この気体には「イトカワで採取した物質の表面から発生した可能性」「地球帰還後、大気が混入した可能性」「はやぶさ内部の樹脂や金属などから発生した可能性」などが考えられ、今後の詳しい分析で成分を突き止められるとされた[77][78]。6月24日からは、サンプルコンテナ(A室)の開封作業に着手した[71]。
7月5日、JAXAはカプセル内にあった「サンプルコンテナ」から直径1ミリメートルほどの肉眼で確認できる微粒子十数個と、「サンプルキャッチャー」(直径約5cm、高さ約6cm)の2つの部屋のうち、2回目のタッチダウンで使用した側(A室)の内壁の一部から直径10マイクロメートルほどの微粒子2個を顕微鏡で確認したと発表[79]。その後、調査範囲を広げるにつれて発見される粒子の数も増えていった[80][81]。カプセル内の微粒子は1粒ずつガラス容器に移して詳細に検査する[79]予定だったが、事前に行ったリハーサルより小さな粒子を扱うため[82]、3mm×6mm程度のテフロン製のへらで容器の壁面をこすり、へらごと電子顕微鏡で観察できるように設備を改良した[83]。
11月16日までにA室内から回収した微粒子のうち約1,500個が岩石質であった。回収された微粒子が地球上で混入したものなのか、イトカワ由来なのかはキュレーションセンター内での簡易分析だけでは判断できない[79]と考えられていたが、組成が地球上の岩石と異なり、隕石の組成や観測データから推定されたイトカワ表面の組成と一致したことなどから大部分がイトカワ起源と判断され、11月16日に公表された[3]。12月7日にサンプル容器B室を開封した[84]。
粒子の初期分析は当初予定の8月以降から9月以降、さらに12月以降[85]へと延期され、最終的に2011年1月に開始された。1月22日にスプリング8で最初の初期分析が始まる[86]。
3月にはアメリカで開かれた第42回月惑星科学会議で中間報告が発表された[87]。その後はNASAや公募によって決まった各国の研究機関でより詳細な分析を行い[50][注釈 79]、さらに一部のサンプルは分析技術の進歩に期待して保存する予定である。
- 回収したサンプルの初期分析結果は、JAXAホームページの特集「小惑星イトカワの真の姿を明らかに」(2011年12月27日公開)を参照のこと[88]。
カプセルの一般公開 [編集]
役割を果たした再突入カプセルのヒートシールドやパラシュートなど、および地上試験用のエンジニアリングモデルは、2010年7月末から8月にかけて以下の場所で公開された[89]。一般公開の初日には1万3千人の来場者が詰めかけ、最大で3時間待ちにもなる長蛇の列をつくった[90]。
その後も引き続き各地で公開されていたが[91]、ヒートシールドは研究解析に供されるため[92]展示されないこともあった。
2010年7月の相模原キャンパス特別公開を皮切りに同年11月からは本格的に各地を巡回し、最後の会場の愛知県刈谷市で2012年4月3日をもって全行程を終了した。全69会場で延べ89万人の来場者数を記録した[93]。
これとは別に、再突入カプセルを製作したIHIエアロスペースの工場が群馬県富岡市にある縁で、同社は2010年10月に実物大レプリカを群馬県に寄贈しており、県内で巡回展示された後にぐんま天文台で2011年1月15から常設展示されている[94][95]。
受賞歴・記録 [編集]
- 受賞
- 2006年5月 - 「はやぶさ」プロジェクトが、米国 National Space Society の Space Pioneer Award を受賞。
- 2006年7月 - 第45回日本SF大会にて、「MUSES-C「はやぶさ」サンプルリターンミッションにおけるイトカワ着陸」が星雲賞自由部門を受賞。
- 2007年4月 - 文部科学省より、「はやぶさ」プロジェクトチームに対し、平成19年度科学技術分野の文部科学大臣表彰 科学技術賞(研究部門)。受賞業績名「はやぶさのイトカワへの降下と着陸及び科学観測に関する研究」
- 2007年7月 - 米国航空宇宙学会より、論文「Powered Flight of HAYABUSA in Deep Space」(はやぶさ小惑星探査機の深宇宙動力航行)(AIAA Paper 2006-4318) に対し、米国航空宇宙学会最優秀論文賞。
- 2007年9月 - 電気ロケット推進学会より、論文「Asteroid Rendezvous of HAYABUSA Explorer Using Microwave Discharge Ion Engines」(マイクロ波放電式イオンエンジンによるはやぶさ探査機の小惑星ランデブー)(IEPC-2005-10)に対し、国際電気推進学会最優秀論文賞。
- 2010年5月 - 国際宇宙航行アカデミーの創立50周年記念ロゴに組み込まれた、宇宙開発史を代表する7種の宇宙ミッションを示す写真(計8枚)の1つに「イトカワに映るはやぶさの影」が採用される[注釈 80][96]。
- 2010年10月 - 日本文学振興会より、「日本の科学技術力を世界に知らしめ、国民に希望と夢を与えてくれた」として、「はやぶさ」プロジェクトチームに対し、第58回菊池寛賞を受賞。
- 2011年 – 米国宇宙協会のフォン・ブラウン賞を受賞。
- 2011年5月23日、史上初めて小惑星から物質を持ち帰った探査機としてギネスに認定された[97](認定証[98]は6月2日到着)。
- 2011年7月 - 第50回日本SF大会にて、「探査機「はやぶさ」(第20号科学衛星MUSES-C)の地球帰還」が第42回星雲賞自由部門を受賞。
- 2011年12月 - 米科学誌『サイエンス』 (アメリカ科学振興協会発行)12月23日号において発表された「2011年の10大発見」の内の1つに選ばれる。
- 世界初記録
- マイクロ波放電型イオンエンジンの運用
- 宇宙用リチウムイオン二次電池の運用
- イオンエンジンを併用した地球スイングバイ
