ここのところ、新聞の整理が出来ていない。
12/18 のを整理 仕掛けると
20009/12/18 金 朝日新聞 29 第2大阪 大阪 13版
関西とりよせ帖 滋賀県米原市
伊吹野蕎麦
・日本蕎麦の発祥地
・伊吹山(1377m)の山麓
・奈良時代
・唐の国から修行僧が持ち帰り
●この間、胃の手術をした人から・・最初の一食は、蕎麦厳禁・・3倍くらいふくれるのでと。
●浜屋敷で、今年も、「年越しそば」やるのかな。
●いつもの、くせ(hp)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%8E%E9%BA%A6#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
読み出すと、なかなか・・・・。
日本各地での蕎麦文化
蕎麦の嗜好
東京
蕎麦専門店だけではなく、うどんも提供する店もありこのような店も「蕎麦屋」と呼ぶ。立ち食い店も多い。蕎麦と酒を楽しむ趣向もある。
古く江戸では、うどんも盛んに食べられていた。しかし、江戸時代中期以降、江戸での蕎麦切り流行に伴って、うどんを軽んずる傾向が生じたという。江戸でうどんよりも蕎麦が主流となった背景には、白米を多食する人に見られ「江戸わずらい」と呼ばれた脚気を、ビタミンB1を多く含む蕎麦を食べることで防止できたことにもよる。
蕎麦とうどんの抗争を酒呑童子退治になぞらえた安永期の珍品黄表紙『化物大江山』(恋川春町作)は、当時の江戸人の蕎麦・うどんへの価値観の一面を描いていて、意外な資料価値がある。源頼光役は蕎麦、悪役の酒呑童子はうどんである。なぜか、「ひもかわうどん」だけは蕎麦側についており、蕎麦一色だった江戸でも例外的に人気があったようだ。
以後、江戸→東京では、蕎麦を手繰ることに一種の「粋」を見出す高い価値付けさえ生じるようになり、「夕方早くに蕎麦屋で独り、種物の蕎麦を肴に酒を飲む」ことが、スノッブ(俗物根性)さも臭わせる趣味として横行するまでに至る。江戸では、蕎麦を食べることを「手繰る」(たぐる)ともいう。このような言葉を使うこと自体、一つの気取りと言える。
夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)でも、粋人を気取るハイカラ遊民・迷亭が「うどんは馬子の喰うもんだ」とうそぶき、上がり込んだ苦沙弥先生宅で勝手に蕎麦の出前を取って一人で喰う描写がある。蕎麦食いの講釈をとうとうと垂れ、薬味のわさびの辛さに涙しつつやせ我慢で耐えて蕎麦を呑み込む迷亭のいささか俗物的な面も否めない粋へのこだわりぶりに比べ、胃弱症の苦沙弥先生が「うどん好き」であることで、うどんの印象は相対的に冴えないものとなる。
同じく漱石作品の『坊っちゃん』(1906年)においても、江戸っ子である“坊っちゃん”が松山で天ぷら蕎麦を注文する一場面が見られる。
漱石が江戸文化の影響を色濃く受けていた事を想起すれば、『猫』での描写は、江戸・東京におけるある種のステレオタイプにのっとったものだったろう。その観念は容易に抜き難く、現在でも東京では、うどんより蕎麦の方が優勢なままである。蕎麦を食べる前提で作られた濃厚なつゆをうどんに用いるのも、これに起因すると見られる。
江戸っ子の蕎麦に対するこだわりや、関西との違いとして上げられる点は以下の様な点がある
- もりを食うときは蕎麦の先だけをつゆに浸して食べる。これは、蕎麦の風味を味わうため。関東のつゆは濃いめなので、ちょっと浸すことで十分なため。
- 口に入れたらあまり噛まずに飲みこみ、喉越しと鼻に通る香りを楽しむ。
- 大きな丼にたっぷりと蕎麦が入っているのは野暮。少なければ2,3枚食べる。
- 箸は割り箸。塗箸は蕎麦が滑るので好まれない。
- 酒を飲むのでなければ、さっさと食ってひきあげるのが粋。
- 蕎麦を食べることを「手繰る」と言う。
