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古事記
現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼(ひえだのあれ)が天武天皇の勅で誦習した帝紀および先代の旧辞を、太安万侶(おおのやすまろ)が元明天皇の勅により撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)まで、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説と多数の歌謡とを含みながら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。
広辞苑より
古事記本文の記述以外には編纂の記録が直接は見当たらないため、偽書説もあるが、一般には受け入れられていない。なお、古事記は正式名ではないとされ、古い書物を示す一般名だと言われている。
古事記とは
古事記(こじき、ふることふみ)は、その序によれば712年(和銅5年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶(おおのやすまろ))によって献上された、現代に伝わる日本最古[1]の歴史書である。上・中・下の全3巻に分かれる。原本は存在していないが、後世の写本の古事記の序文に書かれた和銅年及び月日によって、年代が確認されている。
『古事記』に登場する神々は多くの神社で祭神としてまつられ、今日に至るまで日本の宗教文化と精神文化に多大な影響を与えている。
概要 [編集]
成立の経緯を記している序によれば、天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したもの。一般的に「誦習」は「暗誦」することと考えられているが、荻原浅男(小学館日本古典文学全集)は、「古記録を見ながら古語で節をつけ、繰り返し朗読する意に解すべきであろう」という。
『古事記』の書名は、もともと、固有名詞ではなく、古い書物を示す一般名であり、正式名ではないといわれている。書名は安万侶が付けたのか、後人が付けたのかは明らかでない。読みは「フルコトブミ」との説もあったが、今日では一般に音読みで「コジキ」と呼ばれている。
撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉
帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ
と詔していることから、勅撰と考えることも出来る。ただし、国家が編纂した歴史書であることは間違いがない。天皇と祭神を結びつける事により、天皇の権力の正統性を確立することを目的としていたと見ることも出来る。史料の上では成立過程や皇室の関与に不明点や矛盾点が多いとする見解もあり、後述する古事記偽書説の論拠となっている。
構成 [編集]
『古事記』は帝紀的部分と旧辞的部分とから成り、天皇系譜が『帝紀』的部分の中心をなし、初代天皇から第33代天皇までの名、天皇の后妃・皇子・皇女の名、及びその子孫の氏族など、このほか皇居の名・治世年数・崩年干支・寿命・陵墓所在地、及びその治世の大事な出来事などについて記している。これらは朝廷の語部(かたりべ)などが暗誦して天皇の大葬の殯(もがり)の祭儀などで誦み上げるならいであった。それが6世紀半ばになると文字によって書き表された。『旧辞』は、宮廷内の物語、皇室や国家の起源に関する話をまとめたもので、同じ頃書かれたものである。
『帝紀』や『旧辞』は、6世紀前半ないし中葉頃までに、天皇が日本を支配するに至った経緯を説明するために、朝廷の貴族によって述作されたものであり、それらを基にして作成されたものであり、民族に伝わった歴史の伝承ではないと主張する人もいる。一方、広く民衆に受け入れられる必要もあったはずで、特に、上巻部分はそれらを反映したものが『古事記』ではなかったかとの主張もある。
内容は神代における天地(アメツチと読まれる)の始まりから推古天皇の時代に至るまでの様々な出来事(神話や伝説などを含む)を収録している。また、数多くの歌謡を含んでいる。
なお、日本神話での「高天原」という用語が多用される文書は、「祝詞」以外では『古事記』のみである。
コメント
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