- 月以外の天体からの地球帰還(固体表面への着陸を伴う天体間往復航行)
- 月以外の天体の固体表面からのサンプルリターン
- 地球と月以外の天体からの離陸(着陸と離陸としては最小の天体)
- 世界最遠記録
- 遠日点(1.7天文単位)を通過。イオンエンジンを搭載した宇宙機としては、太陽から史上最も遠方に到達(なお、2010年4月15日現在ではドーンが太陽から約2億9260万km=約1.96天文単位に到達している[99])
- 光学的手法により、自力で史上最も遠い天体への接近・到達・着陸・離陸
- 世界最長記録
- 最も長い期間を航行し、地球に帰還した宇宙機(2,592日間)
- 最も長い距離を航行し、地球に帰還した宇宙機(60億km)、ただし確認中[100]
- 最も長い時間、動力飛行をした宇宙機、ただし確認中[100]
関連する世界初 [編集]
- 初の地球外天体からのサンプルリターンは1969年のアポロ11号で、これは有人月探査だった。無人探査機によるものでは翌1970年の旧ソ連の月探査機ルナ16号が初である。月より遠くからのサンプルリターンとしては、ラグランジュ点L1から2004年に帰還したジェネシスが初である。さらに地球重力圏外にある遠くの天体からサンプルリターンを行った探査機としては、2006年にカプセルを帰還させた彗星探査機スターダストが初である。ただし後2者はアポロやルナのように天体の固体表面に着陸したものではなかったため、はやぶさは地球重力圏外の天体の固体表面に着陸してサンプルリターンを行った初の探査機ということになった。無論、小惑星からのサンプルリターンは初である。
- はやぶさは小惑星探査機として数々の新技術を実証しているが、初の小惑星探査機は近接探査という意味では1991年にガスプラを探査したガリレオである。また小惑星を専門とする初の探査機は1996年打ち上げのニア・シューメーカーであり、これは初の小惑星周回(ランデブー)と軟着陸を行っている。そのためはやぶさは初の小惑星から離陸・帰還した探査機ということになった。また、イオンエンジンをメインエンジンとする初の小惑星探査機は、1998年打ち上げのディープ・スペース1号であり、はやぶさはあくまで新方式のイオンエンジンを実証した探査機である。
記念日 [編集]
6月13日を銀河連邦が「はやぶさの日」(英文:HAYABUSA DAY)に制定し、2012年5月28日に日本記念日協会から認定を受け登録された[101]。
プロジェクト参加企業 [編集]
以下の表は、開発・運用・回収サンプル解析に関わった企業を中心にまとめられた、主な「はやぶさ」関連企業の一覧である。
はやぶさ後継機 [編集]
「はやぶさ2」および「PLANET計画#その他関連探査プロジェクト」も参照。
はやぶさ (MUSES-C) の打ち上げ以前からMUSES-C後継機の構想はあり、小天体探査フォーラム (MEF) では後継機の任務について、同じ小惑星族(コロニス族またはニサ族)に属する複数の小惑星を探査する案や、スペクトルが既知の地球近傍天体 (NEO) 複数を探査する案など、多数の案が検討された[104][105]。
2011年5月12日、はやぶさの改良機「はやぶさ2」を2014年に打ち上げ、地球近傍小惑星である(162173) 1999 JU3を探査する計画が発表された。2018年に到着、2020年に帰還する計画である[106][6]。
「はやぶさ2」以降については、より大型・高性能な「はやぶさMk.II(マーク2)」、「はやぶさMk.II」をヨーロッパ宇宙機関と共同開発するという「マルコ・ポーロ(英語版)」などの構想がある。
反応 [編集]
複数の技術的なトラブルに見舞われ帰還を絶望視されつつも[107]、それを乗り越えて地球への帰還を目指すはやぶさの旅程は、多くの日本人に美談として受け止められ共感を呼んだ[108][109][110][111][112]。
天皇・皇后 [編集]
天皇誕生日に先立つ2010年12月20日の記者会見で、今上天皇は「はやぶさ」について次のように述べた。 『小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」に着陸し、微粒子を持ち帰ったことは誠に喜ばしい今年の快挙でした。一時は行方不明になるなど数々の故障を克服し、ついに地球に帰還しました。行方不明になっても決して諦めず、様々な工夫を重ね、ついに帰還を果たしたことに深い感動を覚えました』[113]
また皇后は、はやぶさが大気圏に突入した時のことを和歌に詠んだ。 『その帰路に己れを焼きし「はやぶさ」の光輝(かがや)かに明かるかりしと』[114][115]
メディア [編集]
「はやぶさ」に対する関心ははじめから大きかったわけではない。はやぶさの着陸失敗は非常に大きく取り上げられ、その後実は着陸していたことが取り上げられた[116]。電波を捉えられなくなり、帰還が危ぶまれるようになるとほとんど報道されないようになった。マスメディアが関心を失っていく一方、インターネット上でははやぶさに関する話題の盛り上がりがあり、次第に注目を集めていった(詳細は「#インターネットによる広報と反響」を参照)。
2010年6月13日の地球帰還が近付くにつれてニュースやワイドショーで取り上げられる機会も増え、6月10日にはNHKの『クローズアップ現代』で「傷だらけの帰還 探査機はやぶさの大航海」が放送された(JAXAの的川泰宣がゲスト出演)。NHKはウーメラに近いグレンダンボに取材班を送り、大気圏再突入の模様をハイビジョンで撮影して翌14日未明から定時ニュースの冒頭で繰り返し放送したが、NHK・民放各局とも生中継を行わず[117][118]、第一報もやや遅れたため[117]、一部では放送局の反応に対する失望の声も上がった[117][119]。ただしニコニコ生放送の現地中継(後述)に同行したSF作家の野尻抱介[120]は、JAXAはマスコミへの情報提供にはかなり消極的であったとし、正確な突入時刻などが公表されていれば、生中継を企画できた放送局も多かったのではないかという私見を述べている[121]。 翌日14日の朝刊各誌は1面トップに写真付ではやぶさ突入の記事を掲載し[117]、民放各局もはやぶさの帰還を報道している[117][122]。またカプセルが着地したオーストラリアでは、大きな話題として扱ったテレビ放送局もあり[123]、台湾やイギリスなどでも報道された。
