ありがとう。
田中 謙 様
平成21年12月24日(木)
タバコ問題の基本的な視点と今後の法制的課題
2004年6月1日(火)から、7月20日(火)にかけて、毎週火曜日に【長崎大学公開講座】「現代社会と法」が開催されています。
この公開講座の第2回講座(2004年6月8日(火))において、「タバコ問題の基本的な視点と今後の法制的課題」というテーマで私が講義を担当いたしました。
ちょっと悩んだのですが、そのときのレジュメを、以下、公開しておくこととします。(2004年6月記)
【追伸】
2005年8月20日に、長崎県医師会主催の「禁煙活動セミナー」が開催され、同じテーマ(「タバコ問題の基本的な視点と今後の法制的課題」)で講演させていただいたのですが、そのときのレジュメを、以下、公開しておくこととします。このレジュメは、上記公開講座のときのレジュメをバージョンアップさせたものです。
蛇足ですが、毎年10月はじめに「日本公法学会」(憲法学者と行政法学者による学会)が開催されるのですが、会場で、傍若無人にタバコを吸っている人が少なくなく、学会後の懇親会においても、平気でタバコを吸っている人もいました。人権に対して敏感であるべきはずの法律学者の中に、他人の人権を平気で侵害している人が少なからずいるのですから、本当に残念な限りです。(2005年11月記)
【考えてみよう】
1.喫煙者と非喫煙者の利害の対立構造はどのようになっているのか?
2.タバコを吸う行為は、周囲に迷惑をかけてまで認められるものなのか?
3.非喫煙者だけが「我慢」を強いられる社会は公平といえるのか?
4.嫌煙権の主張は、喫煙者に対して全面的な禁煙を押し付けているのか?
5.マナーに頼るだけでタバコ問題は解決するのか?
6.今後の喫煙規制を考えるに当たって、どのような視点が必要なのか?
【要旨】
日本は、先進諸国の中で突出して喫煙率が高い「タバコ汚染国」であるが、その原因の1つとして、日本においては、タバコをめぐる行政的規制(喫煙規制)が際立って弱いことが指摘できる。それが、国際的真空地帯を生み、外国タバコ業者の進出を誘発している。
しかし、(1)非喫煙者は、自分の意思とは関係なく、一方的に受動喫煙の被害を受けるだけであるという「喫煙者と非喫煙者の利害の対立構造」、(2)喫煙の自由(喫煙権)は、人権の本質上他に迷惑をかけないことを「内在的制約」としていること、(3)嫌煙権は、喫煙者の喫煙の自由を認めたうえで、単に喫煙の場所的制限を制度化することを訴えているにすぎないこと、(4)タバコの問題を加害者のモラルに期待する限りは何の解決にもならないこと、(5)政府は、喫煙によってもたらされる国民の健康への悪影響、とりわけ疾病への罹患を防ぎ健康を維持するということに関してきわめて強い政府利益を持つこと、等を踏まえれば、喫煙規制の強化は不可欠である。
今後の喫煙規制のあり方を考察するに当たっては、(1)非喫煙者の被害を防止し、健康を保護するという視点から、「受動喫煙防止施策」を充実させることはもちろんであるが、(2)現在、未成年者による喫煙が顕著であり、未成年者を保護するという視点から、「未成年者の喫煙防止施策」も必要である。さらに、(3)喫煙者も「やめたいけれどもやめられない」という面があり、喫煙者の健康を保護するという視点から「喫煙者減少施策」も必要である。
具体的な法制的課題をあげると、(1)「受動喫煙防止施策」の視点からは、①公共の場所・共有する生活空間における喫煙規制、②職場での禁煙規制、③路上喫煙(歩きタバコ)規制などが考えられる。(2)「未成年者の喫煙防止施策」の視点からは、①学校における全面禁煙、②タバコの宣伝広告規制の強化、③ドラマ・映画における喫煙シーンの禁止、④タバコの自動販売機の全面禁止、⑤タバコ税の大幅値上げ、などが考えられる。(3)「喫煙者減少施策」の視点からは、①タバコの宣伝広告規制の強化、②ドラマ・映画における喫煙シーンの禁止、③タバコの自動販売機の全面禁止、④タバコ税の大幅値上げのほか、⑤タバコの有害表示の義務化が考えられる。
【目次】
第1章 はじめに
第2章 タバコ問題の構造と基本的な視点(タバコ問題の基本的な考え方)
1.喫煙者と非喫煙者の利害の対立構造
2.喫煙の自由(喫煙権)
3.非喫煙者の権利(嫌煙権)
4.喫煙権と嫌煙権の関係
5.嫌煙権、喫煙はモラルの問題?
6.タバコの規制(喫煙規制)は憲法上許されるのか?
第3章 今後の法制的課題(タバコ政策の方向性)
1.受動喫煙防止施策
(1)公共の場所・共有する生活空間における喫煙規制
(2)職場における喫煙規制
(3)路上喫煙(歩きタバコ)の規制強化(全面禁煙)
2.未成年者の喫煙防止施策(未成年者保護施策)
(1)学校における全面禁煙
(2)タバコの宣伝広告規制の強化
(3)ドラマ・映画等における喫煙シーンの規制
(4)タバコの自動販売機の全面禁止
(5)タバコ税の大幅値上げ
3.喫煙者減少施策(喫煙者保護施策)
(1)タバコの宣伝広告規制の強化
(2)ドラマ・映画における喫煙シーンの禁止
(3)タバコの自動販売機の全面禁止
(4)タバコ税の大幅値上げ
(5)タバコの有害表示の義務化
第4章 おわりに
第1章 はじめに
わが国は、先進諸国の中では突出して喫煙率が高い「タバコ汚染国」である。たとえば、旧厚生省が1998年に実施した「喫煙と健康問題に関する実態調査」によれば、成人の喫煙率は、男性で52.8%、女性で13.4%という。男性は20代から50代までの半数以上がタバコを吸っており、特に、30代と40代が60%以上と高いという。一方、女性の喫煙率は男性のほぼ4分の1であるが、20代、30代の喫煙率は高くなっている。最近の統計である厚生労働省の「国民栄養の現状」(平成13年国民栄養調査結果)でも、2001年における喫煙率は、男性45.9%、女性9.9%という。
従来、日本では、タバコを吸う行為は、水を飲んだりものを食べるのと同じように個人の「権利」と考えられており、喫煙が権利の行使である以上、喫煙しない他者はできるだけそれを容認する対応をすべきであるというのが「社会的対応」であった。すなわち、非喫煙者にはある程度の「我慢」が要求されるのが、従来の(現在も?)日本の社会であった。一方、喫煙による他者への被害、たとえば、タバコの煙の匂いが衣服や髪の毛に付くとか、目に刺激を与えるとか、ポイ捨てがあるとかは、いわば「喫煙者のマナー」の問題として処理されてきた。その結果、日本は、喫煙者がいつでもどこでも喫煙することができるという社会であった。
しかし、タバコを吸う行為は、周囲に迷惑をかけてまで認められるものなのであろうか。また、非喫煙者だけが「我慢」を強いられる社会は公平といえるのであろうか。さらに、マナーに頼るだけでタバコ問題は解決するのであろうか。
もっとも、最近になってようやく喫煙規制を強化する動きが出てきたが、他の先進国と比べるとまだまだという状況であり、喫煙者に対して寛大な国であることに変わりはない。
そこで、本報告では、タバコ問題の構造と基本的な視点を確認したうえ(第2章)で、今後の立法的政策における法制的課題をあげる(第3章)こととする。
第2章 タバコ問題の構造と基本的な視点(タバコ問題の基本的な考え方)
今後の法制的課題を示す前に、タバコ問題の構造と基本的な視点を確認しておく。
1.喫煙者と非喫煙者の利害の対立構造
タバコの問題を考察するに当たって、喫煙者と非喫煙者の利害がどのように対立しているかを確認しておくこととする。
まず、喫煙者は自らの意思で喫煙するが、非喫煙者は自分の意思とは関係なく日常的にタバコの煙にさらされる。すなわち、非喫煙者は、いわば無理矢理にタバコの煙を吸わされているのである。非喫煙者がタバコの煙によってさらされ吸引させられることを「受動喫煙」というが、「間接喫煙」、「不随意喫煙」、「強制喫煙」あるいは「環境たばこ煙への曝露」などといわれることもある。喫煙者にとっては、タバコの煙は「小さいこと」かもしれないが、非喫煙者にとっては、喫煙者の吐き出すタバコの煙は不快以外の何物でもない。しかも、受動喫煙問題は、快、不快というレベルで済まされるほど軽いものではなく、非喫煙者の健康被害をもたらすという意味で、非喫煙者の健康権、人格権に関わる現代最大の人権問題の1つともいえる。
次に、非喫煙者は受動喫煙の被害を一方的に受けるだけである。すなわち、非喫煙者はタバコからは迷惑を被るだけで、何ら利益を得るところはない。また、タバコ問題の場合、自動車公害などと違って、加害者である喫煙者と被害者である非喫煙者の間には、立場の入れ替わる互換性もない。したがって、非喫煙者が加害者となることは考えられないので、非喫煙者は、いつまで経っても得なことは何1つない。
