檜の香り・・二度とみられないものをみせていただきました。
-災害から地域遺産を見なおす 平成22年秋特別展の一環として-
金剛組
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場
|
本社所在地 | 日本 〒543-0051 大阪府大阪市天王寺区四天王寺一丁目14番29号 |
設立 | 2005年(平成17年)11月1日(※1) |
業種 | 建設業 |
事業内容 | 寺社建築の設計・施工・文化財建造物の復元、修理 |
代表者 | 小川完二(代表取締役社長) |
資本金 | 3億円 |
売上高 | 約57億円(2006年度) |
主要株主 | 株式会社髙松コンストラクショングループ 100% |
主要子会社 | 株式会社金剛組エンジニアリング 100% 株式会社中村社寺 100% |
外部リンク | www.kongogumi.co.jp/ |
特記事項:※1:創業は578年。事業開始は2006年1月16日。 | |
表・話・編・歴 |
株式会社金剛組(こんごうぐみ、Kongo Gumi Co.,Ltd.)とは日本の建設会社である。578年創業で、かつて存在した世界最古の企業[1]。
創業から1955年の法人化を挟んで2005年まで金剛一族が経営してきたが、同年11月より髙松建設(現髙松コンストラクショングループ)の子会社へ移行している。経営体制変更の経緯は下記を参照のこと。
目次[非表示] |
概要 [編集]
寺社仏閣建築の設計・施工、城郭や文化財建造物の復元や修理等を主に手がけている。旧来からの伝統的な建築を得意分野としてきたが、神社仏閣にもコンクリート建築が増加したことにより大手ゼネコンとの価格競争に巻き込まれた結果、売上の減少や資金繰りの悪化により経営危機に見舞われたため髙松建設が支援を行った。
2005年11月に、同社が設立した受け皿会社(以下「新・金剛組」)に主力の寺社建築事業を譲渡するとともに、従業員の大半も新・金剛組へ転籍した。現在は本業の宮大工に立ち戻り、100人以上の宮大工を抱えている。
伝統的なライバル会社に、1586年創業の松井建設(東証1部上場)がある。また、鹿島建設や清水建設も江戸時代の創業である。
沿革 [編集]
- 578年、四天王寺(現在の大阪府)建立のため聖徳太子によって百済より3人の宮大工が招かれたうちの1人である金剛重光により創業。江戸時代に至るまで四天王寺お抱えの宮大工となる。
- 593年、四天王寺創建。
- 607年、法隆寺創建。四天王寺と法隆寺を築いた工法は今も金剛組「組み上げ工法」に生きている。
- 1576年、織田信長の焼き討ちにより四天王寺焼失。
- 16世紀にかけて、大阪城建設や法隆寺(現在の奈良県)の改築にも携わったと伝えられる。
- 1614年の大坂冬の陣で再び四天王寺焼失。四天王寺は戦火や自然災害のため7度の焼失と再建をくり返すがその都度、歴代の金剛組が再興に取り組んだ。
- 1868年、四天王寺、寺領を失う。金剛組は試練をむかえる。
- 1903年、大鐘楼の建立。
- 1934年、室戸台風で四天王寺五重塔が倒壊。第38代棟梁で歴代初の女棟梁・金剛よしえ[2]のもとで金剛組が再建を果たす。
- 1955年2月3日、株式会社化。創業以来の個人企業体制が終了。
- 2005年11月1日、髙松建設が全額出資した新・金剛組が設立される。
- 2006年
- 2008年
会社概要 [編集]
- 本社所在地 - 大阪府大阪市天王寺区四天王寺一丁目14番29号
- 東京支店 - 東京都港区芝二丁目14番5号
- 京都支店 - 京都府京都市中京区烏丸通六角上ル饅頭屋町617番地 六角ビル
- 名古屋支店 - 愛知県名古屋市中村区名駅四丁目26番22号 名駅ビル
主な施工物件 [編集]
関連会社 [編集]
- 株式会社金剛組エンジニアリング 本社:大阪府堺市美原区木材通2-4-19
- 株式会社中村社寺 本社:愛知県一宮市城崎通7-4-3
- 株式会社金剛組一級建築士事務所
脚注 [編集]
参考文献 [編集]
- 中小企業基盤整備機構(2007年8月)『企業倒産調査年報 平成18年度倒産』、2010年8月29日閲覧。
- 内閣府経済社会総合研究所(2009年4月)「ファミリービジネスと地域再生 地域経営の観点からの地方再生に関する調査研究」『研究会報告書等』41号、2010年8月29日閲覧。