はやぶさの帰還後は、日本国民の熱狂ぶりや国民的な関心の高さがメディア上でも紹介された[124][125][126][127][128]。
政治家 [編集]
はやぶさのカプセル帰還成功を受け、6月8日に成立したばかりの菅内閣の閣僚たちからは絶賛する発言が相次いだ。
- 菅直人総理大臣は6月14日、「はやぶさ」プロジェクトマネージャー川口淳一郎教授にお祝いの電話をかけ、カプセル再突入成功について、約60億キロメートルもの飛行の後、地球へ帰還できたことは奇跡的であり、日本の技術水準の高さを世界に強くアピールした、関係者の方々に心からのお祝いと労いを申し上げたい旨を述べた[129]。さらに15日の参議院本会議で、後継機「はやぶさ2」の開発を推進する考えを示した[130]。
- 蓮舫行政刷新担当相は15日、「偉業は国民全員が誇るべきものだ。世界に向かって大きな発信をした」と高く評価し、2009年の事業仕分けで、後継機開発など宇宙開発関連予算を削減としたことについて「宇宙開発は私は直接担当しておらず、今一度流れを確認している」と釈明し、また「国民の様々な声は次期予算編成に当然反映されるべきだ」と語った[131]。
- 川端達夫文部科学大臣は15日、「非常に大きな成果を上げた」と評価し、後継機予算の概算要求について「しっかりとこれを踏まえて考えたい」と前向きな姿勢を示した[132]。
- 福山哲郎官房副長官は14日、はやぶさの後継機開発について「宇宙技術発展への貢献を精査し、来年度予算での扱いを検討したい」と述べた[133]。
- 宇宙開発担当の前原誠司国土交通大臣(当時)も「宇宙開発史に画期的な一ページを加えた」との談話を発表した[134]。
これらの発言に対して、読売新聞は鳩山政権下ではやぶさ後継機の予算が削減されていたことを指摘し、「現金すぎ」と民主党政権を批判的に報じた[134]。一方、科学ジャーナリストの松浦晋也は、はやぶさ後継機に予算が付かないのは政権の問題ではなく、JAXAの組織内部の問題のため開発が順調に進んでいないことが原因と思われる、と指摘している[135]。
詳細は「はやぶさ2」を参照
インターネットによる広報と反響 [編集]
はやぶさは、「星の王子さまに会いに行きませんか」キャンペーンを実施し、国内外から88万人の署名入りターゲットマーカーを積んでいたことで、投下成功のニュースには多くの励ましのメールがJAXAに届けられた[136]。
イトカワ着陸の際は、管制室のインターネット中継や、ブログによる実況が行われた。2度目の着陸の際、栄養ドリンク「リポビタンD」の空き瓶が管制室の机にどんどん増えていく様子[137]がブログを通して紹介され、日本国外でも話題になった。後にブログの更新担当者のもとには大正製薬関係者からリポビタンDが2カートン贈られたという[138]。
JAXAのwebサイトでは、ミッションの経過を絵本仕立てで紹介した『はやぶさ君の冒険日誌』やペーパークラフト[139]なども公開された。
2006年、soyuz project名義で活動する音楽家、福間創は、はやぶさの地球への無事帰還を願い、「swingby」という楽曲を自身のwebサイトで無料配信した[140][141]。配信後、この曲は相模原のJAXA宇宙科学研究本部の一般公開イベントにおいて、はやぶさコーナーのBGMとして正式に採用された[142][143]。
地球帰還に向けて最後の軌道修正に入った2010年4月には特設ページが作られ、プロジェクトマネージャーの川口淳一郎を始めとする関係者たちのメッセージが掲載されたほか、ブログやTwitterで状況が報告された。Twitterでは「はやぶさ君」“本人”がつぶやいたり、「あかつきくん」や「イカロス君」と会話することもあった[144][145]。
リアルタイムで多くの情報が公開されたことによりネットでの注目を集め、はやぶさを擬人化したキャラクターや、はやぶさをテーマにしたフラッシュ・MADムービー、SHO(キセノンP)による楽曲などが作られた。ファンによるコスプレや実物大模型なども公開されてブームを盛り上げた[109][146][147]。後日、ASCII主催による、川口淳一郎教授と今回のプロジェクトチームを招いて、今回のミッションについての対談が行われた際、Twitterの果たした役割にふれ、またニコニコ動画上のさだまさしの『案山子』や『宇宙戦艦ヤマト』などをモチーフにしたFLASHムービー作品について、とてもよく出来ていて気に入っているという感想を述べて、「はやぶさ」とネットとの親和性は高いと評価した[148]。
2010年6月13日の大気圏再突入の際には、前述のように生中継を行った放送局が皆無であったのに対し[117][118]、動画配信サイトでは現地からのインターネット中継が行われ[149][150]、ニコニコ生放送に延べ21万人[117][151][108]、JAXAの配信に36万アクセス、和歌山大学の配信に63万アクセス[151]が殺到し、それぞれ視聴者数が制限されたり回線が繋がりにくくなったりする状況が発生した[108][117][151]。Twitterでも注目を集め[109][152]、NECビッグローブによる統計によれば、再突入を捉えた動画や画像が公開された頃を中心に、10分間辺り最大で27,000件を上回る発言がはやぶさの話題に費やされた[118][153]。これは翌日の同時間帯に放送された2010 FIFAワールドカップ日本対カメルーン戦でゴールを決めた本田圭佑に対する、10分間辺り最大16,000件の発言[118][153]を圧倒的に上回っている。
