大阪の渡し場 5カ所 と フリーチケットを活用して、行ってきました。
- 爽友会 ・四季の会 2/5 地下鉄長堀鶴見緑地線・大正駅 AM10時~
- 参加者 40名
- 千本松大橋を徒歩で渡る 水面より36mの橋上から大阪の街 360度
- 撮影枚数1000枚余
- 日本一低い山 天保山へ
- 個人的には、WCT・WTCへも行きました。
フリーチケット¥600-
今日・2/5・一日だけ 3倍くらいは乗った感じがしています。
大阪の渡し場 無料 全部で8ヶ所ある。
5:ケ所を 行った順です。 ■2・3回目 岸壁間
- 1.落合下渡船 大正区北尾 ⇔ 西成区北津守 138m
- 2.千本松渡船 大正区南恩加島 1 ⇔ 西成区南津守 230m
- 3.千歳渡船 大正区南恩加島 2 ⇒ 大正区鶴町4 371m
- 4.■甚兵衛渡船 大正区泉尾7 ⇒ 港区福崎1 94m
5.■天保山渡船 港区築港31 ⇔ 此花区桜島3 400m
大阪市の公営渡船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大阪市南西部は河川や運河などの水路が縦横に走っており、また河川舟運が盛んで架橋が困難だったため、古くから市による公営渡船が多数運航されてきた。各河川・港湾への架橋進展に伴いその多くが廃止されたが、現在でも8航路が、主に大阪市建設局により運航されている(木津川渡のみ市港湾局)。
繁華街や観光地では見られない、普段着の大阪に触れることができるスポットとして、静かな人気を呼んでいる。 最近では渡船乗り場への案内看板(船体側面の絵と乗り場を書いた看板)や乗り場の表示看板(船体の正面と水鳥の飛んでいる絵の看板)も作られている。
目次[非表示] |
概要 [編集]
歩行者及び自転車専用で、無償。航路により若干、船の大小がある。船体は以前大型船は、白と水色のツートン、小型船は白とオレンジのツートンだったが、白と水色に集約されてきている。
運航時間は航路にもよるが、概ね午前6時台から午後9時台まで。
建設局は渡船と関連し、安治川の下に河底トンネルも運営している。これについては章を改め後述する。
8航路の内7航路が大正区に関係する。
道路・歩道併設の架橋がなされれば基本的に廃止となるのだが、河川舟運の関係で架橋が水面上かなりの高さとなり、歩行者・自転車にとって橋では日常利用に堪えない、として残された航路もある。また、航路は必ずしも減る一方ではない。千歳渡のように、橋が架かっていた地域が大正内港の拡張に伴い分断され、1964年(昭和39年)になって新設された例もある(富山新港の富山県営渡船のケースと似ている。富山地方鉄道射水線も参照)。
歴史 [編集]
- 明治24年(1891年) - 大阪府が「渡船営業規則」を定める
- 明治40年(1907年) - 安治川、尻無川及び淀川筋の29渡船場が市営事業に
- 大正9年(1920年) - 旧道路法の施行により無料に
- 昭和7年(1932年) - 請負制を改め、ほとんどが市の直営方式に
- 昭和10年(1935年)頃 - 渡船場31箇所、保有船舶数69隻(機械船32隻、手漕ぎ船37隻)
- 昭和11年(1936年) - 源八渡し(北区天満橋筋(現・天満橋)-北区(現・都島区区域)中野町)廃止(源八橋の開通による)
- 昭和20年(1945年)頃 - 戦災により多くを失う
- 昭和23年(1948年) - 渡船場15箇所で再開
- 昭和45年(1970年) - 平田の渡し(東淀川区豊里-旭区太子橋)廃止(豊里大橋の開通による)
- 昭和57年(1982年) - 富島渡し(福島区野田-港区川口)・難波島渡し(大正区三軒家東-浪速区木津川)廃止
- 平成元年(1989年) - 中渡し(大正区泉尾-港区南市岡)・三丁目渡し(此花区西九条-港区波除)廃止…現段階で最後の廃止航路
