桜ノ宮 西口 付近の案内
桜ノ宮駅(さくらのみやえき)とは、大阪府大阪市都島区中野町五丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)大阪環状線の駅である。
京橋駅が当駅を管理する直営駅。アーバンネットワークエリアに入っており、ICOCAが利用することができる(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。また、JRの特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。
駅構造 [編集]相対式2面2線のホームの高架駅で、分岐器や絶対信号機がない停留所に分類される。
西口(西改札)と東口(東改札)があり、エレベーターは東口、みどりの窓口は西口にある。ホームは大川側から見てやや左にカーブしている。長らくのりば番号が存在しなかったが、2006年9月中にのりば番号が付与された。
駅のすぐ西側(天満駅側)に大川(旧淀川)にかかる淀川橋りょうがあり、ホームの西端は橋りょう内にある。西口改札口は大川の堤防にかかる築堤上にあるため、線路面とほぼ同じ高さで線路南側(内回りホーム側)の地平にある。通常は、西口から階段で地下道に降りて、内回り・外回りのホームへ階段で上るが、造幣局の通り抜け・天神祭の混雑時には、西口横と内回りホームを直接結ぶ臨時通路が使用される。東口は、改札が高架下にあり高架の両側(南と北)を結ぶ自由通路に出る通常の高架駅である。
かつては、東口は北側にしか出口がなく、南側からはガードをくぐって迂回しなければならなかった。また、自由通路設置前は、東口にみどりの窓口があった。駅長室が東口に存在し、またかつては東口の方が利用客が多かったためである。1996年の大阪アメニティパーク (OAP) 開業後は、西口利用客が圧倒的に増加したため、こちらの方がメインとなり、みどりの窓口も西口に移転した。環状線にそって平行していた国鉄清算事業団用地の築堤(非電化時代の廃線敷で、国鉄末期は社宅として使われていた)を、2001年に再開発のため取り壊した際に、東口の自由通路が設置された。自由通路ができる以前は西口から東口までの移動は不便であったために、かつては西口利用のみどりの窓口利用者には無料のホーム通行券を渡して、ホームを通って東口へ誘導していた。
再び 桜ノ宮きょうりょう 北に
大阪リバーサイドホテルの西 この前の歩道を左に 大川 沿いの方が陽にあたらなくて
歩道をわたると 「毛馬桜之宮公園」
桜之宮公園(さくらのみやこうえん)とは、大阪市都島区・北区にある、大川沿岸の公園である。毎年、桜の季節には桜の通り抜けがあり大勢の人でにぎわう。 なお、都島橋より北側は毛馬桜之宮公園である。
大阪府大阪市都島区・北区
北緯34度41分57秒
東経135度31分24秒
分類 都市公園
面積 32.3ha
駐車場 なし
告示 1923年3月1日
え 40 居場所表示に間違いなし
え 39 大川~東10mの沿道
沿道のトイレ
左 大川 桜 歩道 桜 車道 桜ノ宮駅~400mあたり 北へ 北へ
大川を西に見える所に出てき⇒西に 阪神高速12号線 北へ⇒都島橋の下 北へ⇒
都島通(みやこじまどおり)は、大阪市北東部を東西に走る幹線道路の愛称で、大部分が主要地方道である。
阪急前交差点(大阪府大阪市北区角田町)から関目5交差点(同市旭区高殿)[1]の約5.1キロメートルで、全線に亘って片側2車線の計4車線を確保している。阪急前交差点から野江4交差点は大阪市道大阪環状線である。
主な交叉点
梅田にあたる阪急前交差点、阪急東交差点、堂山交差点を始め、五叉路を形成する天神橋6交差点や都島本通交差点、国道1号と交差する関目5交差点はとても賑やかである。
朝・夕のラッシュ時には天神橋6交差点(西行)、都島本通交差点、野江4交差点(東行)で渋滞しやすい[2]。
公共交通機関
全区間に亘り地下に大阪市営地下鉄谷町線が開通している。都島本通交差点以西ではかつて大阪市電が走っていた。
都島橋をくぐり 西を
ひた すら 北へ 大川 歩道 桜 車道 ほどよい汗 立ち止まり ランニング中の方に 桜は7月中頃もこのように 青・青ですか・・・そう記憶しているが ああ よかった
飛翔橋
飛翔橋(ひしょうばし)は、大阪市都島区と北区の間の大川(旧淀川)に架かる歩行者 専用橋。
大川を橋脚なしで越えるためアーチスパンが長くなり、さらに橋の西側の一部が阪神高速道路守口線の下をくぐる関係でアーチライズ比(高さ/長さの比)が小さくなる構造的な制限を受けたため、アダムスキー型円盤のようなシルエットを持つ二重アーチ構造になっている。
飛翔橋の名称は、「UFOを思わせ、どこかへ飛び立つようなイメージ」から名付けられたとされる。
主要諸元 [編集]橋 長:103.55m(主橋梁部)
幅 員:4.00m
橋 種:ニールセンローゼ(二重アーチ構造、逆T形鉄筋鋼コンクリート補剛桁)
竣工年月:1984年(昭和59年)10月
所 在 地:都島区善源寺町1丁目 - 北区長柄東1丁目
砂 採取船か運搬船が停泊
西は 阪神高速12号守口線
友渕中2の男子学生に声かけ、公園の名前を・・・「パンダ公園」 それより、東は「大阪拘置所」・・ゾゾ
真ん中 毛馬の閘門 高速道路
はるかぜはし
橋 長:105.00m
幅 員:3.00m
形 式:桁橋
完 成:昭和56年
行政区:都島区
河川名:城北川
アクセス:大阪市営地下鉄谷町線 都島駅
4番出口 およそ1,100m 徒歩19分
大阪市営バス 「毛馬橋」
はるかぜはし から 来た道 を と思い
反対に これから行く 毛馬の閘門の方を
はるかぜはし の 中程から 北に
春風橋 中程わ過ぎ 右を 運河 今いる 大川 上は高速道路 東は森小路へ続く
大川の遊覧船 停泊 西に
毛馬橋
はるかぜばし 北側
毛馬橋
毛馬の地は俳人与謝蕪村の出身地として有名である。蕪村は、20歳頃故郷を出て、各地を漂泊、晩年に『春風馬堤曲』によって故郷への思いを吐露している。後の淀川改修によって蕪村の出生地は、川の中になってしまった。
毛馬の渡しは古い歴史をもっている。大阪の北部から枚方、京方面へ行く人々はこの渡しを利用した。この地は淀川の本流であったから、行き交う船も多く、船客相手に酒や食べ物を売る煮売舟で賑わったとされる。
この地に初めて橋が架けられたのは、大正3年のことである。地元の熱心な架橋運動の結果、長さ155m、幅3.6mの木橋が完成した。その経緯が橋詰の竣工記念碑に刻まれている。
市街地の拡張にともなって、この地を通る中津赤川線が、昭和12年に第三次の都市計画事業によって造られることになり、毛馬橋の設計も進められていたようであるが、資金不足のために日の目を見ずに終わった。
昭和21年に中津赤川線は25mの道路として都市計画決定されたが、ようやく昭和36年に幅8mの橋が完成した。橋の形式は連続合成桁という当時最新の理論と技術によって設計施工された。その後、昭和54年にようやく計画通りの25m幅の橋に拡幅されている。
毛馬橋をくぐり 西に
蕪村公園 大川の東 もう毛馬の閘門も近い それでも 300mは北に
蕪村の俳句碑