また「はやぶさ」が地球に帰還した翌日には、オンライン署名サイトで「はやぶさ2予算増額の嘆願署名」が作成されるなど、関係者以外からも注目が集まっている[154]。
はやぶさを扱ったグッズや作品に対する反響 [編集]
はやぶさに対する反響の一環として、プラモデルや書籍、果ては日本酒といったグッズも、無人探査機を扱った商品としては例外的な売れ行きを示した[155]。例えば青島文化教材社から発売されたプラモデルは、同社における通常のヒット商品と比べて約4-5倍もの受注があり、初回製造分が数日で売り切れるほどの反響があったという[156][157]。 2009年4月1日には、はやぶさの困難な旅程を叙情的[158][159]に描いたプラネタリウム番組『HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-』が公開され、プラネタリウム番組としては異例の人気があったという[5]。 『HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-』はDVDおよびBDでも発売され、好評を博したものの、終盤の映像はあくまで予想に基づく制作だったため、はやぶさの地球帰還の後に完全版を求める声が相次ぎ、終盤の映像を事実に基づいたCG映像と差し替えた『HAYABUSA -BACK TO THE EARTH- 帰還バージョン』が制作され、各地で上映中であったプラネタリウムでも随時帰還バージョンへと差し替えられた。
はやぶさを題材にした作品 [編集]
関連する作品 [編集]
はやぶさ帰還後にはJAXAに8社から映画化のオファーがあり[160][注釈 81]、2011年秋期から2012年春期にかけてはやぶさを主題とした映画3作が相次いで公開された。日本国内で同じ題材の映画が3作品重なって競作されることは非常に稀なことである[161]。このうち20世紀フォックスの映画『はやぶさ/HAYABUSA』は、史上初の宇宙試写会という触れ込みで、国際宇宙ステーションに滞在中の宇宙飛行士を対象にした試写会が企画され[162]、2011年7月27日に実施された[163]。映画のほかには、映画の原作となった著作や、探査機を萌え擬人化した漫画作品などが出版されている。
映画 [編集]
小説 [編集]
漫画 [編集]
フィクションへの影響 [編集]
- 2007年に発行された野尻抱介のライトノベル『ロケットガール』4巻に小惑星探査機「はちどり」が登場した。再突入カプセルの蓋を閉められないまま帰還してくる探査機を回収するミッションに主人公たちが挑む。当初は「はやぶさ」の名をそのまま用いる予定だったが、はやぶさがバッテリの再充電とカプセルの蓋閉め運用に成功したため、「小説が現実に追いつかない」とモデルにするに留めた。なお前述のように、著者である野尻ははやぶさの大気圏再突入の際、ニコニコ生放送の現地中継に参加している[120]。
- 2009年に公開されたアニメ映画『サマーウォーズ』に小惑星探査機「あらわし」が登場。はやぶさをモデルにしている(角川文庫版の解説より)とされるが、自力で地球周回軌道に乗ってから再突入するというはやぶさでは不可能な描写がある他、試料カプセルがミサイルの様な形状になっている。「はちどり」「あらわし」とも、探査対象の小惑星は「マトガワ」である。
- はやぶさ帰還の1週間前に発売された週刊少年ジャンプの『こちら葛飾区亀有公園前派出所』にははやぶさをモデルとした「青羽」という無人探査機の物語が掲載された。ちなみに、この話で探査機は地球に帰還するが、最終的にカプセルは大気圏で溶けてしまっている。
- はやぶさプロジェクトが大きな話題となっていた2010年秋に放送されたTBSのテレビドラマ『SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜』の最終回に登場した。劇中で主人公の一人である当麻紗綾の亡き父が、生前「はやぶさ」の開発に携わっていたというエピソードが語られた。演出の堤幸彦は上述の映画『はやぶさ/HAYABUSA』の監督でもある。
脚注 [編集]
注釈 [編集]
- ^ はやぶさの探査情報を基にした、小惑星イトカワの解析結果とその論文がアメリカ科学論文誌『サイエンス』の2006年6月2日号に特集として掲載(日本の宇宙研究・開発では初)された。アメリカの International Space Development Conference (ISDC 2006) において Space Pioneer Award としてアメリカ National Space Society から表彰を受けている。
- ^ NASA製の小型探査ロボット「ミネルヴァ」を運んで行って小惑星表面を移動しながら探査を行う計画も存在していた。
- ^ トラブルとは、姿勢制御装置の故障や化学エンジンの燃料漏れによる全損、姿勢の乱れ、電池切れ、通信途絶、イオンエンジンの停止など数々のアクシデントを指す。
- ^ 当初の計画通りなら、再突入の約10時間前に月軌道程度の距離で試料カプセルを分離した後、はやぶさ本体は突入軌道から離脱して別の目標へ向かうことも可能だった。しかし化学スラスタが使えなくなって急激な軌道変更が不可能になり、また精密な姿勢制御に困難を伴うようになったことで、カプセルが市街地に落下する心配も生じた。このため、地球になるべく近付いてからカプセルを切り離す計画に変更され、結果として当初のような延長ミッションは断念された。その代わり、2009年には本体の大気圏再突入の際のデータを、地球に衝突する小惑星の軌道予測のためのシステム開発に役立てるという新たなミッションが加えられた。
- ^ 探査機との通信は臼田宇宙空間観測所の64mパラボラアンテナを用いて行われたが、2009年11月より64mアンテナが改修工事に入ったため、工事終了までは内之浦の34mアンテナが使われた。