2.喫煙の自由(喫煙権)
喫煙の自由(喫煙権)について確認することとする。
今日、未成年者の喫煙は、未成年者喫煙禁止法(明治33年3月7日法律第33号)で禁止されている(同法1条)。しかし、成人の喫煙は許容されており、喫煙はたとえ有害でも、喫煙をとるか健康をとるかは本人の自由選択の問題とされている。
喫煙の自由(喫煙権)に対しては、憲法13条が保障する基本的人権の1つに含まれるとする考え方もあるが、最近の学説は、その仮定的な言い回しや人権のインフレ化を懸念して、喫煙の自由(喫煙権)を憲法上の権利として位置づけることに対して否定的である。
次に、喫煙の自由(喫煙権)は、あらゆる時・場所において保障される性質のものなのであろうか。もちろん、喫煙の自由(喫煙権)といっても、それは決して吸いたい放題にしてよいということを意味するものではない。この点につき、最高裁昭和45年9月16日大法廷判決(民集24巻10号1410頁、判例時報605号55頁)は、「喫煙の自由は、憲法13条の保障する基本的人権の一に含まれるとしても、あらゆる時、所において保障されなければならないものではない」としている。すなわち、喫煙の自由(喫煙権)にも限界があり、あらゆる時・場所において保障されるわけではない。
では、喫煙の自由(喫煙権)にはどのような限界があるのであろうか。一般的に、人権の限界として、具体的には、以下のものをあげることができよう。第1に、人権の行使が、他人の生命や健康を害するようなものであってはならない。第2に、他人の人間としての尊厳を傷つけてはならない。第3に、他人の正当な人権の行使を妨げてはならない。以上からも伺えるように、喫煙の自由(喫煙権)は、喫煙するとしないとは個人が自由に決定できるといっても、他の誰にも迷惑をかけることではないということが前提となっていることに注意する必要がある。すなわち、喫煙の自由(喫煙権)は、人権の本質上、他に迷惑をかけないことを「内在的制約」としている。
これまで(現在でも?)、喫煙者は、どこでもいつでもタバコを吸い、どこにでも吸殻を捨ててきた。自分の行為が周囲の者にどれほどの苦痛を与えているかなど全く気にすることなくタバコをスパスパ吸ってきた。この有様は、喫煙の自由というよりも、喫煙者の横暴とでもいうべきであろう。
ただし、先ほど、成人の喫煙は許容されており、喫煙はたとえ有害でも、喫煙をとるか健康をとるかは本人の自由選択の問題とされていると述べたが、タバコの場合、タバコのリスクに関する情報が十分に浸透しておらず、また警告も不十分であり、自由選択をするうえで必要な情報が消費者である喫煙者に提供されていないという点に注意する必要がある。しかも、タバコの場合依存性があり、喫煙者自身の意思でタバコをやめることは非常に困難である。各種調査でも喫煙者の3人に2人が「禁煙したい」と考えているのに吸い続けるのは、タバコに含まれるニコチンに強い依存性があるからといえ、禁煙したいと思っても禁煙できないのである。タバコ会社は、その依存性をフルに利用しているのである。
3.非喫煙者の権利(嫌煙権)
次に、非喫煙者の権利(嫌煙権)も確認しておく。
閉鎖空間や密集空間での喫煙は公害工場の煙にも比するもので、周辺にいる非喫煙者に不快感のみならず健康被害をも与えることが明らかとなってきた。そこで、非喫煙者は、「嫌煙権」を提唱するようになったわけである。もっとも、嫌煙権には、確立された定義というものはないように思われるが、本報告では、とりあえず、嫌煙権を「タバコによって汚染されない清浄な空気を吸う権利」と定義しておく。それよりも、嫌煙権は、具体的にどのようなことを要求する権利なのかを確認する方が意義があるように思われるので、以下では、嫌煙権が要求する内容を確認しておく。
嫌煙権訴訟で活躍している伊佐山芳郎弁護士によると、「嫌煙権とは、非喫煙者の意志に反して他人のたばこ煙を受動的あるいは間接的に吸わされる結果、かなりの健康障害を受ける点に着目し、これを『たばこ公害』と位置づけて、非喫煙者の健康といのちを守るために、公共の場所や共有の生活空間での喫煙規制を訴える権利主張」である。すなわち、嫌煙権は、具体的には、公共の場所や共有の生活空間における喫煙の制限を求めるものであるといえる。このように、嫌煙権は、喫煙者の喫煙の自由に干渉するものではなく、単に、公共的な場所における喫煙の制限を主張しているにすぎないという特徴を指摘することができる。
嫌煙権の実定法上の根拠も問題となる。国鉄(現JR)に対する禁煙車両設置請求事件(東京地判昭和62年3月27日判例時報1226号33頁)で、専売公社(現JT)は、「タバコの煙によって汚染されていないきれいな空気を吸う権利は何ら実定法上認められたものではなく、タバコの煙によって精神的苦痛を被ってもそれは法律上保護された利益が侵害されたことにはならない」と主張した。このように、公法上の規制がないから汚染が許容されるという主張は、公害訴訟で加害者側がよく持ち出す論理であるが、四日市喘息訴訟等の判例で否定されている。そもそも、空気を呼吸する権利は実定法上のどこにも規定がないが、それは憲法や法律で改めて創造しなくても人間が生まれながらにして持つ当然の権利である。一定の清浄を保つ空気を吸う権利にしても同様である。この権利を、人格権の一内容とみて、憲法13条の幸福追求権に根拠を(確認的に)求めてもよいが、いずれにせよ、法律上の禁止がなくてもこれらの権利を侵害してはならないことは明白であろう。
4.喫煙権と嫌煙権との関係
嫌煙権という発想には反発も少なくなく、またその前提として誤解も多い。たとえば、ある世論調査によると、「人の好みに干渉するのはよくない。タバコを吸うのは個人の自由であり、禁煙の押し付けは御免だ」として、嫌煙権に反対する者がいる。しかし、これは、嫌煙権を誤解しているか、さもなければ喫煙の自由の特権を主張しているかのどちらかである。そこで、以下では、繰り返しになるかもしれないが、喫煙の自由(喫煙権)と嫌煙権の関係を確認しておく。
第1に、嫌煙権は、喫煙者の喫煙の自由に干渉するものではない。すなわち、嫌煙権は、「タバコをやめなさい」あるいは「全面的に禁煙すべきだ」などと主張しているわけではない。そうではなく、「喫煙者がタバコを吸うのは自由であるが、非喫煙者の吸う空気までは汚さないでくれ(周りには迷惑をかけないでくれ)」と主張しているにすぎない。前述のように、喫煙権は人権の本質上他に迷惑を与えないことを内在的制約としているが、嫌煙権は、いわば、喫煙の自由の内在的制約を顕在化させているにすぎない。
第2に、嫌煙権は禁煙を押し付けているわけではない。嫌煙権は、喫煙者の喫煙の自由を認めたうえで、公共的な場所における喫煙の制限を主張しているにすぎない。すなわち、嫌煙権は、単に、喫煙の場所的制限を制度化することを訴えているにすぎない。したがって、嫌煙権は、喫煙者に対して「全面的な」禁煙を押し付けているわけではない。
以上のように考えると、喫煙の自由と嫌煙権とは必ずしも相反するというものではなく、両者を両立させる余地があることがわかる。もっとも、嫌煙権は、喫煙者に対して「全面的な」禁煙を押し付けているわけではないとはいえ、喫煙の場所的制限を要求するものであるので、喫煙者の側からすると、「喫煙の場所を制限されたら、喫煙者が喫煙する場所はほとんどなくなる」と反発することもあろう。しかし、現状では、逆に非喫煙者が清浄な空気を吸う権利がほとんどなく、汚された空気の受動的喫煙を押しつけているのは喫煙者である。また、喫煙者用には、喫煙場所を設ければすむことであり、また、喫煙者といえども1~2時間禁煙することぐらいは受忍限度の範囲内のはずである。
なお、たしかに、「喫煙者の利益」と「非喫煙者の利益」との考量をすべきであることはその通りである。しかし、「非喫煙者の利益」を劣後させて「受忍せよ」という結論を導き出すことはできない。むしろ、「喫煙者の利益」と「非喫煙者の利益」の両者を両立させる「分煙」の道こそが模索されるべきであり、しかもそれを、個々人の意識レベルで広く社会に行き渡らせることが肝要といえよう。
なお、喫煙の権利は多数決では奪い得ないとの疑問を出す向きもあるが、喫煙の権利は他人の生存のために呼吸する空気を一時の快楽のために汚染する権利まで含むものではないはずである。したがって、非喫煙者が絶対少数でもその者の同意がないかぎりは、ほぼ全員が喫煙に賛成でも、みんなのものである空気を一方的に一定基準を超えて汚染することは許されない。多数決で奪い得ないのは喫煙権ではなく、非喫煙者の清浄な空気を吸う権利である。
5.嫌煙権、喫煙はモラルの問題?
