9/5 夕刊
死者37人、不明54人に 県内1人死亡/12号豪雨
2011/09/06 09:19
台風12号による紀伊半島豪雨で、12人の死者・行方不明者が出た奈良県十津川村5 件で、土砂崩れでせき止められた川の水が自然にたまる土砂崩れダムが形成されていることが5日、奈良県警への取材で分かった。土砂は高さ約80メートルに達する部分もあり、再び大雨が降り決壊した場合、捜索隊が巻き込まれる二次災害が起きる恐れもあるとして県警は周辺地域での捜索を打ち切った。共同通信の集計で人的被害は9県にまたがり、死者37人、行方不明者54人となり、台風被害では死者・不明者98人を出した2004年の台風23号以来、最悪の事態となった。
【→関連記事】
豪雨被害では、いずれも行方不明だった奈良県の森段造さん(82)と徳島県の一ノ宮治郎さん(86)らの死亡を新たに確認。
4日朝に香川県丸亀市飯山町の市道沿いの用水路で死亡していた女性について、香川県は台風12号による死者と認定した。丸亀署によると、女性は近くの無職山下きぬさん(61)。死因は水死だった。
奈良県警は6日以降も捜索を続けるが、土砂ダムに重機や放水設備を搬入できないため、危険性を確認しながら慎重に作業を進めなければならず、難航する懸念がある。住民や家屋については、途中に人工ダムがあり、土砂ダムが決壊しても大きな被害は出ないとみている。
土砂ダムは小規模なものも含めほかにも複数存在。1人が行方不明になっている奈良県天川村坪内でも発生し、一時は地区の全68戸が水没、一部の住民が孤立状態になることもあった。
奈良県警によると、十津川村5 件の土砂ダムは、長殿(ながとの)の塩鶴地区で、熊野川が流れる深さ約100メートルの谷のうち、約80メートルの高さまで土砂がたまっている場所があるという。
十津川村5 件長殿では熊野川の氾濫で住宅2棟が流され、2人が行方不明になったまま。5日朝から捜索が行われていたが、警察官が土砂ダムを発見し、活動を打ち切った。
現場周辺では、行方不明者を発見した場合でも、捜索隊員が担架を背負ってロープをつるした崖を登ったり、土砂崩れの危険が高い場所を通過しなくてはならない状況が続いているという。
十津川村
とつかわむら 十津川村 |
|
---|---|
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 奈良県 |
郡 | 吉野郡 |
団体コード | 29449-7 |
面積 | 672.35km² |
総人口 | 4,039人 (推計人口、2011年8月1日) |
人口密度 | 6.01人/km² |
隣接自治体 | 奈良県:五條市、吉野郡、上北山村 下北山村、野迫川村 三重県:熊野市 和歌山県:新宮市、田辺市、北山村 |
村の木 | スギ |
村の花 | シャクナゲ |
他のシンボル | ウグイス |
十津川村役場 | |
所在地 | 〒637-1333 奈良県吉野郡十津川村大字小原225-1 |
外部リンク | 村公式HP |
特記事項 |
十津川村旗 |
表示・ノート・編集・履歴 ウィキプロジェクト |
十津川村(とつかわむら)は奈良県の最南端に位置する村。北方領土である留別村、紗那村、留夜別村、蘂取村に次いで日本で5番目に大きな面積を持つ村であり、特に日本が実効支配している地域では最大面積の村として知られている。奈良県内において実質公債費比率が最も低い市町村である。
天気予報の発表区分および気象警報・注意報の発表区分は「奈良県全域 > 奈良県南部 > 奈良県南西部」、衆議院選挙区は「奈良4区」となっている。
目次[非表示] |
地理 [編集]
- 東西幅33.4km、南北幅32.8km。
- 村の中央部を十津川が南流する。
隣接する自治体 [編集]
歴史 [編集]
山間の農耕に適さぬ地形のため、古来、免租の集落として、その時々の権力者の支配を受けず、半ば独立した村落共同体として存在し続けた。免租の特権を保証してくれる実力者側に常に出兵し、古くは壬申の乱以来、幕末までこの政策は変わらなかったが、明治維新後、ついに免租特権が廃止された。 また、建武の新政の際には楠木正勝がここを拠点とした、以来、尊王の姿勢を明治維新まで貫いた。 周囲とは隔絶した地域であったため、独特の文化、気風があり、十津川郷士を輩出した。