- ^ 「はやぶさ」は温度管理を内蔵ヒーターで行っていた。内蔵/外装の機器類は太陽光線などを遮蔽することで基本的には低温環境にしておき、電源系からの電力を使ったヒーターで適温まで暖める方式が採用されていた。
- ^ 他の大型宇宙機などでは冗長性を持たせるために複数台の制御装置を搭載することが珍しくないが、はやぶさでは軽量化が優先されてITCU は1台だけである。ただ、内部的には3つのCPUの出力をASICによる多数決回路で不良判定することで、ある程度の信頼性を確保している。
- ^ 制御装置は汎用自律化機能を備え、最大32ある条件テーブルに従って外部からの指令を待たずに自律的に動作を行うことが可能になっている。また常時、IESを監視していて、アキュムレータ圧力、プラズマ点火状態、直流電源の電圧/電流値、グリッドの短絡などを見張っていて、動作不良と判断すると安全なモード移行するようになっていた。
- ^ HGAは、火星探査機「のぞみ」のものと同等品であるが、地球公転軌道より内側にあたるイトカワ公転軌道近日点での熱環境を考慮して白色に塗装されている点が異なる。
- ^ イトカワとのランデブーでは、はやぶさから見て地球と太陽がほぼ20度程度の視野範囲内に位置していたため、地球方向へ高い精度でHGAを向けた姿勢でz軸での回転運動を行っても、太陽電池パネルはおおむね正しく太陽へ向けることが可能であった。
- ^ 通信途絶からの回復後には32bpsで通信を行った。
- ^ MGAを用いた通信が不可能で、LGAを用いざるをえない状況というのは、機体が安定せずにランダム方向にスピンしているか、良くても太陽方向に太陽電池パネル面を向けてZ軸周りにスピンしている「セーフホールドモード」にあるという場合が想定された。LGAは8bpsというきわめて低速度通信しか行えず、遠距離によって信号波にタイムラグがあり、さらに自転しているために一定周期で通信が遮蔽されるという状況でも、最低限の質問を短いコマンドでたずねてその回答を"YES"/"NO"で得るという「1ビット通信」機能を用意していた。燃料タンクからの漏洩によって姿勢制御を失い漂流したが、この機能によって通信を回復させた。
- ^ 一般的な人工衛星などでは太陽電池パネルは「I形」になるような一直線に配置されることが多いが、「はやぶさ」ではz軸方向での回転モーメントが最大になるように「H形」に配置されている。仮にトラブルによって姿勢制御を失った場合、宇宙機は予測不可能な向きに回転してしまうことが考えられる。そのような時、燃料タンク等の液体などが動揺することで3軸の回転成分同士でエネルギーを交換し合い、長い時間が経てば、3軸の中でも最大モーメントの軸にだけ回転運動が収斂されることが知られている。太陽電池パネルを「H形」になるよう配置することで、z軸方向にだけ回転するようになり、太陽を公転する「はやぶさ」はやがて太陽方向にセルを向け続けることで発電量も確保し、再起動が可能になると考えられていた。そして、実際に長期間の通信途絶後に再び制御を取り戻すことができた。また「H形」であれば小惑星「イトカワ」へのタッチダウン時に接触する可能性を少なくできると考えられた。
- ^ 燃料漏洩によって漂流した後、4セルは過放電で使用不能になっていたが、生き残っていた7セルはある程度充電さえ行われていた。本来は過充電防止のためのバイパス回路が、生き残った7セルに対して微弱ながら発電していた太陽電池からの電力を供給し充電していたので、偶然にも7セルだけは過放電による機能喪失を免れた。
- ^ リアクションホイールの2基が故障した後は、約+1000〜+5000prmだった回転数を+300〜+2000rpmに制限したため、各運動量の保存量が減少しアンローディングの回数が増えてRCSの推進剤を予定より早く使い切ったが、帰路ではμ10イオンエンジンのジンバルを傾けることで推力を機体重心からずらし、この噴射によってz軸まわりのトルクを発生させてリアクションホイールのアンローディングを行った。
- ^ 炭素繊維強化炭素複合材料とは、炭素繊維強化プラスチックを熱処理し、母材のプラスチックを炭化させた複合材料のこと。これはモリブデンのような金属板と異なり運転時の高温で膨張することがなく、穴の位置が変化する心配がないが、運転によって内部の繊維が「ウィスカー」と呼ばれるひげとなって表面に出てくると、短絡による放電が起きる。直流電源は短絡によっても数秒間は耐えられる設計になっていた。スクリーン━アクセル間の短絡時には、直流電源のコンデンサバンクからの大電流によってウィスカーが焼き切られることが期待される。アクセル━ディセル間の短絡は300Vと電圧が低いため、コンデンサバンクによっても焼き切れるかそれほど期待できないが、ディセルの電圧がアクセルと同電位になっても加速性能そのものには影響しない。また、リレーボックスの開閉操作は、通常時は直流電源を停止してから行うが、ウィスカーを焼き切るために電源を入れたまま接続系統を切り替えることも行えるようになっていた。
- ^ 中和器にかけられた電圧は、当初は-30Vほどの電圧であったが、劣化によって機能が落ちたため劣化が加速することを承知で制限値である-50Vへと変更された。劣化が進んだ最終段階では制限を外したさらに高電圧でも運転された。劣化の原因については不明である。
- ^ イオン生成チャンバーと中和器のキセノンガス供給系が各組ごとで共通だったので、イオン・エンジンのイオン源Bと中和器Aを「クロス運転」した場合には、本来は無用なイオン源Aと中和器Bにもガスが供給された。
- ^ 宇宙機での推進剤タンクの流量制御にはマスフロー・コントローラを使用するのが一般的であったが、「はやぶさ」ではアキュムレータを用いた。マスフロー・コントローラは故障が多く信頼性に欠けるが、冗長性のために2台搭載するのは重量過大と判断された。アキュムレータを用いたことで流量や圧力の安定性や精度は低下するが、確実な動作の方を選んだ。