もちろんこれが正当という訳ではない。「粋」を重んじるが故の、意地や見栄による誇張が多分に含まれている。
関西
関西における蕎麦処の筆頭は兵庫県豊岡市出石町(出石城下町)で、皿そば「出石そば」は広く知られている。これは江戸時代に蕎麦の本場だった信州上田藩の藩主仙石政明が出石藩に国替えとなった際、大勢の蕎麦職人を連れて来て以来の伝統とされる。このためか兵庫県では出石や丹波篠山など地元の蕎麦のほかに全国各地の蕎麦を出す店が多く存在する。
京都は古くからの蕎麦屋が多い。これは背後に控える丹波地方でそば作りが盛んだったためである。また、有名なニシンそばは幕末に生み出されたものであり、古くから京都にあった惣菜である「ニシン昆布」に発想を得ている。全体的に見れば、大阪と同じくうどんの方が好まれる傾向にあるが、大阪のようにそば屋がうどんを提供する場合は極めて稀である。
大阪では「そば」より「うどん」の方が一般的に好まれるとされ、立場が東京とは全く逆である。うどん屋が利用者のニーズに応えて「そば」も出しているという概念が強く、蕎麦屋であってもうどんを提供する店も存在する。また、出汁は元来うどんに用いる前提で作られた、淡口醤油を基調とした透き通ったものを用いることが多い。しかし、それによって生まれた文化もあり、たぬき(油揚げの乗ったそば)やとろろ昆布が乗ったこぶそばは大阪が発祥である。また、そばは産地の関係か一般に黒そば、田舎そばなどとと呼ばれる殻ごと碾いたものが好まれる傾向にある。
日本の農山村における蕎麦
日本の農山村において、伝統的に蕎麦切りはもてなしの料理だった。焼畑でソバを栽培していたような山村にあっても、蕎麦切りは祭礼や正月、来客時のごちそうであると認識されていた。どこの家でも素人ながらに蕎麦打ちの技術を持っており、来客があると、家の主人もしくは主婦が蕎麦を打ち、食事として供した。
食べ方としては、にんじんや椎茸などを細切りにして煮込んだ澄まし汁やみそ汁をつけ汁にして、もりで食べる。また、蕎麦粉の節約のため、細切りの大根(薬味とは異なる)や、春にはセリなどをゆでて、麺と混ぜて盛りつけて食べることもあった。
一方、蕎麦掻きは、作るのが簡単であることもあり、普段、農作業の合間に口にするような食べ物だった。他にも、その他の雑穀類と同様、団子にしたり、野菜を煮立てた中に蕎麦粉を入れてかき混ぜるような食べ方もあった。
食糧の自給をほとんどしなくなったことや、都会風の蕎麦の食べ方の普及により、地域ごとに特色のあった蕎麦の食べ方は廃れつつある。
各地の名物そば
ソバは痩せた土壌でも栽培できたことから、北は北海道から南は九州鹿児島まで、山間地や新規開拓地で盛んに生産された。
なお、各地の有名・老舗蕎麦店、立ち食い蕎麦屋、蕎麦チェーン店などについてはそれぞれ関連項目を参照。
北海道
詳細は「北海道の蕎麦一覧」を参照
東北地方
青森県
- 津軽そば(津軽地方)
- 元々はつなぎに大豆を使い、手間を掛けて作られる蕎麦[13][16]を指していたが、その手間から作る人や店が減少したことによって津軽地域で食べられる通常のそばを指すことも多くなった[17]。
- 夏井田そば(青森市)
- 白神ソバ(西目屋村)
岩手県
詳細は「わんこそば」を参照
秋田県
山形県
- 板そば(山形県内陸部)
詳細は「板そば」を参照
- 紅花そば(村山地方)
- 紅花を練り込んだ蕎麦[13][18]。
- 冷たい肉そば(山形県河北町谷地)
- 茹でた鶏肉の薄切りを具材に用いた蕎麦[19]。
- 山形そば(山形市)
- 蕎麦店が江戸に誕生してから時間をおかず、蕎麦に関する技術が山形に伝わって定着し、常食されるようになった[20]。松尾芭蕉の「曾良旅日記」に羽黒山で蕎麦を食べた記述がある[20]。
- 天童そば(天童市)
- 手打そばが観光資源となっており[21]、また乾麺も生産されている[22]。
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