NHK 教育TVを録画しています。
美の壺
1.竹 録画済
File144 「竹」 暖かく湿った気候を好む植物、竹。 暖かく湿った気候を好む植物、竹。
世界の熱帯温帯地方に広く分布し、日本ではおよそ600種類が自生しています。
日本人は竹の他の樹木にはない数々の特性を利用してさまざまな工芸品を生み出してきました。
壱のツボ ミクロの穂先に妙技あり
茶道の道具「茶筅(ちゃせん)」はあらゆる竹の特性を利用して作られるもの。
茶筅作りの専門家で伝統工芸士、平田俊之さんです。
平田 「竹のいろんな特徴をうまく利用して作るのが茶筅です。できあがった茶筅は自分の長所をうまく発揮してしなやかに、うまいお茶を立てることができます」
一つ目のツボ、
「ミクロの穂先に妙技あり」
茶筅作りはまず「割れる」という特性を利用します。
竹は縦に伸びている繊維に沿って細く割ることができるのです。
細い淡竹(はちく)という種類の一本を細かく割って穂を作ります。
その数は160本にもなるのです。
一本0.5ミリの細さに割るため使うのは小刀でなく指。
平田 「細かく割るのは刃物では限界あるので指でやるのです。手が覚えている力加減で均一に割るのです」
続いて利用するのは竹の「しなる」という特性。
竹の弾力性を引き出すため極限まで薄く削ります。
しかし単に薄くするだけではありません。
根本は0.7ミリ、穂先はその10分の1以下の0.04ミリ。
釣りざおと同じように根元を太く先端を細くすることでよりしなやかさが出るのです。
最後に利用する特性は「粘る」。
竹の折れにくい粘り強さを利用して根元を糸で束ね、穂は外側の“上がり穂”と内側の“下がり穂”に分けられます。
湯の中では二つの間で抹茶の粉が泳ぎ均一に混ざるのです。
さまざまな穂の形が60種類以上ある茶筅。
それは竹ならではの特性を人間の手が生かしきった芸術なのです。
弐のツボ 空洞から生まれる神秘の響き
樹木の一種であるのに中身が空洞である。竹はいにしえの人にとって神秘的なものでした。竹の空洞は音を生み出します。
古代中国では、竹を用いて神に捧げるための楽器が生み出されました。雅楽に用いる笙(しょう)と呼ばれる楽器です。その音色は「天からの光」と呼ばれ称えられてきました。
二つ目のツボ、
「空洞から生まれる神秘の響き」
笙は竹を束ね、一つの吹き口から息を吹き入れ音を出す楽器です。
竹の管の根本には空気があたると震える金属の板。
その上空気が出入りする切り込みがあります。
穴を指でふさぐと空気が切り込みに向かって管を通り抜け、音が鳴り響く仕組みになっています。
美しい音を生むために特別な竹、煤竹(すすだけ)を使います。古い民家の天井で何百年もいろりの煙でいぶされた竹です。
煤が長い時間をかけて浸透し、金属のように固くなっています。
雅楽器師の山田全一さん。
山田 「竹が長年いぶされてきて乾燥しきっているので音色、音味(ねあじ)、つまり響きが良いのです」
笙は独特の形をしています。空気の出る切り込みより上の部分は音とは関係ありません。
横にした笙の形は想像上の鳥、「鳳凰(ほうおう)」の姿を模したものなのです。尊く神聖な鳥とされた「鳳凰」が神に捧げる音色にふさわしい形だったのです。
はるか昔から受け継がれてきたその形。
いにしえの人が竹に抱いた神秘の思いを今に伝えているのです。
参のツボ 表皮の風合いを味わう
建物に使う竹を集めた倉庫を見ると竹の表皮にはさまざまな色や模様があることがわかります。
竹を住まいに用いる時は表皮のさまざまな風合いを取り入れるのがコツなのです。
最後のツボは、
「表皮の風合いを味わう」
魅力ある風合いを出すため人の手を加えることもあります。
青竹を火にあぶりにじみ出てきた油を拭き取ります。
その後天日にさらすこと2週間、青竹は黄色に変色します。
これが「晒竹(さらしだけ)」と呼ばれる竹です。
晒竹は家の玄関などに使うと渋みのある黄色が木に調和した魅力が出ます。
切り出したままの青竹は、例えば庭の奥の塀に使うと青竹の若々しい緑が庭木と見事な調和を見せます。
本来の形をそのまま用いることが多いため竹は木や草などに調和しやすいのです。
竹材業の横山富男さん。
横山 「竹は丸みあり節があり、並べて使うと適当にすき間ができる。ばらつきなどもあって、いろいろな表情が出てきます」
茶室を囲む竹垣は時間とともに古び、自然の中にとけ込んでいます。
人の手では決して生み出すことのできない風合いは竹のもたらす最もぜいたくな味わいなのです。
“竹を割ったような性格”と聞いてどんな人を思い浮かべますか?!私は二十歳前後のころ、よく「竹を割ったような人だね」と言われていました。この言葉の意味は“さっぱりとした性質のたとえで、曲がったところのない気性のこと”を言うのですが、当時の私は「それって融通が利かない人ってこと??」と思っていました。なぜなら、学生のころの私は物事に白・黒はっきりつけないと気が済まず、納得のいかないことがあると誰に対しても挑んでいくタイプだったからです。見た目は大人しそうに見えるようで、言い返された相手の人は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていました。若さ故だったのか、生意気だったからなのか、今思うと相当こわい者知らずの人間でした。ですがそんな私も社会に出てからは、「竹は割ってばかりではダメで、時にはしなることも大事なのだ」ということを学びました。自分の考え方=「筒」になる部分は持ちつつも、いろいろな意見を取り入れてさまざまな方向へしなやかにたわんでみると、新しい見方が発見できる!そんな価値観を知ったからでした。少しは大人になったということでしょうか?
なぜこんなことを考えたのか・・・。きっかけは、サークルの後輩たちと話す機会があったからです。みな平成元年生まれの大学生で、私より8つ年下という若者たち。就職活動を控えた彼らの、“会社”や“仕事”に対する考え方や質問は真っ直ぐで、やる気に満ちた眼差しはとても眩しいものでした。ときに竹槍のように尖った意見が出てきて、話しているうちにそのころの自分を見ているような気持ちになりました。社会人としてまだまだ未熟な私が言うのもなんですが、竹の子のような後輩たちがどんな竹に成長していくのか楽しみに思ったのでした。
録画予約 9月25日 金 夜 10時
香りの道具
楽しみにしています。