- 1863年、天誅組に十津川郷士が募兵により参加。
- 1889年、大水害により村落の大部分が壊滅状態になり、北海道へ移住。新十津川村を開拓。
- 1890年6月18日、東十津川村、西十津川村、南十津川村、北十津川村、中十津川村、十津川花園村が合併して、十津川村が誕生。
- 2004年7月1日、『紀伊山地の霊場と参詣道』が、ユネスコの世界遺産委員会により「世界遺産一覧表」(文化遺産)に登録された。十津川村には熊野古道小辺路と大峯奥駈道が通り玉置神社がある。
行政 [編集]
県の機関 [編集]
経済 [編集]
産業 [編集]
林業、農業、鮎など川魚の養殖・加工が主たる産業になっている。主な特産物は鮎の加工品、山菜、ゆうべし等。
金融機関 [編集]
農業協同組合 [編集]
- 奈良県農業協同組合(JAならけん)
-
- 十津川支店(武蔵)
なお、村内にはJAバンクATMは設置されていない。
日本郵政グループ [編集]
-
- 上野地(うえのじ)郵便局(上野地)
- 風屋(かぜや)郵便局(風屋)
- 小原(おはら)郵便局(武蔵) - ゆうちょ銀行ATMのホリデーサービス実施局(2011年4月現在)
- 折立(おりたち)郵便局(折立)
- 平谷郵便局(平谷)
- 重里郵便局(重里)
- 瀞(どろ)郵便局(神下=こうか)
これらの郵便局には全て郵便事業株式会社の集配センターが併設されている。(瀞のみ紀伊勝浦支店管轄で他は五條支店管轄)
※十津川村の郵便番号は以下の通り(番号右隣の括弧内は管轄の集配センター)。
- 「637-11xx」(上野地)=沼田原(ぬたのはら)、長殿(ながとの)、旭、上野地、宇宮原(うぐはら)、谷瀬(たにぜ)、林、高津(たこうつ)。
- 「637-12xx」(風屋)=内原(ないばら)、滝川、風屋、野尻、山崎(やまさき)、池穴、川津、内野、三浦、五百瀬(いもぜ)、山天(やまてん)、杉清(すぎせ)。
- 「637-13xx」(小原)=大野、小井、小森、湯之原、小原、武蔵。
- 「637-14xx」(折立)=小川、高滝、樫原(かしわら)、込之上(こみのうえ)、折立、山手谷。
- 「637-15xx」(平谷)=那知合(なちあい)、谷垣内(たにがいと)、山手、平谷、猿飼(さるかい)、桑畑、七色、出谷(でたに)、上湯川。
- 「637-16xx」(重里)=重里、永井、玉垣内(たまがいと)、西中、今西、小山手(こやまて)、小坪瀬(こつぼせ)、迫西川(せにしがわ)。
- 「647-15xx」(瀞)=上葛川(かみくずがわ)、東中、玉置川(たまいがわ)、神下。
- また、竹筒(たけとう、647-1271)は紀伊勝浦支店日足(ひたり)集配センター(和歌山県新宮市熊野川町日足)の管轄となっている。
※なお十津川村の大字としてその他「大谷」もあるが、2011年4月現在、大字単位での郵便番号が設定されていない。
姉妹都市・提携都市 [編集]
国内 [編集]
地域 [編集]
- 村内は55の大字に分かれる。
人口 [編集]
十津川村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 十津川村の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 十津川村
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
|||||||||||||||||||||||||||
十津川村(に該当する地域)の人口の推移
|
||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 / 国勢調査 |
- 人口増加率(2002年→2007年) : -10.8%
教育 [編集]