嫌煙権などとやたらに権利を振り回すべきではない、本来はモラルやマナーの問題で、良識をもって解決すべきだとの主張がある。たしかに、モラルや良識をもって解決できればそれに越したことはない。しかし、モラルや良識では解決できない。たとえば、わが国の喫煙者の中で、「タバコを吸ってもよろしいですか?」と一言断って吸うエチケットをわきまえた紳士がどれほどいるのであろうか。ほとんど(ほぼ100%)の喫煙者は、職場、食堂、喫茶店、路上など、いつでもどこでも、周囲の迷惑などまったく気にすることなく、傍若無人にプカプカとタバコを吸っているのではなかろうか。また、禁煙を求められて、素直に応じる者も、少なくとも私の経験では皆無である。さらに、タバコを吸った後も、路上等に平気で吸殻を捨てているのではなかろうか。少なくとも、私は、いままで(34年の人生の中で)路上喫煙している者が吸殻を路上に捨てなかった光景をほとんど見たことがない。このような喫煙者に対して、モラルや良識による解決が期待できるのであろうか。モラルや良識では解決できないから、非喫煙者はやむにやまれず嫌煙権を主張しているのである。
したがって、タバコの問題を喫煙者のモラルに期待する限り非喫煙者は常に被害に泣かざるを得ないのであって、加害者のモラルに期待する限りは何の解決にもならない。他方、非喫煙者が、遠くに少しでも煙を見ればさっそく抗議するというのは行き過ぎであろうが、嫌煙権論者がそうした非良識的行動をとっているとは思えない。よって、嫌煙権の問題をモラルの問題ととらえる限りは、目下のところでは、専ら喫煙者に味方し、非喫煙者の窮状をまったく理解しない結果となるであろう。
6.タバコの規制(喫煙規制)は憲法上許されるのか?
喫煙が憲法上の権利である根拠として、最高裁昭和45年9月16日大法廷判決(民集24巻10号1410頁、判例時報605号55頁)が引用されるが、本判決では、拘置所当局による未決拘禁者の喫煙禁止に関連して、「喫煙の自由は、憲法13条の保障する基本的人権の一に含まれるとしても、あらゆる時、所において保障されなければならないものではない」と述べており、最高裁の判決の趣旨は、むしろ、喫煙規制が憲法13条の公共の福祉による人権制限として許容されると指摘する点にあったといえる。また、従来、喫煙規制は、防火、青少年保護、拘禁施設の秩序維持などの公共の利益を客観的に保護する制限として認められてきたといえる。
喫煙は、喫煙者個人の健康に悪影響を及ぼすばかりではない。受動喫煙についても、非喫煙者の健康に及ぼす影響という点では、受動喫煙の慢性的影響を肯定する研究業績が増加しつつあるとする厚生省の「たばこ白書」の指摘や、受動喫煙がアスベストと並ぶ最も危険なAクラスの発癌物質であるとする1993年1月のアメリカの環境保護庁(EPA)のレポートの存在などからみて明瞭なものとなっていると考えられる。また、社会的にみても、それら健康を損なわれた喫煙者、非喫煙者にかかる医療費の増大、喫煙の結果疾病に罹患した人々の生産性の低下など多大な経済的損失をもたらしているといえる。その意味で、政府は、喫煙によってもたらされる国民の健康への悪影響、とりわけ疾病への罹患を防ぎ健康を維持するということに関して、きわめて強い政府利益を持つと考えられる。したがって、喫煙の自由が憲法上の権利として認知することに対しては疑問があることともあわせて、当該喫煙規制が公共の場所、列車、職場などのそれぞれ有する公共性に応じた合理的な方法、態様のものである限り、当然、その規制は憲法上許容される。
以上より、国民の健康を維持するという観点から行なう喫煙規制については、もっと規制を強化すべきであるというように、発想を転換する必要がある。ちなみに、アメリカでは、国民の健康を維持するという観点から行なう公共の場所、特に職場における喫煙規制は合憲とする考え方が広く認められるに至っている。その際、喫煙者の喫煙の自由と、非喫煙者の健康(権)とが対立する場面もあるとは思うが、そのような場合には、非喫煙者の嫌煙(権)を優先するという視点が必要である。ちなみに、1989年7月、ヨーロッパ共同体(EC)は公共の場所における禁煙対策をとりいれるべく決議を採択したが、 その決議では、争いが生じた場合非喫煙者の健康の権利を喫煙者の喫煙する権利よりも優先するとみなしている。
第3章 今後の法制的課題(タバコ政策の方向性)
タバコをめぐる法規制の日本法の特徴として、行政的喫煙規制が、比較法制度的にみて際立って弱いことが指摘できる。それが、国際的真空地帯を生み、外国タバコ業者の進出を誘発している。
現在、我が国においてタバコに対して何らかの規制をしている法律としては、未成年者喫煙禁止法、たばこ事業法(もっとも、同法は、規制というよりはタバコを推進している面が強い、悪の元凶であるが・・・)などがあげられ、最近では、健康増進法も策定された。また、現在、多くの自治体で、いわゆる「路上喫煙禁止条例」や「タバコ自動販売機規制条例」などが策定されてきている。このように見てみると、日本も一昔前と比べると状況は変化してきているが、これでも諸外国、特に先進諸国と比較すると、まだまだ「喫煙者天国」というべき状況に変わりはない。
しかし、タバコ問題の構造と基本的な視点を踏まえれば、何らかの喫煙規制は不可欠である。そこで、以上の法律や条例を踏まえつつ、諸外国の動向も参照しながら、わが国における今後の法制的課題をあげることとしたい。なお、今後の喫煙規制のあり方を考察するに当たっては、(1)非喫煙者の被害を防止し、健康を保護するという視点から、「受動喫煙防止施策」を充実させることはもちろんであるが、(2)現在、未成年者による喫煙が顕著であり、未成年者を保護するという視点から、「未成年者の喫煙防止施策」も必要である。さらに、(3)喫煙者も「やめたいけれどもやめられない」という面があり、喫煙者の健康を保護するという視点から「喫煙者減少施策」も必要である。
以上3つの視点から、以下、本章では、今後の喫煙規制の方向性を示すとともに、具体的な法制的課題を示すこととしたい。(1)「受動喫煙防止施策」の視点からは、①公共の場所・共有する生活空間における喫煙規制、②職場での喫煙規制、③路上喫煙(歩きタバコ)規制などが考えられる。(2)「未成年者の喫煙防止施策」の視点からは、①学校における全面禁煙、②タバコの宣伝広告の全面的禁止、③ドラマ・映画における喫煙シーンの禁止、④タバコの自動販売機の全面禁止、⑤タバコ税の大幅値上げ、などが考えられる。(3)「喫煙者減少施策」の視点からは、①タバコの宣伝広告の全面的禁止、②ドラマ・映画における喫煙シーンの禁止、③タバコの自動販売機の全面禁止、④タバコ税の大幅値上げのほか、⑤タバコの有害表示の義務化が考えられる。
以下、3つの視点ごとに詳しく考察する。
1.受動喫煙防止施策
受動喫煙防止施策として、(1)公共の場所・共有する生活空間における喫煙規制、(2)職場における喫煙規制、(3)路上喫煙(歩きタバコ)の規制強化(全面禁煙)などの喫煙規制のほか、場合によっては、(4)喫煙制限法の策定が必要である。
(1)公共の場所・共有する生活空間における喫煙規制
非喫煙者を保護するという視点から、「公共の場所」あるいは「喫煙者と非喫煙者とが共有する生活空間」における受動喫煙を防止するため、これらの場所での喫煙を制限する法制度が必要である。たしかに、喫煙者の喫煙が制限されることになるが、前述のように、喫煙の自由には、他に迷惑をかけない限りという内在的制約があり、他の者(非喫煙者)に迷惑をかけるような場所(「公共の場所」あるいは「喫煙者と非喫煙者とが共有する生活空間」)での喫煙を制限されたとしても、それは受忍限度の範囲内と考えるべきである。
最近になってようやく、厚生労働省所管の健康増進法(平成14年8月2日公布法律第103号)が2002年7月26日に成立し、2003年5月1日に施行されたが、同法第25条で、「学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう。)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない」として、「受動喫煙の防止」に関する条項が設けられた。なお、健康増進法第25条の対象となる施設として、「学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店」が明示されているが、同条における「その他の施設」としては、鉄軌道駅、バスターミナル、航空旅客ターミナル、旅客船ターミナル、金融機関、美術館、博物館、社会福祉施設、商店、ホテル、旅館等の宿泊施設、屋外競技場、遊技場、娯楽施設等多数の者が利用する施設を含むほか、同条の趣旨に鑑み、鉄軌道車両、バス及びタクシー車両、航空機、旅客船などについても「その他の施設」に含むものと解されている(平成15年4月30日厚生労働省健康局長通知(健発第0430003号))。
以上から推察すると、健康増進法は、「公共の場所」あるいは「喫煙者と非喫煙者とが共有する生活空間」として、「学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店」のほか、「鉄軌道駅、バスターミナル、航空旅客ターミナル、旅客船ターミナル、金融機関、美術館、博物館、社会福祉施設、商店、ホテル、旅館等の宿泊施設、屋外競技場、遊技場、娯楽施設」、「鉄軌道車両、バス及びタクシー車両、航空機、旅客船」を念頭においているといえよう。