渡船一覧 [編集]
橋は全て道路・歩道併設。特記無き場合、渡河交通は渡船のみ。
大阪の有名観光スポット天保山と、USJのある対岸を結んでいるため、観光客や、USJの外国人スタッフの乗船も目立つ。
甚兵衛渡船場では船の係留が行われており、天保山渡船場など2隻在籍するうちの1隻が係留されている。甚兵衛渡船場は小型船で運航されており、天保山所属の桜・海桜では運航されない。
- 大正内港
- 千歳渡 大正区北恩加島2丁目 - 大正区鶴町4丁目 日中20分毎。橋は千歳橋が対応。船はちづるが就航している。
- 木津川
- 木津川運河
- 船町渡 大正区鶴町1丁目 - 大正区船町1丁目 日中15分毎。船はふなづるが就航している。
ギャラリー(各渡船場の光景) [編集]
安治川トンネル [編集]
安治川で忘れてならないのが、河底トンネルである「安治川トンネル」の存在であろう。日本初の、沈埋工法によるトンネルである。
安治川の両岸は特に往来が盛んで渡船航路も多数あったが、安治川での各渡船運航は困難を極めた。と言うのも、安治川は河川舟運の重要航路で運搬船が頻繁に行き交い、渡船はその航路を横に遮るからである。一方で船舶の高さ限界との関係から、架橋も容易でない。可動橋案も出たが、やはり舟運との兼ね合いで却下となった。
このため昭和初期、全国でも類を見ない河底トンネルが計画された。特に渡航量の多かった源兵衛渡跡に1935年(昭和10年)から建設が始められ、戦時中供出された鉄材を受けてまで工事は進み、1944年(昭和19年)に竣工した。約14m下にある川面下の通路まで、両岸のエレベーターや階段で降りる方式。かつては人用の他に車両用エレベーターもあった(排ガス問題などにより1977年に閉鎖され、ゴンドラの入口が封鎖された状態で残されている。車両用エレベーターを閉鎖した後にスロープ型のトンネルに改造する計画があったものの、地元住民の了解が得られず頓挫したという説もある)が、安治川への架橋が進んだ現在では、歩行者・自転車用のみが両岸1台ずつ運行されている。歩行者・自転車用の通路は幅約2m、長さ約80mになっている。渡船と同じく利用料は無料で、朝夕のラッシュ時には1時間あたり約250人の利用者があると言われている。なお、エレベーター運行は午前6時から午後12時まで。但し階段は24時間開放されているので、階段を昇降可能な歩行者ならいつでも通行できる。階段にスロープは無い。
以前は防犯面などを考慮して両岸のエレベーターには運転者がついていたが、大阪市の財政難のためエレベーターを無人化にする代わりに防犯カメラが増設された。現在トンネル内の警備は民間の警備会社に委託されており、朝夕のみエレベーター内に操作係を兼ねた警備員が立っている(日中のエレベーター内は無人、トンネル内を警備員1人が巡回)。
両岸にはエレベーターのための塔がそれぞれ立っており、JR西日本大阪環状線西九条駅~弁天町駅間の安治川鉄橋からなどの遠方でもよく見える。現在は隣接して阪神電気鉄道阪神なんば線の安治川橋梁が架けられている。安治川トンネルへのアクセスは、大阪環状線・阪神なんば線の西九条駅から南へ300m。阪神なんば線・大阪市営地下鉄中央線の九条駅から北へ700m。
安治川トンネルエレベーター塔の建物(南側)。右端の高架橋は阪神なんば線安治川橋梁。 2009年7月撮影 |
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- 大阪市建設局 渡船場マップ
- オオサカシワタシフネ 安治川トンネルの紹介記事あり
- 最新の時刻表と、運航船の詳細
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。