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十津川村(とつかわむら)は奈良県の最南端に位置する村。北方領土である留別村、紗那村、留夜別村、蘂取村に次いで日本で5番目に大きな面積を持つ村であり、特に日本が実効支配している地域では最大面積の村として知られている。奈良県内において実質公債費比率が最も低い市町村である。
天気予報の発表区分および気象警報・注意報の発表区分は「奈良県全域 > 奈良県南部 > 奈良県南西部」、衆議院選挙区は「奈良4区」となっている。
地理 [編集]
- 東西幅33.4km、南北幅32.8km。
- 村の中央部を十津川が南流する。
隣接する自治体 [編集]
歴史 [編集]
山間の農耕に適さぬ地形のため、古来、免租の集落として、その時々の権力者の支配を受けず、半ば独立した村落共同体として存在し続けた。免租の特権を保証してくれる実力者側に常に出兵し、古くは壬申の乱以来、幕末までこの政策は変わらなかったが、明治維新後、ついに免租特権が廃止された。 また、建武の新政の際には楠木正勝がここを拠点とした、以来、尊王の姿勢を明治維新まで貫いた。 周囲とは隔絶した地域であったため、独特の文化、気風があり、十津川郷士を輩出した。
行政 [編集]
県の機関 [編集]
経済 [編集]
産業 [編集]
林業、農業、鮎など川魚の養殖・加工が主たる産業になっている。主な特産物は鮎の加工品、山菜、ゆうべし等。
- 風屋ダム・十津川第一発電所
- 二津野ダム
- なお十津川第二発電所は十津川村には無く、熊野川町になる。
金融機関 [編集]
農業協同組合 [編集]
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なお、村内にはJAバンクATMは設置されていない。
日本郵政グループ [編集]
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- 上野地(うえのじ)郵便局(上野地)
- 風屋(かぜや)郵便局(風屋)
- 小原(おはら)郵便局(武蔵) - ゆうちょ銀行ATMのホリデーサービス実施局(2011年4月現在)
- 折立(おりたち)郵便局(折立)
- 平谷郵便局(平谷)
- 重里郵便局(重里)
- 瀞(どろ)郵便局(神下=こうか)
これらの郵便局には全て郵便事業株式会社の集配センターが併設されている。(瀞のみ紀伊勝浦支店管轄で他は五條支店管轄)
※十津川村の郵便番号は以下の通り(番号右隣の括弧内は管轄の集配センター)。
- 「637-11xx」(上野地)=沼田原(ぬたのはら)、長殿(ながとの)、旭、上野地、宇宮原(うぐはら)、谷瀬(たにぜ)、林、高津(たこうつ)。
- 「637-12xx」(風屋)=内原(ないばら)、滝川、風屋、野尻、山崎(やまさき)、池穴、川津、内野、三浦、五百瀬(いもぜ)、山天(やまてん)、杉清(すぎせ)。
- 「637-13xx」(小原)=大野、小井、小森、湯之原、小原、武蔵。
- 「637-14xx」(折立)=小川、高滝、樫原(かしわら)、込之上(こみのうえ)、折立、山手谷。
- 「637-15xx」(平谷)=那知合(なちあい)、谷垣内(たにがいと)、山手、平谷、猿飼(さるかい)、桑畑、七色、出谷(でたに)、上湯川。
- 「637-16xx」(重里)=重里、永井、玉垣内(たまがいと)、西中、今西、小山手(こやまて)、小坪瀬(こつぼせ)、迫西川(せにしがわ)。
- 「647-15xx」(瀞)=上葛川(かみくずがわ)、東中、玉置川(たまいがわ)、神下。
- また、竹筒(たけとう、647-1271)は紀伊勝浦支店日足(ひたり)集配センター(和歌山県新宮市熊野川町日足)の管轄となっている。
※なお十津川村の大字としてその他「大谷」もあるが、2011年4月現在、大字単位での郵便番号が設定されていない。
姉妹都市・提携都市 [編集]
国内 [編集]
地域 [編集]
人口 [編集]
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十津川村と全国の年齢別人口分布(2005年) |
十津川村の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 十津川村 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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十津川村(に該当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 / 国勢調査 |
- 人口増加率(2002年→2007年) : -10.8%
教育 [編集]
- ※2008年(平成20年)4月現在、奈良県内の高校(国立・私立を含む)で「奈良県南部」の天気予報・気象警報・注意報発表区分内に位置するのはこの十津川高校のみである。
交通 [編集]
鉄道 [編集]
- 五条駅と新宮駅を結ぶ「五新線」が村内を縦断する計画であったが、実現には至らなかった。
バス [編集]
道路 [編集]
- 一般国道
- 一般県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 [編集]
レジャー [編集]
観光 [編集]
- 谷瀬の吊り橋
- 笹の滝
- 瀞峡
- 釈迦ヶ岳
- 玉置山
- 野猿 - 十津川村は紀伊山地の深い山奥に位置し、急峻な峡谷と急流により、古来河川両岸の相互交通が非常に困難であった。 そのため河川の両側に綱を渡し、野猿(やえん)を設置する事で独自の交通事情を形成してきた歴史がある。
- 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」
祭り [編集]
十津川村出身の有名人 [編集]
その他 [編集]
- 西村京太郎の推理小説に多く登場する十津川省三警部の名前は十津川村に由来している。西村がたまたま見ていた日本地図でこの地名を見かけたことから。
- 北海道の新十津川町は、1889年(明治22年)8月に十津川村を襲った豪雨を機に村民が集団移住、開拓した町。十津川村と新十津川町は同じ村(町)章を用いている。人口及び人口密度はいずれも新十津川町の方が上回っている。
外部リンク [編集]
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