これら「公共の場所」あるいは「喫煙者と非喫煙者とが共有する生活空間」においては、適切な喫煙対策が必要である。施設における適切な喫煙対策の方法としては、当該施設全体を常に禁煙とする方法(全面禁煙)と、一定の要件を満たす喫煙室等でのみ喫煙を認めそれ以外の場所を禁煙とすることにより受動喫煙を防止する方法(空間分煙)がある。とすると、どのような施設を全面禁煙にして、どのような施設を空間分煙にすべきかが問題となる。この点につき、旧厚生省が1996年3月に発表した「公共の場所における分煙のあり方検討会報告書」によると、屋内の場所を、①禁煙原則に立脚した対策が望まれる場所(保健医療機関、教育機関、官公庁)、②分煙対策を強く推進することが望まれる場所(公共交通機関、金融機関、博物館等、運動施設等)、③事業主の主体性に基づいて適切な分煙対策を推進することが望まれる場所(飲食店、販売業、宿泊施設、娯楽施設、遊技場等)の3つにわけ、喫煙対策の程度に違いを設けている。
以下では、以上の報告書で示された分類を参照しつつ、①禁煙規制(全面禁煙)とすべき施設と、②分煙規制が要求される施設、とに分けて考察することとしたい。
①禁煙規制(全面禁煙)とすべき施設(「公共の施設」における喫煙規制)
筆者が考えるに、全面禁煙にすべきか空間分煙にすべきかの一般的な1つの基準として、「健康促進等の社会的な(公共性のある)役割を担っている施設なのか」あるいは、「未成年者が利用しなければならない施設なのか」といった基準があげられるように思われる。すなわち、「健康促進等の社会的な(公共性のある)役割を担っている施設」あるいは「未成年者が利用しなければならない施設」であれば禁煙規制(全面禁煙)とし、そうとまではいえない施設については、分煙規制(空間分煙)とするのである。
以上の基準に従うと、健康増進法で列挙されている施設の中で、保健医療機関(病院)、教育機関(学校)、官公庁施設、公共交通機関(鉄軌道駅、バスターミナル、航空旅客ターミナル、旅客船ターミナル、鉄軌道車両、バス及びタクシー車両、航空機、旅客船)については、分煙規制(空間分煙)で済ませるのではなく、よほどのことがない限り、原則として禁煙規制(全面禁煙)にすべきであると考える。さらに、これらの施設における喫煙に対しては罰則規定を設けることによって、実効性を担保する必要があるように考える。
なお、最近の動向として、保健医療機関については、とりわけ健康増進法制定以降、「全面禁煙」とした機関がほとんどになったように思われるし、公共交通機関についても、嫌煙権訴訟提起後、また健康増進法の制定後、かなり改善された。しかし、教育機関、官公庁施設については、改善の兆しは見受けられるものの、まだまだといった感じである。たとえば、厚生労働省では、2003年8月26日、2004年4月から1Fの喫煙室と喫茶店を除き全面禁煙にする事を決めたが、とりわけ、不特定多数の人が利用する飲食店での喫煙を認めるのは、受動喫煙防止対策としては実に甘いと言えよう。喫煙規制を積極的に推進すべき官庁である厚生労働省の施設ですら「全面禁煙」とはなっていないというのが、日本の官公庁施設の現状なのである。
②分煙規制が要求される施設(「喫煙者と非喫煙者とが共有する生活空間」における喫煙規制)
次に、健康増進法で列挙されている施設の中で、保健医療機関、教育機関、官公庁、公共交通機関以外の施設については、当面のところは、全面禁煙とまではしないけれども、適切な喫煙対策として、一定の要件を満たす喫煙室等でのみ喫煙を認め、それ以外の場所を禁煙とすることにより受動喫煙を防止する方法(空間分煙)が要求される。
もっとも、全面禁煙が期待される施設でなく、分煙規制(空間分煙)で足りるとされる施設であっても、「喫煙者と非喫煙者とが共有する生活空間」については「原則禁煙」という視点を忘れてはならない。すなわち、「喫煙者と非喫煙者とが共有する生活空間」における分煙規制を実施するに当たっては、(1)分煙を徹底するとともに、(2)分煙できないのであれば全面禁煙、という視点を忘れてはならないであろう。また、施設の管理者の意識を変え、分煙を徹底するためにも、施設の管理者の「受動喫煙の防止」は、現行の健康増進法のように努力義務とするのではなく、義務とすべきであろう。
(2)職場での喫煙規制
健康増進法では、施設における受動喫煙の防止は要求しているものの、職場における喫煙規制は直接には要求していない(「事務所」が職場を念頭においているようであるが・・・)。しかし、受動喫煙の問題を考えるに当たっては、職場における喫煙規制の問題を避けては通れない。日本では、職場における喫煙規制を要求した訴訟において、裁判所はすべての判決において原告の請求を棄却している。しかし、職場は、非喫煙者が同僚の喫煙者と1日のうちのかなりの時間を共有して過ごさなければならない場所である。その意味で、職場での喫煙は、列車や公共の場所での喫煙に比べて、非喫煙者が受動喫煙による影響を避ける手段が限られるとともに、受ける影響も大きいものとなりやすい。そのため、厳格な喫煙制限が要求される。
厚生労働省は、労働者の健康確保と快適な職場環境の形成を図る観点から、一層の受動喫煙防止対策の充実を図るため、旧ガイドライン(平成8年2月21日付け基発第75号)を見直し、新たに「職場における喫煙対策のためのガイドライン(「新ガイドライン」)」(厚生労働省発表平成15年5月9日)を策定した。適切な喫煙対策の方法としては、事業場全体を常に禁煙とする方法(全面禁煙)と、一定の要件を満たす喫煙室又は喫煙コーナーでのみ喫煙を認めそれ以外の場所を禁煙とすることにより受動喫煙を防止する方法(空間分煙)があるが、本ガイドラインは空間分煙を中心に対策を講ずる場合を想定したものである。
しかし、まだまだ不十分である。たしかに、「有効な喫煙対策機器を設置した場合」には、事務室・会議室・応接室・食堂等での喫煙を可能としていた旧ガイドラインと比べると一歩前進であるが、ガイドラインでは、「設置に当たっては、可能な限り、喫煙室を設置することとし、喫煙室の設置が困難である場合には、喫煙コーナーを設置すること」とされており、場合によっては喫煙コーナーで足りるとしている。しかし、本来であれば、喫煙室を設置できないのであれば、全面禁煙にすべきである。
そもそも、分煙規制(空間分煙)の中でも、喫煙コーナーを設置することで済ませるという方法は、喫煙者の喫煙する自由を前提とした方策であるだけでなく、いわば非喫煙者の犠牲の上に成り立つ方法といえる。
そのため、もし建物の構造上、喫煙室を設置することが困難なのであれば、「全面禁煙」にすべきである。すなわち、喫煙室の設置については別に義務づける必要はなく、それこそ裁判所が示すように「建物の構造上困難な場合には、できるだけで足りる」ということでよいと思うが、喫煙室の設置が「建物の構造上困難な場合には全面禁煙」にすることを義務づけるべきである。
なお、東京都江戸川区役所の職員が、職場での受動喫煙で健康被害を受けたとして起こした損害賠償請求訴訟で、東京地裁は、2004年7月12日、区に慰謝料など5万円の支払いを命じる判決を言い渡した。受動喫煙の被害訴訟で雇用者の責任を認め、賠償を命じる判決ははじめてである。
(3)路上喫煙(歩きタバコ)の規制強化
健康増進法では、「公共の施設」あるいは「共有する生活空間」における受動喫煙の防止を求めているが、路上喫煙(歩きタバコ)の受動喫煙対策についてはまったく触れられていない。しかし、路上喫煙に対しては、受動喫煙対策のほか、安全上の理由から、喫煙規制を強化する必要がある。具体的な規制の内容としては、路上喫煙を全面的に禁止するほか、タバコのポイ捨てに対する罰則も強化すべきである。
路上喫煙に対する規制については、地方公共団体による条例が先行している。たとえば、2002年6月24日、東京都千代田区で、「安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例(平成14年千代田区条例第53号)」が可決成立し、2002年10月1日から施行された。この条例では、「路上禁煙地区」を指定(21条1項)したうえで、当該地区における道路上での喫煙行為および道路上(沿道植栽を含む)に吸い殻を捨てる行為を禁止している(21条3項)。路上禁煙地区内で喫煙し、または吸い殻を捨てた者は、2万円以下の過料(当面の間は2000円)に処せられる(24条2項)。この千代田区の条例を契機として、千葉県市川市、東京都品川区、福岡市など、各地の地方公共団体でいわゆる「歩きタバコ禁止条例」が制定されるに至っている。
しかし、これら条例による路上喫煙に対する規制では不十分であろう。
まず、これら条例で路上喫煙に対する規制を実施するという場合、まず「路上禁煙地区」を設定しなければならず、逆に言えば、「路上禁煙地区」でない地区については喫煙自由といった印象を与える。しかし、喫煙の自由といっても他の者に迷惑をかけない限りという内在的制約があり、喫煙者と非喫煙者とが共有する場所である「公共の場所」では原則として禁煙とすべきであることを踏まえれば、喫煙者も非喫煙者も利用する路上はいわば「公共の場所」(ちなみに、千代田区の条例では、「区内の道路、公園、広場」などを「公共の場所」と捉えている。2条7号)といえ、かつ多くの未成年者も利用する場所であることを考えれば、路上については原則禁煙という仕組みにする必要がある。とすれば、発想を変えて、例外的に「喫煙場所」を指定し、当該喫煙場所以外では禁煙にするといった条例も考えられよう。そうすれば、まず「路上禁煙地区」を設定する必要もない。