- ^ 仮にマスフロー・コントローラを採用していれば、制御域が10倍程度と狭いマスフロー・コントローラでは、姿勢制御装置が機能を失った時に、高圧ガスをそのまま供給してイオン・エンジンから噴射することはできなかった可能性が高い。
- ^ バルブ類は、高圧系は70気圧にも耐えられる高価なものを、低圧系はより低い耐圧設計の低コストなものが採用されるのが一般的であったが、「はやぶさ」では低圧系も70気圧に耐え得るものを採用していた。これは高圧側バルブの故障や操作ミスなどでも低圧側が耐えられるように配慮したものだったが、このことが、リアクション・ホイールや噴射式の姿勢制御装置が機能を失った時に、キセノンの高圧ガスをそのままイオン・エンジンから噴射することで姿勢を保つという緊急手段を可能にした。
- ^ 中和器から電子を放出する適正な電流値は、イオン生成後にグリッドから放出されるキセノン・イオンの正電荷量を打ち消すだけの電流値が倍率「1.0」として標準になっていたが、2台の中和器で3台のイオン源を中和する倍率「1.5」や、1台の中和器で2台のイオン源を中和する倍率「2.0」といった運転モードが用意されていた。実際には、中和器の劣化が早く、このような倍率を用いることはなかった。
- ^ リレーボックスが行える3台の直流電源からの出力切り替えは「IPPU 1:スラスタA/スラスタB, IPPU 2:スラスタB/スラスタC, IPPU 3:スラスタC/スラスタD」であった。
- ^ 元々±y面方向にはあまり軌道制御が必要ない事や重量削減のためもあるが、±y面の方向には太陽電池パネルがあり、RCSの噴射によって裏面の放熱板が汚れる恐れや推力方向がズレることもあって、±y面にはRCSを付けなかった。どうしても±y軸方向に動かす必要がある場合には、まずz軸まわりに90度回転させてからx軸方向のスラスタで対応した。
- ^ 酸化剤の四酸化二窒素は-30℃以下にならないと凍らないが、燃料であるヒドラジンは2℃以下で凍るため、この特性によって構体内に凍結した燃料がいつまでも残ってしまい、時折、機体に予期せぬ運動などを起こして悪影響を与えたと考えられている。
- ^ リアクションホイールは、2005年7月30日にz軸が、同年10月2日にはy軸が故障した。
- ^ 「ニア・シューメーカー」や「ディープインパクト」といった宇宙機でも採用実績がある、米イサコ (Ithaco) 社(現グッドリッチ社)製"Type-A"リアクションホイールが使用されたが、精密な回転部品を含むこの製品は液体燃料ロケットによる加速度には耐える設計であったが、「はやぶさ」を打ち上げる固体燃料ロケット「M-Vロケット」の発射時の振動や衝撃に耐え得るように元々出来ていなかった。イサコ社では固体ロケットによる大きな振動にも耐えられるように可能な限りの改良を行ったが、この改造に起因する障害が(少なくとも地上での追試験でも、磁石がステータに当たり欠けて飛散するのを防ぐためのメタルテープが冷却・過熱を繰り返すと剥がれて回転の障害になるという同様の問題が再現されたので)発生して、続々と機能を失ったのだと考えられている。
- ^ NASAの探査ローバー "MUSES-CN" も搭載する計画が進められていたが中止となり、打ち上げ予定時期直前まで同ローバーの搭載予定空間と本体左太陽電池パドル下に開口部があった。
- ^ カメラを含むデジタル機器類の仕様を見れば、2011年現在の民生用途の普及品レベルよりも劣るものが多いが、2003年当時は相応に高性能であり、また宇宙機の部品全般に言えるのは宇宙での使用実績のない最先端技術よりも実証済みの枯れた技術が採用される傾向がある。
- ^ 小型軽量高精度であるが、デジタル式の処理回路に宇宙線が当たることで演算エラーとなり、平均的には数か月に1度程度エラーとなってリセットしなければならない。小惑星への再突入前日に、前々日からバイアス調整済みだった1台がエラーとなり、リセット(再起動)したが、ぎりぎりで再調整することになった。
- ^ ONC-W2ははやぶさの側方を広角撮影するために設けられた。はやぶさはイトカワに近づくと、その重力に引かれることや太陽と地球にパドルとアンテナを向けながらイトカワを観察する必要から、イトカワと太陽/地球を結ぶ線上の「ゲートポジション」(20km) や「ホームポジション」(7km) と呼ばれる位置に留まることが多くなる。ただしそのような位置からではイトカワの表面は太陽に照らされた明るい画像しか得られず、科学探査としては陰影のある側方からの「ターミネーター観測」と呼ばれる撮影が望まれた。太陽方向へパドルを向けることはほぼ必須であったので、この要求に答えて側面方向にもカメラを備えることになった。結局、主にRWの故障によってターミネーター観測はキャンセルされ、最後に地球の映像を撮影して役目を終えた。
- ^ 地表の反射率を測定する科学機器としての運用も想定されていた。
- ^ 何らかのノイズを拾って受光センサが異常検出しないように、FBSでは複数回異常を検出した場合に限り、障害物があると警告を報告するようになっていた。
- ^ 1回目の降下では、接地寸前にFBSが異物を検出したので規定の自律判断に従い、降下を中止すると同時に底部RCS4基の噴射によって機体は上昇をはじめたはずだった。その後の状況は明確ではないが、安全圏に浮かびながらその後の指令が来るのを待っているはずであったが、上昇用スラスタの推力に不均一があったのか、一旦は上昇した後、十分離れる前に上昇を終えると、やがてはイトカワに落下して数回バウンドしてから30分間程度、小惑星表面に不時着していたと分析された。4基のRCSが均等に推力を発生しないと機体は弧を描いて進み、最悪では小惑星へ向かって突進してしまうため、自律制御プログラムは不均一な推力状況ではRCSの噴射を停止するように定められていた。RCSは極寒の真空環境で動作する多くのバルブ類や温度や圧力に本来は敏感な化学的反応に頼っているため、精密な動作制御にはあまり向いていない。FBSは2回目の接地からは正常に動作した。
