TVを見ていたら、黄檗宗 萬福寺
まんぷく‐じ【万福寺】/広辞苑
(1)中国福建省福清市黄檗(おうばく)山にある禅寺。789年草創で臨済禅の大道場。17世紀隠元が黄檗宗を開く。
(2)京都府宇治市にある黄檗宗の本山。
山号は黄檗山。1661年(寛文1)明の僧隠元の開山。江戸中期まで代々中国僧の住持で、伽藍・食事も中国風。鉄眼の翻刻した大蔵経の版木6万枚などを所蔵。
-社友の年賀状はいつも、↑ 木版画・・ご当地の出身・・ どうりで-
-訪れてた際に、記念とおもい・・文鎮を買い求めて、はや、はや・・毎日、見ています-
ついこの間、社友と宇治へ、やはり行くべきだったか、でも 平等院も見たし・・・。
・・・萬福寺
・・・普茶料理・・・
普茶料理(ふちゃりょうり)は、江戸時代初期に中国からもたらされた日本の精進料理。葛と植物油を多く使った濃厚な味、一つの卓を四人で囲む形式が特徴である。代表的な普茶料理に精進うなぎ、胡麻豆腐がある。
概要 [編集]
江戸時代初期(約300年前)に明の衰亡に伴い中国福建省から禅宗の一つである黄檗宗(おうばくしゅう)が伝来し、その時一緒に伝わった当時の「素菜」(いわゆる中国式の精進料理)が普茶料理である。「普茶」とは「普(あまね)く衆人に茶を施す」という意味であり、法要や仏事の終了後に僧侶や檀家が一堂に会し、茶を飲みながら重要事項を協議する茶礼に出された食事が原型となっている。
一つの長方形の座卓を4人で囲み、一品ずつの大皿料理を分け合って食べるという様式が非常に珍しがられた。料理においても中国風のものが多く、巻繊(けんちん。野菜や乾物の煮物や餡かけ)・油磁(下味をつけた野菜などを唐揚げにしたもの)や雲片(野菜の切れ端を炒め煮にしたもの)・「もどき」料理(肉や魚に擬した料理。麻腐=胡麻豆腐も白身魚の刺身に擬した「もどき」料理である)などがある。炒めや揚げといった中国風の調理技術には胡麻油が用いられ、日本では未発達であった油脂利用を広めた。
こうした普茶料理は、精進料理というよりは異国情緒を味わうものとして黄檗宗の寺院ばかりでなく、料理屋や文化人など、民間でも広く嗜まれた。特に民間で行われた普茶料理は、長崎の卓袱料理とも影響し合い、テーブルクロスや貴重なガラス製のワイングラスや水差し、洋食器が用いられる事もしばしばあった。江戸時代には『普茶料理抄』といった専門の料理書も著された。料理そのものは次第に日本化していったが、既存の精進料理には無い鮮やかさや賑わいがあり、現在も作られている普茶料理は、見た目が鮮やかな独特のものに進化している。
黄檗宗の開祖・隠元隆琦ゆかりの京都府宇治市の萬福寺などの黄檗系寺院をはじめ、興福寺がある長崎市には、普茶料理が食べられる寺院や飲食店がある。
・・・お昼よ・・・親子丼でした。
コメント
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