また、条例のない地区においては、路上での喫煙は、いままで同様野放し状態となる。しかし、路上喫煙を禁止することの必要性は全国共通である。また、条例が制定された背景に法律の未整備があげられることを考えれば、条例レベルではなく法律レベルで規制することが要請されよう。
(4)喫煙制限法の策定
健康増進法の社会に与えた影響は少なくなく、同法の策定は大きな前進といえようが、健康増進法は3つの点で不十分である。
第1に、健康増進法は、受動喫煙防止が必要とされる施設を列挙してあげ、当該施設を措置の対象としている。すなわち、列挙された以外の施設については、どこでも喫煙可能という印象を与える。本来であれば、発想を変え、喫煙可能な場所を列挙し、その喫煙可能な場所以外はすべて禁煙という発想にすべきである。
第2に、健康増進法では、受動喫煙を防止するために必要な措置が講じられない場合には「全面禁煙」にするということまでは求めていない。しかし、もし受動喫煙を防止するために必要な措置が講じられていないのであれば、当該施設は「全面禁煙」にするという視点が必要である。
第3に、健康増進法は、受動喫煙を防止するために必要な措置を講ずる努力義務を課すのみである。すなわち、「受動喫煙の防止」は努力義務にすぎず、義務とはされていない。努力義務ということで、必要な措置を講じていなかったからといって罰則規定が設けられているわけでもない。たしかに、同法の社会に与えた影響は少なくないが、このような規定では実効性に乏しいので、本来であれば「受動喫煙の防止」は義務とし、他の先進国のように、具体的には、公共の場所、閉鎖空間、屋根付きの公的な空間、職場、あらゆる輸送機関、公立および私立学校、大学、高校における受動喫煙の防止措置は義務とし、違反に対しては、罰則をもって対処するという姿勢が必要である。
そこで、本来であれば、「公共の場所」や「喫煙者と非喫煙者とが共有する生活空間」では、喫煙を制限する法律を策定することが望まれる。その際、「原則」と「例外」の発想が転換する必要がある。すなわち、従来の喫煙規制のように、「喫煙の自由を原則」として「例外的に禁煙場所を設置」するという発想から、「全面禁煙を原則」として「例外的に喫煙可能な場所を指定」するという発想に転換するのである。具体的には、(1)喫煙可能な場所を地方公共団体が指定し、(2)その喫煙可能場所以外での喫煙を禁止する、といった法律の策定が望まれる。以前、「嫌煙権確立をめざす法律家の会」が1978年11月21日に起草した「喫煙の場所的制限に関する法律(案)」のような法律(仮に、「喫煙制限法」としておく)を策定するのである。機は熟している。
2.未成年者の喫煙防止施策(未成年者保護施策)
未成年者喫煙禁止法(明治33年3月7日法律第33号)という法律がある。この法律は、タバコを吸った子どもたちを罰する法律であると勘違いしている者が少なくないが、そうではない。たしかに、同法は、未成年者の喫煙を禁止している(同法1条)が、未成年者自体は保護の対象であるとして、それ自体は訓示規定である。もちろん、未成年者に対して罰則は定められていない。処罰の対象になるのは、未成年者の喫煙を抑止しない親権者及び監督者(同法3条)と、未成年者にタバコを販売した者(営業者)(同法5条)である。また、2000年の法改正(法律第134号)で、未成年者に対するタバコの販売禁止違反に対して両罰規定が設けられた(同法6条)ほか、タバコの販売禁止違反に対する罰則も50万円以下に強化された(同法5条)。さらに、2001年の法改正(法律第152号)では、営業者に対して、タバコを販売する際の「年齢ノ確認其ノ他ノ必要ナル措置」が義務づけられた(同法4条)。なお、この年齢確認義務違反に対する罰則は定められていない。
このように、法律上は未成年者は喫煙できないという仕組みになっているが、この未成年者喫煙禁止法はほとんど機能していない。実際にも、未成年者の喫煙率は、驚くほど高い。たとえば、国立公衆衛生院が実施した「未成年者の喫煙および飲酒行動に関する全国調査」(2000年)によると、中学1年生の喫煙率は、男子5.9%、女子4.2%、高校3年生の喫煙率に至っては、男子36.9%、女子15.8%に上っているという。
一方、未成年者が喫煙することによる健康影響についてであるが、旧厚生省が1996年に実施した「未成年者の喫煙行動に関する全国調査」によれば、子どもの喫煙による急性及び慢性の健康影響は数多く知られているという。以上は、本人に対する害であるが、前述のように、受動喫煙による健康被害も無視できない。しかも、前述の「喫煙と健康問題に関する実態調査」によれば、若いうちにタバコを吸いはじめるほどタバコへの依存度が高いという。
そこで、実効性のある未成年者の喫煙防止施策が求められる。以下、本節では、未成年者の喫煙防止施策として、(1)学校における全面禁煙、(2)タバコの宣伝広告規制の強化、(3)ドラマ・映画等における喫煙シーンの規制、(4)タバコの自動販売機の全面禁止、(5)タバコ税の大幅値上げ、といった諸問題を取り上げることとする。
(1)学校における全面禁煙
受動喫煙防止施策のところで、禁煙原則に立脚した対策が望まれる場所として教育機関をあげたが、教育機関については、未成年者の喫煙防止という視点からも、より厳格な喫煙防止施策が必要である。
まず、教職員や警察官は、未成年者の喫煙に対して補導すべき立場にある。とすれば、たとえ未成年と成人との差があるとはいえ、自ら喫煙して生徒に禁煙を説いても説得力がないので、生徒を補導すべき立場にある教職員や警察官も、喫煙を自粛すべきであろう。少なくとも、先生の学内禁煙は、教職員組合、PTA、教育委員会ともに、真っ先に取り上げるべき問題であろう。なお、先生の学内喫煙は生徒指導というその職務と矛盾するので、先生の学内禁煙は法的には適法に実施し得ると考える。
また、そもそも、世界中の人々の健康を守ること、とりわけ子どもたちの健康を守ることは、我々の使命の1つとしてあげられよう。とりわけ、教師、医者、看護婦といった職に就いている者は、子どもたちの健康を守ることに対して責任がある。そして、受動喫煙の害から子どもたちの健康を守るため、タバコの害のない生活環境を築いていく責任がある。とすれば、子どもたちの健康を守るという視点からも、これらの職にある者の学内や病院内での喫煙は自粛すべきであろう。
なお、大学のキャンパスにおいては、「学生は未成年ばかりではない」、「研究室は私的な空間であって、誰かに迷惑をかけるものではない」といった理由で、特に研究室での禁煙には納得できないとの意見もあるかもしれない。しかし、結論から言えば、大学の研究室における喫煙も禁止すべきであると考える。その理由であるが、まず、大学のキャンパスといっても、未成年の学生も少なくないので、自ら喫煙して生徒に禁煙を説いても説得力がないからである。また、研究室における喫煙についても、学生が目の前にいるにもかかわらず、タバコをスパスパ吸うのは言語道断であるが、そうでない場合でも、研究室にタバコの吸殻があるとともに、タバコの臭いをプンプンさせておきながら、生徒に禁煙を説いても説得力がないからである。そもそも、研究室は、学生に門戸を閉ざしている空間ではなく、自由に訪問できる(場合によっては、教官の側から研究室に来ることを要求することがある)空間であり、厳密に「私的な」空間とは言えない場所である。以上より、大学のキャンパスについても、研究室における禁煙も含めて、教職員の学内禁煙は法的には適法に実施し得ると考える。
なお、公立学校(小学校、中学校、高校)の敷地内を全て禁煙にしようという動きは、和歌山県が2002年4月から都道府県として初めて実施して以降、全国で徐々に広がりつつある。また、大学のキャンパスについても、敷地内全面禁煙としている(あるいは、敷地内全面禁煙の方針を打ち出している)大学も増えつつあるし、敷地内全面禁煙とまではいかないまでも、喫煙場所を指定したうえで、それ以外では禁煙とする大学も増えつつある。
(2)タバコの宣伝広告規制の強化
タバコの宣伝広告は、テレビ等の電波媒体を通じて行なわれるだけではない。テレビ等の電波媒体以外でも、たとえば、新聞や雑誌、屋外広告、販売促進物品の提供・見本タバコの配布といった形で、タバコの宣伝広告が行なわれている。
一方、タバコの宣伝広告は、子どもたちに対して、喫煙は魅力的で、「大人のしるし」あるいは「良い習慣」であるといった誤ったメッセージを伝える。いわば、日本たばこ産業を中心とするタバコ拡販政策者たちの戦略によって作り出されたタバコの「かっこいい」というイメージに踊らされた結果、実に多くの子どもたちがタバコに手を出しているのである。子どもたちは、「かっこいい」というイメージに弱く、まさにタバコ拡販政策者たちのイメージ戦略にひっかかっているのである。
そこで、未成年者の喫煙防止施策として、タバコの宣伝広告に対する規制を強化する必要がある。以下では、①テレビ等の電波媒体によるタバコの宣伝広告規制と、②テレビ等の電波媒体以外によるタバコの宣伝広告規制、に分けて検討することとする。
①テレビ等の電波媒体によるタバコの宣伝広告規制