- ^ 実際のNIRSを使った観測では、7km離れたホームポジションから12m四方の領域を測定し、イトカワ表面の6-7割をカバーした。
- ^ AMICAのフィルターは、地上から小惑星を観察する際に用いられる分光域"ECAS"に準拠しているため、多くの小惑星データと比較することが可能である。
- ^ リアクションホイールが使えず偏光フィルターを用いた測定は行えなかった。
- ^ ターゲットマーカーは東京の町工場によって作られた。
- ^ 2010年6月13日19:51にカプセルの切り離しを行った。
- ^ アブレータは従来から用いられている技術であるが独自の工夫も加えられており、例えば、CFRPの一部が高温状態で流動化しやがて気化する過程で、ガスが炭化層を持ち上げ剥がすような作用を防ぐために、スリット入り積層の「ラティス・アブレータ」や斜め積層などの工夫が行われた。
- ^ 地球周回軌道から再突入するスペースシャトルの約30倍(淀み点総加熱率)もの空力加熱によってカプセル周囲の気流は摂氏10,000度に達するが、アブレータから揮発したガスが熱を遮り、ヒートシールド表面は3,000度、カプセル内は50度程度までに抑えられる。
- ^ 実際は大気圏突入後5分経過した22時56分に高度5km付近でヒートシールドが分離された。パラシュートが開いて4秒後にビーコンの発信が始まった。
- ^ イトカワへの降下誘導はLIDARやLRFの機能を使って行う予定でいたが、RWの機能喪失によってレーザー測距機が使用できなくなった。また、降下誘導の代替案であった「光学航法」も、高度な画像処理を行い自律的に航法判断させるには搭載コンピュータなどの処理能力が不足していて不可能だった。そこで急遽、考案されたのが「地形航法」である。
- ^ M-Vロケットは運搬する宇宙機の重量や軌道に応じて、細部をその都度、設計段階から最適に作る直すため、標準的なロケットを用いるのに比べると、物理的な効率は良いが経済的には非常に高コストになる。
- ^ 地上から宇宙へ運ばれた直後は、空気や水分のような周辺環境からの微細な異物が機体の内外表面に吸着しているため、それらが徐々に結合が外れて真空中に充分に拡散し切るまでは、日数単位で数えられるある程度の期間、極めて希薄なガスが機体を取り巻いている。このため、打ち上げ直後の動作確認は低電圧を扱う機器から行われた。
- ^ 最初に試験されたスラスタAは、予想通り規定の出力を得られず、6-7割の出力だった。スラスタAは地上試験でマイクロ波を送るケーブルを焼損していたが、発射スケジュールに合わせるためにケーブル特性の調整を行わずに搭載されたものだった。スラスタAは予備として通常の航行には用いないことが早くから決まった。
- ^ IESの動作試験は、はやぶさの主な目的の1つであり、出力をいかに安定させるかという知見を得ることが当初から求められていたのであって、この段階では、航行のために出力が自由に操作できないことは当初から予定されていた。3基の同時運転まで可能に作られていたが、1基でも100%の推力が得られればミッションを行うのに充分なだけの余裕があった。この動作試験の間は、毎日6-8時間ほどの通信可能な間にはやぶさにIES の試験を行うよう指令を与えておいて、翌日に結果を得る繰り返しだった。運転条件を変えながら最適な値を求めて行ったが、日によっては異常を検知して自律的に推進を停止していることもあり、いつまでも推進力を加えない日が続くのは予定の加速を得られない恐れが高まってきた。
- ^ 太陽フレアそのものは10月から発生していたが、その最大の波が11月4日に、はやぶさの位置に到達した。
- ^ 世界初という点では、北緯30度から見える地球の映像は世界で始めてだった。EDVEGA途中の29万5,000メートル上空から撮影したものだったが、これまでこの位置を通る撮影可能な衛星が無かったということだった。
- ^ x軸とy軸のリアクションホイールの故障原因は、おそらくアルミ箔であるメタルライナーが内部で剥がれて回転を阻害したと考えられた。
- ^ リアクションホイールが2基となっても、当初より2基での運用も想定されていたため支障は起きなかった。
- ^ この時すでに、本来の降下誘導で威力を発揮する予定だったレーザー測距機 LIDAR の活用はあまり期待されていなかった。リアクションホイールの実質的な喪失によってLIDARのビーム方向を精度良く維持できないと判断されていた。LIDAR誘導の代替案として、光学カメラによる画像データによって自律誘導させることが試され、この日は失敗した。
- ^ 3回ほどバウンドしたという情報もある。
- ^ 地球帰還後の2010年11月29日に弾丸発射失敗の原因がプログラムのミスだったことが正式に公表された。個々のプログラムにバグは無かったが、プログラムから別のプログラムにデータを受け渡す際の真偽の解釈が逆という、パラメータ設定の人為的なミスがあり、システム全体としては問題があった[32][33]
- ^ 結局このときの接地でわずかな試料が得られた。
- ^ 地球の管制室には「WCT」の表示があり、これは弾丸発射を含めた着陸シーケンスが全て正常に動作したことを示していた。
- ^ z軸周りのスピン軸が太陽方向に対して傾くと太陽電池パネルの発電能力が低下する。
- ^ イオンエンジンのキセノンイオンによる推力が地上での1円玉1個の重さに相当するミリ・ニュートン単位であるのに対して、中和器から直接ガスを噴射するだけでは、マイクロ・ニュートン単位での1000分の1程の推力しか発生しないが、それでも必要なトルクが得られた。