- 奈良県立十津川高等学校 歴史上継続性のある前身を含めると創立が元治元年という県内最古の高等学校であり、十津川郷士が孝明天皇の勅許によって創った。
- ※2008年(平成20年)4月現在、奈良県内の高校(国立・私立を含む)で「奈良県南部」の天気予報・気象警報・注意報発表区分内に位置するのはこの十津川高校のみである。
交通 [編集]
鉄道 [編集]
- なし
バス [編集]
道路 [編集]
- 一般県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 [編集]
レジャー [編集]
観光 [編集]
- 谷瀬の吊り橋
- 笹の滝
- 瀞峡
- 釈迦ヶ岳
- 玉置山
- 野猿 - 十津川村は紀伊山地の深い山奥に位置し、急峻な峡谷と急流により、古来河川両岸の相互交通が非常に困難であった。 そのため河川の両側に綱を渡し、野猿(やえん)を設置する事で独自の交通事情を形成してきた歴史がある。
- 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」
祭り [編集]
十津川村出身の有名人 [編集]
その他 [編集]
- 西村京太郎の推理小説に多く登場する十津川省三警部の名前は十津川村に由来している。西村がたまたま見ていた日本地図でこの地名を見かけたことから。
- 北海道の新十津川町は、1889年(明治22年)8月に十津川村を襲った豪雨を機に村民が集団移住、開拓した町。十津川村と新十津川町は同じ村(町)章を用いている。人口及び人口密度はいずれも新十津川町の方が上回っている。
外部リンク [編集]
ウィキメディア・コモンズには、十津川村に関連するカテゴリがあります。 |
|
個人用ツール
他の言語
那智大社
【台風12号】
世界遺産 熊野那智大社に土砂流入
台風12号の影響で、世界遺産の熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)をはじめ、国宝や重要文化財にも被害が生じていることが5日、分かった。
熊野那智大社によると、境内にある6つある社殿のうち、「第五殿」と「八社殿」の間にある裏山が崩れて土砂が流入。高い部分では約1・5メートルまで土砂が積み上がり、流入はすべての社殿に及んだという。また、同大社の別宮で近くにある飛瀧(ひろう)神社でも、「那智の滝」にかかる大しめ縄が切断されたほか、少なくとも5本の大木が倒れた。
同大社の伊藤士騎禰宜(49)は「約25年前にも同じような土砂崩れがあったらしいが、今回の被害ははるかにひどく、世界遺産の危機。1日も早い復興を望みたい」と話している。
奈良県では、吉野町の金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂(国宝)で、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺屋根の頂上東側付近が台風12号による強風で破損。県教委文化財保存課によると、檜皮葺の一部が縦30センチ、横60センチにわたってはがれるなどしているという。
また、同県桜井市初瀬(はせ)の長谷寺の下登廊(しものぼりろう)(重文)でも、強風で折れたスギの枝が当たり、瓦屋根の軒先の丸瓦2枚など瓦計8枚が破損した。下登廊は本堂に続く屋根付きの登廊(廊下)の一部。
滋賀県では、湖南市の善水寺の本堂(国宝)の檜皮葺屋根が強風で縦約2メートル横約3メートルにわたって吹き飛ばされ、寺が応急措置としてトタンをかぶせた。県教委によると、この屋根は今年7月の台風6号でも強風で直径約1メートルの穴が開き、修理したばかりだった。
文化庁によると、このほかにも、三重県伊賀市や桑名市などの史跡や名勝での倒木、香川県高松市の旧河野家住宅(重要文化財)での土塀の一部落下などの被害が報告されているという。同庁伝統文化課は「まだ詳しい状況がわかっておらず、今後、被害が増えることが予想される」としている。
9/6 朝刊
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。