未成年者は、テレビ等の電波媒体から大きな影響を受ける。ラジオ、映画、インターネットなどからも影響を受けやすいが、とりわけ、テレビからの影響が大きいといえよう。テレビにおけるタバコの宣伝広告は、子どもたちに対して、喫煙は「大人の象徴」といった「魅力的」で「かっこいい」といった誤ったイメージを与えやすい。そのため、タバコの宣伝広告の中でも、とりわけテレビ等の電波媒体によるタバコの宣伝広告に対しては、厳格な規制が要求される。
しかしながら、従来、先進国の中で唯一日本だけが、テレビでタバコのコマーシャルを流し続けてきた。たとえば、日本では、1989年にタバコのコマーシャルの自粛時間帯をそれまでの夜8時54分から10時54分まで延長されたが、別の見方をすれば、先進国のどの国も禁止または自粛しているテレビでのタバコのコマーシャルを、1989年以降も流し続けてきた。しかし、世界の喫煙規制の潮流に逆らうことができなくなったこともあり、1998年4月になってようやく、テレビ等電波媒体でのタバコの宣伝が自粛され、現在では、テレビ、ラジオ等の電波媒体では、マナー啓発以外のコマーシャルが禁止されている。
しかし、ここで、1つ注意すべき点がある。それは、マナー啓発のCMは許されているということである。これは、一見すると結構なことのように思える。しかし、マナー啓発のCMは、実はマナーに名を借りたタバコの宣伝広告なのである。例をあげることとする。
以前、テレビのコマーシャルで流されていた、俳優の緒形拳氏の「たばこは大人だけに許されたたしなみです。だから甘えは許されませんよね。私は愛煙家です。私は捨てない。」というマナー広告について考えてみたい。このコマーシャルは、一見するとマナー広告のようにみえる。しかし、本当はタバコの宣伝広告なのである。「私は捨てない」という部分は、たしかにマナーを言っている。しかし、このコマーシャルの本当の狙いはそこにはない。このコマーシャルの狙いは、「私は愛煙家です」という部分にあり、ポイントなのである。すなわち、緒形拳氏に「愛煙家」という言葉を言わせて、喫煙のイメージをプラスにしているだけでなく、あの素敵な緒形拳さんだって喫煙者なんだという、喫煙に対する肯定的な雰囲気を醸成しているのである。とすれば、このようなコマーシャルは、実際には、「マナー」に名を借りた若者に対するイメージ広告といえ、マナー広告だから問題はないと考えるのは早計であろう。
したがって、テレビやラジオといった電波媒体によるタバコ宣伝広告に対しては、営業の自由に対する合理的な制限と考えて、マナー広告も含めて全面的に禁止すべきである。
②テレビ等の電波媒体以外によるタバコの宣伝広告規制
テレビ等の電波媒体以外でも、タバコの宣伝広告は行なわれている。たとえば、新聞・雑誌での広告、屋外広告、公共交通機関での広告、見本タバコの配布などである。これらによるタバコの宣伝広告によっても未成年者は多くの誘惑を受けるので、適切な広告規制が必要である。
財務省は、2003年11月27日、国民の健康に対する配慮と未成年者の喫煙防止を目的に、タバコの広告規制を強化する方針を決めた。現在、国内のタバコ広告は、たばこ事業法に基づいて1989年に策定された財務相指針と、日本たばこ協会会員の自主基準で規制されているが、2003年度中に「財務相指針」を改め、業界に自主規制見直しを促すという。改正指針では、2003年5月に世界保健機関(WHO)の総会で採択された「たばこ規制枠組み条約(Framework Convention on Tobacco Control:FCTC)」の趣旨や各国の状況も反映させ、具体的には、現在実施されているテレビ等でのマナー啓発以外のCM禁止に加えて、新聞・雑誌、屋外、公共交通機関内での広告や販売促進景品、見本タバコの配布についての規制を強化する方針であるが、詳細な規定は自主基準に任せるという。
その後、財務省は、2003年12月16日、未成年者向けタバコ広告の規制強化を柱とした、業界の自主規制に関する指針の改正案をまとめた。同改正案では、未成年者の目に触れる場所でタバコの宣伝をしないことを求めている。現在は、学校から100メートル以内での広告を自主規制しているが、対象エリアを拡大することになりそうである。また、見本タバコを配布する場合は、相手が未成年でないかを厳しく確認させるという。新聞や雑誌でのタバコ広告の扱いや、電車やバスなどの車内広告の規制強化については今後、具体案を検討するという。さらに、改正案には、未成年者に人気があるタレントを広告に起用しないことなども盛り込まれている。
また、雑誌やホームページなどの中で、JTは、タバコを「大人の嗜好品」と広告しているが、このような広告を絶対に未成年者の目に触れさせてはならない。子どもたちを喫煙に誘導するのは、タバコの味ではなくイメージである。背伸びをしたい、早く大人になりたいという共通した心理傾向を持つ子どもたちにとって、「大人の嗜好品」という広告は、子どもたちにとっては大変魅力的な言葉であり、逆に喫煙に誘導する言葉といえる。したがって、広告の文言についても、何らかの規制が必要であろう。
(3)ドラマ・映画における喫煙シーンの規制
テレビドラマの主人公は、必要もないのにすぐタバコに火をつける。たとえば、1人でいるとき、友人と話をするとき、待ち合わせをしているときなど、どんなときでも、また、どのような場所においても、テレビドラマの主人公等の喫煙シーンが流れている。1999年11月3日から16日までに、関西地区のテレビ局で夜8時から11時までに放映されたドラマを関西学院大学法学部の学生がモニター・分析した資料によると、ドラマの主役・準主役が喫煙することが多く、彼らはほぼ毎週吸っているという。前述のように、未成年者の喫煙を助長するとして、1998年からタバコのコマーシャルは自粛されているが、その一方で、未成年者が視聴者の多数を占めるドラマの中で、主人公や準主役が日常的に平気でタバコを吸っているのである。
また、テレビのバラエティ番組を見ても、人気タレントがしきりに喫煙するシーンを見かけるが、この裏には、実は、テレビでの喫煙シーンに対するタバコ会社の意図的な働きかけがあるという。すなわち、タバココマーシャルの自粛のつけの回収を図るため、タバコ会社は、タレントたちに番組の中で喫煙させることを意図して、積極的にタバコを差し入れるなどしているという。
しかし、人気俳優や人気アイドル、人気タレントがタバコを吸うことが未成年者にどのような影響を与えているのか、真剣に考える必要がある。未成年者の多くは、テレビドラマに出ている人気俳優等を「かっこいい」存在として受け止めており、その「かっこいい」存在の人気俳優等の真似をしたがるものである。人気俳優等がタバコを吸っているのであれば、未成年者が自分もタバコを吸ってみたいと考えるのは自然なことである。とすると、テレビドラマの中で、主人公や準主役が喫煙するシーンを野放しにすべきではない。
前述のように、1998年4月から、テレビ等電波媒体でのタバコの宣伝が自粛された。しかし、現在でもなお、多くの番組で、人気俳優やタレントによる喫煙シーンが流れている。未成年者が数多くみている現実を知っておきながら、テレビという公共放送の番組の中で、人気俳優や人気タレントたちが自由にタバコを吸うシーンを放任している番組制作者たちの無神経さと良心のなさにはあきれるばかりである。テレビで喫煙シーンを流すことが、未成年者の喫煙を助長していることは明らかであり、番組制作者の責任は大変重いものがある。さらに、この裏には、タバコ会社の形を変えた巧妙な戦略が見え隠れしているのであるから、このような人気俳優やタレントの喫煙シーンを野放しにしている現状を改める必要がある。テレビの製作者の見識で改善できればよいが、場合によっては、もっと厳格に、法律等で禁止する必要がある。
(4)タバコの自動販売機の全面禁止
未成年者は、どのようにしてタバコを入手するのであろうか。
旧総務庁青少年対策本部が作成した「青少年と自動販売機に関する調査研究報告書」(1995年)によると、タバコの入手方法について、酒類に比較して、タバコの場合は「自動販売機で買う」割合が圧倒的に高いのが特徴であるという。すなわち、未成年者の多くが自動販売機を通じてタバコを購入しているのである。このように、タバコの自動販売機が未成年者の喫煙を助長している実態が明らかとなっている。また、旧総務庁青少年対策本部が2001年に発表した「青少年とタバコ等に関する調査研究報告書」でも同様の結果が示されている。
1995年における、タバコ自動販売機の普及台数は49万8800台、売上金額は1兆5286億円(タバコの総販売金額の約40%)である。タバコの自動販売機に対して、設置場所が店舗に併設されていないなど、未成年者喫煙防止の観点から十分な管理・監督が期しがたいと認められる場合は不許可にするといった規制を実施している(たばこ事業法23条3号、同法施行規則20条)。さらに、「たばこ行動計画検討会報告書」(1995年3月)の「小売店の実情等にも配慮しつつ、その稼働時間等について、規制を強化するべきである」との指摘を受け、たばこ業界(全国たばこ販売協同組合連合会)による深夜稼働の自主規制が、1996年4月から順次実施された。具体的には、屋外自動販売機へのタイマー取り付けにより、深夜の時間帯(午後11時から午前5時)における稼働を停止するというものである。