- ^ 弾丸の発射は、姿勢軌道制御コンピュータ (AOCP) が弾丸発射に関する指示を担当し、データ処理コンピュータ (DHC) は安全確保のために発射機構をロックするよう分担してプログラムされていた。本来ならAOCPが発射指示を出し、DHCは弾丸発射後に再びロックを掛けるはずだったが、地球側でプログラムを確認するとAOCPが発射指示後にDHCが発射前にロックを掛けてしまうことが判った。弾丸は発射されなかったことがほぼ確実だった。
- ^ ただし、はやぶさの電源系統がリセットされていることや、着陸時にサンプラーホーンの温度が上昇していることなどから、弾丸が発射された可能性も残されているとした。
- ^ この時点では、z軸を地球にほぼ向けてz軸を中心に毎秒1度で自転していた。
- ^ はやぶさは受動的に安定するように設計されているので、2006年12月までに電力と通信が復旧できる可能性は60%、2007年春ならば70%と計算された。2007年春までイオンエンジンが使用可能であれば、地球帰還の可能性は高いとされた
- ^ この時、セーフホールドモードによるz軸周りに自転した機体は、z軸方向にして70度ほど傾き、毎秒7度で以前とは逆方向に回転していた。
- ^ 太陽電池パネルを常に太陽方向へ向けなければならないが、はやぶさも太陽を1年強ほどで公転しているためにz軸もそれに同期して向きを変えなければならない。RCSの推進剤が失われたため、1基のリアクション・ホイールと中和器からのキセノンガス噴射しか姿勢制御の手段を持たないが、ホイールはz軸方向でありキセノンガスは本来の推進力としても必要であった。概算によって軌道制御と姿勢制御を両方行うにはガスが不足する可能性があった。キセノンの消費量を減らすために太陽光の放射圧を用いる方法は、NECのエンジニア、白川健一が考案した。はやぶさを太陽に対して少し傾けることで、常にいびつな力を受け続け、そのわずかな力が公転に合わせてz軸の向きを変えてゆく。
- ^ これらの電池は損傷が激しく、カプセル格納作業以降は使用が期待されなかったので、無重力下での放電挙動を調べるために意図的に過放電状態にする実験が行なわれ、最終的に全数が使用不能となった。
- ^ スラスタBとDによる2基の同時運転を想定してイオンエンジンをテストしていたところ、スラスタBの中和器が電圧上昇を起こして停止したため、スラスタDの単独運転に変更された。
- ^ 巡航運転時のはやぶさは、ヨー軸・ピッチ軸については、唯一生き残ったZ軸のリアクションホイールと、本来、イオンエンジンの推力軸調整用であるジンバル機構を併用して姿勢制御を行い、ロール軸については太陽光圧を利用して姿勢制御を行っていた。
- ^ スラスタCはバックアップ用とされ、以降は基本的にA-Bが使われるようになる。夏以降の軌道計画見直しにより必要なデルタVは合計2,200m/sと若干増加していたが、この時点で残り200m/sあまり。
- ^ この時点では、まだ地球公転軌道の内側を通過する軌道にいた。地球突入速度を抑えるため、地球の自転方向と同じ向きに進入するように、地球公転軌道の外側を通るような軌道まで変換作業を継続。軌道変換中に一時的にも地球に衝突する軌道とならないように、通過軌道が地球の南極上空となるような経路が選択された。
- ^ 19時51分、はやぶさは再突入カプセルを切り離した。飛行時間が3年伸びたことにより、火工品などの劣化が心配されていたが、分離機構は正常に作動した。地球までの距離は約7万km。
- ^ 惑星軌道からの高速な大気圏再突入は世界でもあまり前例がなく、スターダストの回収カプセル以来4年半ぶり2度目の成功となる。さらに、惑星軌道からの母船の再突入は世界初となった。
- ^ 今回の突入を航空機から観測することによって、宇宙機の超高速再突入時における熱保護システムの振る舞いを評価し、将来的に火星からのサンプルリターンのカプセルの研究に役立つという。
- ^ 回収後のカプセルのキュレーション作業もNASAと共同で実施している
- ^ はやぶさにジェット推進研究所の開発した小型ローバーを搭載する計画やアメリカ国内にカプセルを着陸させる案もあったが、この2つは実現しなかった。
- ^ 打ち上げられた探査機が宇宙空間で物質を追加搭載して税関を経由せず外国に到着することは前例が無く、既存の法律では密輸行為になりかねない(前述の行為を迂闊に認めると、一旦宇宙に物質をプールしておいて、宇宙空間で物質を搭載して外国に着陸すると税関を経由しないでも輸入が可能になる)。このため、ISAS側では法的手続きにおいて、新規解釈を次々とひねり出す必要に迫られた[74]。
- ^ 施設内では輸送用免震箱からカプセルを取り出し、傷が付いてないことが確認された。カプセル表面に、打ち上げ前の2003年3月18日という日付と、カプセル開発などに携わった20人の名前が書かれた名刺大の紙が張られているのが見つかった[75]。
- ^ 名前ははっきり読める状態で、大気圏突入時、紙が劣化するほどの熱が加わらずに落下した様子がうかがえた[75]。
- ^ 直径1mm以上の目立った粒子の存在は確認されなかった。
- ^ 詳細情報は外部リンク Hayabusa Live を参照。
- ^ 他のミッション(写真)はロバート・ゴダードのロケット打ち上げ実験(同)、ボストーク(ユーリイ・ガガーリン)、アポロ(月の足跡・月面に立つ宇宙飛行士)、ヴォイジャー(土星の輪)、国際宇宙ステーション(同)、マーズ・エクスプロレーション・ローバー(同)
- ^ 『日刊サイゾー』によれば、東映・東宝・松竹・角川の日本国界4大映画配給会社と、独立系、洋画配給会社など(「「架空の役がまずかった?」スタートでいきなりつまづいた映画『はやぶさ』シリーズ」、サイゾー、2011年11月8日)
出典 [編集]
A.
^ 「ひと――探査機「はやぶさ」のコスプレーヤー 秋の『』さん(22)」『朝日新聞』2011年2月5日付朝刊、第13版、第2面。
参考文献 [編集]
関連項目 [編集]
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外部リンク [編集]