歴史講座
吹田市立博物館 講座室 14時~
藤井 裕之 学芸員
15分遅れて到着
レジメ A-3 3枚
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放生会(ほうじょうえ)とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式である。仏教の戒律である「殺生戒」を元とし、日本では神仏習合によって神道にも取り入れられた。収穫祭・感謝祭の意味も含めて春または秋に全国の寺院や八幡社で催される。特に福岡県の筥崎宮の放生会(福岡では「ほうじょうや」と呼ぶ)は博多三大祭の1つに数えられ、他にも京都の石清水八幡宮、大分の宇佐神宮など多くの観光客を集める一大イベントとして知られている。
起源 [編集]
『金光明経』長者子流水品には、釈迦仏の前世であった流水(るすい)長者が、大きな池で水が涸渇して死にかけた無数の魚たちを助けて説法をして放生したところ、魚たちは三十三天に転生して流水長者に感謝報恩したという本生譚が説かれている。また『梵網経』にもその趣意や因縁が説かれている。
仏教儀式としての放生会は、中国天台宗の開祖智顗が、この流水長者の本生譚によって、漁民が雑魚を捨てている様子を見て憐れみ、自身の持ち物を売っては魚を買い取って放生池に放したことに始まるとされる。また「列子」には「正旦に生を放ちて、恩あるを示す」とあることから、寺院で行なわれる放生会の基となっている。
神道においては、677年に天武天皇より放生の勅が出され、天変地異や祭礼の際に放生を行なったことに始まり、720年(養老4年)それまでの戦において多くの兵の命を奪った罪への禊ぎとして宇佐神宮で行なわれたのが放生会の最初とされる(宇佐神宮の縁起には大和朝廷が九州平定の際に隼人を殺戮したことへの鎮魂儀式であると記されている)。石清水八幡宮では863年(貞観4年)に始まり、その後948年(天暦2年)に勅祭となった。1868年(明治1年)、神仏分離のため仏教的神号の八幡大菩薩が明治政府によって禁止され、石清水八幡宮や鶴岡八幡宮の放生会は中秋祭に改めさせられた。