しかし、「たばこ行動計画検討会報告書」の指摘にも問題があるが、稼働時間を限定するという対応では不十分である。旧総務庁の調査によると、深夜(23時~5時)の時間帯に自動販売機でたばこを買う青少年は約2割にすぎないという。とすれば、深夜の時間帯だけ自動販売機の稼動を禁止したところで意味はない。実際にも、厚生科学審議会地域保健健康増進栄養部会が2002年12月25日に取りまとめた「今後のたばこ対策の基本的考え方について」においても、現在でもなお、高校3年生の喫煙率として、男子が36.9%、女子が15.8%との調査があり、これまでなされてきた取組にもかかわらず、高率のまま推移していると指摘している。また、多くの未成年者が自動販売機でタバコを購入している状況も変わりはない。結局のところ、未成年がタバコを自由に購入できる現状に変わりはなく、いわば、いまなおタバコの自動販売機は野放しの状態なのである。
もっとも、前述のように、2001年法改正(第152号)で新たに設けられた未成年者喫煙禁止法4条は、「煙草又ハ器具ヲ販売スル者ハ満20年ニ至ラザル者ノ喫煙ノ防止ニ資スル為年齢ノ確認其ノ他ノ必要ナル措置ヲ講ズルモノトス」と定めている。一見すると、この規定により年齢確認が義務づけられ、未成年者にタバコが販売されることがないように思える。しかし、条文をよく見ると、「年齢ノ確認其ノ他ノ必要ナル措置」としか規定されていない。国会の立案関係者の説明によれば、運転免許証やIDカードで本人の年齢を確認することまで要求しているわけではなく、「タバコは、未成年者の方は遠慮してください」といったステッカーを自動販売機あるいは店の中に貼ることも、「必要ナル措置」の中に含まれるということである。しかし、普通の感覚であれば、「未成年者は買わないでください」というステッカーを貼れば未成年者が自動販売機等でタバコを買うことはないと考えることは難しいであろう。したがって、未成年者喫煙禁止法4条によって年齢確認がなされることを期待することは難しく、未成年者がタバコを自動販売機から購入する状況に変化は期待できない。もし実効性のある年齢確認を実施させるのであれば、「年齢ノ確認及ビ他ノ必要ナル措置」と規定すべきであった。
そこで、より実効性のある対策が求められる。具体的には、タバコの自動販売機の新設は全部禁止すべきである。刑罰を科すこともできるようにすべきであろう。既存の自動販売機についても、猶予期間をおいたうえで撤去を命じるべきであろう。ただし、これまで適法とされてきた経緯を踏まえ、撤去費用を補助することも、それなりに公共性があると考えられよう。以上のように、結局のところ、タバコの自動販売機は全面禁止とすべきである。そもそも、「未成年にタバコを売ったら罰金」という法律(未成年者喫煙禁止法5条)がある一方で、未成年が自由にタバコを購入することができる自動販売機を野放しにする国の政策は筋が通らない。
そのためにも、「たばこ事業法」の改正は不可欠であろう。たばこ事業法は、タバコの自動販売機を許可しているわけであるが、これは、同法がタバコによる健康被害の防止を正面から目的としてはおらず、未成年者喫煙禁止法とは別の法体系になっているためである。しかし、本来であれば、たばこ事業法と未成年者喫煙禁止法とは調和させる必要がある。未成年者喫煙禁止法と調和させるのであれば、たばこ事業法においてもタバコの自動販売機は全面禁止とすべきであろう。
なお、現在のところ、国法は不完全規制なり未規制状態にあるので、各自治体の条例で対応することも要請される。また、実際にも、タバコの自動販売機の設置を規制する条例を制定する自治体もある。たとえば、青森県深浦町では、2001年3月12日に屋外タバコ自販機撤去条例(正式名称は「深浦町自動販売機の適正な設置及び管理に関する条例」)が可決成立した。同条例の内容は、現在屋外にある自動販売機を180日以内に撤去するように求め(5条)、違反者には勧告し、勧告に従わない場合には名前などを公表する(9条)というものである。ただ、同条例では、撤去費用の助成制度も設けられている(10条)。
ちなみに、アメリカでは、酒類とタバコの販売は厳しい規制のもとで販売されており、タバコが自動販売機で販売されることはない。
(5)タバコ税の大幅値上げ
未成年者の喫煙率が高い理由の1つに、タバコの値段が安いことがあげられる。すなわち、未成年者であっても容易に購入することができるほどタバコの値段が安価であるために、未成年者が容易にタバコを入手できる環境になっているといえる。タバコの値段が手頃であることが、未成年者がタバコに手を出すハードルを低くしているのである。
日本の場合、タバコの価格は、たばこ事業法により小売定価制が維持されている(同法33条以下)。「たばこ行動計画検討会報告書」では、タバコ小売定価制については未成年者の喫煙防止という社会的要請の観点から維持するとともに、未成年者の喫煙防止の観点から価格への配慮を求めている。なお、2003年7月1日より、タバコ税の増税に伴って、一部の銘柄を除いて1箱当たり20円値上げされたが、日本におけるタバコの価格は、諸外国と比べて比較的安価であることに変わりはない。
そこで、未成年者の喫煙を減らすためには、タバコ税を値上げする必要がある。タバコ税を値上げすれば当然タバコの値段も上がり、その結果、未成年者がタバコを購入しにくい環境を作り出すことができる。タバコ税の値上げは、未成年者の喫煙を減らすうえで有効な政策の1つであるが、未成年者だけではなく、喫煙者全体の消費を抑制するうえで有効な政策でもある。なお、ノルウェー、カナダ、オーストラリアなどは、価格上昇政策をとり消費抑制に成功している。
もっとも、タバコの増税に対しては、反発も強い。たとえば、喫煙者は「我々は多くの税金を払っている」と主張する者が少なくないし、JTも、「たばこ税は平成13年度には、国税1兆1,216億円、地方税1兆1,277億円もの貢献をしています」として、年間で2兆2,493億円も財政に貢献していると主張している。しかし、喫煙によるコストは、タバコの税収を大幅に上回っている。医療経済研究機構が2002年11月に発表した「喫煙による経済的損失の推計結果」によると、喫煙による経済損失は年間7兆3000億円にのぼるという。その内訳は、能動喫煙超過医療費(喫煙者の医療費)1兆2900億円、受動喫煙超過医療費(間接喫煙による医療費)146億円、逸失される労働力の損失5兆8000億円、火災による損失2200億円で、合計して7兆3246億円という。すなわち、タバコの税収は年間2兆2493億円であるのに対して、喫煙によるコストは年間7兆3246億円であり、毎年、実に約5兆円の損失ということになる。これら約5兆円の損失は、喫煙者が属している共同体に負担させているわけである。JTは、タバコによってどれだけの経済的損失があるのかについては、まったく触れていないのである。
また、JTは、たばこ税の「真実」として、「たばこは税負担率が6割にものぼる、わが国でも最も税負担率の重い商品のひとつ」であるとして、あたかもタバコが社会に貢献しているように主張している。しかし、外国のタバコの税負担率の平均は8割であり、日本のタバコ税負担率は世界でも最低レベルにあることは知らせていない。また、タバコの価格についても、諸外国と比較すると、日本のタバコの価格は安すぎるといえる。
タバコによる毎年7兆円もの社会負担や多額の超過医療費を考えれば、日本のタバコ税率やタバコ価格は不当に安いということがいえる。したがって、1箱当たり20円値上げするだけでは不十分であり、少なくとも、喫煙によるコストからタバコの税収を引いた損失である約5兆円分は増税するだけの理由は十分にあるといえる。なお、タバコ税の場合、1本当たり2円、1箱40円増税すれば、年間4000億円程度の増収が見込まれるということであるので、1箱当たり、あと最低でも500円程度の値上げは必要ということになろう。
ちなみに、喫煙者は、タバコがいくらになったら購入しなくなるのかを調査したアンケートがある。厚生労働省所管の医療経済研究機構が、2001年に、全国の20歳以上の喫煙者2420人(回答者2105人)を対象に実施した「たばこ税増税の効果・影響等に関する調査研究」によると、1箱300円の場合に、「やめる」と答えたのは16.2%、「本数を減らす」が35.3%である。500円に上がった場合に「やめる」は42.2%、1000円では63.1%である。1000円でも「同じ本数吸い続ける」と答えた喫煙者は6.8%である。
また、医療経済研究機構の調査によると、タバコ1箱あたり1000円にすると、喫煙者は1780万人減って、死亡者も3万人台まで減少し、医療費は約8000億円以上減って今の3分の1近くに削減できるが、これに対し、税収は1兆円余り増えるという試算が出されている。とすれば、タバコ増税には、税収の増加、医療費の削減、喫煙者の減少という一石三鳥の効果があるといえる。
3.喫煙者減少施策(喫煙者保護施策)
タバコについては、「喫煙者が自分が好きで吸っていたのだから「自業自得」ではないのか」という意見もあろう。たしかに、タバコを吸っている喫煙者にも責任の一端はあるであろう。しかし、タバコに含まれるニコチンには強い依存性があり、喫煙者の7割は、タバコをやめたいと思っているにもかかわらず、やめることができないのである。また、この背景には、タバコの有害性についてよく知っていながら、タバコを吸わせるように仕向けてきたタバコ会社の戦略があるということを考慮すれば、喫煙者もまた、国やタバコ会社の不当な販売戦略の被害者という側面を持っているといえる。
そこで、喫煙者を減少させる施策も重要であるし、その前提として、タバコ会社と国が一体となっている現在の販売構造を変えていく必要がある。現在の販売構造を変えていくことにより、結果的に非喫煙者の受動喫煙の被害を減らしていくことにもつながるといえよう。現在の販売構造で変えるべき問題として、(1)タバコの宣伝広告規制の強化、(2)ドラマ・映画における喫煙シーンの禁止、(3)タバコの自動販売機の全面禁止、(4)タバコ税の大幅値上げのほか、(5)タバコの有害表示の義務化が考えられる。ただし、上記(1)から(4)までについては、未成年者の喫煙防止施策の箇所で触れたので、以下では、(5)タバコの有害表示の義務化の問題に絞って触れることとする。
(1)~(4)省略
(5)タバコの有害表示の義務化
タバコの有害表示について、日本では、製造タバコの消費と健康との関係に関して注意を促すために、タバコの包装に注意表示を行なうことを義務づけている(たばこ事業法39条)が、その文言は、1972年から1989年までは「健康のため吸いすぎに注意しましょう」といったもので、1989年以降は「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」(同法施行規則36条)といったものである。
しかし、現在の表示の中でも、特に「吸いすぎに注意しましょう」という表現は問題である。というのも、この文言を素直に読むと、吸いすぎなければ大丈夫であるというお墨付きを与えているようにも読めるからである。これでは、むしろ喫煙に対する消極的安全宣言ともいえる。しかも、たとえば、日本で販売されているマイルドセブンには「吸いすぎに注意」というような表示をしているのに、その同じマイルドセブンが外国で販売されるときには、「肺がんの原因となる」とか「心臓病の原因となる」などと表示されている。このように、外国の消費者には、タバコを吸うと肺がんや心臓病の原因になると警告している一方で、日本の消費者にはそのような警告をしていないということは、日本の消費者には、喫煙に関する正しい情報を与えていないということになろう。正しい情報が与えられていないということは、喫煙に関する消費者の選択権が奪われているということになる。したがって、「喫煙者は自業自得」という考え方もあろうが、正確な情報が与えられずに、正しい自己決定などできないので、実際には正しくないというべきである。
また、日本のタバコの注意表示は、文字通り注意表示という穏やかな形になっていて、とても「有害表示」あるいは「警告表示」になっていないばかりか、周辺の人への影響も無視されている。そこで、タバコのパッケージには、「有害表示」あるいは「警告表示」を義務づけるとともに、周囲の人への影響についてもはっきりと明記させる必要がある。
もっとも、2003年7月になってようやく財務省もたばこ包装に肺がんなど4病名を明記させ、健康への影響を警告するよう方針を転換した。そして、2003年5月21日にWHO(世界保健機関)において採択された「たばこ規制枠組条約」の内容を踏まえて、2003年11月13日、「たばこ事業法施行規則の一部を改正する省令」(財務省令103号)が公布(同日施行)され、従来義務づけられていた「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」という文言に代えて、財政制度審議会たばこ事業等分科会で了承された新たな8種類の文言の表示が義務づけられた。その文言とは、「①喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の1つとなります。疫学的な推計によると、喫煙者は肺がんにより死亡する危険性が非喫煙者に比べて約2倍から4倍高くなります。②喫煙は、あなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます。疫学的な推計によると、喫煙者は心筋梗塞により死亡する危険性が非喫煙者に比べて約1.7倍高くなります。③喫煙は、あなたにとって脳卒中の危険性を高めます。疫学的な推計によると、喫煙者は脳卒中により死亡する危険性が非喫煙者に比べて約1.7倍高くなります。④喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます。⑤妊娠中の喫煙は、胎児の発育障害や早産の原因の1つとなります。疫学的な推計によると、たばこを吸う妊婦は、吸わない妊婦に比べ、低出生体重の危険性が約2倍、早産の危険性が約3倍高くなります。⑥たばこの煙は、あなたの周りの人、特に乳幼児、子供、お年寄りなどの健康に悪影響を及ぼします。喫煙の際には、周りの人の迷惑にならないように注意しましょう。⑦人により程度は異なりますが、ニコチンにより喫煙への依存が生じます。⑧未成年者の喫煙は、健康に対する悪影響やたばこへの依存をより強めます。周りの人から勧められても決して吸ってはいけません。」の8種類である(たばこ事業法施行規則36条、別表第1、別表第2)。表示する文言は、紙巻たばこについては、直接喫煙による病気(肺がん、心筋梗塞、脳卒中、肺気腫)に関する4種類の文言を1グループ、それ以外(妊婦、受動喫煙、依存、未成年者)の4種類の文言を1グループとし、それぞれのグループから1つずつ、計2つ(包装の形状によっては2つ以上)としたうえで、グループ内の各文言はほぼ均等な頻度で表示されるものとしている。この省令に対しては、「あなたにとって」など曖昧な表現も多く、改善の余地がまだまだありそうであるが、タバコ政策という視点からは一歩前進といえるであろう。
もっとも、日本においてタバコの有害表示義務づけがなかなか実現しない背景としては、タバコが売れないと困る財務省が所轄しているたばこ事業等審議会(当時)に提言させたからである。しかし、これは健康問題であるので、たばこの税収とは独立した厚生労働省で検討させるべきであろう。
第4章 おわりに
以上のように、日本においては、先進諸国と比較してタバコをめぐる行政的規制(喫煙規制)が整備されていないことがあげられるので、タバコをめぐる行政的規制(喫煙規制)を強化する必要がある。とりわけ、日本の喫煙規制対策が世界の潮流から大きく立ち遅れてしまった元凶は、たばこ事業法にある。たばこ事業法は、「我が国たばこ産業の健全な発展を図り、もつて財政収入の安定的確保及び国民経済の健全な発展に資すること」を目的としている(1条)。すなわち、同法の目的は、たくさんタバコを売ってタバコ産業を発展させ、財政収入を確保するということである。同法は、国民の健康を犠牲にしてでも、タバコ拡販政策を推し進めることを堂々と定め、タバコを金儲けの手段としているといえる。タバコをどんどん売ってタバコ事業の発展を図るというたばこ事業法の考え方と、国民の生命と健康を尊重して公衆衛生の向上・増進を図るという考え方とは、根本的に相容れないものである。したがって、たばこ事業法が存在する限り、国民の生命や健康を尊重して公衆衛生の向上・増進を図る政策の実現は期待できない。
さらに、行政的規制(喫煙規制)を強化する前提として、日本のタバコ事業の組織的構造を見直す必要がある。たばこ事業法によれば、タバコ消費と健康との関係についての注意義務を財務省令で規定し(39条)、タバコの小売価格についても財務大臣の認可制とし(33条以下)、タバコの広告についても財務大臣の指針に従うことを勧告できる(40条)など、タバコ事業は、徹底的に財務省(旧大蔵省)の管轄下にある。しかも、管轄官庁である財務省は、タバコの製造・販売に関して莫大な利権を持っているので、自己抑制的な喫煙規制への動きが緩慢であることは自然の成り行きといえよう。しかし、タバコの問題は、人間の生命と健康に大きく関わっている問題である。したがって、タバコ事業の管轄官庁は、本来、現在の財務省から厚生労働省に移管すべきである。もし厚生労働省への移管が難しい場合でも、財務省のほか、国民の健康保護という観点から厚生労働省、未成年者保護という観点から文部科学省も、タバコ事業の管轄官庁に加えることが必要であろう。さらに、各種の喫煙規制を強化する前提としても、タバコ産業の管轄官庁を見直すことは急務といえよう。
筆者は、全学教育(一般教養)の憲法の講義をほぼ毎年担当しているのであるが、当該講義の憲法13条の幸福追求権の箇所でタバコの問題を取り上げている。学生に言わせると、このときが一番熱く語っているらしいのであるが、筆者の側から見ても、タバコの問題を取り上げるときが、講義の中で一番反響がある。それだけ、多くの者が身近に感じている問題なのである。なお、講義の中で「日頃、周囲のタバコに迷惑している」という学生に挙手してもらっているのであるが、喫煙者の多くは、周囲の者が嫌な思いをしていることにこのときはじめて気づいて驚いているようである。すなわち、喫煙者の多くは、悪気はないようであるが、他人に迷惑をかけているという自覚もなくタバコを吸っているのである。喫煙者に対するモラルがさかんに叫ばれるようになってきた現在でもなおこのような状況であり、喫煙者のモラルに訴えたところで世の中は変わらない。やはり、喫煙者にはっきりと自覚してもらうためにも、モラルに訴えるだけではなく、明確な「ルール」が必要であり、そのためにも行政的規制(喫煙規制)の強化が必要不可欠である。
【附記】
本報告は、拙稿「タバコ訴訟の動向と今後の法制的課題」長崎大学経済学部研究年報20巻(2004年3月)53-88頁で取り上げた論点を要約したものである。